今年の元旦から今日まで筆者が30年以上定期購読している新聞(読売)は全頁飛ばさずくまなく読んでいる。勿論、作業デスクPCで読売オンラインも見るが、「見る」と「読む」の違いは意外に微妙な差を脳に入れ込むと感じている。
液晶画面から入り込む情報より紙面(アナログ・ペーパー)を読むことでの情報認識の方が生身アナログの人間には適しているのだと思う。
これは、最近欧米で子供の教育においてPCやパッド使用を止めて、紙の教科書・資料教育へ一斉に戻している事実と同期している気がする。
昨年末から主要メディアは2025年がAIの爆発的拡散・普及で世の中が急激に変わると言いつづけている。
ChatGPT、生成AI中心にクリエーター(特にコピーライター・デザイナーの類)などはその発想の手助け・作業のスピードアップで便利さに夢中だが、自分のオリジナリティ・発想力が利用すればするほど劣化・退化する懸念を認識していないのが気になる。メディアはこれをまだ報じていない。編集者に実感が無いからだと思う。
メディア=報道は決してオリジナルで勝手に情報ネタを作っていはいけないからだ。
2020TOKYOオリンピックのエンブレム盗作事件の際、「AとBの良い所をそれぞれパクって新たなCを創り出せば盗作ではない」という最近の多くのデザイナーの考えが否定されたが、ChatGPTや生成AIはAとBどころではなくA~Zの数万倍のソースの良い所をパクって新たなモノを創り出すだけだろう?
Beach Boys のSURFIN' USAや、George HarrisonのMy Sweet Roadとは訳が違う。
※ SURFIN' USAはチャック・ベリーのSweet Little Sixteenが原曲
※My Sweet RoadはシフォンズのHe's So Fineが原曲
筆者的にはこういった部分でのAIに対する直接的疑念・不安以外、運転する車、日常生活での消費行動、あるいは病気になった際の病院の対応あたり、今後AIが人間の代わりに幅を利かせてきた時への「リスク不安」が日を追ってますます大きくなっていると思う。
読売新聞の正月特集に「AIでこんなに世の中が変化する」シリーズが在るので、是非「読売オンライン」で視て頂きたい。※ https://www.yomiuri.co.jp/
そのシリーズ全部をここで取り上げるつもりはないが、その中でそれぞれのテーマ・領域における懸念・リスクを必ず挙げているのが「さすが」という感じだ。他のメディアでは見た事が無い。
今日はこれらのご紹介!