2023年9月10日日曜日

団塊世代はそろそろ広げ過ぎた自分の領域を整理する時期を感じた。 The baby boomer generation me felt that it was about time for myself to reorganize my over-expanded territory.

  1948年、つまり一番人口の多い昭和23年12月生まれの筆者は、父親の数多い転勤(注:サーカス団員とかではない)に合わせて小学校4か所、中学校2か所に通い、都立高校を出て早稲田大学教育学部に現役で入ったものの、大教室の駿台予備校より多い学生を見て失望し3週間で自主退学、阿佐ヶ谷美術学園という専門学校に入った。

 しかし、専門学校の先輩(当時学園きっての天才と言われた伝説のゴローさん)に卒業後の仕事を紹介してもらいに行った時、青山のデザインスタジオでダイエーのチラシ用にタラコの写真をカッターで切りながら、上目遣いで言った一言で固まってしまった。「お前らなぁ、大学だけは出ておいた方がいいぞぅ?」

 この一言で、その日駿河台下の三省堂(当時はまだ一部瓦屋根の2階建て)で高校の教科書を買い込み勉強し、機動隊に守られながら入りなおした横浜国立大学教育学部の美術専攻科。

 人より2年遅れで人生が始まったようなものだ。しかし、大学入ったは良いが、三鷹⇔京急南太田間:往復4時間という長距離通学で4年間サッカーに明け暮れ、成果といえば1971年和歌山国体のサッカー神奈川県代表権を得たくらいなモノ。

 ロクに本来やるべき絵画制作も行わず写真学も学べず、ゲバゲバ世代はどさくさに紛れて卒業し、入った企業が当時文系男子大学生の人気ナンバーワン企業、青山のVAN JACKET INC.そう、あの石津謙介社長のヴァン ヂャケットだ。

 思わずオイラ勝ち組?(当時はこういう表現はなかった)かもと思ったものだ。

 ところが、入ってたったの5年で会社が2年連続の冷夏(今年の夏がビョーキに思える)とマーチャンダイジング・ミス+過剰生産で倒産し、乳飲み子を抱えた筆者路頭に迷う、実は人生負け組からのスタートだった。

 だが、時は高度成長の絶頂期、世の中就職活動は完全な売り手市場。新聞の就職欄を切り取って行った最初の会社、当時西ドイツ本社の女性アンダーウエア会社トリンプのマーケティング本部長に宣伝課長(VANのファンだった!)のポストに合格をもらい、なんとその日に就任、その日の午後から実際にデスクで仕事を始めた。

 なんとか勝ち組に戻ったかと思いきや、時は冷戦時代!西ドイツ本社と宣伝方法・宣伝クリエイティブ内容(駅張B倍ポスターでソ連を笑いものにする内容)で大喧嘩。せっかく入ったトリンプをプイと退社、たった1年2か月の在職だった。

 実はトリンプ退社届を出す前にアートディレクター福田毅氏に勧められ、内々に転職を決めていたところが銀座一丁目の中堅広告代理店。ここで出遭ったのがその後の人生の半分の時間を費やすウインドサーフィンというマリンスポーツ。

 時は1980年。あのマドンナが全米デビューしたころだ。音楽端末はSONYのウォークマンが世の中を席巻し始めたころ。レコード屋の店頭のレコードがほとんどカセットテープに代わってしまった頃。

 1984年開催つくば万国博覧会で広告代理店の人数が不足する中、施工図面を読めて描けて、VAN時代店舗内装実務などの実績があるという事で、大手広告代理店から声が掛かり最後の転職(3度目)をしたのが1984年1月1日。

 それ以降、自分的には浮き沈みはあるものの、仕事(主にヨコ乗り系のスポーツ大会企画運営実施)では成果は上げつつ大きなミスもせず、東京本社から地方へ、あるいは所属部署から他の閑職へ飛ばされることもなかった。※引き取り手が無かっただけ。

