2025年10月7日火曜日

団塊世代は今になって自分の胃の機能が低下したことを知った。Baby boomer generation, I've only now realized that my digestive system is slowing down.

  筆者は今年二度の酷い急性胃腸炎(自分で勝手につけた病名だが間違っていないと思う)で七転八倒した。今までには無かったことだ。小さい頃から「お腹が痛い」と思った事は殆どない。腐った物、傷んだ物、あるいは毒のある物を食べたようなケースは殆ど記憶がない。

 ただ一度完熟していない渋柿で「干し柿」を作っていて、干し上がる前の柿をアイスクリームに混ぜて食して腹痛を起こしたことが有った。今から3年前の話・・内科の医師も知らない人が多い「柿胃石=柿を食べ過ぎて胃に石が出来る病気、高齢者に多い)だった。

 3歳の時、自家中毒(自分の体内の何かのバランスが狂い中毒症状を起こす事)を発症し、ある晩陸軍軍医少将だった祖父が「今夜が峠だから親族を集めるように」の一言で東京の北区西ヶ原に在った十條製紙の狭い平屋社宅に12名の親類が集まった。

 真夜中12時頃社宅の玄関先にカーキ色の米軍ジープが止まり、祖父へ薬が渡され注射された30分後筆者はケロッと生き返ったそうだ。薬は抗生物質の試薬ペニシリンだったという。

AIによる説明⇒

「自家中毒は、医学的には「周期性嘔吐症」や「アセトン血性嘔吐症」と呼ばれる、小児に多くみられる病気です。肉体的疲労や精神的ストレスなどが引き金となり、激しい嘔吐を繰り返すのが特徴です。 
  • 誘因:精神的なストレスや興奮、肉体的な疲労、感染症などが引き金になります。」

これ以降70年間、筆者は腹痛、下痢、嘔吐という胃腸関係の症状はあまり経験していない。

 筆者は小さい時から基本的に体調が悪くなる一般的に「病気」と呼ばれる症状より、すり傷、切り傷、火傷、かぶれ、打撲・打ち身など怪我の方がはるかに多い。高校生になるまでは体中何処かに絆創膏や赤チンが付いていたような気がする。

 成人してからも変わらず、骨折こそ一度もないが骨にひびが入った事は数度ある。ウインドサーフィンで浅い海に入り海底のサンゴで足を切ったり、アイスホッケーの試合でパックを咥えてしまい前歯4本(うち2本が差し歯)が抜け落ちた事すらある。

 55歳広告代理店勤務の際はサッカーの試合でジャンプして競り合った際、敵の肘鉄を食らい知らぬうち肋骨にヒビが入っていたこともある。(※3年後に胸部レントゲン撮影で痕跡を医者に指摘された)

 こんな生い立ちなので、今になって4月と9月の年2度も強烈な胃痛を味わい、相当慌てたしショックだった。その時点ではこの腹痛2回とも間違いなく外因的理由だと思っていた。

 夕食後、なんか胃に違和感あるな?と思っていたら突然しゃがみ込むような強烈な胃痛!海老のように体を二つ折りにして胃に手を当て温め(いわゆる手当?)ながら横になるのが精一杯!汗びっしょりだ。が、熱はまったく無かった。一時は感染症かと思ったが違う様だ、感染症なら普通発熱するはず。

 痛みからして普通なら即救急車を呼ぶレベルなのだろうが、とりあえずビオフェルミン+ガスター10を飲んで寝た。しかしなかなか強い痛みが取れないので2~3時間経って無理やり腹の中をカラにすべし・・・と無理やり胃の中のモノを強制的に戻した。強制嘔吐だ。昔毒物を摂取した人間の胃をカラにしたり睡眠薬を過剰摂取した自殺願望者の胃洗浄方法を実地研修していたので役に立った。

 これをやると見事に胃痛は治りやっと寝られた。
 が、胃が弱っているとの自己判断で「お粥」を作りその上澄み「おもゆ」を摂取したのが30時間後、つまり1日以上経ってからだった。
自作のおもゆは鶏ガラスープかホタテ貝柱エキスを入れて作った。

