2018年7月23日月曜日

チョウゲンボウの飛翔をじっくり観察。I observed Common Kestrel at Kongo reclaimed land.

 八代平野の金剛干拓地は1953年に完成した国営の干拓地だが65年経って野生動物が非常に良く訪れる様になった居る様だ。
 過去においてハイイロチュウヒ(♀)チョウゲンボウ、ハヤブサ、ミサゴ、トビ、ツミなど猛禽類が意外と多く見られる場所として個人的には非常に気に入っている所だ。

 今日のチョウゲンボウは、最初遠くでカワラヒワの群れを追っていた様だが強風の中、風に乗って巡回飛行を行った後大きくターンして筆者の方へ飛んで来てくれた模様を注意深く撮影したもの。

 航空機と野鳥は飛んでいる時こそ美しい!という筆者の理念通りだった。コチョウゲンボウかとも思ったが尾羽の縞模様の本数の多さでチョウゲンボウのメスと思うが如何だろう。
 
最初に気が付いたのが此のカットだった。暫くは北風に乗って滑空状態だった。





此処から初めて羽ばたいた。




すぐ傍の電柱に留まってこちらをジーッと見下ろした。

2018年7月22日日曜日

団塊世代のジジ放談!真夏の余の憂い。 It is a thing about things that the baby-boomer generation is worried.

 少し間が空いたが、週末特集・団塊世代の爺が思う最近の「憂える事トリビア」あれこれ。

 まずは、この猛暑!メディアが騒ぎ過ぎだろう?

 東京では何と6月中に梅雨が明けてしまった。気象庁は6月29日に明けたと思われると発表したが、実際は6月22日の金曜日から抜ける様な青空が連日広がっていたので、実質的には夏至の頃から梅雨明けと言って良いと思う。年の暮れに梅雨明け日を遡った日程で修正発表するのではないだろうか。

 で、言いたいのは猛暑の熱中症などで倒れ搬送される人が余りに多いという事だ。数日前のこのブログでも少し触れたが、夏が暑いのは当たり前。

 メディアが必要以上にアジるので、繰り返しのスリコミ効果で余計暑く感ずるのだ。逆にメディアも「日本の夏は昔からこんなものです、40年前と数値的にはあまり変わりません。皆さんクーラーなど空調のお陰で体質的に耐暑・耐寒性が失われてきたのでしょう。」くらい報道すれば、状況が変わるのではないだろうか?これって、言ってみれば一億総メディア洗脳時代に成っている逆証明ではないだろうか?
数値を見る限り1950年頃からの気象庁のデータとそう大差ない。メディアで騒ぐ分一般国民が不安になり騒ぐだけではないのか?
 1995年のあの猛暑とそう変わりない気温なのに、人間の耐暑力、体力が軟弱に成っただけではないのか?
 例えば、車を利用しすぎて普段歩かなくなり、腰や関節が弱って足腰が立たなくなっている最近の地方都市の高齢者と同じではないのか?

 我々団塊世代の爺は、小中学校時代どんなに暑くても教室に冷房が入っているなどという事は無かった。皆元気に炎天下で野球や虫取りをやって育った。勿論、ラジオ、テレビ、新聞、雑誌という従来からのメディアしかなく、連日の猛暑を叫ぶようなSNS、ネット報道はまったくと言って良い程無かった。

 では、当時は今ほど暑くなかったのかというとそんな事は無い。1960年、団塊世代が小学校5~6年生の頃、東京の夏の平均最高気温は30~32℃(7月)で今とあまり変わらない。最高気温も34~6度で今年とほとんど一緒だ。今年の7月は猛暑日が過去最高日数に成ったが、これは梅雨明けが早かったことに起因しており、気温そのものが高くなったのではない。

 要は、冷暖房が発達し、人間そのものが自然の環境に適応できず「弱く」なっただけだと思う。筆者は小中学校時代主に北九州~南九州で育ったため暑さに対する適応性は都会人より高いと思う。クルマに乗っても余程暑くなければクーラーは使用しないし窓全開で風を入れて走る方だ。自宅でも扇風機を回す方が多い。

