2023年2月26日日曜日

団塊世代は今の地球環境問題・脱炭素指向の流れを憂える。 The baby boomers are worried about the current global environmental problems and decarbonization trend.

  いわゆるメディアに良く載る「脱炭素」と「カーボン・ニュートラル」という似たようで解り難い言葉はこのように違うと考えて良いと思う。

 「脱炭素は二酸化炭素の排出量をゼロにすることが目的です。カーボンニュートラルは、二酸化炭素のほかにメタンやフロンガス、一酸化二窒素(N2O)などの温室効果ガスの排出量が森林や植物などの吸収量を超えないようにすることで、実質温室効果ガスの排出がゼロになることを目的とした取り組みです。」

出典= https://www.libcon.co.jp/column/difference-between-decarbonization-and-carbon-neutrality/ 

 いずれも「温室効果ガスの排出量が森林や植物などの吸収量を超えないようにすること」と言っているが、この「森林・植物などの吸収量を越えないように・・。」と簡単に言っていることがそもそもいい加減なのだ。この吸収量などは実際正確には測れない数値なのだから。

 実際地球上の酸素は森林の植物だけではなく、海の海藻・珊瑚などからも莫大な量が放出されていることが知られている。それらを計測すること自体が無理で、あくまで、「~と推測される」の域を出ていないのが実情だ。

 これは地球の石油推定埋蔵量と同じで、探れば探るほど新しい油田が発見されている。いまから50年以上前の予想では、地球上の石油はあと50年で枯渇する・・などとも言われた時期があったくらいだもの。

 LGBTQ法制化に関して「G7各国の中で日本だけ遅れている、欧米に早く肩を並べねば・・」という我が国の島国根性、こういった地球環境面でも同じ道を進んでしまっている。

 この辺りを判りやすく説いている専門家のサイトも観てほしい。こちらの方が判りやすい。よほど納得できよう。

 https://cigs.canon/article/20220404_6683.html 

 さらには最近のデータを分析した「温室効果」に関してこういった海洋気象を注視すべきという納得のいく論文も存在するが、日本のメディアは一旦できた潮流に逆らう論調は報道しない。どんどん無知な国民はメディアに操られ、沈みゆくタイタニックから一斉に海に落下するネズミ達のように集団破滅に向かっている気がする。

https://cigs.canon/uploads/2023/02/Rethinking_the_Greenhouse_effect_Sugiyama_202302.pdf

 つまり、確実な根拠数値が無い土台の上に成り立って、世界の動向に外れまいとしているのが我が国やメディアの「脱炭素」と「カーボン・ニュートラル」の考え方と言って良い。

 これでは医学的根拠、物理的根拠を調べもせず、他人がしているからマスクしなきゃ・・。と何ら変わらない。異を唱えると村八分にされるから同調しよう・・と変わらない。

 筆者は地球環境問題に関して2005年~2010年頃は文献・講義・講演を調べまくった。その中で比較的色々な切り口で地球環境問題の情報を提供しているサイトを注視している。新たなデータをもとに解説するサイトにも注目している。

https://beyondclimate.org/article/429529703.html  などもその一つだ。

 地球環境保全に関しては、流行り病・感染症などと同じで、TVワイドショーのお笑い芸人コメンターの言う事などを鵜呑みにして判断するのではなく、自分で調べて納得して考えをまとめ、自分の意見を持つべきだろうと思うがどうだろう?

 レジ袋を有料にすることで一般国民の地球環境保全活動への参加意識を高めようとした「我が国」だが、一方でもっとはるかに量の多い「プラ製品」コンビニの弁当や食品容器のプラスチック、いわゆるガチャガチャのおもちゃの容器のプラスティックは問題視しない大きな矛盾など、おかしな事だらけなのが日本の地球環境保全の考え方だ。

 現在行われていることそのものが「メディアによる目くらまし」であることは、ちょっとでも本気で地球環境保全を学んだ者には判っている、しかしメディアは国と一緒にそれを隠す。

 国連の持続可能な開発目標 (SDGs運動に関しても、ほとんどが高度成長下における「利益追求企業」の積み残しの問題を一般人に「何とかしようぜ」と呼び掛けているような気がしてならない。

 ペットボトルのキャップと外側のフィルムを外して地球環境保全のため分別廃棄しろというが、10円位高くて良いからそのまま捨てられるように作って売るのが企業のSDGsじゃないのか?

