2015年9月11日金曜日

ヤマセミ、この1枚!#13 Selected photo of Crested kingfisher. #13.

  昨日は終日テレビで北関東の水害ニュースをリアルタイムで中継していた。決壊した堤防はかさ上げ堤防で、九州で言えば八代付近の球磨川、玉名付近の菊池川、人吉で言えば万江川、山田川の一部、その他の河川と同じだろう。ただ、台風被害の少ない北関東・東北は台風銀座の九州とは、住んでいる人々の経験も心構えも異なる為、自分が当事者になった時の準備もシミュレーションもできず、逃げ遅れて被害が増えたものと思われる。

 「避難警告、避難指示」が出てから堤防決壊まで4時間以上あったにもかかわらず、何もしなかった人が結構居たようだが、これもその住んでいる環境の差だろう、簡単に住んでいる人を責めてはいけない。しかし、その後の自衛隊、保安庁、警察、消防のヘリの救助活動の様子は非常に心強かった。筆者も20歳代に3日間自衛隊体験入隊したが、ロープの結び方、水の中での作業経験、3人5人での共同作業のやり方、色々災害時の対処法を実地で学んだ。マニュアルを読んでも自分で実地でやってみなければ「いざと言う時の実務」は行えない。

 これらを考えた時、誰でも2~3日の体験入隊をすべきではないかと思う。自衛隊でも、海上保安庁でも消防でも良い。参加すれば日当が出るとなれば誰も喜んで参加しよう。仮に1人1回1万円を支給しても100万人が経験して100億円だ、国立競技場などオリンピック施設建設用に簡単に1000億円を増額するような愚行を繰り返すのであれば、「日本人個人を強くする」為に費用を使うべきだろう。

 災害に遭われた方々のご無事を祈りつつ、今日のヤマセミ1枚はこの画像!


いわゆる求愛給餌だが、何も繁殖期だけに行うとは限らない。12月に目の前で行う場面を動画で捉えたこともある。このYAMASEMI WEBの冒頭の動画がそれだ。


2015年9月10日木曜日

団塊世代の関東大雨情報!  September 10th Kanto area heavy rain report.

 関東の雨が止まない!1973年の多摩川増水で土手が次々に崩れ、堤防沿いに建っていた高級住宅19棟が流出したショッキングな事件を思い出した。当時は筆者が社会人になった年でもあり、一棟一棟多摩川の土手が濁流の勢いで削られ,流れに持っていかれる様子を中継したTVに釘付けになったのを思い出す。上流に大きなダム(小河地ダム)があっても水害は起きると言う良い例かもしれない。

40年ほど前多摩川土手から流されていく高級住宅  Google画像より


 昨日、用事でその多摩川の下流部分の丸子橋を渡ったが「此処は何処?これは何?」状態だった。スコールのような土砂降り、不気味な夕焼け!昔の人であれば何か不吉なものを感じただろう気象・天候の異変がもっと大きな何かの前兆でなければよいが・・・。

濁流で増水中の多摩川丸子橋、この後河川敷は殆ど水没した。

荻窪あたりを通過中、東側都心方向にダブルで大きな虹が掛かった。

日没直後の三鷹駅から不気味な夕焼け 台風の前には良く出るが通過後は珍しい。








2015年9月9日水曜日

ヤマセミ、この1枚!#12 Selected photo of Crested kingfisher. #12.