 むしろ社内スポーツビジネス部門の限界(スポーツジャンルは電通天下の時代)と、大酒飲み上司(なんと大学同窓)のいい加減さと資質に見切りを付け、内々に上司には内緒で行える社内FA制度を使い1(筆者)対3という変則トレードでコンベンション局(国家レベルの文化催事担当)へ希望通り異動できたのが21世紀目前の1999年。

 こうして現役時代はその仕事の性格上、国内は高知県・秋田県以外はすべて出張で行ったし、海外もノルウェー、スエーデン、フィンランド、オランダ、ドイツ、英国、フランス、スイス、イタリア、オーストリア、オーストラリア、ニュージーランド、メキシコ、カナダ、米国、中国(新疆ウイグル自治区含む)などへ幾度も出張した。行っていない大陸はアフリカと南米、南極だけ。

 60歳の還暦過ぎて広告代理店を卒業し、いくつかの会社の退職後推薦職を遠慮し、かってのスポンサーの要請で政府・国交省系の航空宇宙産業機関で4年間特別プロデューサーを務めたのち、企業業務は完全にリタイヤした。

 2008年~2018年の10年間、早稲田大学理工学術院の招聘研究員を務め理工系の研究を進めたが2018年4月をもって退所、完全無所属無職となった。

 こうして団塊の世代は今、昨日のこのブログでご紹介した通り、この夏大きな思考的・価値観的転機を迎えたわけだ。


 で、この団塊世代も残りどれだけの活動時間(=寿命)があるかわからぬものの、断捨離だの終活だのいろいろな言い方もある中で、筆者自身もこのブログを毎日更新しながら、そろそろ自分に関わる色々なモノの店仕舞いをする覚悟が必要な時期になったなぁ・・と自覚し始めたのだ。

 墓とか葬式とかの事ではなく、自分が今まで生きて生きた中で使ってきたモノなどの始末、メンテナンスの類の話。

 たとえば順番に挙げていくと・・・。

①車の事(免許更新・保険・運転など)、

②衣類の事、ジャケット・パンツ(=ズボン)、ネクタイ、その他膨大な重衣料、防寒衣類、シューズ類。RED WINGだのGrensonsだの・・。

’60年代のトラッド系(ロンドンのポートベローで買ったマドラス・ジャケット、ハリスツイードなど)は今でも着ている。死ぬまで着ると思う。元アパレル会社VANの社員だもの、世の中の男子平均の10倍以上衣装持ち。

今はもうないOLD NAVYや昔(1990年まで)のBanana Republicのファンだ。

基本的に夏の柄シャツはアロハ系かシブカジ系が多い。この手もバナリパが多い。

③スノーボード系などスポーツウエア、靴、

④ウインドサーフィン、スキー板、スノボ板などの道具・ギヤ類。

⑤カメラ類、ボディ10台、交換レンズ15本、三脚4個、など

⑥パソコン、デスクトップ2台、ノート4台、外付けHD6台計30TB

 新たに購入せずに、今のマシーンが壊れたらPC活動ともおさらばと覚悟を決めようかと。ただし、デスクトップ型PCの寿命はストレージがSSDの場合10年、今まで通りHDだと5年が良い所とネットのあちこちに出ている。

「Windowsの起動に時間がかかるようになったら、買い替えを検討していいでしょう。ストレージがHDDの場合起動には1分ほど、SSDであればもっと早く起動するはずです。それなのにWindowsが起動するのに何分もかかるのは、ストレージなどの調子が悪くなっている可能性があります。特に購入から5年以上経っている場合は、ストレージなどのパーツの性能が落ちて寿命を迎えつつあるのかもしれません。」

