2015年9月4日金曜日

ヤマセミ、この1枚!#9 Selected photo of Crested kingfisher. #9.

 今朝の「加山雄三の悠々散歩」で加山雄三の地元ふるさと茅ヶ崎をやっていた。番組ロケ中に68年ぶりに隣に住んでいた小学校の学友に逢ったり、約40年前、初代光進丸にまかないの必需品を届けてもらっていた酒屋さんに出逢って思わず感無量で遠い眼になってしまっていた。これだけの著名人・俳優でも「素」に成ってしまう故郷ふるさと。これはやはり歳を重ねないと感ずることが出来ない一種独特の「気持・感傷」なのだろう。

 自分は父親の仕事の関係で幼少時代を九州の小倉や八代で過ごしたが、今朝の熊日新聞に出ている県内の鮎遡上激減、型の矮小化など気になってしかたが無い。
 先日の台風15号による球磨川土手、萩原天満宮の銀杏の大木倒壊のニュースだけでもブルーな気持ちに成ったと言うのに、数日前から全国にいる幼馴染が3人も同時に今それぞれの地元で入院していると聞いて益々落ち込んでいる。それぞれが死の床ではなく、回復必至の病なのがせめてもの救いだ。今日も友達の分を含めて健康保持の為10km走に出ようと思う。

今日のヤマセミ画像は水浴び後、筆者の方へ飛び上がって飛んでくる瞬間の画像。


車の中から観察を続けていて、目の前で色々パフォーマンスを繰り広げてくれるうちの1枚。

2015年9月3日木曜日

ヤマセミ、この1枚!#8 Selected photo of Crested kingfisher. #8.

 久しぶりに太陽が顔を出したので、夕焼けを観られるかもしれないと4ヶ月ぶりに日没を狙って10kmランニングに出かけた。いつもコンパクトデジカメをデイパックに入れて、携帯電話と少々のお金と身元が判る物を入れて走る。突然行き倒れに成っても迷惑が掛からないようにする為だ。

 さすがに2日前まで真夏の8月だったせいか、ジョギングをしている人は非常に少ない。冬であれば夕方の野川沿いは数百人が走っていたりする日もある。昨日は5~6名しかすれ違わなかった。 しかし、小学校時代から激しい運動を50歳まで続けて来たため、今でも運動不足は体調の不調に即繋がる体質になってしまっている。

 おかげさまで此処1年は頭痛以外医師にかかる病は無い。時々出る蕁麻疹も紫外線を浴びると出る事が判ってきた。昨日も鋭い夕陽の直射日光を真正面から受けたら夜になって蕁麻疹がジョギングパンツの強めのゴムの後に出た。太陽の光を直接浴びると障害が出る・・・って私はドラキュラか?
黄色いコスモスが咲いていた、白やピンクは真夏に一度咲いてピークは終わった。秋咲きはまだまだのようだが、野川の土手一杯に咲くのが楽しみだ。



久方ぶりの晴れた夕方、空のl雲も周りの景色も秋になっていた。


 さて、今朝のヤマセミ画像、この1枚はやはり川辺川太郎の生態画像。


 昨日掲載の岩の上でこちら目線をくれている時の飛んできて留まった瞬間画像だ。川辺川の綺麗さもよく判る。今朝の熊日新聞に此処2年の鮎の不漁記事が載っていたと情報を頂いた。鮎が減ればヤマセミも減るだろう。自然の変化は全てに影響する。漁協の方と一緒に来年に期待しよう。










2015年9月2日水曜日

ヤマセミ、この1枚!#7 Selected photo of Crested kingfisher. #7.

 これで何日雨の朝を迎えたろう?また雨だ。1週間前やっと気温が低くなって18年目のクーラーを止めたら、寿命だったらしく、そのまま室外機が止まって壊れてしまい動かない。今朝、室内は湿度が76%を指している。もう完全に梅雨の再来だ!秋雨前線も梅雨前線も似た様な物だ。日本も昔のような情緒溢れる四季の移り変わりが無くなって、東南アジアの雨季と乾季の気候帯になっているんじゃないだろうか?あまりに春と秋の期間が短すぎる。

 これに首都圏の冷暖房の普及が重なって、毛皮や重たい衣料品のバリエーションが少なくなっている。これがユニクロなど中軽衣料ばかりの世の中になった理由かもしれない。 

 2020年東京オリンピックのエンブレム(=公式マーク)の使用中止・撤回に関して色々な現象が起きている。簡単に言えばデザイナーの佐野氏が一番ひどいのは「私は他人の模倣とかパクリとかは一切やった事がありません!」と強気でメディアに言い切った直後にパクリが証明された事。
 つまり、全国に伝わるマスコミ・メディアですぐにバレる嘘をついた事が最初の大間違い。

