2015年8月21日金曜日

今年最後のブッポウソウ! This is the last report of Broad-billed Roller in summer !

 今年の夏はヤマセミの観察が非常に困難だったため、ブッポウソウのレポート回数が例年に比べて多い。というより撮影枚数が多いのだ。

 留まっている画像はブッポウソウの場合はあまり撮っていない。巣箱を掛けて繁殖応援しているエリアであれば、巣箱の出入りや周りの人間に慣れた分、人吉エリアのヤマセミ状態になっているのだと思われるが、山奥でそういう環境に無いブッポウソウは人間に対する警戒心が非常に高い。

 したがって、自然と撮影は遠くに留まっている姿を確認して、何かの拍子にこちら方面へ採餌飛行等で飛んでくる際の画像になる。今日の画像はそんな中でも複数の姿を捉えた場面を最後としたい。







真夏がどうやら過ぎたようなので、今来ている台風2個が過ぎれば本格的に虫の声が高まる秋に入ると思われる。秋が安定するまでは、次回以降しばらく過去の画像を毎回厳選して紹介したいと思う。







 

2015年8月20日木曜日

真夏の球磨川・川辺川ヤマセミ情景。 The scene of Crested kingfisher at Kuma-River and Kawabe-River in a mid summer.

 昨日の球磨川情景はやはり熊本県内の方々のアクセスが多かったようで、ブログランキングの熊本県情報でベストテンに入っていた。しかし、全国からの問い合わせでは、あのような街中に鮎釣り師がいるのは珍しいとの釣り人から2名様感想が届いている。関西地区の方であった。

 私は鮎釣りはせず、もっぱら食べる方だが、やはり球磨川の鮎は美味しい。丸ごと塩焼きで食べる時に、ヒレを取り、一気に頭ごと骨を抜き去り、残りを内臓ごとたで酢に浸けて食べるのが好きだが、最近尺鮎に近い大物は2枚に開いて内臓を取り(内臓は別に食す)天日で一夜干して保存して食べる方法を覚えた。これはたまらないほど美味しい。
 冷凍した鮎を解凍してからでも開けるので、日にちの経った大型の鮎はこうして長い事楽しんでいる。

 さて、今日のヤマセミは、真夏少し濁って増水している川辺川でのダイブ採餌の模様。いずれも真冬と違い、葉に隠れているのでスタート時点から撮影できない為中途半端だが、真夏と言うものはそういうものなのだ。これが冬になり葉が落ちれば枝留まりの段階からダイブの気配を察知できるので撮影はよりしやすい。葉が落ちるのが待ち遠しい。

ダイブに気が付かず、ドボン!と言う水音でとっさにカメラを向けた!

今回は採餌失敗のようだ。

脇にまだ茶色が残っている所を見る限り若鳥のメスのようだ。

対岸の土手の水平横縞模様を見る限り何度も増水した痕が残っている。

少し遠くで鳴き声がしたのでカメラを向けたら、ちょうどダイブの途中だった。

とっさにピンを合わせてはみたもののこれが限界。ダイブの水没の瞬間が撮れていた。

今度は見事に採餌して向こうへ去っていった。距離100mか?ちょっと遠すぎた。





2015年8月19日水曜日

真夏の球磨川・川辺川情景。 The scene of Kuma-River and Kawabe-River in a mid summer.

今年の人吉球磨地方は上流での雨量が多いせいか、川辺川も球磨川も半ば濁って増水している時が多かったようだ。梅雨明け宣言後もそれはあまり変らないとの話を聞く。

鮎の友釣り(友釣りを釣りとはいわない釣り人も多いが)を試みる太公望で人吉市のど真ん中を流れる球磨川にも真夏には多くの釣師が入る。で、野鳥はどうしているかと言うと、簡単に言えば遠巻きにしてそれぞれの経験値から来る距離感でいつもの通り生活している。

 ただ、他の地域とは少し違ってその距離が近いように感ずる。「慣れ」の成せる業だろうと思う。

市と言う行政規模の街中で大きな鮎が釣れるというのもそう多い事ではないだろう。

増水時は流れも速く、危険を伴うが、せっかく来たのだからと無理をする人も居るようだ。

視ていると、少し濁った増水時は釣果が上がらないのだろうか?

