2015年7月25日土曜日

ヤマセミ百景 球磨川本流編 その1. Crested kingfisher at Kuma-river. Part 1.

 週末は本来「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」掲載を続けているのだが、筆者が社会人になって最初に勤めた会社、青山のヴァン ヂャケット編が45回も掛かって終了し、ひと段落着いたので暫くお休みを頂こうと思う。暫くして書き溜まったたら再度掲載する予定。

 一方でヤマセミ中心の画像に関しては、過去画像の中にまだ未発表のものが山ほどあるので、現在それの整理整頓を行っている。特に今年は繁殖期の色々な画像中心に次の出版物、一昨年出版した「川辺川・球磨川流域の山翡翠」の続編、「川辺川・球磨川流域のヤマセミ生態」煮掲載する画像候補を順次ご紹介したいと考えている。したがって接近した綺麗なヤマセミの写真展用のような画像は少ないかもしれないが、フラッと行って偶然撮れた!と言うような画像ではない生態的に意味のある画像中心で行きたいと考えている。
 
球磨川本流の峡谷部分で出遭った子育て中の親子の情景。

幼鳥が巣立って食欲旺盛に成る事、母親はスマートな体系になる。

親の姿を視るやいなや、飛んで傍に行き餌をねだる。

給餌を受ける場所は大体決まっているようだ。鳴きながら待つ幼鳥を良く見かける。

右の親がオイカワの手ごろなサイズをゲットしてきた。

岩の上で見事な受け渡し!つがいの求愛給餌とはやはり何処か違う。

嬉しそうに、落とさないように幼鳥は咥え直し丸呑みに。

更に母親は別の幼鳥のために次の採餌に向かう。この時期は終日観察可能だ。







2015年7月24日金曜日

ヤマセミ百景 川辺川編 その3. Crested kingfisher at Kawabegawa-river. Part3.

 やっと九州地方も梅雨が明けそうだ。例年より随分と遅いと思われるが、梅雨明け宣言の無い年もあるくらいだから少し長い梅雨だったという事で記憶に残るかもしれない。最近では2006年’07年’12年が梅雨明けが遅かったが、関東甲信地方より梅雨明けが遅いのは珍しい事だろう。

 ヤマセミの繁殖に関しては今年は各ファミリー、バラバラで非常に観察者には辛いシーズンとなった。新らたに2家族の営巣を確認できた点では良かったが、いずれも順調ではなかったようだ。
 人吉市を中心に12家族のヤマセミ営巣ポイントを把握しているが、その繁殖密度は全国でも非常に高いエリアと言えよう。今後も観察を続けて行きたいと考えている。

 人吉でヤマセミの生態観察に関して、常時強い支援サポートを頂いている方々の情報でも、今年は繁殖期にヤマセミの姿を観ないことが非常に多かったと言う。毎朝姿をあらわしていた球磨川に掛かる有名な「架線」が撤去された為、その架線を利用して採餌ダイブしたり羽根休めをしていた2ファミリーが姿を現さなくなってしまったことなど、環境の変化にも寄るそうだ。

 今日の画像は川辺川での繁殖直後のヤマセミファミリーの佇まいの中から・・・。

 
曇りの日の早朝6月初旬の画像

川面の反射光の中、撮影は非常に困難を極める。マニュアル撮影が必須だ。



基本的にヤマセミのつがいも非常に仲が良い。

特に安定した環境の川辺川では深山のヤマセミとは違って人が居ても逃げない。

幼鳥が親を真似て飛行訓練を盛んに行う時期。

この頃は幅60mほどの川幅一杯にヤマセミが乱れ飛ぶ姿を観ることが出来る。



2015年7月23日木曜日

ヤマセミ百景、川辺川編 その2. Crested kingfisher at Kawabegawa-river. Part2.

 梅雨明けが愚図ついている球磨川流域だが、明日以降やっと梅雨明けし、晴天が望まれそうな天気図になったようだ。赤茶色に濁った球磨川も川辺川もやっと以前の清流に戻るだろう、ちょうど4年前と同様但し1週間から10日ほど掛かるのでは無いだろうか?本来今月末から8月前半まで予定していた人吉訪問もついに昨日8月終わりに1ヶ月ほど延期してしまった。ブッポウソウの南紀行直前の乱舞を観察したかったが、今年は敵わぬまま終わりそうだ。

 今日の画像はちょうど梅雨明け時に川辺川界隈で見られるヤマセミの生態画像をご紹介。

一番川辺川らしい佇まいを表している夏の姿。

夏でも必ず二羽で行動する川辺川のヤマセミ。

珍しく早い時期からもやってある刺網漁川舟で遊ぶヤマセミつがい。





500m離れた縄張りのつがい。

縄張り侵入者への威嚇チェイスはいつものお約束。



2015年7月22日水曜日

ヤマセミ百景、川辺川編 Crested kingfisher at Kawabegawa-river.