 次に自分の名声・箔でクライアント(=仕事を依頼する人・得意先)から仕事をもらい、自分のデザイナーとしての名前が出る事で「売り・価値」を高めたサントリーのトートバッグのパクリが発覚した時に、「デザイン制作をやったのは自分ではない」と責任を部下に転嫁した事。この事で自分でデザインしていないのに、自分の名前を掲げて「ウソ」をついた事と、そのパクリ責任を同じ会社の部下になすり付けるという、上に立つ者として情け無い態度を取った事が全ての始まりだったように思う。その後出てきた各種のパクリはあくまで支援情報でしかない。探せば彼の場合幾らでも出てくる。実は日本の広告業界にあって、彼のやったことは、今まで日常的にごく普通にやられている事。大手広告代理店育ち人種の「業界常識・悪しき習慣」の酷さが今回の事件で表へ出てしまったのだと思っている。

 これはクリエーターに限った事ではない、広告代理店の世界では一般常識が違うのだ。例えば午前中に午後の会議の約束をして「じゃー、午後一番でね?」と言っておきながら、昼休みが終わった午後1時から会議が開かれる事はまず無い。広告業界の「午後一番」とは大体において午後2時過ぎ、下手をすれば3時にだってなりかねない。要はいい加減、ゆるいのだ。
 これらの件は毎週末の「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝」に今後いろいろ具体的事例でアップして行く予定だ。乞うご期待!

さて、今朝のヤマセミ君!川辺川太郎のドアップ。

地元で川辺川太郎と呼ばれ人気モノの立派なオス!胸の茶褐色は見事と言う他ない。若鳥の時は注意してみないと判らなかったりする胸の褐色だが、彼のは物凄く立派だ。4年来観察を続けているのですっかりこちらを認識してくれている。時々こうして近くの岩の上から車の方を見ながら愛コンタクトしてくる。


2015年9月1日火曜日

ヤマセミ、この1枚!#6 Selected photo of Crested kingfisher. #6.

 また今日も起きたら雨だった。これで5日間雨の朝。カーペンターズじゃ無いが「Rainy days and these five days get me down・・・」てか?えーい、まったくうっとおしい。

 昨日は自分が一時育った熊本県八代市で、先日の台風15号により「心のランドマーク」でもあった球磨川・萩原堤の大銀杏の樹が倒れてしまった・・・という話を掲載した。今朝までに3名の方から「信じられない!」といったメールを頂いた。やはり皆さん覚えている目立つ樹だったようだ。

 長雨のせいなのか、嬉しくないニュースは続くものだ。昨夜これも50歳過ぎの再会以来、非常に仲良くなった小倉の小学校時代のクラスメートから入院必至の連絡が入った。良い話がなかなか続かない。ひょっとすると人吉で毎回お参りする矢黒神社の屋根がこれまた台風15号で破損した為だろうか?まったく罰当たりの台風だった。

 今は試練の夏の終わりなのだろうか?全国の火山の活性化、静岡県御前崎の地震、関東エリアの内陸震源の地震。何か不気味な予感がしてしょうがない。浮ついていてはいけないと言う戒めと取ってしばらく自重しようと思う。

 さて、今日の一枚は3日ぶりにヤマセミ画像!


 川辺川の水浴びから勢い良く飛び出すヤマセミのオス。地元の観察者の間では「太郎」と呼ばれる結構名の知れた人気者。しかし昨年営巣中につがいの相手と雛、もしくは卵ごと筆者達が観察している目の前で青大将に全滅させられた悲劇の主人公。今年も別の後妻を得て営巣したが、これまた観察中に事件が起こり繁殖を失敗した悲運のヒーロー。来年は上手く行って欲しい。