 ネットで4か所ほど調べたらほぼ同じような答えだった。

⑦レコード、輸入盤オールディス系LP3,000枚、日本版シングル300枚など

今後このレコードをどのように世の中に活用すべきか、これが課題。
所謂、リバプールサウンドはほぼ全部オリジナルの米国輸入盤でそろっている。

コレクターズアイテムも数多い。

⑧写真集などの本 25種類、在庫300冊以上

ヤマセミ・野鳥中心に自費出版した写真集は全部で25種類に及ぶ

 気が付くだけでこれだけのものを整理し断捨離するのは相当な時間と労力が必要。

 そんな中、2000年あたりから頻繁に使用し始めたPC、今のデスクトップもすでに10年以上使用し続けている老朽品だ。

 電源その他、耐久性がどの程度あるか不明な「物理的人工物」だけに、ソフトと違って個体差が激しく、部品の当たり外れもあっていつ突然停止状態になるか分かったものではない。ある朝真っ暗なモニターの前で「あーあすべてが終わってしまったぁ」だけは何としても避けたい。

 ソフトやデータはバックアップを取って保存さえしておけば、ほかのPCでいくらも使用し続けられようが、アナログで動く機械そのものは経年劣化するに決まっている。

 朝7時ころから夜寝る前の11時ころまで点けっぱなしの筆者は、画像処理を毎日やっているわけで使用頻度でも普通の人よりはるかに多いだろうと思う。

 CPUがCore(TM) i7、メモリーRAM16.0GBで今まで普通に稼働してきたものは、そのままのスペックレベルで十分なのだ。できれば今使用中の愛機と生涯を共にしたいのだ機械的・物理的劣化が原因で故障さえなければ・・・。

 別に最新の速いCPU、Core(TM) i9、だのメモリーを32GBあるいは64GBにする必要はないのだ。今後やる事は今までと何も変わらないし、自分のパソコンスキルをこれ以上高める余地も時間もないのは良く分かっているのだから。

 壊れなきゃいいのだ。

 双発のパイパーアパッチで充分飛行を楽しめているのに、用は足りているのにF35の垂直離着陸機は要らないのだ。

 この辺りを考え考え、後今年の残りで考えなきゃいけないと思い始めた9月なのだ。

2023年9月9日土曜日

団塊世代はこの夏個人的に生き方と価値観と人間関係を見直す時期だったと思う。 I personally think this summer was a time by myself to reevaluate my way of life, values, and relationships.

  今年は夏の終わりまでに自分の身に大きな事が2件も起こった、ここ10年では非常に珍しい年だ。まだこの先何かあるかもしれないが、モノを見る目、人を見る目、価値観・考え方に大きな変化が生じたと言って良いだろう。

 その一つが、尊敬するプロの写真家さんに誘われて行えた、人生で初めての「写真展」だ。よくある、お仲間同士のグループ展へ数点出品したのでもなく、公募写真展へ入選して入選作が一点展示される形での「写真展」でもなく、一つのテーマに沿った1人25点展示する超本格的写真展なのだ。

 この手の写真展としては非常に来場者も多く、非常に好評だったとの事だが、もちろん著名でファンの多いプロの写真家さんプロデュースだからであることは言うまでもない。



 写真展までの詰めの3か月間はハイテンションのまま毎日が過ぎていった。やる事なす事初めてだらけで、70歳過ぎてこんなに新しいことを勉強するとは思わなかった。

 同時に写真世界のプロという壁の高さ、仕事への細かさ、気の配り、確実性、目からウロコの毎日だった。

 もちろん写真展を実施するという写真展プロデュースに関しての勉強だけではなく、基本的な写真の撮り方、被写体の狙い方、表現方法といった撮影者にしかわからない大きく広い諸々の重要事項から、常にレンズはきれいにしておく事・・・といった基本中の基本まで一つの写真学校を4年かけて卒業するに等しい時間だった。

http://yamasemiweb.blogspot.com/2023/06/1the-photo-exhibition-we-and-wild-bird.html