 やはり今年の南九州は異常気象に違いない。5月末から2度ほど人吉エリアに観察撮影行を実施したが、かって無いほど雨の日が多く滞在中の晴天率は50%を切った。梅雨の時期にしては晴れ間を狙ったつもりだったが、「晴れ男」とか、過去のデータは何の役にも立たなかった。勿論いつもおすがりしている矢黒神社のご利益も今年ばかりは効かなかった。

 エルニーニョ現象が収まらない為か、南九州は梅雨明けしたと言いながら数日晴れた後南シナ海の湿気が湿舌のように南九州に掛かり、戻り梅雨のような雨天が続いている。一方で台風11号が梅雨前線を押し上げた関東エリアは梅雨の時期の低温からいきなり10~15度も気温が上がり死者も出ている。

 人間は自然の急変に弱い動物だがヤマセミはどうだろう?

6月1日に鮎漁解禁になってから、50日強経った頃のヤマセミの日常をご紹介。鮎自体も結構大きくなっており一番元気に動き回る時期。ヤマセミも子育てから開放され巣の中にじっとしていなくて良い活発な時期となっている。











2015年7月21日火曜日

繁殖期のヤマセミ、親子で行動。 These are the crested kingfisher parent and children of the breeding season,

 今年の梅雨はとうとうまともにヤマセミの繁殖期における親子の生態を観察できなかった。人吉エリアのヤマセミの繁殖の期間が各ファミリーともバラバラであったことと、天敵などにやられて繁殖失敗の事例が多かったせいでうまい具合にタイミングが合わなかった。
 もう一つは梅雨の時期の長雨が例年になく多く、球磨川水系の増水、濁りがなかなか収まらなかったことなどが上げられよう。

 その数少ない中の画像をランダムに拾ってアップしてみた。

親子4羽で早朝の飛翔中

幼鳥4羽で親の給餌待ち中

真ん中の親の教育授業中

接近して来て撮影者監視中のメス親

降雨前の川辺川を飛ぶ親

濁流増水の後が白く岩に残る川辺川のヤマセミ飛翔

長雨前の球磨川本流のヤマセミ・メス親

同じく球磨川本流を行く瞬膜半分閉じ状態のヤマセミメス親




2015年7月20日月曜日

自宅の周りを飛び交うオナガの観察。 Azure-winged Magpies are flying around my house.

 幾度かこのブログでオナガのレポートをお送りしたが、2週間前梅雨の合間に見かけたオナガの光景をレポートしたい。昨日梅雨明けした関東地方だがこのオナガを撮影した日はまだまだ梅雨の時期で雨上がりの夕方日没直前だった。

 夕方からいつになくオナガの群れがギャーギャーうるさいので、愛用のシグマ50-500を装着して住宅街を探索した。まだ畑が点在する武蔵野の住宅街だ。我が家は三鷹市の西の端に位置し、西側はそのままフェンスで皇族の子女が通うミッション系の大学の敷地に接している。いつもはその樹林帯に陣取るオナガたちだが、今日は少し離れた林に群れていた。

 
曇天の空抜けなのでなかなか色が出難い。

背面のブルーグレーが時々垣間見える程度。

セミか甲虫か咥えて巣にでも運ぼうとしているようだ。



突然一斉に飛び立って一際鳴き声がうるさくなった。

蜂の巣を突いたような大騒ぎだ。

何かあるのか?と思った途端、オオタカらしき猛禽類が一羽のオナガを捕まえて住宅街の道をこちらにまっすぐ飛んできた。オナガが重たいのだろう、高さ3~4m以上には上がらない。慌ててカメラを向けるもファインダーは覗けず、思わず「勘」でレンズを向けただけで連写した。勿論望遠状態で切れているのでピント等合う訳もなく画面にさえ入っていないと覚悟したがなんとかその雰囲気だけはボケボケの画像で判るのでご紹介する次第。画面は撮ったままのサイズ。ギャーギャーと普段の鳴き声ではない断末魔のオナガの声がまだ耳にこびりついている。



2015年7月19日日曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #122.」 ヴァン ヂャケット倒産原因推論 その4

 過去3回のこのブログでは、ヴァン ヂャケット倒産に関して、その社内的根本要因に加え、会社を取り巻く業界環境・メディアを含む社会環境に焦点を合わた。当時は倒産要因はそれだけだと思い込んでいたし、今も殆どはそれらが複合的に絡み合って作用したものと思っている。

 しかし最近、このブログを書くに当っていろいろな文献をネットで探り、なおかつ当時色々なジャンルに居た人の話の中から、実は裏で当時の政治の世界も一枚噛んでいたのではないかと推察できる話が在ったことを思い出した。
 
 当時1976~78年は、ご存知の通りマスコミの中心ネタはロッキード事件だった。1974年立花隆が文芸春秋に発表した『田中角栄研究~その金脈と人脈』がきっかけで、ロッキード・トライスター導入、対潜哨戒機P3Cオライオンに関わる汚職疑惑が連日マスコミを賑わしたのだった。