2015年8月31日月曜日

「団塊世代の話 夏の終わりの番外編・ 八代市球磨川 萩原堤の大銀杏が台風で倒れた!」

 今朝も関東地方は霧雨のような雨が降っている。これで3~4日連続だ。8月も終わりの日というのに秋雨前線がかかってうっとおしい日々が続いている。近年には経験が無い。

 昨夜熊本県の八代に住む親友・中学校のクラスメートから電話が掛かってきた!「元気しとると?台風のお見舞い待っとったばってん、いっちょん言うてこんもん? しびれば切らして、逆にこちらからしたとよ?どぎゃんしよるか心配してよ、訊いてよ?」 いつものユーモアで床に転げ落ちそうな電話だったが、話を聴いて顔が青くなった。八代の球磨川・萩原橋傍の萩原堤にあった昔から有名な大銀杏の樹が先日の台風15号の風で根こそぎ倒れたという。筆者が小学校時代からほぼ今と同じ大きさで立っていた、八代市に住んでいる人は誰もが知っている萩原天満宮の大銀杏だった。私の「団塊世代のヤマセミ狂い外伝#3」にもこの萩原天満宮の大銀杏の事が出てくる。八代育ちの人間には欠かせないランドマークだったのだ。 
http://yamasemiweb.blogspot.jp/2014/01/my-private-history-vol-3-relationships.html

 これが倒れたという!東京で台風15号のニュースは勿論リアルタイムで心配しながら視ていたが、熊本県内を通過している時は、人吉で瞬間最大風速40mを超えた話や熊本市内でさらに酷く、中心部で大きなトラックが横倒しになっている報道にばかり気をとられていた。八代市の様子は全然出てこなかった。ニュースに出ないという事は無事だったのだと思いきや、実は相当な風被害が在った様だ。友の電話で始めてそれを知った。


台風15号の強風で倒れた萩原天満宮の大銀杏 Googleマップより

 球磨川土手の吹きさらしに立っていた大銀杏なので理屈的には台風で倒れるのは判るが残念な事をした。この萩原の堤は昔から流れが急で、ちょうど大きくカーブする球磨川の勢いを止めるべくその昔加藤清正が川の中に三角形の土塁堤防を数箇所建造し、侵食を防いだという「萩原のハネ」と言われる出っぱりが存在する。子供の頃はこのでっぱりから糸をたらし、沢山魚を釣ったものだった。

 さらに、小学校時代はこの堤には桜並木が在って、春満開のころは多くの人手があった。ポプラの樹も川辺には数本生えていてよい景観を持っていた。しかし国交省の役人達が全てを伐採してしまい、堤防は川上も川下も数キロに渡って見通せるように丸裸になってしまった。その結果がこの大銀杏の倒壊に繋がった。周りに他の木々が生えていれば風は弱まり倒れなかっと思う。日本の役所は後のことを考えて事を進めない。責任を取れ!

 台風と小さな時から一緒に育った心のランドマークがなくなってしまった話は此処まで。今日はヤマセミの画像をアップする気になれない。ゴメンなさい。



2015年8月30日日曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝 #3.」 時は1978年トリンプ再就職の頃。その2.

 そのポスターに使われていた画像は東西冷戦時代の東側の某国の税関が舞台だった。カーキ色に赤い星の軍服を着、カラシニコフのような大型の銃を肩から下げた男女の兵士がいて、旅行客の荷物を開けて中味をチェックしている。更に旅行客の女性が一人左端でショーツ一枚で震えるように立っていて裸の胸を両手で隠しているのだ。低い税関検査台にはサムソナイトの様なスーツケースが開けられていて、中には女性の下着が山ほど入っている。で、一番目立つ画面中央では咥えタバコの女性兵士が、カラシニコフの先からブラジャーをぶら下げて見入っているのだった。こんなポスターを造って東京の地下鉄構内になど貼れる訳なかろう?当時は駅貼りのB倍ポスターが流行り始めの時代だ。地下鉄の広告倫理規定にも違反するに決まっているし、大体において当時の麻布・狸穴のソビエト大使館が黙っている訳がなかった。


ポスターの背景イメージはこういった感じだった。 Google画像よりトリミング

 週頭の定例会議でこの問題をどうするか相談し、日本ではこのポスターは貼れないという結論に達し本社に連絡した。しかし「ロンドン・パリ・ニューヨーク・東京」とコピーも既に入っているから是が非でも貼れ!と本社は頑として下がらない。そこで日本現地法人はどうしたかと言うと、そのキャンペーン対象商品を日本には輸入しない。別の商品群で売り上げ目標は充分達成できるのでかまわない。品のない政治問題に発展しそうなキャンペーンを行う事で、トリンプのブランドや企業イメージを下げたり、メディア・マスコミに叩かれたら売り場の販売員達の販売士気に直影響する!と交渉ではなく宣言をした。

