2020年11月1日日曜日

日本人は何故そんなに多くの人と繋がろうとするのだろうか?不思議。 Why do Japanese people try to connect with so many people? Strange..

 ここへ来て、コロナの新規感染者数が世界中特にヨーロッパでパンデミック第2波に成り、大騒ぎになっている。この理由はウイルスが変異して感染力が増したのか、感染自粛にストレスが溜まりすぎて「もういいや!」と自暴自棄となって行動に注意を払わなくなった結果なのか判らない。
 しかし、このまま行くと本当に人類滅亡に繋がるかもしれないと恐れている医療関係者も思いのほか多数いる様だ。万一、人為的に作り出された人工ウイルスだと、過去の各種コロナ型ウイルスのデータが役に立たず、制御不能の可能性もあるようで医学界では戦々恐々の様だ。



 ヨーロッパを含む海外でこんな状況なのに、我が国は来日者に対する入管規制を緩めるという相変わらず能天気な事を始めようとしている。もしヨーロッパ型のウイルスが「超強力」だった場合、そしてそれが日本国内で爆発感染に繋がった場合、菅内閣はどう責任を取る・・訳ないよな?「入管の緩めがヨーロッパ型のウイルス国内蔓延を後押ししたという指摘は当たらない。」とか決めつけるようにコメントを言って逃れるだけだろう。

 メディアはこのパターンを崩す工夫が必要だと思うが如何?

 国内に目を転じてみれば、北海道で過去最高の感染者数が発生し、全国的にクラスターが急増しているという。これはヨーロッパと同じ状況なのか、はたまた「経済復活」の名のもとに各種スタートしている「GOTOキャンペーン」のせいなのか判らないが、筆者的には後者が原因だと思う。感染者が急増しているエリアは東京から観光客が行った先が上位を占めているのがその理由。

 10月31日のハロウィン騒ぎも、さすが今年は渋谷へノコノコ出てくるバカ者はいまいと思ったら、例年の20%ほどは来ていたようだ。あれだけ今年は来ないでとメディアや渋谷現場でアピールしているのにもかかわらず、来るバカ者が居るというのだからコロナの規制・マナ―遵守など全員が守る訳がないのも良く判ろう。

 のっけから、見出しとは全然違う話で始まってしまったがお許しあれ!

 昨日の「なぜ日本人は自分が他人からどう見られているか、どう思われているか気にするんだろう?」という話に意外な反響があって驚いた。

 今日はそれに関係する話で、「なぜリアルで逢いもしない多くの人と繋がりたがるのだろうか?」という事。

 筆者は未だにガラケーの携帯を使っている。端末の使用目的を①音声通話、②ショートメール、③歩数計、の3種に限っているからがその理由。Facebookや物事のネット検索は自宅ではデスクトップPC、外出時は必ず持ち歩く背負ったデイパックに入れたDellのラップトップPCで時間を決めて行っているからまったく不自由はない。
 むしろすべてスマホに利便性や自分がなすべき行動の機能を集中した挙句、それを失くしたり故障したりで人生を終えてしまう人よりはるかに良いと思っている。

 のべつ幕なし、ラインで意味のない「今何してんの?」」的な現状報告のコミュ二ケーションをやり取りしたり、ゲームをダラダラ続けたり、Youtubeを見たりはしないのだ。

 特に外出している時は、生で見聞きできるリアルの感覚を大切にし、周りに注意を払って危機回避を行っているつもりだ。人に迷惑を掛けない、受けない・・・の基本姿勢から言うと、スマホなどの端末に頭脳を奪われた状態で人混みになどとても危なくて、出る気がしないのだ。

 少し話がそれるが、筆者は美術系の学校出身でデザイン・絵画・写真など画像・映像表現が多い仕事世界で30年以上今まで生きてきた。具体的には営業職ではなく、広告代理店のスタッフ実務部門やアパレル会社の宣伝・販売促進領域で仕事をしてきたが、いわゆる著名人・有名人をあまりに知らないという点で非常に「変わり者」と言われてきた。

 退職後の今は、やたら写真を撮るのが面白くて、毎日300カット以上シャッターを押すので、カメラの疲弊は早いし、パソコンのハーディスクはパンク寸前だ。

 一方、有名絵画に関しては中学・高校の教科書程度しか知らないし(それも結構怪しい)、写真の世界においては自分が勝手に影響を受けている著名写真家さんしか知らない。
 タレントのきわどい裸写真を撮って有名人に成った人や、有名タレント・著名人を撮って名を挙げた人はほとんど知らない。

 しかし、近い友人達と話をしていて、時々筆者自身あまりにその道の著名人を知らないので驚くことが多々ある。申し訳ないとは思わないが、あまりの無知さに自己嫌悪という場面が結構ある。会話の中に有名・著名なアーティストが出て来て「誰?」とうっかり訊いて、「えー?知らないのぉ?」と呆れられることも多いが、一向に恥ずかしいとも思わない。知ってて何かの役に立つなら別だが・・・。

 何故だかいろいろ考えたが、まず筆者は自分が一番大事。次に家族以外で割によく「生」で逢う相手との付き合いが深い。次にFacebookで日々最低で数度コメントを投げ合う友人・・。次いでほぼ毎日Eメールのやり取りがある知人友人(これも必ず過去においても逢った事が有る人)、要はこれだけでも50名は下らない。

 申し訳ないが、これ以上の相手とのコミュ二ケーションは筆者には物理的に無理!そんなに頭が良くないので、常時きちんと相手の顔を思い浮かべながら対応できる限界は50名くらいなのだ。それも、こちらの生活のパターンを崩してまで日中四六時中ダラダラ、コミュニケートするつもりはない。

 特にラインなど、リアルタイムで即リアクションしないと怒られそうなアプリは今後スマホに替えざるを得なくなっても、まず使用しないと思う。残り少ない自分の時間が相手の都合や勝手で制限されるのは一番嫌だ。お断りだ。

 現在の世界は、30年前とは極端に色々な事が変化している。特に1995年以降Windows95が世に出て以降のIT・デジタルの世界の急速発達で情報量が倍加し、スピードも倍加し、情報パンデミックが起きて以降、人間の判断能力をはるかに超えた情報量が身の回りを飛び交うように成ってしまった。

 既に人類は情報の取捨選択もろくにできないほどの世界に置かれてしまったと思っている。だから自分で何かをクリエイトしたり、調査分析したりする機能・脳力がどんどん退化し始めているように思えて仕方がない。誰かが造った結果だけを選んで知る・・という日常を送り続けるとこの先どうなるのか?体重に比べての脳の重さがバッタ並みになるのではないだろうかと危惧するのだ。