2022年2月13日日曜日

団塊世代はスマホに操られる人類のこの先を再び憂える。 The baby-boomer generation is worried about the future of humankind being manipulated by smartphones. 

  筆者はこのブログで以前海外の「怖いアニメ動画」をご紹介したことがあった。当時まだ筆者はガラケーの携帯を使用している真っ最中だった。此の恐ろしさは今でも健在だ。

https://www.youtube.com/watch?v=yJk0RyXVW5I&list=PLjYrYMO4-tZDLrXGMsOs8FygLkzifxdU9 

 勿論、当時すでに筆者自身街中でスマホ歩きの人と何度もぶつかったり、エスカレーターの降り口でいきなり止まられぶつかったりしていた。山手線の車内からスマホを観ながらゆっくり降りて来る若者と早く乗り込んで空席に座りたい乗客の怒鳴り合いなどトラブルを幾度も目の当たりにしていた。

 ついにはこういった子供まで現れているのだ、新宿地下歩道で・・。

混雑する人の流れの中でしゃがんでスマホをいじる子供

フードを被って自分だけの世界に入り込んでいる姿は異様な感じだった。

 メディアのニュースでは、駅のホームをスマホ歩きしていた者が列車にぶつかったり線路に落ちて死亡するなど痛ましい情報を伝えていた。自業自得であることは間違いないのだが手元の道具・機器のせいで人生を終えてしまう人類に何か割り切れないものを感じた。
 
 しかし、使用範囲は確かに広く、それなりに意味のある端末機器であることに間違いはない、スマホ依存症(=スマホジャンキー)にさえならなければ良いのだ。

不忍池でカワセミを撮ろうと集まった人々、半数はスマホで狙っていた・・が、無理。

三鷹でダイアモンド富士を狙う人々、半数がスマホ・・・でも無理。

JRの帰省チケットを列を作りながらスマホ操作で予約する人々。

筆者の場合は自分の毎日の歩数を記録するのに一番使用頻度が高い。

 73歳の健康管理には非常に役立つスマホではあるが、ガラケーでも出来ていた。3Gのサービスが終了するし、スマホに替えた方が通信費が1/3になるというので半年前に替えたのだった。確かに通信費は1/3以下になったけれど、相変わらず使用目的は音声通話・ショートメール、歩数計確認がその99%で、外出時に開くことはほぼ無い。

 何故なら、筆者にとって外出というのは「徘徊」という言葉を使ってはいるが、あくまで目的があって出るのだから・・。その目的を上手くこなすために目的地までの交通機関の中では時にはイヤホンで音楽を聴きながら行動のシミュレーションしたり、時にはブログネタは無いだろうかとキョロキョロするのでスマホをいじってSNSを観たりしないのだ。
 
 勿論年寄りの冷や水と言われるかもしれないが、なるべく車内では立っているようにしている。一旦座る癖が出来たら「座れない時間には外出しない・・。」になって老化を促進しそうな気がするから・・・。

 スマホ情報検索すれば色々な事がその場でわかり便利かもしれないが、スマホ以外の色々な情報源を見て「知る努力、考える力」を失うと人間この先どうなる事か、近い将来結果が出始めるような気がする。入試の解答を得ようとするなどスマホのお陰で人生を既に棒に振った人もいる。もうだいぶスマホに脳を操られ始めている人類が出てきているようだ。
  
 少なくとも筆者は何でもかんでもスマホ次第、スマホの世界が自分の世界、そうなってしまった人間とはあまりコミュニケートしたくない。
 
 筆者は7~8年前、信州の高原に野鳥を撮りに行った際、同行者が宿でその頃普及し始めたSNSをスマホで始め、目の前にいるリアルの人間とのコミュニケーションよりスマホに熱中するのを見てブチ切れた事があった。その同行者は勿論その後すぐにアドレス帳から消したが、奴は既にスマホジャンキーの走りだったような気がする。

 このように確かにスマホは便利な手のひら端末ではあるが、その使用方法に関して子供の時代から誰にも教育されず、冒頭の写真の様に世の中が混乱を極め始めている最近なのだ。

 スマホ歩きは危ないからヤメロとか、スマホ操作で他人に迷惑をかけるのはヤメロとか、なぜ学校で教えないのだ?家でしつけないのか?

 国連主導のSDGsが重要だの、皆で地球環境を守ろう・・などという前に、まずスマホの操作や人間共同社会でのマナー・ルールを子供の頃から教える事がはるかに重要なんじゃないだろうか?人間社会で人に迷惑をかけないようにするだとか、世の中のルールマナーを守る事よりSDGsの方が重要だとは筆者にはとても思えない。

 教育評論家の尾木ママなどというタレントもこういったことはメディアで一切言わない。メディア自体も言わない、何かどこかおかしくないか?

 スマホに銀行口座、スイカ(交通カード)を入れて生活を続け、それを落としたり無くしたりして人生が終わった人を幾人も知っている。既に人類はスマホという手のひら端末に人生と脳を左右され始めているのだ。

 スマホを使う事の便利さの恩恵を得る事と、使う事で人間としての社会生活・共同生活を混乱させること、命の危険が増える事、このバランスを人類はこの先上手い事取って行けるだろうか?