 元々東洋人種を蔑んでいるヨーロッパ人種の中でも一番プライドの高いドイツ人達だ。なかなか納得しなかった。しかし、当時の西ドイツ本社副社長がこの問題で成田に来た時、入管検査で仕事を訊かれ、いつも問題になる下着のポジを送る会社の関係者と判り、別室で調べられてしまったと言う。それが理由かどうか知らないが、40年近くも昔の話だ、退職後当時の友人に聴いた話では、その事件以降東京のオフィスが言ってくることに対し、高圧的な対応が随分減ったという事だ。

 ほんの1年ほどしか居なかったトリンプだが、何と!社長賞をもらっている。別に販売成績等関係はないし、広告面で何か賞をもらった訳でもない。無理やり入らされたトリンプ・サッカー部でワコールと闘い、得点をして勝っただけなのだ。後にも先にも、未だかってあんなに女性の応援団に黄色い声で応援される試合を経験した事はない。勿論敵も天下のワコールだ!ブラジャー姿の応援団こそ居なかったが、何とも妙な具合の試合だった。
 試合自体は間違ってミスキックをした筆者のヨレヨレのクロスが、そのまま相手のゴールの左上隅に入ってしまい決勝点になっただけの話。カッコいい地を這うようなシュートでなかったのが悔しかった。
 試合終了と共にもう大騒ぎだ!万年業界2位のトリンプが数倍規模も売り上げも大きなワコールに勝ったという話は、その年の社の年鑑にも載ったほどらしい。勿論社長は喜んでサッカー王国・西ドイツ本社に自慢したのだろう。ついには本社社長から褒美まで出た。
 もう漫画のような話だった。これぐらいしか上位の競合ワコールに勝った事がなかったのだろう。

 トリンプでは広告掲載その他は博報堂という広告代理店が出入りしていた。どこかで聞いた名前ではないか?そうだ、つい先日まで在籍していた、あの青山のヴァン ヂャケットに出入りし、「VANさん大丈夫ですよ、オンワードやレナウンに充分太刀打ちできますよ!」と太鼓判を押しておきながら、2週間後に倒産してしまうという立派なマーケティング提案をしてくれたあの博報堂だった。

 その頃はまだ博報堂という大手広告代理店の存在自体は、自分の頭の中でもそう大きな存在ではなかったというか、世の中での機能・役割を殆ど理解していなかった。大方、代理店というので、機能的には右からの注文に対して左の実務会社を紹介し、作業をさせてその代理業フィーを取るのだろうとは思っていた。これは実際にその後博報堂に25年以上在籍し、辞めた後もその認識は全然変らなかった。一部を除いて大多数は実務スキルのない人間達の集団であることを25年間かかって確信しただけだった。

 このトリンプの入っている東京流通センタービルは、ちょうど南東風が強い時の航空機の羽田空港着陸進入ルートの直ぐ正面に存在していた。したがって羽田に下りる航空機が高度を下げながら千葉方向から蒲田駅方向に向かって進んできて、東京流通センター手前で大きく左旋回しながら滑走路に向かうポイントに当たっていた。


日本IFGトリンプの入っていた東京流通センター Googole画像より

 これを東京流通センターのオフィスビルから視るとどうなるか?まじめな話大きな航空機が斜めになりながら突っ込んで来るように見えるのだ!これに慣れるのに半年以上かかった。
 だからトリンプのオフィスの窓側の会議室で得意先同席、或いはドイツ本社の人間達同席で会議をしていて、何度も来客がその場で声を上げて腰を浮かせる場面に遭遇した。
 特にBoing747ジャンボ機が下りてくるときは強烈だった。

 それに雨が降って都心が煙った景色に消えてしまう時等、何度も「いつかこの陸の孤島から抜け出て、都心の日本企業に移るぞ!」と思ったものだった。

 どういう運命なのか、思いのほかその機会は意外に早くやってきた。

 

2015年8月29日土曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝 #2.」 時は1978年トリンプ再就職の頃 その1。

 ご存知の通り世界最大の下着メーカートリンプ(現在本社スイス)は当時冷戦時代の西ドイツに本社を持つ外資系の会社だった。日本のトリンプは現地法人という事で日本IFGトリンプと名乗っていた。外資系を渡り歩いたであろう転職が当然という常識を持った当時はまだ珍しい特殊な日本人がその社員の大半を占めていた。当時の外資系の会社は何処でも英語力はまず基本的就職条件だったが、筆者はとてもではないが「英語を話せる」人間ではなかった。

