2020年9月25日金曜日

秋の霧ヶ峰八島湿原の高山植物情報。 Alpine plants in Kirigamine and Yashima Marsh in autumn!

  ノビタキと遊んだ霧ヶ峰・八島湿原で高山植物も撮っておいたので、此処でご紹介。筆者は動く野鳥の撮影は長年やってきたが、高山植物とかあまり真剣に撮ったことが無いので、そのジャンルが得意の方は厳しくご覧にならぬよう願いたい。

 この花をこんな向きで撮るやつが居るか!…と言ったご指摘はほどほどにお願いする。筆者には貴重な花も雑草も区別がつかないのだ。そういえば1968年、美術学校生だった頃、六本木の芝造園という会社のアルバイト(仕事内容は土方)をして皇居内の草取りに行った事があった。

 その時、親方がひきつった声で「皆帽子と手拭い・軍手を取って後ろへ下がって並べ!」と言うのでそうしたら帽子をかぶった老人が一人で歩いてきた。なんと昭和天皇陛下だった。

 で、傍へ来られて「何してんの?」とおっしゃったが、親方も皆も固まってしまい答えないので筆者が「雑草を取っています。」と答えた。そうすると陛下がジーッと筆者の顔を見て「あのね、植物には皆名前があるの、学名と和名があってね、雑草という植物は無いんだよ。」とおっしゃった。

 あとは頭が真っ白で良く覚えていないが、それ以来動植物の名前には気を遣うように心掛けている‥‥と思って、今朝の読売新聞を見たらこんな広告が載っていた。

天下の山と渓谷社が「雑草」?昭和天皇陛下がご存命であれば叱られよう。


で、今回の八島湿原の高山植物は全て名前が判った訳ではないが、判るモノだけ記入した。


日の出前のヤナギラン、普通の年は今頃は白い羽毛のような綿毛に成っている。

4年前の同じ日のヤナギラン。

まだ今年は残り花が10本以上咲いていたヤナギラン。

ハバヤマボクチ。いつも思うが、とても地球上のものとは思えない。

ハバヤマボクチにも似ている、アズマヤマアザミ・・・だと思うが。

ワレモコウ。

ヤマラッキョウ。

アキノウナギツカミ。ノビタキがこの上を飛び回っている。

マツムシソウ。

ツクバトリカブト。

ツクバトリカブト。

リンドウ。

ノコンギク。

一本だけ発見した白いリンドウ。背が高いのでエゾリンドウの変種か?

サラシナショウマ。今はこれが満開中。

ヤマハハコ。

コウゾリナ。たぶん。

アキノキリンソウ。

まだほかにもあるのだが・・。今回はこれでおしまい。

2020年9月24日木曜日

秋のはじめの霧ヶ峰でまだ居たノビタキと遊ぶ!その2. Play with the Siberian stonechats that were still in Kirigamine in the early autumn! Part2.

  昨日夕刻、このYAMASEMI WEB BLOGのページ・アクセスが60万回(この時点で600,097回)を超えた。2013年5月14日から始まったこのブログは毎日更新することで投稿累計は2715回に及ぶ。1日平均221アクセスと言う計算になる。有難い事だ、ご覧いただいている皆さまに心から感謝申し上げたい。

 このブログサイトは決して芸能人や政治家と言った著名人のサイトではないので、基本的にアクセス数を伸ばして威張ろうなどとは思っていない。文章はお小言を頂戴するほど強気で乱暴で断定的だし、アミューズメント性だの、サービス感性にまるで欠けたサイトなのはいつも筆者自身で反省している程なのだ。それでもこのブログサイトを気にして下さる方々へ、今後も心を込めて「出来る限り毎日続ける」事のみに努力する次第、御贔屓いただけると嬉しい。

 今日はあの4連休の3日目、9月21日の午前1時に三鷹を出て霧ヶ峰の八島湿原へ行ってノビタキを撮り、トンボ返りし昼の1時過ぎに戻るという弾丸ドライブを行った成果の第2弾。

 今年の八島湿原はいつもとはずいぶん違っていた。いつもの年であれば今頃ヤナギランの白い羽毛のような綿毛で湿原の斜面が覆われているはずなのに、まだヤナギランそのものの花が咲いていたりしたのだ。何かがオカシイ湿原だった。