 こうして4月に七転八倒の第1回目を経験した。

 が、完治したつもりの3日後に同じことを繰り返してしまった。この時も強制嘔吐(学習能力は在った)で24時間寝込んで回復した。本人、原因はまだ残っていたウイルスが原因だとばかり思いこんでいた。

 この際は39度を超える熱が出たが、4月にはめったにない28℃の暑い日だったので室内熱中症を併発していたと思う。クーラー全開と頭を氷で冷し熱は下がった。
 

気温28度の特異日、軽い熱中症だろう熱の下がり方は急激だったが・・・。

 此処で少し気になり、歩けるようになって初めて町医者へ行ったが「もう終わってますね?」でビオフェルミンとガスター20という市販薬の2倍の効能が期待される処方薬を貰った。とりあえず最初の時の自分の投薬は間違っていなかったんだとホッとした。


 しかし、担当医師は「問診」だけで血液検査もせず処方箋をいきなり書いて「お大事に!」だけだった。病名も何も言わずに薬だけ・・?

 これが終わって実は体重が8㎏も減った、顔の皮膚などシワシワで、鏡を見るとストーンズのキース・リチャードといい勝負だと思うほど(涙)

 だが体重が8㎏も軽くなるとどうなるか?2005年くらいからかれこれ20年、週一でサンセットランと称して野川沿いを走るのだが、これがメチャ軽い!普段8㎞が普通の所10㎞走れたりする。1時間走りっぱなしでも疲れなかったりする。

 これが何を呼ぶかというと、腹が減るのだ!団塊世代が晩飯を丼で食べてしまう。自分で握る寿司も12貫くらい食べてしまう。良いネタを自分で握るのだから美味いに決まっている。

 これが、暑い今年の夏を越えて9月後半にまた急性胃炎を呼んだのだ。今回は前回より酷く30時間以上寝込んだ。熱も7度6分迄上がった。

 今回も強制嘔吐で治ったが、さすがに原因を真剣に考えた。何か大きな病気の前兆なのか?はたまたもう治らない大病の末期段階の症状なのか?

 でも、体調も悪くなく、特に不具合や違和感もないのに定期健康診断と癌の早期発見検査だけは「ヤルナ!」と親類の医者二名と友達の医師に教わっているので、病院へは行かなかった。これが理由で問題だらけのコロナワクチンも1回打っただけで、二度打ちの二度目はパスした。

 それでも、1回打っただけで擦り傷などの治りが昔の倍の時間かかる(加齢のせいかも知れないが・・・。)ワクチンのせいか否かは証明できないが・・・。

 今回今年二度目の劇症「急性胃痛」を体験して団塊世代は考えた・・その原因を。

 何かの大きな病気が原因なら、自己判断で治っても野川沿いなど問題なく疲れず走れる訳が無いだろう?鰻重やニラレバ炒めや湯麵を美味しく完食できないだろう?

・・・じゃぁ何なんだ?

 今回治りかけの際、おもゆを啜りながら考えて「ハッ!」と気が付いたことが有った。
 それは、「ちゃんと嚙んで物を食べていないからでは?!」…だった。

 笑われるかもしれないが、筆者は中学校の頃からモノ食べた後必ずキャベツの芯や肉の筋の部分、魚の骨、果物の種や芯が胃から戻ってくるのだ。
 そう、牛と同じで「反芻=はんすう」していたのだ。

 高校のバレーボール部で、大学のサッカー部で、社会人になってVANのアイスホッケー部で練習や試合中先輩やキャプテン・監督から「シンジョー!ガム噛みながら試合するんじゃない!物を食べながらプレイするな!」とよく言われていた。その都度「違うんですさっきの昼めしが胃から戻って来たんです、すぐ呑み込みます!」とい言って試合を続けた。

 詳しい検査をしたら、一種の慢性胃炎で緊張したり体が次の行動の準備に集中し過ぎると体内の胃に血液が行かなくなり「胃の機能」が低下して消化しずらい食物を「もう一度咀嚼しろ」と口腔に戻すらしいのだ。