 ところが、これだけ準備して開催にこぎつけたとたん、開催二日目終了後に気力・体力が電池切れでダウンしてしまったのだ。原因は医者に言わせると喉風邪と蓄積疲労。一時は入院かというほどの肺炎前期症状にまで進んでしまった。珍しいことだ。

 これは筆者独特のパターンのようだ。全力で事に当たり明日から本番!、もうジタバタしたって仕方がない、本番は絶対に成功する準備を万端整えたから大丈夫!・・不安など一切無い!・・というのが気の緩みになり気力・体力オーバーヒートで動けなくなるのだ。

 1995年、野沢温泉村で開催された’95インタースキー野沢温泉大会。準備に半年かけていざ明日が開会式という前日ダウンしてしまったのだ。

 開会式前日の公式晩餐会に招待されていた筆者がダウンしたものだから、大会名誉総裁の故・寛仁親王殿下に大変ご心配頂き、お付きの宮務官にものすごく効く抗生物質を届けて頂いた。

1995年インタースキー開催記念晩餐会 招待状 ※禁複写

 酒を一滴も飲めない筆者がこれをチリビールとかいう唐辛子が浮いたビールとともに飲まされ、なんと30分で起き上がれたのだ。

 で、晩餐会にフラフラになりながらも出席できたのだが、入り口まで心配されて出てこられた殿下に「おう、元気になったか?何だお前、もう一杯ひっかけてきたのか、真っ赤な顔して」とお言葉をいただいてしまった。

 忘れられない一瞬だったが、今回写真展二日目日のダウンもこれに非常に似ている。これが筆者の「癖」なのだろう。後先考えずに全力(以上)で事に当たり、安心するといきなりダウンしてしまう・・・。パワー不足というか、エネルギーの配分を知らないというか、陸上で言えば400m競技をスタートから100m競技のスピードで走ってしまう馬鹿に近いのかもしれない。

 繰り返すがこの写真展、二日目の夕方突然の悪寒で倒れ発熱、しかし3時間寝たら熱も下がったが起き上がれなくなってしまった。翌日3日目からの事を考えたとき「残念ながら出展者は寝てます・・。」の恥ずかしさと運営の心配と責任感で、まあ我が人生でも滅多に無いどん底の気分だった。我が人生で一番のピンチだった気がする。

http://yamasemiweb.blogspot.com/2023/07/photo-exhibition-of-nogawa-which-was.html

 信頼できる友数人に電話で窮状を説明したところの反応がそれぞれ違い、人の有難さ、友の有難さを今までになく感じたことだった。この瞬間ほど人を見る目が変わった瞬間はなかった。

 人の必死の窮状を解かる人間と、そうでない人間の差がはっきりとみて取れた瞬間だった。

 自分の予定をすべてキャンセルして「そりゃ大変だ、何でも言ってよ!何時でも何処でも行きます」と言ってくれた友、そうでない友、人それぞれの違いをこれほど感じた瞬間はなかった。

 写真展も事前に個人的にEメール、案内状、Facebook(FB友は常時厳選99名)での告知を行い、何と小学校、中学校、高校、専門学校、大学、社会人になってから3社の同僚、いろいろな人生の各時代から82名(友人が同伴で来てくれた人数21名)もの知り合いが来てくれた。