 それでもノビタキたちは天真爛漫に飛び回っていた。今回はその様子を他の野鳥ともども数回に分けてご紹介しようと思う。この先南へ戻る途中で近畿~中国・四国~九州と渡っていくだろう。数は例年同様多いので各地で遭遇できると思う。

 今日はそんなノビタキたちの飛翔シーンをご紹介。500㎜f4を手持ちで撮影なので多少のブレはご容赦願いたい。

 湿地帯に咲くママコシリヌグイもしくはアキノウナギツカミという、変な名前のピンクの花の上を飛ぶノビタキ。

時には木道に沿って突っ込んでくるから気を抜けない。

木道を歩く人間をあまり警戒していないようだ。

手持ち連写で面白いハンティングシーンが撮れていた。撮影中は全然判らなかった。

右からヒョウモン系の蝶が飛んでくるのを追い始めたノビタキ。

急ターンして捕獲体制へ・・。

くちばしを開いて捕獲に入ったと思ったが・・・。

何と中止して飛び去って行った。理由は判らない。


2020年9月23日水曜日

緊急投稿!球磨川沿いの肥薩線の復旧を考える。その17.(人吉・球磨日本古来の伝統文化とは) Consider restoration of the Hisatsu Line along the Kuma River.Vol17. (Create the only one culture of Hitoyoshi Kuma)

  前回#16で投稿した通り1960年代以降首都圏東京に人が集中し、全国の地方都市から若者中心に人が減り、車社会になって鉄道駅に近い町の中心部がさびれ、鉄道需要も減り、鉄道の廃線が進んだ。

 それに今回豪雨災害の追い打ちを重ねた球磨川沿いのJR肥薩線は、常識的に言えば廃線が順当だろうと思う。自分が肥薩線沿線に住んでいなくて、なおかつ沿線出身でなければ、更にはJR九州の社長になって考えれば当たり前の考え方だ。効率と売り上げ成績向上が己の評価に直結する欧米のビジネスマンなら相当前に「廃線」処置にしているだろう。しなければ自分が「クビ」だもの。

 本来は人吉市と八代市は力を合わせてこの廃線への動きを阻止する努力をしなければいけないのに、今その動きがまるで見えないのは残念至極。「廃線になどする訳が無かろう?」というのがおおかたの行政や住民の考えや思いだろうが、少々甘いと思う。

 九州道の人吉球磨ETC専用ICが出来たことなど、人吉・球磨の住民の車生活はより便利になり『鉄道』への依存度は更に減っているのが現実。

 さぁー、どうする人吉・球磨。そろそろ要望書提出や補助金目当てだけで地元活性化をするのではなく、知恵を絞って「人吉球磨の日本におけるオンリーワン、独自の文化」を生み出したらどうだろう?…というのがこのブログの提案だ。

 そこに至った理由は天然尺鮎だけでも勝負に成らず、言われるだけで大して存在していない小京都の佇まいではもう観光客は納得しない、ましてや温泉も残念ながら九州で十本の指にも入らない規模と知名度では今後の展望は見えてこない・・という事なのだ。人吉・球磨の泣き所と現実をきちんとまず精査して次へ進む必要があるだろう。

 で、このブログの読者でもある友人知人で、1年間、今回の豪雨災害が起きる前から数度に渡る「人吉市を活性化するには?」というテーマで研究、ミーティング、メール討論を行いまとめた三要素・条件がこれだ。人吉市だけ単独で頑張ってもだれも見向きしないという事が判っていたので、人吉・球磨に加えて八代・芦北まで広げた球磨川流域全体の「文化圏」で事を考えてみた結果がこれだった。

① 日本国内で人吉・球磨にだけ形として残る伝統文化(行事・料理)を再構築する。

② 全くゼロから始めるのではなく、今までに人吉で行われている行事を発展させる。

③ 莫大な『開始資金』が要らない、住民参加が可能なボランティア町おこしを行う。

 ※書けば色々書けるが、誰もが読んで判るのは3項目までだろうと条件を3つにまとめた。


 その結論は『日本に古来からある五節句をきちんと行う人吉・球磨』

 古来から正月七日、三月三日、五月五日、七月七日はそれぞれ正月七草粥(正しくは人日の節句)、桃の節句(上巳の節句)、端午の節句、七夕の節句(しちせきの節句)は何らかの形で小学生でも知っているが、九月九日重陽の節句(菊の節句)は若者に限らず知らない人の方が多い。祝い方や由来・目的を知らないからだろう。