球磨川、川辺川付近には囮の鮎屋さんが多い。魚拓を視ると35cm超えもある。

遠くをヤマセミの番がいつもより高く飛んでいく。

川辺川ではのんびりとした時が流れている。

カヌーの練習の向こうでヤマセミが視ている。人間との共存の典型か。



2015年8月18日火曜日

再び真夏のブッポウソウの飛翔と採餌! Broad-billed Roller in a mid-summer at Kumamoto Pref. again !

 果たしてブッポウソウは既に南へ飛去したか? 大体9月には南へ去っていく事になっているが今年は天候も不順で雨が多く、いつまで人吉界隈に滞在するのだろう?今までのケースでは8月中旬にはいなくなるとのことだが、年によって違うとも聞く。

 いずれにせよ、今年の熊本・宮崎県境の繁殖数は今までより少ない事は確かだ。今年は2家族程度しかいないような気がする。昨年、一昨年等は4~5家族いたような気がする。2012年の夏初めて視たときは8月6日に上空を15~6羽が乱舞していた。

 来年へ向けてより多くの大型昆虫が増えてくれることを期待しよう。







最後の2枚以外はほぼ追い写しの連写。50-500ZOOM手持ちなので多少ピンは甘いが、ブッポウソウを撮影するチャンスはそう沢山無いので自分では良いほうだと思っている。






2015年8月17日月曜日

真夏のヤマセミオスの縄張り争い! Territory quarreling of a crested kingfisher male at midsummer !

 真夏は野鳥の動きを観察するには一番辛い難しい時期であることは、野鳥撮影をされている方々にとっては常識だ。木々の葉が生い茂り、野鳥は隠れてしまう上、炎天下もしくは夕立豪雨で撮るほうに関しても撮影条件は非常に辛いものがある。

 したがって、真夏の撮影は早朝・日の出から3時間程度が限度だと思っている。夕方も可能だが暑さが残る夕方は相当暗くならないと野鳥達も動かないようだ。

 これらのポイントを考察の上、野鳥観察となるとやはり一箇所を根城にして縄張りを持っているヤマセミのような野鳥は撮影・観察が他の移動性の高い、或いはテリトリーの広い野鳥より撮影チャンスも多い。

 今日の画像は元々は今年生まれたヤマセミの若鳥と親なのか、或いは兄弟なのか?オス同士の縄張り争いと思われる画像。早朝の太陽が低い時間の逆光で観難いが動きだけ感じていただければ嬉しい。

縄張り争いはまずその2羽の鳴き声からすぐに判る。

いつも思うのだが、追う方が威嚇し、追われるほうが言い訳をしているような気がする。


飛びながら翼端が水面に付くのはヤマセミは何とも思わないようだ。

この直後、こちらの存在に気が付いたのか、二手に別れた。

逆光で羽根が透けてマダラ模様が見えるのがヤマセミの美しさか。




2015年8月16日日曜日

ウインドサーフィン文化の一時代を支えたフォトグラファーが亡くなった。 Japanese famous out-door sports photographer passed away.

  世界のウインドサーフィン文化の一時代を支えた日本のフォトグラファー滝口保氏が亡くなった。

 日本のウインドサーフィンは1980年頃から普及を始め2008年頃をピークに衰退し始めている。 一時期は鎌倉由比ガ浜上空からビーチ際を見ると海岸一杯を埋め尽くすウインドサーフィンのセイルで壮観だった事もある。
 1980年以前はスポーツとしてもメディアから認知されておらず、単なる目新しいスポーツが入ってきたぞ・・・程度の認識しかなかった。競技人口そのものもまだ4~500人程度しか居らず、この頃の大会で全日本チャンピオンになっても草野球のヒーロー程度しかなかった。つまりごくごく限られた趣味人種のカテゴリーでしかなかった時代だ。当時のレジャー白書などの公文書にも項目・種目の記述すらない時代だった。
1980年沖縄の海で仕事で大会運営中、初めてウインドサーフィンを教わった筆者。