 突然何かの力が働いてワープ(異次元空間移動)し、ニューヨークのど真ん中に移動しても、何とか説明して日本へ戻ってこられる・・・程度の英語だった。これは決してFOX・TVの人気シリーズ「Xファイル」を観過ぎた訳ではない。むしろネイティブ・アメリカン?ローンレンジャーのトントくらいの感じだと思って頂ければ良いのではないだろうか?「陽昇る、助け来ない、お前死ぬ・・・」こんな程度の英語力だったろうと思う。

 此処での勤務期間はほんの1年余りだった。結論から言うと年収は一気に1.7倍に成ったものの、外資企業の価値感・常識との隔たりがどうしても個人的に埋められず、1年後には早くも強く誘われた銀座の中央宣興という広告代理店へ移ってしまったのだ。

 トリンプ在籍中の事を詳しく書くつもりはないが、幾つか面白い事があったので簡単に記録しておこう。配属先・タイトルは宣伝課長という募集要項どおりだったが、課長職というのは30歳以上という年齢規定があったので、当時まだ20歳代だった筆者はまず課長代理という肩書きが与えられた。勿論、外資系企業特有のガラス張り金魚鉢のような個室は与えられず、倉庫・オフィス直結の効率化を図ったドイツ企業らしく、課長でも本部長クラスまでは皆オフィス内で島の様に転々としたデスクに座っていた。デスクの周りをパーテーションで囲むような事もせず、デスクの上には何も置かないのがキマリだった。ちょうど20世紀最後の年2000年頃、竹橋近くのNTT関連の会社に仕事で行った時、似たようなオフィス環境で驚いたことがあった。人間味のないオフィスで働いている人たちが皆ロボットの様に見えた強い印象が有る。勿論、会社の方針に等従う訳もない筆者だったのでデスク上は書類でいつも山積みだったが、何かを言われたことは一度も無かった。
  
トリンプ時代、唯一の写真 20歳以降の我が人生で唯一髭のない1年間だった。


 入社した日、ふくよかな美人の商品企画部長に案内され、商品企画室に連れて行かれた。室中に入るとブラも付けず上半身裸のモデルさんが数人部屋の中を行きかっていた。暫くこちらの様子を伺っていた企画部長さん、少し強い東北弁の訛りで「あーら、アンタ全然動じないの?珍しいわねぇ。」と言った。「こういうの平気なのぉ?」と訊くので初めて試された事を悟ったのだった。余程「ええ、実家が創業100年以上の銭湯で、年中番台に座らされていたので、もう女性の裸には見飽きました・・・」くらいの事を言ってやろうかと思ったがやめて、大学が美術専攻科で国民の皆様の税金で雇われた裸婦のモデルさんを年中描いていたので・・・。」と答えた。


2015年トリンプモデルさん

 また、在職中は成田空港の税関から何度も呼び出しの電話が掛かってきた。本社西ドイツから送られてきた商品カタログ用のポジフィルムに「ご禁制の陰毛が写っている」ので通関する訳にはいかん!と言うのだ。勿論当時の日本では加納典明という写真家が盛んに女性の裸を撮影して話題を集めるまだ10年も前の時期。まだそういう時代背景だったので、この手の通関は非常に厳しかったのだ。

 もちろん自然に見えるように隠して修正しますと誓約書を書いて、何度も成田空港を往復し改めてお伺いを立てて使用許可をもらっていたのだが、本国西ドイツとは年中ぶつかっていた。一度などは「では、黒く四角く塗りつぶしで隠し、成田の税関の指示でこうしました。と、カタログに表記するが良いか?と抵抗はしてみたものの、筆者を採用してくれたマーケティング・本部長から「馬鹿かお前は?」と一喝され終わってしまった。今ならAdobeのフォトショップで自分でも出来る処理だが、当時はブラシによるレタッチ屋に出さなくてはいけないので制作コストが上がってしょうがなかった。

 余談だが、今はパソコンソフトで画像処理等直ぐ出来るので、当時需要の多かったブラッシ屋さんは仕事が無いらしい。今は一人前の写真家気取りのアマチュアカメラマンが、コンテストで賞を獲る為に、邪魔になる映り込みを消したり、大して綺麗でもない夕焼けを鮮やかにして「嘘をつく」手伝いをしている。

 また或る時には、ロンドン・パリ・ニューヨーク・東京において同じ絵柄のポスターで交通広告によりキャンペーン展開するという。それで送られてきたポスター用のポジが、これまたトンでもない代物だった。