友人知人のご家族・友人はカウントしていない。最終日集計

 これには腰を抜かすほど驚いた。一つの学校、組織の同窓会に出席しても、その時代の仲間にしか出会えないからこうはいかない。

 ここでも思いもよらない嬉しい来場者、期待したのに残念ながら来られなかった人、来てもらえなかった人・・・。千差万別、人間模様がしっかりと脳裏に刻まれたのだった。

 Facebook繋がりの友人も19名来てくれた。FB友達99名のうち19名来場(4人に一人)というのも、どれだけFBが効果あるかの実証だろう。

 来てくれた方82名への御恩は一生忘れないだろう。人生初めての事だもの82名の名前、忘れる訳がない。

 人間は正直だ。特に筆者は恩を感じた人へは何でもしてあげたくなる、役に立ちたいと思ってしまう。普通の人よりはこれが異常に強いかもしれない。

 その逆も非常に強い。期待に外れた人は脳裏からすぐ消えていく。疎遠になる、これはこの年齢からすれば仕方がないことだろう?人それぞれだもの。

 そういうわけで筆者にとって大きな転機になった今年の7月8月。9月になっていろいろ先を考えての行動に切り替えている今日この頃だ。

2023年9月8日金曜日

初めて都内緑地でセンダイムシクイに遭遇。I encountered the Eastern crowned warbler for the first time in a green space in Tokyo.

  いつもルーティンで観察を続けている都内緑地5か所のうちの1つでセンダイムシクイに遭遇した。筆者都内では初めての事。

 筆者在住の三鷹・野川、武蔵野公園では今年も初夏にチョンチョンギースという声を聴いたりしたが、それ以外では北海道の千歳市青葉公園の森、奥日光戦場ヶ原、日光東大植物園、霧ケ峰界隈などで遭遇撮影していたが、東京にあっては初めて撮影できた。

 渡りの途中でたまたま現れたのか、夏中そこにいたのかは不明。未だその緑地帯ではミンミンゼミやアブラゼミが鳴いていたが、昨日はさすがに鳴き止んだことだろう。

 撮影した画像をいろいろな角度から精査して、頭央線が見られたことからセンダイムシクイと判断した。

 本来センダイムシクイは群れないと文献にあるが、筆者が撮影したのは4~5羽の小群だったような気がしている。

 最初は地鳴きが似ていたのでメジロの小群だとばかり思っていたのだが、撮ってみたらセンダイムシクイだった。




頭央線が認められたのでセンダイムシクイと判別。

わりに木下の枝を飛び移りながら葉の裏の昆虫やクモを採餌。



公園内を広く飛び回っているようだった、時間的には13時真昼頃。

2023年9月7日木曜日

朝のルーティン散歩で住宅街にツミ出現! During my morning routine walk, I saw the Japanese sparrowhawk appear in a residential area!

  今朝のブログには昨日都内緑地で遭遇したセンダイムシクイ、その他小鳥系のご紹介をしようと思っていた。しかし先ほど戻ってきたいつもの愛犬朝散歩の途中でツミのメスに出遭い、約20分ほどうるさいカラスに対してオナガの群れと共存している様を観察しコンデジで撮影できたのでそれをご紹介。場所は三鷹市内の集合住宅地の附近。

 コンデジ撮影したて2時間での投稿だ。

 三鷹の住宅街には数年前からツミが住民登録しているようで、犬の散歩時によく出遭う。尾の長さを入れればオナガと相対して大きさは変わらないとも思うのだが、やはり猛禽類の存在感は違うようだ。

 コンデジなのでこれがやっとの画像。片手で愛犬のリードをもっての撮影だし、1/1000での撮影でやっと撮れたもの。






多分暫くいると思うが・・。

2023年9月6日水曜日

東京のオナガと佐賀のカササギはそっくり!  The Azure-winged Magpie in Tokyo and the Eurasian magpie in Saga are similar, aren't they?