五節句 QUOカードのサイトより

五節句の具体的イメージ しきたりサイトより 

 七草粥は別としても、正月は日本人の祝い行事の最たるもの。昭和の時代は年末NHK紅白が終了した直後の大晦日23時45分、雪深い京都知恩院の除夜の鐘を、こたつに入ったままブラウン管のTVを通じてしみじみ聴くのが東京首都圏はじめ大都会の住民の一般的な正月の迎え方だった。

 平成以降最近の若者は殆どそれをしない。スマホでラインで「アケオメコトヨロ」など宇宙人の言葉のようなものを交わして騒ぐだけ。下手をすれば渋谷のスクランブル交差点へ繰り出し酒を飲んで騒ぎ、欧米の真似をして喜ぶ!

 地方都市では「除夜の鐘がうるさいからヤメロ!」とクレームをするバカ者まで出る始末。どんどん日本古来の伝統行事が無くなり消えていく現在、それを逆手にとって人吉・球磨のエリアで充実復活させ、人吉・球磨に来なければそれを味わえない・体験できない‥としたらどうだろうという結論だ。地域ごと日本古来の文化を復活させるのだ。決して生活を馬車や裸電球の時代に戻すというのではない。

 ましてや、大分の豊後高田市のようなレトロな街並みを再現するわけでもない。もちろん出来ればそれに越したことはない。街の一部で良いからから蛍光灯を排除し電球照明の街並みにする、昭和に流行った美容室やスナックにありがちなテント地のカラフルな看板を撤去するのだ。昭和時代以前の日本の街並みの看板にするなどやる気に成れば色々あろうが予算も時間もかかる。2005年頃八代市の日奈久温泉の復興案にこれを提案したが受け入れられなかった。

 それに、今すぐは豪雨洪水がまた起こった際の命を守る家づくり街づくりの方が先だろう。

 実はこのアイディア、話は2005年頃既に存在していた。まだご存命だった三笠宮寛仁親王殿下に1995年のインタースキー野沢温泉スキー仕事運営などで頻繁にお目通りし、ウインタースポーツの事をいろいろ教わっていた頃に既に存在した話。

 ある時、スポーツから離れて日本の伝統文化の話に成った。「新庄、お前廃れていく日本文化を何とか残す手立てを考えてくれないか?」とおっしゃる殿下の眼が非常に真剣だったのを受け取り、ついこう言ってしまったのだ。「日本の伝統文化は色々な形で継承されていますが、一般庶民誰もが昔は祝っていた「五節句」をきちんと復活し残すことから行えば如何でしょう?」と申し上げたら、翌日宮内庁図書館から「五節句」に関するコピーが束で速達郵便で頂いたのだった。筆者としては此の事がずーっと頭の隅から離れたことが無かった。

 その時点では、何処でこれを復活させるべきかまるで当てがなかったのだが、今になって気が付けば実は既に人吉では三月三日の桃の節句・ひな祭りは他の都市が真似をするほど充実している。端午の節句も熊本県内他地区同様こいのぼりや登り旗でしっかりと祝っているから話は他の地区よりはるかに早いはずではないか。

毎年、色々なデザインでポスターが作られている。これは20周年記念の作品。
端午の節句ののぼり旗の向こうを行くヤマセミ、人吉球磨の風情。辻正彦氏撮影。

 端午の節句の花菖蒲にしても、重陽の節句の菊にしても、行事の花に関しては青井阿蘇神社中心に人吉・球磨エリアの神社各所で大々的に品評・展示会や菊人形などの催事を展開すれば、地域挙げての「新たな文化行事」に成ろう。ひな人形・武者人形の品評会もきちんと行えよう。八代市の松濱軒だけで伝統文化を守っていくのはもったいないと思うが如何?