 文明の利器が発達すればするほど人間は体が弱く、頭がバカになる様な気がしてしょうがない。これは決してクーラーとスマホの事だけを言っているのではない。


 次はこの猛暑を考えて、今後2020年の東京オリンピック開催がどうなるのか?素人ながら大手広告代理店で数多くの大型イベント・催事・スポーツ大会を裏で演出・運営した経験から考えてみた。先に言うが非常にヤバいというのが持論だ。

 そもそも3.11東日本大震災の東電福島第二原発の事故を忘れさせるための、話題そらし誘致でこの2020東京開催が決まったと思っているので、今でも筆者は開催に反対している。

 東京湾に注ぎ込む隅田川、荒川、江戸川、花見川の放射線量が異常に高く、一時は海底ヘドロの線量が福島より高いと報道された時期もあった。当然魚介類は採取・摂取禁止だった。現在は制限は緩和されているだろうが安全宣言など出す担当官庁の役人達が自ら食べて安全をアピールしている報道を観た事が無い。

それに加え誘致してしまったオリンピックの準備がどんどん進む。

 そんな中、この暑さだ。2年後にこの暑さがなくなり、オリンピック開催の7月後半から8月中旬までに限り、東京エリアにだけ涼しい風が吹くなどと誰が思っているだろう?同じ環境のまま開催に成るのだ。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180722-00000080-asahi-soci

 筆者が憂いているのは、選手たちの事だけではない。大会を支える裏方の各種屋外運営ボランティアや輸送部隊、オリンピックに関係のない一般都民たち、高い入場料を払って生で観戦しようとする観客たちの暑さ対策の事だ。此処に全く筆者と同じ心配をしているメディア解説があった。
 小池百合子や森喜朗などは冷房の効いた特別室や都庁の中で気楽なものだが、炎天下で作業しオリンピックを支える裏方スタッフ関係者、事前の施設建設関係派が、納期合わせ最後の追い込みでバタバタ倒れるのではないだろうかという憂いだ。

 特に開催1か月前からは世界のメディア取材派の対応、本番運営に向けてのリハーサル、物資搬入、IDによるセキュリティ管理。オリンピッククラスに成ると開会式が始まりではないのだ。
 筆者がスノーボードの競技役員で志賀のハーフパイプ会場プレス対応をしていた際、CBSが3重のネットをくぐってスノボのライダー(実はジム・リッピーだった)をまだ完成していないパイプを滑らせた。完全なルール違反なのでCBS女性ディレクターのIDカードと撮影したDATを没収、NAOCへ通報。ディレクターは全ての会場立ち入り禁止となり本国送還となった。
 これが、大会五日前だった。既に2週間前には選手も会場入りしコンディションチェック、体調管理をするのだ。当然それをサポートするスタッフ、ボランティアも稼働する。筆者もたった2~3日で終る競技運営の為3週間も現地滞在した。

 今後の成り行きをつぶさに視ながら、またレポートしたいと考える。マスコット・キャラクターなども発表されたが、声も出ない恥ずかしさを感じた。例えば日本ぽいこけしだとか、ロシアのマトリョーシカに匹敵する何か日本オリジナルっぽい素材があるだろうに。

カラスをビビらせたオオタカの若鳥。 A young Northern goshawk that drived away the crow.

 鳥類の頂点に立つ猛禽類はちょっとやそっとのモビング(疑似攻撃ともいうちょっかいを出す行為、繁殖中のカラスが良くやる行為)ではたじろがない。

 カラスは繁殖期には盛んにこのモビング行為を繰り返す。過去においてはヤマセミ、トビ、カモメ、タシギ、ハイタカ、ミサゴなどへちょっかいを出しているのを観察撮影したが、八ヶ岳ではトビに反撃を食い叩き落されている場面に遭遇した。

 今回はオオタカの若鳥と思われる猛禽類にモビングを仕掛け、アワやという所まで切れたオオタカの逆襲を食らう場面に気が付き、レンズを向け撮影したが、暫く並んで曳航されるように飛んで行った。

 今回のカラス、命を落とさなかっただけまだ良かったが、猛禽類は威風堂々としていて寡黙でなかなかちょっとやそっとではタジロガナイ。しかし度が過ぎて切れたら怖い。程度をわきまえなければ一瞬にして命を取られてしまう。ちょっかいを出すカラスも相手を見てモビングしないとヤバいという事だろう。

