2020年1月11日土曜日

団塊世代は常に新宿の桂花ラーメンと共に生きてきた。 The baby boomers have always lived with the Keika-Rarmen of Shinjuku.

 大ヒットした映画「ALWAYS三丁目の夕日」の昭和30年代から団塊世代の我々は独特の食文化で育ってきた。
 紙芝居屋の怪しい駄菓子やロバのパン屋の蒸しパン、スアマやバクダンと言われる米菓子など全国で底辺にちかい質素なお菓子で育った。イチゴのショートケーキなど映画やTVドラマでしか見たことが無かった。三宅邦子などが割烹着で出てくる上流階級のホームドラマでないとお目にかかれなかったが、「NHKのバス通り裏」などTVドラマはまだ白黒で、赤いイチゴに出逢うには映画館に行って日活や東宝の映画を観るしかなかった。

 そういった団塊世代も高校を卒業して大都会に出て、成人を迎えるか否かの「大食い時代」に差し掛かると、ラーメン、カレー、チャーハンなど大盛りが可能な食事を重ねる事に成る。洋食屋でハンバーグやメンチカツを注文しても「大盛り」は難しい。

 それこそ、育ち盛りに費用対効果(いわゆるコスパ)の良い食事を選んで生きていかなければならなかった時代、東京に在ってはラーメンはNO.1の需要で学生食事の王様だったろう。

 1969年当時、ラーメンの価格は一杯100円くらいだろうか。ところが、この1970年頃を境にサッポロ系のラーメンと九州とんこつ系ラーメンが東京に進出してきてラーメン戦争が始まった。

 そんな中、新宿末広町にオープンしたのが熊本で始まった「桂花ラーメン」だった。確か1968年12月13日にオープンし、筆者はその2日後12月15日に初めて行って食べた。当時阿佐ヶ谷美術学園と駿台予備校の両方に通っており、新宿は必ず通る盛り場だった。

 翌年、横浜の大学へ入りしばらく桂花ラーメンから遠ざかった時期はあったものの、その味と歯切れの良い麺の印象は、完全に脳に擦り込まれてしまった。

 新宿駅前に新宿東口店がオープンすると、とにかく新宿へ出たときには桂花ラーメンに入った。昼御飯とか晩御飯と言う区切りではなく、「ラーメン食いたい、桂花を食いたい!」だけの衝動で食べたものだ。
 世の中はヒッピー、フーテンの全盛期で、あの伝説的TV番組「ゲバゲバ90分」の中で「あーっと驚くタメゴロー!・・・ン?」のハナ肇もフーテンの恰好をしていたほどだ。

 そのフーテンが巣食っていた新宿二幸(現アルタ)前のグリーンハウスと言われた円形の芝生にも、シンナーの匂いがきつい中、時々阿佐美の同僚と同じ空気(注・決してシンナーなどではない)を吸っていた時もあった。
 
 その頃、一番安い桂花ラーメンで一杯170円、太肉麺が320円くらいだったと記憶している。当時のラーメンの価格としてはべらぼうに高かったが、美味しさを考えると不満はなかった。むしろ「桂花があの値段だからウチも・・」とたいして美味しくないのにそれまでの有名ラーメン屋がこぞって値段を上げたのには腹が立った。

 このところ毎週1回は通っている勘定だが、古くからいそうな店員さんに開店当時の値段を訊いたら確実な記憶が無いそうだ。筆者の記憶では太肉麺が桂花ラーメンの倍より少し安い値段だったと思うのだがと言ったら「そうだ、お客さん良い線いってる、そうかもしれない!」との事だった。

 この桂花ラーメンが凄かったのは、キャベツがものすごく高騰した時の話。ここの太肉麺(=ターロー麺)は生キャベツのぶつ切りが乗っている。キャベツ高騰の折は普通ならキャベツの量を減らして当然だ。理由ははっきりしているから客も文句は言わないだろう?しかし東口店は違った、わしづかみにしたキャベツを普段の時同様、下手をするといつもより多めに入れてくれた。この時カウンターで何人ものお客さんの感嘆の声と「ありがとう!」の声がまだ頭に残っている。

 高校卒業後の半分浪人・半分美術学校生の頃の桂花ラーメン。その後横浜の大学へ三鷹から通い、体育会系サッカー部に入り練習後腹が減りすぎて、新宿で途中下車して駆け込んだ頃の桂花ラーメン東口店。社会人になってVANの石津健介社長に美味しいラーメン屋を教えろと言われ桂花を紹介して褒められた事(昇進はしなかったが・・・)、VAN倒産後自転車ツーリング仲間と10人で入ってカウンターを占領した頃も筆者の脳裏にはそれぞれの時代の桂花ラーメンが確実に残っている。

 40歳代で郊外に一戸建ての我が家を立てる事に成り、家族全員で建築メーカーの新宿デザイン・オフィスへ行った帰りに入った事など・・・。あの1968年10月の「新宿騒乱事件」の時はまだ出来ていなかったが、まるで当時もあったような気になるほど新宿と言えば桂花ラーメンなのだ。
 今でも入るたびに流れている60年代~’70年代~’80年代それぞれの音楽を聴きながら、それぞれの時代に戻る不思議なラーメン屋タイムマシーンがこの桂花ラーメンなのだ。

 今も週一くらいのペースで行くが、来ている客は団塊世代が非常に多い。もちろん若い人も、昔は居なかった女性客もわんわんに来て繁盛している様だ。一時破綻しかかったが何とか持ちこたえてくれて、我々団塊世代は非常に助かった。

 桂花ラーメン新宿東口店は団塊世代にとっては今まで生きてきた人生の各時代ごとの想い出が詰まった一角。団塊世代はだれしも行きつけのなじみの古いお店が一軒や二軒はあろう?しばらく週末はそういうお店のシリーズを展開しようかと思う。
 
これが桂花ラーメン新宿東口店、50年以上通っている雑踏の中の贔屓のお店だ。

新宿東口の三越前通り。紀伊国屋書店やTakaQ、アメリカ屋靴店、伊勢屋、学生時代から良く通った街だが、今やほとんど変わってしまった。まだ残っているのは紀伊国屋書店と伊勢丹ぐらいなものか。
左が太肉麺、右は普通の桂花ラーメン。どのように美味しいかは、言葉で説明し難いのでここでは説明しない。自分で行って食べて欲しい。このブログは決して宣伝ではないので。

このお店はカウンターのみ。二階席もあるが二回しか上がった事はない。洒落じゃなく。

こうやって出されるときの充実感は何とも言えない、50年以上繰り返しているのだ。

白いとんこつスープが時折三階の調理室からパイプで大鍋にドドドドと落ちてくる。



 ポイントカードを集めるというのは、単に10回たまると太肉麺を1杯無料でもらえるという以上の効果がある。店員さんに顔を覚えてもらえるのだ。確実にサービスが良いし、時には太肉(ターロー)の半端な切れ端を後から追加してくれたりする。もちろん半年に20回以上通わねば覚えてもらえない。店員さんは交代制なのでいつも同じ人じゃないから。