  時々、ポツリとくる今朝の三鷹は遠くでまだセミの声が聞こえつつ、しのぎやすい気温になってルーティンの早朝愛犬散歩もいつもより長めだ。

 今日の野鳥テーマは、同じ仲間ながらそれぞれ遠く離れたところで生息するため、両方を同時には見られないという面白い種の話。

 東京のオナガと佐賀のカササギ。 両方とも英語表記はマグパイなので英国ロンドンキューガーデンやパリの街中で観られるマグパイと同じカラスの仲間だ。

 もっと言えばニューギニアにいるゴクラクチョウたちもカラスの仲間。日本ではカケス、エゾカケスもその一族ということになる。

 東京の場合は以前もこのブログでご紹介した浅草の今半別館の欄間の彫り物にある通り、昔から縁起の良い鳥として江戸ではあちこちに飾りとして存在するようだ。

浅草浅草寺の仲見世通り右側道にある老舗。加山雄三の「若大将シリーズ」にも登場。

偶然通された部屋の欄間がオナガで、ついつい長居してしまった。

佐賀のカササギは東京のオナガほど多くないような気がする。

佐賀空港附近の農耕地で遭遇、撮影できた。

オナガよりはずいぶん大きい。町中のハシボソカラスに近いかも。

多少、主翼が青みがかっている。

我が家の隣のICU校内のオナガ


三鷹界隈の住宅街で繁殖しているので、毎日鳴いてうるさいほど。

ファミリーごとで小群を作って行動するようだ。

2023年9月5日火曜日

富士山噴火と大地震はいつ起きても不思議ではないという恐怖がマヒしている気がする。I feel that people have Sense paralysis that Mt. Fuji eruption and a major earthquake can happen at any time.

  9月1日大正12年の関東大震災の日を記念して防災の日としている我が国、特に首都圏だが、NHK中心に当時のフィルムを精査修理・カラー化してその惨状を再現した番組を観た。

 今になってその凄さ・悲惨さ、火事の怖さに気が付かない多くの東京市民の様子が見て取れて、さすがNHKだと思った。

 しかし、あくまで首都圏直下型マグニチュード7.9の巨大地震だったということだ。これが1707年の富士山宝永大噴火の場合、噴火の49日前にマグニチュード8.6の宝永東南海地震があって、その後富士山大噴火、二週間にわたって噴火が続き江戸も相当な灰が降ったと記録がある。

https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00420/

 300年間こういった大災害(大噴火+大地震)が無かっただけに火山学者・地震学者は毎日生きた心地がしないとメディアは報じている。

 筆者個人もいろいろな文献やNHKアーカイブを観ながら、生きている間に必ず起きるだろう大地震と富士山噴火、最低限の備えをしているつもりだが、メディアももっと防災の日だけではなく日常から知識と情報を国民に情報発信してほしいと思う。

 今朝も愛犬散歩で東の空に雲の壁というか太い雲の帯が北東から南西に流れていた。ひと昔であれば「地震雲」として騒がれたような雲だった。震源方向から言えば太平洋岸、規模は相当なもの・・・素人はこういった気象異変をすぐ大地震など天変地異に結びつけたくなる。

あまりに横長の雲の壁だったので2カットをつないだ。

 情報は外れても責めたりしないから、常に危機を予測させるために発して欲しいと思う次第だ。

 あまり人心を煽ってはいけないので、野鳥ブログに戻ろう、今朝は真夏の野川のカワセミ。

 数日前、NHKで数年前の野川の様子を再放送で流していた。あの放送で流していた野川は収録しやすい季節のもの。タレントの乙葉さんが野川の川中で魚を掬っていたのは、あくまで川に入り込める場所、入り込める時期のもの。

 現在のように真夏の野川、特に野川公園~武蔵野公園付近の護岸工事をしていない自然の土手のエリアはとてもではないが川へ入れない。

 周りは草で覆われていて、野鳥は全く見えない。そんな中偶然幸運にもカワセミに出遭えコンデジで撮影したので、ご紹介。

ちょこんと顔を出したカワセミ

夏は草や木の葉で野鳥が見えない

それでも長年の勘で何とか探し出せた。




こういった開けたところにきてくれるのはめったにない事。

コオニヤンマが小さな虫を採餌中。

夏の終わり、カラスもセミを咥えていた。

2023年9月4日月曜日

団塊世代は脳科学者に訊いてみたいことが色々あるのだが・・。 There are many questions that baby boomers would like to ask neuroscientists.