 今日はそういうカラスがやりすぎたものの、相手が若鳥だったため命を落とさずに済んだ記録。
最初のカットがこれだったから、この前にカラスのちょっかいがオオタカを完全に怒らせてしまったのだろう。

もう完全にカラスはオオタカの射程距離に入って絶体絶命だが、これ以上は追わないオオタカ。

着かづ離れず、後を取ってカラスをビビらせるオオタカ若鳥。

ほぼ20秒以上、結構長く併走して飛び続けた。


二つの点に成るまで見送った。

雪の日にカモメをモビングするカラス


ヤマセミも時に追われるが、これ以上には成ったためしがない。

2018年7月21日土曜日

今年のキアシシギ、球磨川流域通過レポート。 In 2018 spring Grey-tailed Tattler report from river Kumagawa area.

 狂ったような暑さが続く今年の夏だが、関東地方では6月中に梅雨が明けるという前代未聞の状況下、暑い夏が長いという影響がこの暑さの連続に繋がっているのだと思う。

 しかしこれだけ暑い日が続くのに、夕立が山間部でしか発生していない。これが都心での涼気が発生する機会が無いという事にも繋がり、余計暑さを感ずる結果に成っているのではないだろうか?

 夏が暑いのは当たり前。メディアが必要以上にアジるので、繰り返しのスリコミ効果で余計暑く感ずるのだ。逆にメディアも「日本の夏は昔からこんなものです、40年前と数値的にはあまり変わりません。皆さんクーラーなど空調のお陰で体質的に耐暑・耐寒性が失われてきたのでしょう。」くらい報道すれば、状況が変わるのではないだろうか?これって、言ってみれば一億総メディア洗脳時代に成っている逆証明ではないだろうか?

 ・・・、と言っているばかりでは何も解決はしない。水鳥のレポートで少しでも涼んで頂ければ幸いだ。今日はこの春レポートし忘れた旅鳥キアシシギ。

 4年前の春、八代でオーストラリアのキアシシギ研究家アラン・スチュアートさんの講演を先日ヤマセミカワセミ講演会を行った八代ハーモニーホールで伺った。
http://yamasemiweb.blogspot.com/2014/05/i-took-several-photos-of-grey-tailed.html

 それ以来、九州・熊本・八代・人吉へ行く都度このキアシシギの存在を気にして来たが、今年は球磨川河口部の八代干潟、砂川河口部、人吉市内の球磨川本流、川辺川中流部で目視できた。
5月8日川辺川中流域

砂川河口部でシャコを採餌中

 八代の球磨川河口部の干潟では8~10羽の群れ、球磨川、川辺川、砂川では単独~2羽だった。
この個体は川辺川で一羽だけ単独行動をしていたもの。

2018年5月18日撮影



こちらは球磨川河口部・鼠蔵附近の干潟で8~10羽の小群

こちらは2018年5月16日撮影



この日は八代の高野先生の定例野鳥チェックに同行し、いろいろ学ばせて頂いた。

2018年7月20日金曜日

ヤマセミ幼鳥の採餌ダイブ自主トレ・シークエンス。  This is a sequence of feeding dive practice of young crested kingfisher.

 久しぶりにヤマセミの生態観察レポートをアップしたい。時期的には既に1ケ月前のヤマセミ幼鳥状態の投稿だ。

 異様に早く明けた今年の関東地方の梅雨だが、九州は先日の7月10日頃明けた事になっている。それ以降の猛暑はニュースで観る通りだ。

 団塊世代は小中学校時代どんなに暑くても教室に冷房が入っているなどという事は無かった。では、当時は今ほど暑くなかったのかというとそんな事は無い。1960年、団塊世代が小学校5~6年生の頃、東京の夏の平均最高気温は30~32℃(7月)で今とあまり変わらない。最高気温も34~5度で今年とほとんど一緒だ。

 要は、冷暖房が発達し、人間そのものが自然の環境に適応できず「弱く」なっただけだと思う。筆者は小中学校時代主に北九州~南九州で育ったため暑さに対する適応性は都会人より高いと思う。クルマに乗っても余程暑くなければクーラーは使用しないし窓全開で風を入れて走る方だ。自宅でも扇風機を回す方が多い。

 文明の利器が発達すればするほど人間は体が弱く、頭がバカになる様な気がしてしょうがない。これは決してクーラーとスマホの事だけを言っているのではない。

 話をヤマセミに戻そう!