 昨日、気になる記事がネットに出ていた。ネットに出たと言う事は当事者ではない「ネット野次馬」が大挙押し寄せて野鳥撮影愛好家達を一緒くたに悪者扱いして盛り上げるのではないだろうか?2020年東京オリンピックのエンブレム問題のように・・・・。次の攻撃目標を捕らえると暇なSNSネットユーザー達はここぞとばかりに無責任な攻撃を始める。

 中にはまじめなコメントもあるが、そのほとんどが「そうだそうだ!」の一揆の群集と変らない。江戸時代以前の封建社会の頃から日本人の群集行動・心理は少しも揺るがないのだろう。
 今回の事が変な方向へ行かない事を祈りたい。

 此処までは一般的な最近の世の中の動向を危惧してのコメントだ。しかし野鳥撮影当事者の経験値で行くと、この手のマナー違反、利己的野鳥撮影者が多く居る事はある面間違いない。自分の経験でも、撮影地に着いた途端車ナンバーを視て「県外だな?何処から来たんだおまえは?」と完全威圧スタイル、上から目線であれこれ指示を始める土着のジモティ、平気で人々の設置した三脚の前に横から入り込んで堂々と撮影を始める輩。畑や田んぼの土手ではなく植わっている中にどんどん入り込んで鳥に近づこうとする無法者。

 これらが皆、団塊世代より上の高齢者なので驚かされる。元気なのだ、頑固なのだ、自分さえ良ければいいのだ。勿論全部が全部そうではない。熊本県内で数年前から散々お世話になっている私の先輩達には180違うやさしいルールマナーを遵守する方々しか居ない。そうでない人種も当然居る、排他的というか「県外の新人」には意地の悪い事をする御仁たちも多い。野鳥好きには色々な人種が居る。そのうち野鳥図鑑ならぬ「野鳥好き人間図鑑」をパロディで作ってみようと思う、ちょっと本気だ。

昨日のネットで見つけた記事はこちらから。
  http://digital.asahi.com/articles/ASH8N3QRWH8NUTFL006.html

で、今日のヤマセミこの1枚!


まだ胸の褐色斑が見えない若鳥のオスが架線に飛んできた。メスとのつがいだろうとは思う。

2015年9月8日火曜日

ヤマセミ、この1枚!#11 Selected photo of Crested kingfisher. #11.

 1日~2日晴れ間が見えたかと思ったら、また雨になってしまった。その上明日9日には台風18号が来るという。まさに暦で言う所の二百二十日(普通は9月10日頃)付近だ。先日NHKで今年は赤道付近の大気の異常、エルニーニョ現象とマッデン・ジュリアン振動《=※マッデン・ジュリアン振動(Madden Julian Oscillation:MJO)》が重なって台風の発生や世界各地の干ばつ(=山火事に繋がる)が多発していると特集が在った。

 雷鳥の絶滅危機、ヤマセミの繁殖数減少、千葉県エリアでのキョンの異常繁殖、全国での野生鹿の個体数急増・・・これらは必ずしも人為的なものだけが原因ではないようだ。食物連鎖のバランスが崩れた時自然界の動植物の個体数増減、絶滅種の増加は避けられないのだろう。現在は絶滅していく種より、新たに生まれる種や発見される新種の方がはるかに多いと聞く。自然界は不思議だ。

 ここ数日気温が下がった日に再び10km走を復活させた。普通のジョギングよりは遅いペースで10年以上前から冬季を中心に走っている。武蔵野の野川沿いの地道だ。半分は草の上、アップダウンが結構ある、いわばクロスカントリーと言った方が良いかもしれない。なにせ30年前はキリスト教大学のゴルフ場だった跡地だ。芝生と緑に囲まれて野鳥も多い。必ずコンパクトデジカメを背中のデイパックに入れて走る。携帯電話や小さな双眼鏡も入っているから1kgほどを背負って走る訳だ。大体60分間休まず走る。10kmを60分だから歩く速度の2.5倍ほど、大した速さではない。初心者のマラソンより遅い。

 しかし、体に良いからと半ば宗教がかって走るのではない。目的は野鳥の様子見と、綺麗な夕陽の撮影だ。だから走り出しは日没の1時間前位からに決めている。10月~3月の間は中2日で走るペースを保っている。勿論根がいい加減なので走る時間も、間隔もあくまでアバウト、いい加減なものだ。

コスモスにはまだ早いが鶏頭(けいとう)の花は順調に育っているようだ。

定期的に夕方走り始めると脈拍が遅くなる。血圧は高校時代とあまり変らない。安静時の脈拍が65を超えると体調が何処かおかしいのだと自分で判断している。


・・・・・・・で、今日のヤマセミ画像、この1枚はこれ!