 もちろん、人吉・球磨エリア、広くは八代・芦北の市町村の連携が無ければこの手のムーブメントは起こり得ない。各宿泊施設も五節句を館内飾りつけ、料理への工夫、共通のパンフ、色々人吉・球磨の五節句PRに関して足並みをそろえる必要が在ろう。一時のブームで終わらせないため、小学校、中学校、高校含めて盛り上げる必要もある。ここから先は実務力のある人々の具現化力と実務力の腕の見せ所なのだが・・・

 この五節句含めてムーブメントが動き出せば「日本古来の伝統行事をきちんと行う人吉・球磨」への九州新幹線・八代駅からの繋ぎとして肥薩線の必要性がまず一つ生まれるのではないだろうか?

 この方向性が出てくれば、細かい具体的なアイディアプランは既にたくさん湧いて出ている。机上の空論ではなく、超具体的だ。それに関してはある程度手ごたえを感じてから展開する事にしたい。お月見やどんど焼き、凧揚げに独楽回しなど、まだまだ伝統文化を復活させることで地域活性化は可能なのだ。

 もちろん、こういった日本古来の伝統文化の復活は人吉・球磨に限らず他の地域でもすぐに実現できるし、独占は許されず速いもの勝ち!という自由競争の世界だもの、即効性のある地域のモノに成るだろう。筆者の「カン」では 飛騨の高山、山口の萩、埼玉の秩父、福島の会津若松、喜多方、信州の松本などがこの効果に気が付いて本気で復活させると、あっという間にメディア・ネットの世界で話題になろう。

2020年9月22日火曜日

秋のはじめの霧ヶ峰でまだ居たノビタキと遊ぶ!  Play with the Siberian stonechats that were still in Kirigamine in the early autumn!

  昔は無かった9月の4連休!どこもかしこもコロナ禍自粛のストレス発散で混雑するだろうと思ったが、天気予報で台風接近の情報、晴れが昨日今日くらいしか無い事、例年だとそろそろ夏鳥の南帰行(南帰行と言う言葉が存在すれば・・)が始まる前に霧ヶ峰・八島湿原へ観察行を強行した。

 4日間の連休、21日、22日は晴れ、コロナ禍で車移動が増加・・を予想して、未明の午前1時に三鷹を出て、同日昼前に八島湿原を出れば渋滞には巻き込まれないだろうという目論見で無謀な連休ど真ん中の高原行きを決行した。結果は大成功。往復とも3時間以内で移動できて現地滞在7時間だったのだが、帰宅後TVのニュースを見て腰抜かした。行きは40㎞、帰りは70㎞の大渋滞だと。早寝する夜10時頃でまだ中央高速上りは42㎞(中央道)+12㎞(首都高4号)だった。(汗)

 出だしの午前1時三鷹は小雨だったが、さすがに中央高速、渋滞は無いものの車の量はいつもよりはるかに多かった。しかし小淵沢・富士見を越えると急激に量が減り運輸関係の大型トラックだけに成り、八島湿原公共駐車場には午前4時前に到着。真っ暗な駐車場には12台の車が車中泊で停まっていた。日の出までそのまま即仮眠!

 日の出と共に行動をしようと思い、5時には動き出したが八島湿原駐車場も湿原も霧の中。朝陽の湿原を撮影に来たアマチュアカメラマンさんたちはブツブツ言いながら車へ戻り、早くも帰り始めた。余程此処の天候具合を熟知しているのだろう。

 しかし、普段あまり来ない人たちは木道に三脚を広げて人々の行動を邪魔しながら霧の湿原を見続けていた。この狭い木道に三脚を広げるのは野鳥撮影者だけではない。むしろ決して長い望遠レンズを付けていない風景カメラマンの方が多い時もある。長時間露光なのだろう。夜の天空撮影の方々と一緒だろう。しかしこういった連休で行楽客の多い時期はスマホで湿原を背景に記念写真を取る行楽客と相まってトラブルが続出だ。

 いずれも朝5時~6時頃の様子。これにハイキングの皆さん、単なる観光の皆さんが入り混じって通行量は多く結構トラブるようだ。

日の出前の5時16分、東に見える車山のアンテナも霧の中で…と思ったら。

 帰宅後、無理やりPCでアップしてみたらアンテナの下にうごめく人の影、朝日の出前にこの人の数。少し怖かった。あくなき人間の行動欲。決して自分を棚に上げて人の事は言えないが・・・。そういう狭い木道の喧噪、みっともない騒ぎを後にどんどん木道を進んだが、まだまだ暗すぎて・・。

 とりあえず今日は暗い時間帯のノビタキの佇まいだけご紹介!