 それが1981年沖縄名護市で世界選手権大会が開かれ、東京キー局のテレビ朝日が1時間特別番組として全国ネット放送した。それ以来、画像的にきれいでスピード感溢れるニュースポーツとして、一気に普及し「憧れのスポーツ」に急成長したのだ。
 世界各地で急に増えた大会はこぞって報道され、メディアをにぎわせた。ちょうど仕事上ハワイでのウインド大会運営のためマウイ島にいた時、夕方の全米ネット・テレビ番組で「本日の全米ナンバーワン=ヒーロー・アスリート!」と言うコーナーに、その日の自分達の大会で優勝したロビーナッシュが選出され、大いに彼を囲んで祝った事があった。

 日本でメディアに登場してほんの4~5年で1984年ロサンゼルス・オリンピックのセーリング部門の一つとして種目に成った。これほど単期間でオリンピック種目になるスピードは、長野オリンピックで急遽種目採用されたスノーボードの発展と何処か似ている。この普及の急激さがスポーツ用品業界の活性化を生んだと言う点でも、この2つのスポーツは非常に良く似ている。

 オリンピック種目に採用されるか否かは、そのスポーツ種目の発展により用品・施設関連の産業が世界的に発展し儲かり、IOC(=ローザンヌのオリンピック組織委員会)に上納金など何らかの金銭的メリットが発生するか否かで決まる・・・と言われて居る事は周知の事実だ。これは実際にローザンヌのオリンピック博物館に行けば良く判る。

 ただ、ウインドサーフィンというスポーツは仲間ほか知り合いから「カッコいいなー!」と言ってもらえるまでに、吹く風の条件やバランス修練に必要な個人的素質の差により、他の種目に比べ下積み期間が非常に長いスポーツである事は否めない。こういった厳しい環境やプレーヤー自身のフィジカル的条件から「努力をしないでカッコよくなりたい」と言う最近の軟弱な若者の風潮ではピーク状態を保てず、今は一気に衰退し、下手をするとマリンスポーツの絶滅危惧種とすら言われかねない程になってしまっているのが現状だ。

 繰り返すが、道具を持っているだけで=やっている=カッコ良い!・・・といった他のスポーツのように手軽に優越感を感じられないマリンスポーツなので、あるレベルになれて「やってます、楽しんでいます!」と言い切れる迄には時間が掛かった。

 その割にはウインドサーフィンの専門雑誌はすぐに刊行され、一時期は結構な発行部数があったようだ。今日の主役・故滝口保氏はそういったウインドサーフィンを中心とする横乗り系のニュースポーツのジャンルの魅力あるビジュアルを雑誌メディアを中心に伝え続けた無くてはならない存在の人物だった。まだ50歳代という活躍絶好調の中の訃報にただただ驚くばかりだ。


Facebookにも投稿した故・滝口保氏に関する想い出。

実はこのウインドサーフィンのジャンルでは前野やすしという一部には名の知れたフォトグラファーが居た。筆者と同じ団塊世代・1949年生まれだった。1973年社会人になったとき、当時の平凡出版・雑誌アンアンの座談会に一緒に出た時以来の付き合いだったが、その彼も2010年急逝してしまった。これで自分が一緒に仕事をしたマリンスポーツ、スノースポーツジャンルのフォトグラファーが2名も居なくなってしまった訳だ。
故・前野やすし氏 ’90年彼から譲り受けたCANONの400mm望遠レンズは強烈だった。

 暫くは、滝口氏訃報のショックで悶々とするだけだったが、訃報を聞いた日、就寝後5時間、東の空が明るくなり始めの頃寝床の中で神の啓示を受けたのだ。これは冗談でもなんでもなく、UFOディレクターの矢追純一がらみの話でもない。内容はこうだ・・・「ウインドサーフィンの絶頂期をなんらかの形にして残したい!それが出来るのはお前達しかいないだろう?」

