日本古来の伝統行事「五節句」をきちんと伝承・実施する・・・という提案をした五日前のこのブログへのアクセスは、未だにブログアクセスランキングのトップに居る。それだけ口コミで読んで下さっている人が広がって多いという事だろう。
今後、このブログにヒントを得て「五節句をきちんと祝おうではないか!」という提案や具体的な実働への動きが、人吉・球磨~八代・芦北の地元エリアから出てくることを祈るばかりだ。筆者はありったけ最大限の支援・サポートを行いたい。遠い首都圏に住んでいて、豪雨洪水災害で壊滅的な打撃をこうむった現場へ行けない筆者は、こういった形でしかボランティア支援が出来ないのだ。
万一、人吉・球磨~八代・芦北ではなく、日本各地の別エリアから起こってきても、勿論筆者は分け隔てなく支援・サポートする所存だ。このあたりは公平に、気が付いた者、動き始める意欲のある者、つまり速い者勝ちの原則は守りたい。
しかし、人吉市の野鳥観察大先輩から毎日送られてくる地元新聞二紙のクリッピング記事を観る限り、何故か人吉・球磨の復興や肥薩線の復旧を人吉・球磨だけで考える方が多く、筆者としては非常に心配している。新聞そのものですら「人吉・球磨」でしかものを考えていないようで悲しい。
人吉・球磨だけで物事を考えればJR肥薩線など復旧させずに廃線にしても良かろうもん?どぎゃんね?
人吉・球磨と八代・芦北~熊本を結ぶからこそ、肥薩線の意味があり、復旧の必要性が存在するのではないだろうか?筆者はそう思っている。
自分の所さえ便利であれば良いという考え方は、公共交通機関の存在意味を全く解していない者の考え方だと思う。第一、理由や大義名分もなしに陳情や要望だけでJR九州を動かすのは無理。気持ちだけを伝えても莫大な予算が掛かる事だもの、復旧の確固たる意義が無ければ動くまい?現在の人吉駅の乗降客数は恥ずかしいほど少ないのだから。
このブログで筆者は、今回の豪雨災害で大きな被害を被った人吉・球磨地域と八代・芦北地域のエリア全体で連帯復興を目指す目的をもっての肥薩線復旧を唱え続けている。その先には明快な肥薩線利用客数の増加、人吉駅の乗降客数の向上を見据えている。
少なくとも、自分は人吉インターのバスターミナルから産交バスに乗って熊本へ出ているのに、乗りもしない肥薩線を復旧させてくれ・・・は無いだろう?それじゃあまりにJR九州が可哀相だと思わないのだろうか?
この人吉・球磨地域と八代・芦北地域を結ぶものがまさしく球磨川であり肥薩線なのだ。この二つの大動脈の活用で熊本県南の文化・経済(観光を含む)を活性化させるという事を、皆さん何故考えないのだろうか不思議でならない。ドローンではないが、少し高い所から球磨川流域を見渡してほしい。
しかし、人吉・球磨はそういう訳にはいかないと考える。コロナ禍で一時的に陸の孤島に成るのは良いが、この先経済や文化的に孤島に成る必要は全くないと考える。
繰り返すが、地球規模の気候変動で間違いなく気象状況は10年前とは大きく違っている。線状降水帯など集中豪雨の出現、1時間当たりの降水量が100㎜を越えることなど今では当たり前のように報道され驚きもしなくなったが、10年前にはめったにない事だったはずだ。日本列島に接する太平洋の海水温が30℃など、かってそう頻繁に有った事ではなかろう?
そういう状況下で人間による「治水」などという言葉の意味が、もはや「無意味・不可能」である事にまだ気が付かない人間どもは愚かなり・・と筆者は思うのだ。
しかし、巷では川辺川ダムが在ったら・・、無かったから・・。などという今回の豪雨災害の規模を知らない無知な者が、ダムを造りたくて仕方がない国交省の世論づくりに乗りかかっているようで歯がゆい思いだ。
どう考えたって、川辺川ダムが在ったとしても、あさぎり町、錦町の洪水は全く関係なく防げていないし、更には盆地南側の山麓・鳩胸川の氾濫⇒麓橋の流出は防げていない。今回の水害は人吉市内~八代市坂本町だけで見てはいけないのだ。球磨川流域全域(源流部から八代市河口部)の広域でモノを考えなければいけない。
川辺川ダムが在ったとしてのダム上流部の水量貯水能力と、在ったとしてのダムより下流部・更には全然ダムに関係のない別の山岳エリアに降った水量の比較計算すらできずに、「ダムが在ったれば・・」などと唱える政治家や土木関係者の何と愚かな事か?
地元メディアは何故こういう点を突かないのだろう?メディアの皆さんは数多くの専門家によるデータやレポートなどを読んで勉強していないのだろうか?
前人吉市長の田中氏もこう述べておられる。
「治水」などという事がもう出来得ないレベルの地球規模の自然変化の話、それに対する「人命を守る方法」に関してはもう少し先にデータを精査し勉強して特集を組みたい。
7月4日の豪雨当日以来、今まで人吉・球磨~八代・芦北一帯の防災や活性化に関して述べ、最近は鮎の話、五節句の話もしてきたが、ここからはその地域連帯による文化・経済の発展にまつわる話で進めてみたい。まず最初に上げてみたいのが「食文化」だ。これは五節句の話にも通ずる部分が多い。
昨日朝の読売新聞(首都圏版だけかも)に早くも正月のおせち料理の広告が載っていた。年内に収まる気配のないコロナ禍で、年末のおせち食材の買い出しが困難になるであろうことを予測しての広告だと思うが、ここまで全面見開きのおせち広告はかって見たことが無い。
実はここにも、人吉・球磨~八代・芦北エリアの食文化確立のヒントが隠れているのだ。