宿泊施設の旅人が朝早く外の景色を観ている姿をじーっと見入るヤマセミのつがい。今年の春先までこの架線は在ったが、今は撤去されてしまい、もうこういった画像は二度と撮れない。






















 

2015年9月7日月曜日

ヤマセミ、この1枚!#10 Selected photo of Crested kingfisher. #10.

 2020年東京オリンピックのエンブレム問題。騒ぎは収まりつつあるが、テレビのワイドショウ等ではまだまだこのネタで盛り上がりたいらしい。あまりの騒ぎに一時は一緒に叩かれていた佐野デザイナーの擁護派も少しほとぼりが冷めると「オリンピックのエンブレムだけはパクリ・模倣ではない」と今になって自分のブログやSNSで主張している。しかし3名のオトコを騙してきた悪い女が、「この人だけは本気だったのよ」と言い訳しているのとなんら変わりない。

 そもそも佐野デザイナーが叩かれているのは、問題のエンブレムが模倣かパクリかという事ではなく、「私はクリエーターとして過去においてもパクリとか模倣とかは一切した事がありません!」とメディアに大嘘をついた事に対するバッシングであった。彼の『嘘を平気でつく、あるいは自分の名前で売って置きながらパクリが発覚すると部下のせいにする』いさぎよくない人間性が、気高きオリンピックのエンブレム制作者にふさわしくないという根本の問題だろう?彼のデザイン界、広告業界その他の擁護者はまだこの点に気が付いていない。きっと自分達も同じ非常識な人種なのだろう。

 今の日本のデザイン業界はこの佐野氏の様な常識、価値感を持った者達で一杯かと思うと情けなくなってくる。ITパソコン、パソコンソフトの発展のおかげで、フリーハンドで上手な絵が描けなくてもデザイナーに成れたり、イージーなクリエイティブが出来る、許す風潮が出来てしまったのだろう。残念なことだ。あのスペイン内乱の際の銃弾に撃たれた兵士の写真で有名になった戦争カメラマン「ロバート・キャパ」も実はあの有名な写真は彼のパートナーだった女性の撮影だった事実がバレた。今回のパクリ事件は、努力をせずイージーに名声を得たものは、いつか必ずバレるのだという事を教える良い教訓になったのかもしれない。


・・・・・・・・という事で今日の一枚はこれ!


上空を行く二羽のヤマセミつがい。山奥の峡谷やブラインドに入って接近して撮る方法ではこの手の絵は取れない。開けた球磨川流域の特殊な環境でなければ飛来する姿を確認できない。上空を飛ぶヤマセミは初秋から初冬に掛けての人吉・球磨エリアの風物詩だ。

2015年9月6日日曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝 #5.」 1979年銀座の広告代理店『中央宣興』へ転職 その1。

 今では死語の領域かもしれないが「ダサい、ナウい、」などの新しい日本語が登場したのが’70年代最後の年1979年だった。ソニーの携帯音楽再生機器・ウォークマンが登場した年でもある。一方で街中を歩けばデザイナーズブランドのジーンズにダウンベスト、ダウンジャケットを着るのが流行り始め、テレビからは盛んにゴダイゴの「ガンダーラ」やジュディ・オングが羽衣のような衣装で歌う「魅せられて」が流れてきた。原宿界隈ではインテリア観葉植物としてアレカヤシが大流行し、安価な簾を窓に下げアパートの部屋の中をトロピカルな雰囲気で演出する事が流行っていた。
アレカヤシはトロピカル的で人気があったが、水遣りなど非常に難しい観葉植物だった。