  今日は団塊世代愚痴話の番外編・・。

 団塊世代の半分以上は今年2023年中に75歳を迎え、後期高齢者となる。企業に勤めていたOBは企業の健康保険組合の特別退職者資格でのカバーが終了し、国民健康保険へ切り替える該当者が多いと思われる。

 もちろん既に鬼籍に入った者は関係ないが、しぶとく生きている者はそろそろ体のあちこちにガタが来ている頃だ。体というのは脳が含まれる事は当然。

 筆者はネットで盛んにいろいろな事象にコメントを述べている茂木健一郎氏の記事を割によく読んでいる。「脳科学者」という大仰な看板を掲げている割に、どーでもいいような巷の事象にいちいちミーハー反応するスタイルはあまり好きではないが・・・。

 もう少し専門的な役立つ案件を解かり易く説いてほしいと思うのだが、そう思うのは筆者だけだろうか?

 今回、懐かしの渋谷のスクランブル交差点にある大盛堂書店(筆者が高校生の頃から在る)にフラッと入って思わず目に留まったのが「運動脳の鍛え方」という本だ。

 この「運動脳」という言葉は’70年代の雑誌ポパイや雑誌「ターザン」などで読んで、ずいぶん昔から筆者の頭には在ったが、こうした単行本のタイトル・メディアに「日本語」」として乗って具現化したのは初めて見た。motor brainとかエクササイズ・ブレインとかしないで「運動脳」と漢字で表記して「団塊世代」を狙ったのかな?

 茂木氏がネタにしているのはこの本だ。以前スマホ脳で名をあげ、筆者もこのブログで今年1月28日に取り上げた項目の張本人だ。オリジナルをぜひ読んでみよう。

「団塊世代はスウェーデンの精神科医が書いた本「スマホ脳」に驚愕した。 Baby boomers were astonished by the "smartphone brain" written by a Swedish psychiatrist.」

http://yamasemiweb.blogspot.com/2023/01/baby-boomers-were-astonished-by.html

http://yamasemiweb.blogspot.com/2023/01/baby-boomers-were-astonished-by_29.html


しかしオリジナルのネタ本を要約して自分も出すなど日本の脳科学者も大したことないな?

 筆者はとうの昔、10年も前にビジネスマンではないし、現役時代もエリートなど飛んでもなく遠い存在だった。

 しかし、運動(運動脳とリンクしている意味ではなく)だけは学生時代の延長で、スキーのジャンプを含めて空を飛ぶ種目以外はありとあらゆるスポーツにチャレンジして楽しんだ。個人で記録や順位、勝ち負けを争う種目はほとんど無いが・・。これが理由で結果運動脳だけは少し他の人より発達してしまったかもしれない。

 よく、「自慢してんじゃねーよ!」と言われるが、このブログでなぜそんなことを堂々と言えるのだお前は?と言われても良いように、経験したスポーツは一応列記することにしている。サッカーワールドカップやスノボ、スキー、アイスホッケーの世界クラスの大会の批評などをこのブログで何故できるかという理由にもなっている。

 だからやっていない今回のバスケットWCに関しては何も言えない。コートに出ている間中フェイントと全力疾走を繰り返す種目、筆者には絶対無理だった。

 やった事が全く無いわけではないが、サッカーやウインドサーフィン、スノーボードに比べて遥かに激しいスタミナと瞬発力のある種目、近いのはアイスホッケーくらいだろうか?やっていないから選手の立場でのモノが言えない。

 中学校の校内スポーツ大会で、陸上をやっているクラスメートに大会3日前に勧められて走高跳に急遽出場。1m45㎝を飛び、校内で2位になった事で己が学業より運動体育の方が向いているんじゃないかと自覚したのが1963年だった。

 それ以降、高校で陸上のハイジャンプ種目とバレーボール部、大学でサッカー(関東甲信越国公立系選手権優勝、神奈川県知事杯優勝(防衛大には負け知らず)、1971年和歌山国体代表権獲得)、VANでアイスホッケー・ヴァンガーズ左ウイング(東京都実業団2部・公式戦得点)。