 サッカーの試合前、ウインドサーフィンで風が上がって来て出られそうになると緊張と集中力でゲーゲーやるのが常だった。森戸海岸の神社裏などで風待ちしていて「げーげー」やると「アッ!シンジョーさんのゲエゲエが始まった、風くるぞぉ!」とよく言われたものだ。

 50歳の頃広告代理店でイベントが無事終了して、若手社員とスタッフを連れて焼肉で打ち上げを行ったことが有った。皆若いから我先に半生の焼肉を群がって食べた。

 何故か筆者も嫌いじゃない焼肉だから、一生懸命食べた。で、解散して1時間後三鷹のバス停でバスから降りたら先ほどのカルビが口の中へ戻って来た。4枚も五枚も!それも短冊状の四角いままのカルビ肉が歯形こそ付いて入るだろうが、そのまま出て来たのには自分で笑ってしまった。

 自分の胃が「もう一度よく嚙め!」と反芻したのだ。50歳でもまだこんな状態の強度な我が胃だったのだ。それが70歳を越えてもうその機能が衰え、胃から戻れず急性胃痛になったというのが今回2度の急性胃炎の原因だとやっとわかったのだ(汗)

 もう漫画のような体質!

 で、2度目の終息期からはいつもの3倍の時間をかけてよく噛んで食事をした。肉であれサラダであれ、すべての食べ物がひきわり納豆のようなサイズになる迄のみ込まないようにした。これが功を奏したのか?これをやり始めて以降胃痛は全く起きていない。

 ビオフェルミンだけは毎食後摂取している。これは父親から3錠でも4錠でも嚙んで良いから飲むようにと小さい時から教わっていたので・・。しかし同時にネットで調べて良かれと飲み始めた漢方薬「上味平胃散エキス(顆粒)」はあっと言う間に全身が痒くなり発疹が出たので廃棄した。

 効能・副作用をみたら発疹・食欲不振の項がぴったりだった。漢方薬は体に合う合わないが非常に多いようだ。副鼻腔炎に関しては漢方が効いたが・・・。


 こうして団塊世代は二度の酷い急性胃痛を経験して「食事はよく噛んでゆっくり食べなさい!」を70歳を越えて初めて身にしみて感じたのだ・・。

2025年10月5日日曜日

雨の日東京都心皇居近くでクマシデの実を啄ばむスズメ。 A sparrow pecks at the fruit of a Japanese hornbeam near the Imperial Palace in central Tokyo on a rainy day.

  暑かった9月も過ぎ、10月に入ってやっと長パンで外出できるようになった今年の東京。植物は酷暑の影響で大きな変化が出ている様だ。

 まず彼岸花がその名の通りお彼岸の9月23日前後には咲かず10月に入ってピークを迎える所が続出。その一方で例年の2~30%程度しか開花しない所が多いと聞く。彼岸花祭り、曼殊沙華祭りを開催している所は痛手だろう?

 その一方で、早くから咲いた夏の花が一旦枯れて全滅し、再び芽が出て二度咲きするものも多いようだ。ムラサキツユクサなど三鷹エリアでは二度目の開花をしている所がある。

 野川自然観察園では例年どおりツリフネソウと秋海棠が今満開状態。



まだ一部曼殊沙華が残っているエリアも

ツリフネソウ

 そんな中、昨日雨予報の中半蔵門のJCIIフォトサロンへ行った帰り、九段下迄皇居北の丸公園を時計回りに歩いた途中でクマシデの実をむさぼるスズメに遭遇。スズメと言えば街中~住宅街で人間の食べ物のおこぼれを採餌しているのかと思ったら、ちゃんと天然の木の実を食べていたので妙に感心して撮影しておいた。

 昼12時なのに日が暮れた後のように暗い中でのコンデジ撮影だが、ご容赦願いたい。






昼12時なのに夜のように暗い中やっと撮影(コンデジ)

2025年10月4日土曜日

団塊世代は野鳥ばかりでなく秋の風物詩にもレンズを向けてみた。 The baby boomers turned their lenses not only to wild birds but also to autumnal nature Scenic feature.