 ヤマセミは先天的本能で、採餌方法と天敵から水に潜って身を守る術を自主会得する。未だ自分で餌を獲れず親の傍から離れられない幼鳥時代にこれらの練習を盛んに行う。今日のヤマセミ生態レポートは幼鳥がダイブして水中の木の葉(笹の葉)を咥えて戻って来るまでのシークエンス。
これだけ見るといっぱしの成鳥と何ら変わらない。



やはり採餌の際入水する瞬間、ヤマセミはクチバシを開くという証拠画像でもある1枚。単なる水浴びの場合は開かない。


これが実際の魚だったら結構大物だ。




これは決して見よがしに自慢しているのではない。此れから咥え直す練習に入るのだ。

2018年7月19日木曜日

団塊世代が良く知っている、あの常田富士男さんが亡くなった。 Fujio Tokita who Well known actor by baby-boomer, passed away.

 テレビアニメ「まんが日本昔ばなし」の語り手として知られる俳優の常田富士男(ときた・ふじお)さんが18日午後、病気のため入院していた東京都内の病院で死去した。81歳だった。

 まんが日本昔話は殆ど筆者は見ていなかったが、「ゲバゲバ90分」は欠かさず観ていた。「アッと驚く為五郎!」などの意味不明なスーパーギャグを生み出した歴史的なバラエティ番組だ。

 我が妹がその昔、「サインはV」という女子バレーボール、今でいうスポ根ドラマにバレーボール選手としてエキストラ出演している頃、収録の際にこの常田富士男さんが俳優として出演され、お話をしたという事だった。当時既に放映されていた「ゲバゲバ90分」で相当人気者だったようだ。

 それから30年以上経った2006年、翌年の第31回全国育樹祭くまもとで、その常田富士男さんと仕事を一緒にする事に成るとは。ご縁というものは摩訶不思議だ。
 長野県生まれの常田さんは、小さい時小学校3年生の時に父親の関係で南小国町に越し、中学卒業とともに親元を離れ一人で熊本で生活したという。筆者が中学2年で単身上京し、親元を離れて育ったのと境遇が非常に似ている。

 この熊本の育樹祭では、メイン・アトラクションのストーリーテラーを熊本県で育った常田さんにお願いしたのだ。
 
 幾度かリハーサルの合間に、仮設ステージの木製の椅子やパイプ椅子に座って仕事以外の話をされるのを聴くのが好きだった。勿論声優としてのプロだもの、それはそれは引き込まれたものだ。

 本番は、今から11年前の2007年。ちょうど常田さん70歳の時だと思われる。今年の12月で70歳に成る現在の筆者とほぼ同じ年頃だ。考えてみると不思議な気がする。

 本番前日、宿舎でスタッフと一緒に夕食を摂ったが、其処での会話は相当筆者にも影響を与えた様だ。
 暫くは、ただ常田さんと他のスタッフとの話を聴くだけだったのだが、色々質問をされ、筆者が北九州の小倉や八代など点々と引っ越した話、小学校を4カ所転校した話など、生い立ちや中二で親元を離れて育ったこと、普段はスバルの四駆に乗っている事などを話した。
 そうしたら「君は、姿かたちもやる事も僕と同じ匂いがするね?」と言われ、感動して調子に乗り、思わず「匂いってまさか加齢臭じゃないですよね?」と軽口を叩いてしまった。そうしたら「ほーらねっ!僕と同じだぁ!」と大笑いされてしまった。

 常田さんは四駆のジープに乗っているとのお話で、何と当時は武蔵野にお住まいだったという。
 いつか伺おうと思っていて、ついに果たせなかった。とにかく、ゲバゲバ90分以降、1983年の今村正平監督「楢山節考」含め広い守備範囲をお持ちで影響を深く受けた素晴らしい俳優さんだった。残念だ。
本番前日の関係者夕食でテーブルを囲み、色々お話を伺った。
本番前日の総合リハーサルで、筆者はもちろん仕事!

同じく前日総合リハで・・・。前日も当日も快晴!

第31回全国育樹祭は当時の潮谷熊本県知事先導で皇太子殿下がご臨席になった。来年からはいよいよ天皇陛下に成られる。

本番時の常田富士男さん。勿論大成功で終了した。