そういう人々の間では山下達郎のアルバム「パシフィック」やフュージョン系のバンド、カシオペア、あるいはリバイバルヒット中だった団塊世代つのだ・ひろの「メリー・ジェーン」が頭の中を流れていた。一方、惜しまれて2013年の師走に亡くなった同じ団塊世代の大滝詠一は「A Long Vacation」を発売するまだ2年前だった。


インストルメンタルのフュージョン系のはこの頃全盛を迎えた。

 こういった新しい日本が誕生しかかった時に筆者は東京湾に面した陸の孤島・東京流通センターの日本IFGトリンプから、一人の強力なアートディレクターによって日本のど真ん中銀座一丁目の広告代理店へ救出されたのだった。そのアートディレクターはカメレオンというデザインスタジオの福田毅氏。数々広告の世界で活躍したレジェンドで長岡造形大学教授(2012年退官・現在は非常勤)をされているらしい。

 銀座一丁目の角、ちょうど読売広告社の対角線上に位置するその広告代理店は中央宣興と言う名で、年間総売り上げで国内の12~3位辺りに位置する中堅どころだった。広告代理店の世界については常に今まで仕事を依頼する側、つまり使う側にいたので、その業界の規模や企業名・組織の内容や機能・人種の実態に関してはあまり良く知らなかった。電通、博報堂の2社はメディアにも良く出ていたので知ってはいたが、自分の担当する所に出入りしている営業担当者しか面識は無く知識は浅いものだった。

 トリンプにいた頃、一度だけ京都新聞の記者が広告宣伝について色々こまごまとした事を訊きに来たのだが、品川のホテルで行われる年次総会の準備で忙しくてまともな相手を出来なかった事があった。そうしたら翌日博報堂の新聞局の局長らしき人が来て、何て失礼な対応をするのだとオフィスの皆の前で文句を言った事があった。どちらがクライアントだか判らないあまりの剣幕に驚いたが、正直に理由を述べた。「京都といえば業界ナンバーワン・ワコールさんの本社の在る所ですよね?東京の新聞社でもなく、競合の地元の新聞社さんに、他の新聞社にも訊かれない様な企業秘密を話すつもりはありません!」ときっぱり言い渡した事があった。

 勿論周りは拍手!その博報堂の局長級の人はブツブツ言いながら戻っていったが、後で調べたら当時博報堂はワコールの新聞広告掲載も扱っていたらしい。実はグルだったのではないかと今でもそう思っている。VANの倒産前のマーケティング調査の件と言い、この時の京都新聞の事件と言い、広告代理店という業界はうっかり気を許すとえらい事になりそうだという強い印象を持ってしまったのは確かだと思う。

 最初にこの中央宣興に出社した際は、一旦途中階の受付を通って最上階の社長室に連れて行かれた。直接最上階にいけない様になっている不思議なシステムを取るオフィスだった。広告代理店は皆そうなっているのだろうかと不思議に思った事を覚えている。

 3階だったか4階だったか中途半端な階に受付があって、髪の毛を後ろで束ねて、おでこの広いクールな感じの女性が座っていた。L型の特殊な土地に建っている本社ビルは、社員数に対しエレベーターのキャパが少なく、社員は皆2~3階程度の上下移動はエレベーターを使わずに建物の外側にある非常階段を使って移動していた。各フロアに入るときに鉄の扉がドーンと低い音で響くので、誰かが入ってきたのだなと判るようになっていた。
 屋上は看板のようなもので外側から見えないようになっており、一部の社員の喫煙場所?と言うか、日常的なたまり場所のようになっていた。
現存する旧・中央宣興ビル。二階の天龍は現存している。 Google mapより