  2006年、筆者が55歳の時から仕事以外にもプライベート時に写真撮影を始め、主に野鳥撮影にハマったのはこのブログの最初の2013年書き出しの頃を御覧頂ければご理解いただけると思う。

 過去ログは全てブログ画面の右側に下から年代順に出ている。昨日までに4,402件投稿している。総アクセス数は1,127,863回に及ぶ。 何と、112万アクセスだ!

 まあ、塵も積もれば山と成る・・・の格言通りなのだが、これだけ多くの方々(海外が結構多い)に見て読んで頂いているという事はいい加減な投稿は出来ないという事でもある。

 タイトルに一行英訳を乗せてあるだけで、海外の方のアクセスが増えているのだろうと察している。 今や翻訳ソフトはネット経由でたくさん存在するし、タイトルと最初の写真でピンと来た方がクリックしてくださるのだろうと思っている。

 猛禽類のネタの日はロシアからのアクセスが多かったりするし、大阪万博の件をネタにすると平均的に東南アジアの国のアクセスが増えたりする、ブロガーのアナリストサイトを分析すると非常に面白いものが見える。

 が、平均定期に外国は米国、シンガポール、韓国、英国、その他東南アジアが多いようだ。

 

 ここしばらくはまだ野鳥が活性化する前で、特に今年は夏の余韻があふれている時期なので、そんな中でも秋の風物詩となりうる自然界の「花鳥もの」を少し投稿させて頂こうと思う。


 まずは植物から・・で、曼殊沙華。

 今年は夏が暑(熱)すぎて、植物に相当なダメージが在ったと聞く。例年赤い絨毯になるはずのヒガンバナの有名群生地が軒並み3~50%しか咲かず、それも時期が遅く五月雨式にしか咲かないというのだ。 

 しかし、このブログでは過去の曼殊沙華のお気に入り画像で少しご紹介してみようと思う。

これが今年の三鷹に在る野川自然観察園の曼殊沙華群生地だ、例年の2割ほど。自宅から歩いて15分くらいだから、環境としては恵まれている。

2022年、3年前の同じ場所の密生度から比較すると残念な今年だった。

撮影角度と日当たり密生エリアの関係でこうなっている。

木道のすぐ傍であればこういう画像も撮影可能。

一方で、関東でも有名な曼殊沙華密集地は観光宣伝で有名になり過ぎて、花より人の方が多くなってしまった所もあるが、小まめに情報を探すとこういう所もある。


延々と斜面が続く





残念ながらこれは2020年コロナ過突入年の群生地で人数は非常に少なかった。

 曼殊沙華の次は、コスモス辺りを考えてみよう・・・。

2025年10月1日水曜日

団塊世代は今回の大阪万博で如何に1970年の万博が凄かったか再認識した。 This Osaka Expo gave the baby boomer generation a renewed appreciation for how amazing the 1970 Expo was.

  今回の大阪万博=2025年大阪・関西万博あるいは「EXPO 2025」は日本で行われた国際博覧会(特別博を除く)としては1970大阪万博、2005愛知万博、に次いで3回目に当たる。

 団塊世代の筆者は当然1970年の大阪、2005年の愛知共に体験している。1970年の大阪は観客として最終日に、2005年の愛知は出展企業のブース企画運営実施で・・・。

当時の勤め人の給料が月5~6万円だから800円/大人は結構高価な入場料だった。

筆者は関係者だったのでIDカードを首からぶら下げて期間中ほぼ連日現場に居た。

 テレビ、新聞などオールドメディアは、事前に買った入場券がもう会期中入場できない!詐欺だ!と騒ぐチケット保有者達の叫びを大々的に報じたり、吉村大阪知事の得意げな様子を報じたりしているが、SNS、ネット報道では決してそうではないようだ。

 過去二回の万博には大きな関わりを持って参加した筆者だが、今回の大阪万博には計画時からまったく興味が無かったし、行く気などほとんど無かった。

 筆者と同じ団塊世代でこの大阪万博を計画段階から心待ちにし、なおかつ暑さと混乱の中実際に行かれた方は決して多くないのではないだろうか?子供や孫にせがまれて行った方は別として・・・。

 

 筆者は思う。団塊世代にとって何故に1970年のあの大阪万博が強烈な印象で、今回の万博に興味が全く湧かないのか?それはその時点での年齢のせいなのか?