 レジ袋有料化だって、一色でプリントしたレジ袋の原価を知っているだろうか?1枚20銭(=0.2円)くらいなものだ。これを3円~5円で売ってぼろ儲けってのは、あまりに消費者を馬鹿にしていないか?

 なおかつ、なぜ消費者が金を払ってレジ袋の店名を宣伝して歩かねばならないのだ?なぜ皆そのからくりに気が付かない?


地球環境保全に努力していると消費者に買わせて儲けながら店名をアピールする企業。

無料で提供する企業もあるが・・。

 地球に良い事だから・・と言いながら、しっかりお店は金儲けをしているではないか?環境問題の根底に流れているのはじつは「偽善、金儲けのビジネス」なのだ。で、何故メディアはそのからくりを報道しない?

 SDGsに戻って言いたい! 

 特に#12 つくる責任 つかう責任 (Responsible Consumption and Production)の項に「売る責任」が無いのは何故?なきゃいけないのでは?SDGsは実は欠陥だらけなのだ。

 一個人レベルではどうしようもない国連の提案SDGs、これを唱えれば何か地球環境保全の活動の先頭を走っているように見える「偽善テーマ・免罪符」にしか思えないのは筆者だけだろうか?

 SDGsをアピ―ルする前に国連はロシアのウクライナ侵攻を何とかしろよと言いたい。あやふやな根拠の上に立つ地球環境保全アピールの前に、目の前で実際に一般人が殺されていく現実を国連は一体どう考えているのだ?

 色々為政者たちが地球環境の「言葉遊び」「プラン遊び」をやっている中で、2005年、愛知万博の際に「実際にリアルタイムで見る植物の二酸化炭素吸収実験」を使って、基本中の基本の実証実験「植物が本当に二酸化炭素を吸収してくれているんだ!」を知らしめたことは筆者的にも非常に重要な事だったと思う。

 これらは昨日のこのブログでご紹介した目に見える「地球環境問題実験装置」と言って良い具体的な装置(主に子供たちに対する教育機器)でご説明したとおりだが、今日はその後装置がどうなっていったかをご紹介したい。

 ① 小型化

 ② 関連地方イベントでのデモンストレーション

 ③ 首都圏での最大の環境展「エコプロダクツ展」への出展。啓蒙。(※コスモ石油ブース)

 愛知万博以降これらを2~3年かけて展開した。20年が経ったいま現在、こういった目に見える具体的な展開ってなされているのだろうか?はなはだ疑問だ。

 この装置の小型化により、何が可能になったか?

 ① 植物の種別による二酸化炭素吸収能力をデータ化できる。=全国の大学研究室にこの装置を配布し、その地域で量の多い代表的な樹木・植物の二酸化炭素吸収能力を測定、新たに植林する植物の種類を選出できる。

 ※常緑樹 対 落葉樹の二酸化炭素吸収能力は1:2の比率であることが知られている。しかし落葉樹の能力は常緑樹の倍あるものの、冬季は落葉して葉が無く実質効力を発せられるのが葉のある夏季半年であるため、常緑樹も落葉樹も通年で考えれば同じ効率となる。

 ② 全国の学校など教育機関、ネイチャーセンターで子供たちに植物の力を見せる事で地球環境保護の大切さを教えられる。

 ③ 世界に対し、日本の地球環境保全への取り組みの底辺活動をアピールできる。

 注)2005年~2008年当時、この装置の特許申請を早稲田大学から行ったが、当時の特許庁の常識ではあまりに普通の装置過ぎて「発明特許」は与えられなかった。しかしその後ビジネスに長けた企業が申請し特許なりそれに準じた利権を得たかもしれない。

小型化し持ち歩けるようにとプロトタイプの開発が始まった。

植木鉢の小さな植物でもデータはきちんと出た。


当時はまだ普及していなかったLED豆ライトをたくさん使って装置を作った。

これだけハンディであれば世界中どこへでも行ける。

東京ビックサイトでのエコプロダクツ展に出展、植物の専門家の講義など大人気だった。

小型化する一方で、人間がその中に入れる小屋装置を作り植物小屋の中で実験した。これはもの凄い反響で、いろいろ予測できない新事実、データが取れた。