まだ暗い日の出前5時15分のノビタキ。



まだ全部チェックし終わっていないので、少しして動植物のレポートをアップ予定。

2020年9月21日月曜日

緊急投稿!球磨川沿いの肥薩線の復旧を考える。その16.(人吉・球磨の独自性を生み出す) Consider restoration of the Hisatsu Line along the Kuma River.Vol16. (Create the uniqueness of Hitoyoshi Kuma) 

  鮎の話で終わった前回までの「肥薩線の復旧」に関する提案もろもろ。もう少しマクロ的な目線(=視野を広くして)で人吉球磨にしかない独自性を探し出す、あるいは創造する方法を考えてみた。

 平成15年に発行された「週刊 鉄道の旅#37」が肥薩線とくまがわ鉄道だった。もう廃刊で神田の古本屋でしか手に入らないだろう。人吉・球磨の観光関係者はきちんとこういう資料を保存してあるだろうか?非常に良い事が書いてある。2冊保存しておいてよかった。


前半、肥薩線、後半くまがわ鉄道が掲載されている。

 少し前で言えば、広告代理店時代筆者も良く唱えていた「ナンバーワンよりオンリーワンを目指そう」に近い考え方だ。例えば人吉温泉は周りを取り巻く競争相手(霧島温泉、阿蘇温泉、黒川湯布院温泉、大分別府温泉、天草温泉・・など)には、その規模でも話題性でも今のままではとても敵わない事くらい関係者の殆どが自覚している所だろう。

 じゃ、どうすれば良いか?・・ここからが知恵の働かせ所だ。温泉の質と量は変わらない、建物もそう簡単に建て替えられないし、建て替えたところでそれを目的に観光客が来るわけでもない。それに、またいつ豪雨洪水に見舞われるか判らない。

 こうなってくると、温泉や温泉宿だけの個々の魅力では人は来てくれない。どんなに割引キャンペーンをやった所で、旅に出る人々の行き先決定理由に「費用が安いから・・。」などと言うのは、もう昭和からずいぶん時が経った令和時代にはない話だ。コスト面の優劣は甲乙つけがたい同レベルの旅の比較の際にのみ、多少の影響がある程度だろう。

 Go to Travelの時期だけ盛り上がっても10年先を考えたら、一時しのぎの補助金成果はそう長く続くものではない。

 そこで、具体的に、何をどうすればいいかのアイディアに入る前に、何故若者たちは都会を目指し地元で就職し地元を盛り上げようとしないのだ?なぜ人吉・球磨に定住しないのだという、日本の高度成長以来の「永遠のテーマ」について触れておきたいと思う。何故、若者たちは地元人吉・球磨で活躍しようと思わないのだろう?

 皆、華やかで魅力いっぱいで働き口が沢山ある・・・・首都圏東京が悪いのだ!と大都会のせいにするが、筆者はそうは思わない。今日はその件に関してまず最初に述べておきたい。これが今後の『肥薩線を何故普及させる必要があるか?』に深く繋がるのだ。

東京集中の現状を憂える新聞記事。

 例えば筆者と誕生日が2日違いの今度の菅総理大臣だって、親とけんかして秋田から東京へ出て来て神奈川の衆議院議員の秘書になって、今日までに成ったという事だ。首相がこれだもの、人吉球磨エリアで同じような動きをする人々を誰も責められないだろう。

 最近、新型コロナウイルス禍でテレワーク授業ばかりが続き、学園キャンパスの雰囲気を楽しめないと「休学届」を出してせっせとバイトをする者が増えているという。そうなのだ、一部の将来エリート職業を目指す学業・研究集中組の学生以外は「都会の学園ライフ」を楽しみたいがために大学進学をする傾向が1980年代から増大していると筆者は考えている。

 華やかで楽しいキャンパスライフを送り、大学を出て、華やかな大都会でTVのトレンディドラマ(’80年代に全盛だったが今も続いている)のような生活をしてみたい。雑誌やネットに載り、TVの店紹介に出てくるお店で食事をしてみたい・・・。新しい事を生み出したり、新しいビジネススタイルを生み出す会社で仕事してみたい・・・。希望に燃えた若者たちの目指す「夢」は、アイドルに成りたいと夢見る若者たちとあまり差は無いのだと思う。

