2022年1月16日日曜日

団塊世代は昨年末~正月三が日のメディア報道を訝しむ。 The baby-boomer generation is skeptical of this year-end and New Year media coverage.

  あっという間に正月三が日が過ぎ去り、正月独特のニュースネタがトンガの海底火山爆発による津波情報やオミクロン株による新型コロナ感染拡大のスピードの速さを警戒するニュースに替わり日常の生活に戻ったようだ。

 そこで、週末団塊爺のブツブツ投稿はこの年末年始のメディア報道の「ちょっと解せない、これで良いのか?」といういくつかを取り上げてみた。「皆さんどう思う?」とは決して言っていない。筆者はこう思う、こう感じた・・というだけの話。

 こうあるべきじゃないか?すべきじゃないか?はあくまで個人レベルの私感であることをお断りしておきたい。

 まず、大晦日の「NHK紅白歌合戦」。

 筆者が最後に観た(チラ見に近い)紅白歌合戦は1971年で、「17才」でデビューした南沙織のファンだった筆者が、彼女の出番だけ観たくて大晦日の酒屋の配達・集金していた途中集金先の一般家庭の玄関先から観せてもらった。実に50年前の紅白が最後だ。既にカラーテレビにはなっていたが、記憶は脳裏に刻まれている。出番は確かトップバッターだったので、配達の時間を見て顔なじみの仲の良いお得意さん宅へ計画的に行ったのを覚えている。

 しかし、紅白歌合戦っていうものはつまり男性軍Vs女性軍の歌合戦だろう?ジェンダー騒ぎで男性なのか女性なのか判らないタレントがたくさん増えてきた現在、このまま今年の年末も「紅白歌合戦」なのだろうか?

 氷川きよしのように完全に見てくれは女性に変化している歌手は、白でも赤でもないのではないだろうか?無理に言うならピンクだろ?

 かっては、日本の女装の先駆者・美輪明宏が3回紅白に出場しているがいずれも白組・男性チームメンバーとして出ている。あの会場や全国のお茶の間がシーンと静まり返ってしまうほどの感動を与えた「ヨイトマケの歌」の雄々しさは、普段の彼のいで立ちと物言いの真逆に近く、人間としての幅の広さを感じさせたものだ。で、やっぱり女装は「演技・演出・仮の姿」で中身は「男」だったのだと妙に安心したものだ。あくまで筆者は・・・だが。

 ヤマセミの様な自然界の生き物の生態を観察・分析し続けている筆者的には、オス・メスの違いがはっきりする厳しい自然界と照らし合わせて、「人類はこの先大丈夫だろうか?」と思わざるを得ない。それを考えるにつけNHK紅白歌合戦はもうその使命を終えたような気がする。あれはテレビがメディアの中心だった時代の「遺物」だと思えて仕方がない。

 今やSNS、ネットその他でテレビの視聴率なんて何の意味も無くなっていると思うのだが、どうだろうか?未だに紅白の視聴率がどうのこうので騒ぎ報道するメディアの気が知れない。

史上最低、失敗、このメディア担当者は若いのだろう。良く知らないのだろう。

 次に、政治関係でメディアの岸田首相・政府・内閣への報道が余りに酷いので一言。政治に関してメディアは、ここ2年間コロナ感染症の政府対応が余りに後手後手で感染を広げただの報道を続けて来た。安倍・菅、両内閣時代の政府対応へ厳しいダメだしを続けて来たのは万民承知の事。

 しかし、岸田内閣になり、急激なオミクロン株の出現により次々に手を打ち、日替わりのごとく対策・決めごと・指令を出す政府に対し、メディアは何と言った?「朝令暮改」だ。

 基本的に「朝令暮改」はいい意味で使われてこなかった。しかしオミクロン株で日替わりのように情報が変わる現在、それに対しての対策は「臨機応変」で対処するのがアタリマエだろう?これを「朝令暮改」と非難的に叩くメディアの浅ましさ、酷さを憂える団塊爺なのだ。これをメディアの虐めと言わずに何という?

 メディアの言う「朝令暮改」でもここ数日の倍々ゲームでの感染拡大は「朝令暮改」をしていなかったらもっと大変だったのではないのか?



安倍・菅内閣に対し「遅い・優柔不断」とこき下ろしたメディアが、臨機応変な対応を始めると「朝令暮改」と叩く。この品の無さ・酷さ何とかならないだろうか?批判・非難するしか能がないのであれば国会の野党と何ら変わるまい?

ただ非難するだけでなく、どうするべきなのか、どうすれば良いのか、具体策も述べなければ卑怯だろうと思う。