 追々話はするとして、筆者は多くの友と一緒に1980年頃からつい8年ほど前までウインドサーフィンを楽しみ、国内はもちろんの事、ハワイのオアフ島、マウイ島、カウアイ島、オレゴン州のコロンビアゴージ(峡谷の意)にあるフッドリバー、オーストラリアのシドニー等で散々乗りまくって楽しんできた。同時に永年広告代理店勤務という事もあり、仕事としてもプロダクトそのものやイベント企画運営、テレビ放映用の映像製作など散々関わってきた、いわばライフワーク的存在がこのウインドサーフィンだったのだ。
筆者が30年間ウインドサーフィンに狂った葉山森戸神社裏のレギュラーメンバー達。

 此処暫くは現役を引退し、遠ざかっていたが、この2名の著名な其れでいて決して遠くない存在のフォトグラファーの訃報を聴いて思ったのだろう、「ウインドサーフィンの絶頂期をなんらかの形にして残し、後に伝えたい!」歳を重ねた今だからこそ頭に浮かんだのだろう。

 それがどういう形のものになるかまだ自分でも判らない。しかし思い立って走り始めたら停まらない性格の筆者は、既に一緒にウインドサーフィンを楽しんできた3名の業界キーマンと昨日中にコンタクトを取り、この話をした。結局思い立って2日も経たないうちにプロジェクトがスタートし、早急に具体的方向性に向かって動き出す事になった。
昨年集まったウインド界の裏方レジェンド達。今回プロジェクトの中心的存在になる。

 エネルギーは満タンだ!データも画像も、資料も山ほど在る!公私に亘り、仕事と遊びの垣根を越えて撮り溜めた世界中のトップライダーのセイリング・ジャンプシーンの画像、イベントの製作物(ポスター、パンフレット、ユニフォーム、その他)・・・これが在るのに何もしないで良い訳が無かろう?
例えば1980年代のマウイ島でのウインドサーフィン大会の関係者Tシャツなど(一部)


 故・滝口保氏の訃報は大きなきっかけを与えてくれた。既に60歳を越え、ウインドサーフィン全盛期、強風の中、時には台風の時、会社を休んで遊びまくったおじさん達が、未だに眼を閉じると頭の中を吹き抜けるマウイの風や湘南の匂いをエネルギーにして一仕事やろうというこの勢いは彼の大きな遺志のような気もする。(※なんと自分に都合よく物事を解釈する奴だろう?筆者は)

 これが「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝」といったブログの続編になるのか、はたまた自費出版のフォトエッセイになるのかどうかはまだ判らないが、今後の展開が自分自身でワクワクするような真夏の一日だった。


2015年8月15日土曜日

霧が峰八島湿原と蓼科山御泉水自然公園レポート、最終回。 This is the nature report of Tateshina-highland and Kirigamine-highland in a mid-summer Part 7 .

 湿原の高山植物、黄色、ピンクと来て最終回の今日はブルー系。誰もが知っている山の猛毒草トリカブトに始まってブルー系の花は多いが、真夏には意外と少ない感じもする。種類はあるが量が少ないのか?秋になるとリンドウ等が増えるので多く感ずるのかもしれない。

 とりあえず今回は野鳥に振られてしまったので、蝶と高山植物にシフトしてみた。また9月末、10月に入って草紅葉が始まる頃、夏鳥と冬鳥の入れ替え時期に再訪してみたい。次回は野鳥も沢山来ていることだろう。乞うご期待だ!

木道から遠く湿原の縁辺りにサワギキョウが群生していた。一番ブルーが濃い花だった。

ノハナショウブ

ご存知、トリカブト(猛毒)

クガイソウ、別名トラノオ

クガイソウ3本そろい踏み

コバギボウシ

クサフジ、マメ科の植物のようだ。

青くは無いが非常に少ない花、キバナノヤマオダマキ

以上で真夏の信州霧が峰・八島湿原の高山植物レポートを終了。