 これは決して筆者がそういった華やかで楽し気なキャンパスライフを送れなかったから・・と、ひがんで居る訳ではない。確かに4年間有刺鉄線の柵に囲まれたプレハブ教室で「アウシュビッツ」とまで言われた校舎で過ごした残念感は強いものが在るのだが・・。

 そもそも1970年頃はそんな華やかなキャンパスライフはごくごく限られた私立大学だけで、国公立などはまだ一部学生服を着て構内を歩き回り、単位を取るのに精いっぱいな時代。それに追い打ちをかけて大学闘争などと言うキャンパスライフを破壊する動きの真っ最中で、今とは天と地の差があったのだ。

 人吉球磨から若者が首都圏へ出てしまう理由は、首都圏にだけ責任がある訳ではない。地元人吉球磨で若者たちが生きていくだけの魅力を先達、年配者が造り、教育しなかったからと言う一面もあるという事に気が付かなければならないだろう。これは人吉球磨だけに限った事ではなく、日本全国の地方都市において同じことが言える。

  筆者が大学時代を送った1970年頃と現在2020年の大学の数、大学生の数を比較してみれば何がどうなっているのか良く判ろう?1970年当時、苦労して大学を出てコンビニ(当時はまだ無いが・・。)の店員に就職したり、飲み屋の店員に成ったり、運送会社に就職して肉体労働の配達員を永遠にすることはまず無かった。


 それが今では、大学を出ても首都圏東京では外国人の労働者と職を争わなければならない時代なのだ。大学を出る、わざわざ高い授業料を払って大学に行って学ぶ必要のない職の方が世の中には多いのだ。都会の多くの一見カッコいい第三次産業(サービス業)従事者の生涯獲得賃金は昔と異なって非常に低いはずだ。

 今や人不足、人材不足の一次産業(農林水産・鉱業など)・二次産業(製造業)の方が実は会社の大小にかかわらず、現在・生涯賃金は高いはずだ。

 このあたりは筆者の「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」でも数年前書いてこのブログで紹介している。ご参考。

http://yamasemiweb.blogspot.com/2014/01/blog-post.html

http://yamasemiweb.blogspot.com/2014/01/this-is-real-story-of-japanese-baby.html

http://yamasemiweb.blogspot.com/2014/01/blog-post.html 


2020年9月20日日曜日

霞ヶ浦の浮島・湿地でカワラヒワ幼鳥の群れに遭遇。 I encountered the Oriental Greenfinch flock of young birds at wetlands of the the Ukishima at Lake Kasumigaura.

  新型コロナウイルス禍、Go to Travel キャンペーンが東京を含み拡大し、Go to Eat キャンペーンまで始まるという。経済を動かす必要があるというのは判るが、そもそも新型コロナウイルスそのものの感染理由・感染場所のデータが未だに詳しく発表されないのは何故なのだろう?

 4月~6月のように一現象だけを取り上げて、あーだこうだとネット上にいろいろな専門家屋が想像で先を読んでみたり、海外駐在者が「今のパリ・ロンドンは明日の東京だ!」などと危機を煽りまくった頃と半年経った今は違う。新型コロナウイルスの「何故、何処で、どうすると感染するか?」は色々なケースを集計分析すれば判ってきているはずだと思う。

https://www.nikkei.com/article/DGXZZO62684590V10C20A8000000/ 

 数値データを見て、感染者数が増えた減った・・だの、この先また増えそうだなどと言う論評は専門家であると無かろうとネット記事を見てもあまり意味が無いと思う。マスクをすれば、屋外であればマスクを外しても大丈夫・・などと言う論評もテレビのニュース以上の何物でもない。それより「何故・何処で・どういう状況で・・。」が欲しい情報なのだが「無い!」。