 最初に通された最上階の社長室では、アートディレクターに一度逢わされた社長さんがどっしりと構えていて、暫く話をした後筆者の所属するマーケティング局の局長を電話で呼んだ。
 メガネを掛けた学者のようなその局長さんは、著名な誰かと「何とかマーケティング論」と言う本を共著で出した人らしく、自慢げにそれをもって来て「君も何かの折に読んでくれ給え」と言って渡してくれたが、とうとう「まえがき」さえ読まないまま今に至っている。

 このマーケティング局長は広告代理店の局長さんと言うより、何処かの文系大学のマーケティングを教える教授と言った方が余程似合っている風体だった。VAN的に言えば役人系の完全サラリーマンのクラスター(消費者分類)の代表のようだったと言ってよい。

 思い出話が一つだけある。この会社に移ってまもなくデスクに呼ばれて小さな声で「新庄君、薬局でこの薬を買ってきて欲しい」と小さな紙を手渡された事があった。で、銀座通り裏のお店で購入して、お釣りをもらい部屋に戻った。局長は席に居なかったが、局長が戻ってきた所で大きな声で言った。「局長!薬買ってきましたぁ、新ボラギノールで良いんですよね?」そのときの局長のうろたえ方は文章ではとても表せないビミョーなモノだった。筆者はボラギノールが痔の薬という事は知らなかったし、買った他人の薬の箱をまじまじと見たりもしなかった。もちろん痔と言うものがどういうものか全然知らなかった。しかし、その局長はその後二度と他人に薬を買いに行かせることは無かったという。


2015年9月5日土曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝 #4.」 時は1978年、トリンプから広告代理店へ転職。

 トリンプでは広告宣伝用のポスター制作、販売用のお客様お持ち帰りBAG、ノベルティ小物等を盛んに製作した。勿論雑誌その他メディア用の広告も作成した。さすが女性相手のブランドだけに広告宣伝費はメンズ・アパレルのヴァン ヂャケットよりは多かったような気がする。
 そのクリエイティブ制作を、青山に事務所を構える新進気鋭の個人アートディレクターに依頼していたのだった。偶然にもそのアートディレクターの事務所は、ついこの間まで通っていたヴぁん ヂャケット本社ビルの青山3丁目に近く、好んで陸の孤島の東京流通センターからモノレールに乗り彼のアトリエ・作業場へ出かけたものだった。 

 当時はちょうどカタカナ・横文字の新しい職業、アートディレクター、イラストレーター、コピーライターなどの専門職業がカッコよくもてはやされ始めていた時代だった。
 巷では池袋パルコ、に引き続き渋谷パルコを含め西武百貨店が「じぶん 新発見」「不思議、大好き」等に引き続き「おいしい生活」など、何という言葉ではないのだが、圧倒的な露出量の反復効果で皆の頭に残る(言葉=コピー)が話題を呼び、糸井重里などという全共闘上がりの「時流に乗るのが上手い」コピーライターが脚光を浴び始める時代背景が在った。

 それまで広告の裏方職人だったクリエーターと言う人種が、世の中の表側に出て来始めた時代で、その後これまた本来裏方の「料理人」がいっぱしの評価を得て、メディアの表側に出てくるのと似たような現象が起き始めた時代だった。学歴偏重時代の受験戦争を勝ち抜いてきた、地道なサラリーマン、製造業の技術屋と違って、美術専門学校、美術系大学、あるいはそういった学校を出ていなくても、下手絵でも個性があればイラスト一本で名前を売れる、そういう時代が広がる創生期のような頃だった。トリンプで仕事を依頼していたアートディレクターは、そういった単に時流に乗ったタイプではない、実力一本で当時は新進気鋭の一人だった。

 しかし同じ美術系という事だからだろうか、いや、こちらが依頼主という事でだろうとは思うが、その人懐こいアートディレクターは、何かにつけ筆者を青山のオフィスに連れ出すのだった。その上オーディオやオールディズ、ロック系の洋楽に詳しいと知るや、自分が関わっている広告宣伝の作業にアイディア参加させようとするのだった。