 個人レベルでは1964年からスキー、1990年からスノーボード、1997年からクロカンスキー、1980年からウインドサーフィン、1964年から潜水素モグリ魚突き。

 1996年から週1で8~10㎞低速ランニング、これは現在まで続いている。

 こうした経歴を見る限り、お前はロクにちゃんと仕事をしていなかったな?と言われても仕方がないと思う。事実その通りだから。

 1日1万歩ペースでここ数年来ているのも、これら運動系の体質になってしまった自分のフィジカルは高齢になっても急に止めてはいけないと思っている。

 理由の一つは、大学時代スポーツ万能だった先輩(国体出場レベル)が就職後急にスポーツをやめ若死にした事例を2件知ったからだった。

 もう一つの理由は、体を動かして肉体疲労を感ずる方が日常的に体調が良いのと、朝の寝起きが非常に良いからだ。1日1万歩以上歩いた日、夕方走った日の夜は翌朝までトイレには一度も起きない。そうでない日には1度は起きる。体は正直だ。

 この茂木健一郎氏の単行本にはとにかく歩くか走るか、運動をしろと出ている。それは間違いない。江戸時代の人間は1日2万歩程度歩くのは普通だった。それが今、交通・輸送手段が発達し、地方では1人1台の車、大都会にあってはエレベーター、エスカレーター、動く歩道・・・人間歩かなくなって久しい。

 だから寝たきり老人が多い、杖を突く老人が多い。朝通勤ラッシュの後のバスに乗ってごらん?半分以上は歩行に障害のある方ばかりだ。

朝のバスは乗降に時間のかかる方が非常に多くなった。

 決して重たいカメラの入ったデイパックを背負って駅の階段を二段上がりしろとは言わない、せめて杖なしで、手すりなしで高齢者生活を送ってほしいと思う。

 筆者はずいぶん前から朝は5時半に天窓の明るさで目が覚める。体内時計が安定しているのだろう、毎朝5分と違わない。目覚まし時計というものに頼った事が無い。

 起きて5分で愛犬散歩に出る。顔は洗わない、なぜか小さいときから朝顔を洗って歯を磨く習慣が無い。逆に顔は1日数回時々洗い、歯は寝る前に磨く。

 毎朝野菜サラダ(7~8種の野菜)を250g作って食べる。家人は誰も起きていない。

毎朝サラダを作りながらイタリアの国旗はサラダからきているのか?と思う。

 6時半にはパソコンの前に座ってこのブログを叩いたり、Facebook、Twitterをチェック。ネット記事の見出し一覧をチェック。

 走るのはスポーツ系の医者の論理で夕方、夕食前、あるいは寝る前に走る。で、シャワーーを浴びて寝る。風呂にはよほどの事が無いと入らない。温泉は天敵に近い。温泉にゆっくり入って気分が良くなった経験が無い、逆は多い。体質的に合っていないのだろう。昔サウナに入って深呼吸して気絶したことがあった。

 一部違う部分もあるが、茂木健一郎氏のこの本を読んだら非常に似ている部分があって驚かされた。

 茂木氏やいい年して髪の毛金髪に染めている中野さんという人も「脳科学者」の看板を掲げている人って目立ちたがりなのだろうけれど、同じようなことをやっているというので親近感がわいた。

 同じようなことは最近あちこちで書かれているようだ。

https://kiwi-go.jp/column/brain/#:~:text=%E3%80%8E%E9%81%8B%E5%8B%95%E8%84%B3%E3%80%8F%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81,%E3%81%84%E3%82%8B%E6%96%B9%E3%81%AF%E5%B0%91%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93%E3%80%82

 できれば大脳と小脳の役割の差とか、どちらが故障するとどうなるのかなど医学的な部分に関しての解説をお願いしたいところだが・・彼には無理なのかも。