全てはこの1冊から始まったと言って良い。


ロッキード トライスター 主要エンジンが3基(トライ)あった為の名前 Google画像

ロッキード対潜哨戒機P-3-C ORION (オリオンと呼ばずにオライオンと呼んだ)

 当時は単に高価な航空機をアメリカから買い付けるに当たっての裏取引・賄賂に時の首相が一枚噛んでいた・・程度のあまり高度な話ではないようなレベルでの事件でメディアが報じていた。
 連日、田中首相逮捕をピークにテレビ・新聞を中心とした報道が無い日は無かったと言ってよい程の異常な頃だった。筆者が田中角栄首相逮捕のニュースをテレビで知ったのは、まさにヴァン ヂャケットの社員食堂で見ていたお昼頃のテレビニュースだった。
逮捕当日の号外 Google画像

 しかし40年経った今あちこちで、実は日本列島改造論をぶち上げ、日本独自のエネルギー確保、中国との国交回復によるアジアでの影響力強化を狙う実務派田中角栄首相に危機感を感じたアメリカが、裏でCIAを使って一芝居打ち田中首相を投獄に追いやる絵図を描いたという説まで出てきて、本当の真実は判り難くなってきている。

 で、その陰謀くさいロッキード事件とヴァン ヂャケット倒産に何の関係があるかというと、此処からは数名の仲の良い事情通や経済学者と話をした中で出てきた推論の域を出ない話なのだが、まんざらないという気がしている。

 1976年から始まったロッキード事件関係者の国会証人喚問は、テレビ中継で宣誓書にサインする手が震えて署名も碌に出来ない会社役員を観て覚えている方も多いだろう。と言っても勿論今の年齢で50歳以上でなければ覚えている訳がないだろうが・・・。
 この国会尋問を中心に、連日主要新聞の見出しに載ったのが、ロッキード事件丸紅ルート、及び全日空ルートの大きな活字文字だった。勿論、政商小佐野賢治や田中角栄、コーチャン、クラッターなどの主要人物の個人名も載ったが、大きな企業名がデカデカと載るのは丸紅と全日空の2社だけだった。
連日新聞に載った「丸紅」の文字。 Google画像

 ここで関連して来るのが当時の日本の繊維業界構造不況という背景。

 勿論、繊維業界構造不況は抜き差しならない所まで来ていたと言う。中小の縫製工場は倒産する所があちこちで出始めていたようだし、賃金の安い海外縫製工場も倍々ゲームで増えていたようだった。そんな中、貿易で成り立っている我国『ニッポン株式会社』を支えている三大商社(=三菱商事、三井物産、丸紅)の一角を占める丸紅が、連日メディアに叩かれるというのは、世界的に観ても悪い印象が広がる一方だった。これを当時の通産省なり日本の経済団体は危機感を持って改善策を模索していたのだろうと想像する。
大手町の丸紅本社。

 では、どうしたらマスコミの丸紅叩き、丸紅ルート報道を止めさせられるか・・・その裏工作に瀕死のヴァン ヂャケットが注目されたようなのだ。繊維構造不況のさなか、経営危機中のヴァン ヂャケットに数百億融資していた丸紅に、ヴァン ヂャケット融資金の回収を全て諦めさせる。その代わりに、ロッキード事件の丸紅ルートマスコミ報道を裏で押さえさせるといった高度な政治経済的取引が行われたのではないだろうか?というのが我々の推論だった。安倍政権の今の安保法制に関する強引なマスコミ・コントロールを見れば、当時もその程度の事はいとも簡単だという事くらい容易に想像できるではないか?

 ロッキード事件の丸紅ルート報道を終焉させる見返りとして、ヴァン ヂャケットからの融資金回収を諦める事、追加融資もさせないことでヴァン ヂャケットは孤立無援となり倒産する。
 これが引き金になり、先売り市場にポッカリと大きな穴が空く。当然ヴァン ヂャケットを追いかけていた二番煎じの似たようなメーカー達はトラッド・アイビー商品群を立ち上げ、特急生産で市場に商品投入する。Jプレス等に加えビバリーヒルズ・クラブなどの新しいアイビー、トラッドブランドが登場し、全国のアパレル各社がモノを造り始める事で、原反メーカー、原糸メーカーの生産が回り始めるという寸法だ。
果たしてVANは丸紅と繊維構造不況解消のために切り捨てられたのだろうか?

 こうして出資した青山の一ファッションメーカーの融資金回収を諦める事で、マスコミによるロッキード事件の追及記事・見出しを押さえてもらえる大手商社・丸紅の損得勘定と、繊維業界構造不況が改修できるという一石二鳥の筋書きでヴァン ヂャケットの倒産はある種仕組まれた罠だったという見方も出来るというのだ。

 このあたりは当時マーケティング販促課長の軽部さんからも、何かの折に聞いていたような気がするが記憶違いかもしれない。或いは一種の都市伝説なのかもしれない。