 このアートディレクター氏、お金が余程儲かったのだろうか?結構な額の予算で、オーディオセットのアッセンブルを依頼してきた。こちらは夢のような金額なのでしり込みしたが、最終的にマランツのコントロールアップ、マッキントッシュのメインアンプ、ガラードのターンテーブル、SMEの12インチのトーンアームにシュアーの最高峰のカートリッジをアッセンブルしてあげた。確か購入は御茶ノ水のユニオン電気(今のオーディオユニオン)だったと思う。このユニオン電気はまだ学生時代に社長さんがグレースのレコードプレーヤーを只でくれた事で非常に恩義に感じていたので、恩を返せて非常に良かったと思っている。この一揃え、暫くはクリエーターの間で評判だったらしく随分感謝された。
名器・タンノイ・オートグラフはコーナーに置く大型のスピーカー Google画像より

マッキントッシュの真空管メインアンプ Google画像より

マランツの真空管プリアンプ Google画像より

英国ガラード社のターンテーブルにSMEのトーンアーム Google画像より

名機・シュアーV15タイプⅢ 特にクラシックファンが多かった。 Google画像より

 在る時、またまた広告宣伝のプレゼンを手伝わされた。坊主頭で片方の手に包帯を巻いているお兄さんが一生懸命テレビ用コマーシャルの4コマの画コンテを書いている横で、その画コンテに音楽をつけて欲しいと言うものだった。その中の一つは非常によく覚えている。黒人の老人がブルー・デニムのオーバーオールを着ていて、徐々に顔がアップになると大きな眼からポロリと涙があふれるという画コンテだった。

 ちょうどポールマッカートニーとWINGSの来日公演(中止になった)直前でBeatlesに傾倒していた頃なのですぐに曲が思いついた。それはBeatlesのアビー・ロードと呼ばれている最後に収録されたLP(発売はLet it beの方が後)に入っている「オーダーリン=Oh Darling」と言う曲の出だしの部分だった。

 これは非常にスタッフに喜ばれ、そのままプレゼンに採用されたという事だった。なんでも後で聞いたらTDKというテープのメーカーのTVコマーシャルだったそうだ。最終的に採用されたが、肝心のポール・マッカートニーが来日の際に成田空港で逮捕されたためお蔵入りになったという事で非常に残念だった。
https://www.youtube.com/watch?v=9lCqJ_-CFnk YouTubeより

 この一件以来、かのアートディレクターが「新庄ちゃんはメーカーの宣伝課長やっているより、実務のクリエーターの方がずっと向いているし伸びるよ!」いう事で是非紹介したいと言う人の所に連れて行かれたのだった。

 それは華やかな銀座通りの一角になる細長いビルで「中央宣興」と言う名の広告代理店だった。しかし、実際其処の要人に引き逢わされたのは青山通りを少し入ったところにあるマンションのような場所だった。社長さんはガタイの大きな人でアートディレクターと話を暫くした後「どうですか?うちへ来ませんか?」といきなり話を切り出した。

 西ドイツの本社といい加減闘い疲れていたし、雨の日に霧に消えてしまう都心を見ながら早く都会の日本資本の会社に戻りたいと思っていた最中だったので、あまり深く考えずに「ハイッ!ヨロシクお願いします!」と言ってしまった。勿論給料が下がる事は判っていたし、半分にならなければやっていけると思っていたのであまり不安は考えなかった。

 翌日、トリンプで採用してくれたマーケティングマネージャーに報告しようと思ったが、何と!彼は2週間前に失脚して退職し、新しいマネージャーが席に座っていたのだった。これを知った時、自分の決断と判断は間違っていないと確信したのだった。

※参照画像のオーディオ機器は、いまでは現物がなかなか無い名機なのでGoogle画像から使わせていただいた。版権をお持ちの方で使用を許可できない方はお問い合わせコーナーからよろしくお願いいたします。他のものに差し替えます。