 新型コロナウイルスに関しては既に6か月、つまり半年も経っているのだから、何処でどうやって何故感染したのかデータの蓄積があっても良かろうと思う。

 例えば、➀繁華街で酒を飲んで酔っ払って大声で盛り上がった。②病院の待合室で、あるいは診察を受けたり別の病気で入院中に感染した。③SEXで感染した。④会社の会議で感染した。⑤スポーツの合宿(ジム)で感染した。・・・など、そろそろ感染原因の上位10位くらいまでのランキングが出ても良いはずなのに筆者がネットで検索する限り出てこない。出てこない、感染理由が判らない理由の一つを「感染経路不明者」が減らない理由と言う記事が既に3月4月から現れている。しかし、判っているだけで良いからその中からデータが出ないものだろうか?これが判りさえすれば「注意・防御」をより行い易くできると思うのだが。

https://www.rbayakyu.jp/rbay-kodawari/item/5384-2020-05-11-04-24-52 

https://www.sankeibiz.jp/workstyle/news/200330/cpd2003300810002-n1.htm 

 誰もまとめないのか?はたまたこのランキングを出してしまうとGo to Travel キャンペーン、Go to Eat キャンペーンを実施しにくくなるから公にしないのだろうか?

 この件に関しては、もう少し探ってみようと思う。


 で、今日は霞ヶ浦シリーズの最終稿。カワラヒワの幼鳥の大群に遭遇した話。

 日の出と共に稲敷東インターを降りて干拓・葦原へ行って最初に出遭ったのがカワラヒワの幼鳥たちの大群だった。

成田空港へ降りる航空機とサギの群れが朝陽の中で重なって見えたりする。

まだ黄色い朝の色の中でカワラヒワの群れが盛んに飛び回る。


まだメチャクチャ産毛だらけのカワラヒワ幼鳥。

車の中から狙っているので平気でこちらへも飛んでくる。



人がほとんどいないエリアでは幼鳥たちは巣立ち直後の行動が活発で早い様だ。

遠くの高い葦の穂先に親鳥と思しき二羽が見張っていた。


2020年9月19日土曜日

霞ヶ浦の浮島・湿地で4羽のチョウゲンボウの家族に遭遇。 I encountered a family of the four Common Kestrel on wetlands of the the Ukishima at Lake Kasumigaura.

  霞ヶ浦の葦原シリーズ4番目は猛禽類。普通霞ヶ浦~渡良瀬遊水地附近だと冬季のチュウヒ類やミサゴが思い浮かぶが、今回真夏の終わりかけにチョウゲンボウのファミリーに遭遇。

 昨日まで投稿していたコジュリン、セッカ、オオセッカ。逆光の葦原に目を凝らして撮影し、眼も疲れて尿意をもようしたので、公共の駐車場に在るトイレへ行こうと振り返った瞬間だった。

 猛禽類を発見!猛禽の前にも野鳥が数羽居るので「すわ!ハンティングか?」と身構えたら、なんと4羽ともチョウゲンボウだった。

 最近はオオタカ4羽のファミリー飛行、オオタカ2羽の教育飛行を三鷹の住宅街上空で撮影していたので猛禽類の複数飛行はそう驚かないものの、チョウゲンボウの複数飛行は生まれてこの方初めて遭遇した。

 此の湿地帯の野鳥案内にはコチョウゲンボウと書いてあるが、どう見ても尾羽の横線、顔の黒い縦ラインなど撮れた画像を視る限り普通のチョウゲンボウの様だ。しかし4羽が最初は高度30mほどでグルグル回っていたのが、だんだんバラケてサーマルに乗って上昇し始めてしまうと撮影がしにくくなった。

 二羽だけファインダーに入れ込むと親が子に飛び方を教えているようにも見えた。こういう時はズームが欲しいものだ。たまたまf4.500㎜短焦点で手持ち撮影していたので4羽同時の画像が非常に少ない。



最初の一発がこれ、そう高くない北側の田んぼの上だった。その後4羽に気が付いた。

最初の頃の撮影、葦原より北の方向だったので朝陽を受けて順光で撮れた。

どんどん旋回しながら上昇始めた。上空へ行くと尾羽は閉じている。左下も同じ。

もう4羽を捕らえた最後はこれほどバラケて高低差が出てしまっている。

特に二羽がくっついて飛んでいたので集中して撮影。

暫く親らしき個体に一羽がくっついて飛んでいた。

こういったチョウゲンボウの編隊は初めて・・・。

上昇気流を目いっぱい受けるために尾羽を広げているのだろうか?

どれがどの個体だかまるで判らないが、親子・ファミリーに違いない。