 自分なりに前回1970年と今回2025年大阪万博を比較してみた。その結果導き出されたいくつかのポイントがこれだ。

① 1970年の大阪万博は多くの日本人が外国、外国人に接する最初の機会だった。

② アポロ11号で人類が月に降り立った直後で「宇宙・月」を身近に知る機会だった。

③ 日本人が経験する初めての長期・大型国家催事だった。

④ 歌舞音曲含めメディアの万博情報の報道量が報道枠全体の半分以上を占めた。

⑤ 日本人の健康寿命が延び今回高齢者の入場数が前回の10倍以上多かった。


 これらを見ると、1970年当時と現在の日本人の姿が大きく変わったことを強く実感させられた。各メディアはまだこういった比較をしていないようだが、あれから55年経って「日本と日本人」は大きく変わったようだ。

 これは当時21歳だった筆者が、今76歳、もうすぐ㐂寿77歳を迎えるという変化と相まって時代の流れを感じざるを得ない。

 過去日本は大きな時代の変換点を経験している。近代では幕末ー維新の大変化、太平洋戦争の敗戦前後。人がたくさん死ぬような変化ではないが1970年~2025年の55年間はこれらに匹敵する大きな変化がスピードアップしたように思う。

 中でも筆者が一番強く思うのは外国・外国人に対する日本人の在り方が大きく変わったのが1970年の大阪万博だったのではないかというポイントだ。

 それまで日本国内に外人は殆ど居なかった。(※一部終戦直後占領下の日本では駐留軍兵も多かった)終戦後数年間は東京で横文字・英語の看板・標識があふれた程度だろう?

 日本人の海外渡航数の経緯を観てみるとそれが良く判る。日本人が海外へ自由に行ける様になったのは前回東京オリンピック開催の1964年から、それも外貨持ち出し制限があり年に一度しか行けなかった。

 なんと1970年大阪万博時には全国で66万人しか海外へ行っていないのだ。もちろんビジネスで渡航する人数の方が多い時代。観光旅行で海外へ行く日本人はまだまだ少なかった時代だ。つまり、一般の日本人が外国や外国人と接する機会が非常に少なかったことを示している。

 当時の日本人が外人や外国と接するのは、外国映画、TV番組「兼高かおる世界の旅」その他NHKの海外取材ドキュメント番組・・程度ではなかったろうか?

 あるいは外国人タレント、EH・エリック、ロイ・ジェームス、イーデス・ハンソン、フランソワーズ・モレシャンなどわざわざ片言の日本語をしゃべるタレントが一番身近な「外国人」だったのではないだろうか?

 それが2019年には2000万人を超える日本人(6人に1人)が海外へ出ているのだ。1970年当時の日本人157人に一人とは相当な差がある。※この2019年以降はコロナ過で海外渡航者数は激減するが2023年には1700万人に戻ってきている。


人数の表で観るよりグラフの方がその変化に驚くだろう。

 こういった見方で今回の大阪万博を見ると、団塊世代にとって「万博」というモノがどういう存在なのか判るような気がする。

 此処で、1970年大阪万博の入場者を年齢別で見た数値と、今回大阪万博の年齢別入場者数を見比べると驚くべきことが判る。

1970年の60歳以上は戦争で亡くなった方が多かったため非常に少ない。

 これが今年の大阪万博はなんと60歳以上が57%も占めているのだ!一体この差は何なんだろう?55年昔の60歳と今の60歳の差・違いは絶対人口の差だけではないように感ずる。

 筆者のように’70年の大阪万博の日本人(=自分)にとっての意義と、今回の大阪万博の意義ではまるで違うから、全く興味が無いし、行く気もしない・・・と言うのと真逆のこの数値は何なんだ?オイラがおかしいのか?

 此のあたり単純に団塊世代とそれ以降の世代の差ではないかと思うのだが・・。この項もう少し精査してみたい。