今日、2028年3月1日(日)までパシフィコ横浜で開催の"CP+2026"を観回って来た団塊世代が、団塊世代の眼で視た会場の様子をレポートします。
気温が最高で22℃を越す暖かい2月28日(土)品川のキャノン・ギャラリーを観た後、横浜へ移動。前日登録していた入場証をコピーして行った。
10年以上ぶり横浜の「みなとみらい21」だった。かって広告代理店時代、横浜博覧会(1989年)でNTT館(未来へのはこぶね)を担当し、天井のドームスクリーンと床面の遠景ミラーを組み合わせた映像システム「ドームミラービジョン(学研)」を運営。
揺れる映像画面を見て来場者が何人も気持ち悪くなるという残念な結果になったのを記憶している。出し物・ネタに関して意見を言える立場にはない広告代理店だったので何とも後味の悪い博覧会だった。
柳原良平という横浜文化人重鎮を自任自称するイラストレーターさんが、委員会をコントロールしどんどん淡路島の造船所にドームの上の箱舟(木製)を発注する話を進めてしまうなど運営裏方サポート陣としては非常に苦労した。
会期中8月に襲った数度の台風でこのノアの箱舟の一部が崩壊木製の板が近隣のたパビリオンに突き刺さるという事件が起きてしまった。
ウェザーニュースのデータによる1989年8月の台風13号
余計な話だったが、筆者にとって「みなとみらい21」は縁の深い場所として、いつまでも記憶に残っている。赤レンガ倉庫はまだ倉庫として稼働している頃、すぐ傍の岸壁で全共闘封鎖中大学美術科の自主授業で教授を呼んでスケッチ大会を実施した場所。
中央左半分が「みなとみらい21」 今昔マップon the Web参照
中央の縦に伸びる岸壁でスケッチ授業を行った 今昔マップon the Web参照
で、そういう経緯の元、久しぶりに懐かしの「みなとみらい21」へ足を踏み入れパシフィコまで行って観たのだ。
正面遠くに見える桜木町駅裏の中層階の白いビルが、大学時代1970年頃から存在する桜木町ゴールデンセンター(現桜木町ぴおシティ)。1970年代には桜木町市民ギャラリー=ゴールデンギャラリーが在って大学の卆展やその他の展覧会をやった。
みなとみらい21の施設自体は開設当初とそう大きな変化がないものの、入っているテナントは50%以上が入れ替わっている様だ。
で、ここからがカメラショウの本番。団塊世代はフィルム全盛の時代から、オートフォーカス、自動巻き上げ、自動露出オートの時代を経て、デジタルの時代に入って今日までカメラ産業の基本を担ってきたが、カメラメーカーはその団塊世代が腹を立てるほどの「新製品ラッシュで」消費者を叩きのめして来た。
今や、世界でもカメラの良い物を出せる国は数少なくなっている。MLBのカメラマン席、オリンピックのカメラマン席を見ても、Canon、Nikon、SONYのカメラしかない。そういう時代のカメラショウ、人の多さに驚かされた。スマホに追いやられて斜陽産業だと思っていたカメラ業界、この展示会を観る限り、そうとは言い切れないような気がした。
エントランスから入るとこの程度の人混み
いきなりのステージにデロリアンが鎮座していた。
ユニバ^サルスタジオから借りて来たのだろうか?
映画の中でマイケル・J?フォックスがチャックベリー並みに弾いていたギター?
照明機器のブース、プロの方々?が座り込んで聞いていた。
フジフィルムでは野口健さんのトークショウの最中だった。
今年は何処も超望遠レンズ・ズームレンズのアピールが多かった。要は消費者の被写体が野鳥、動物、鉄道、航空機、景色ジャンルで多い事を示している。
動画と静止画を撮れる機種のPRだったが、会場内に埃をまき散らしていたのではないだろうか?あまりいいとは思えなかった。正面奥から望遠レンズで客がこの様子を撮っていた。
ソニーに追い上げられ焦点がぼけた展示だったCanonブース。
自分も長年愛用しているブランドのブース
着飾ったモデルさんを配したコーナーも。
面白かったのは誰一人スマホでこういったシーンを撮る人がいなかった事。現代社会では被写体が何であれスマホで撮る人だかりは日常茶飯事だが、そういう人が一人も居ないというカメラショウの面白さを実感した。
それと、カメラショウに来るのになぜ首から重そうなカメラを提げた中高年が多いのかとても不思議だった。くわえて公立の学校が休みの土曜日に何故このカメラショウに小中学生・高校生がいないのだろう?無料なのに・・。この辺りが10年後のカメラ業界の地獄を観たような気がした。




















