2017年8月26日土曜日

団塊世代へセンチメンタルジャーニーのお勧め! This is my advice of sentimental journey for Baby-boomers!

 人間誰しも齢を重ね、高齢になると、自分の残りの時間を考えながら昔の事を思い出すことが多くなる。いわゆる望郷の念に近いモノだろう。
 相変わらず、生きている間に行きたい所に行っておかなきゃと、昔憧れた海外の観光名所へパンフや絵葉書の確認旅行の様にして貪欲に行く方も多いようだ。
 中学校時代の同期生には、そうして南極やネパール、南米と普通の旅ではなかなか行けない所へ、ご夫婦で出かけているメンバーも多い。子育てが終わった現在は子供達も自立して親離れもし、自由時間が沢山有るはずだから、親の世代は勢いよく世界へ羽ばたいているとみて良いだろう。旅行会社の団塊世代用のパックや個人旅行企画は、まさに宇宙を含めて行けぬ所は何処にもない状態だ。
 
 振り返ってみれば、筆者も大陸で言えば南米・南極以外はアフリカを含めてすべて行った事になる。国で言えば米国、都市であればホノルルが勿論一番多いだろう。ウインドサーフィン関係の仕事、ウインドサーフィン関連の広告制作・国際ウインドサーフィン大会の運営実施などで、優に40回は超える。パスポートの出入国記録を観て驚いた!

 何と滞在日数はハワイだけで合計340日余り、あと3週間で丸1年は滞在していた事になる。いつだったか、それだけ滞在していたのであれば特別待遇のカードが出るという話もあったが申請しなかった。ハワイの島々移動の航空券代が安くなるというのだった。

 ハワイ以外ではヨーロッパ・英国がやはり群を抜いている。ロンドン、パリ、ミュンヘン、アルプス近辺が多いのは広告代理店の仕事のせいだろう。
 ファッション撮影、長野オリンピック・スノーボード競技役員としてFIS(=国際スキー連盟)の会議出席、ISPO(=国際スポーツ用品見本市)視察などが多かった。実際スノ―ボードの世界大会、自転車競技の世界大会など、日本からのチームとして同行したりで官費出張の為、観光的な意味合いは殆どなかったが、其処はそれ、勿論観光的な行動もしている。

 しかしなぜかお土産というモノには興味が無いので、旅支度はたいがいカメラケース1個にダッフルバッグ1個で済んでいた。いわゆる観光客の間で流行りのRIMOWAのスーツケースなどは、1999年頃にドイツ・シュツットガルトへ行った際まとめて現地で3個購入して以降しか使用していない。
 今日の話は、そうした団塊世代であれば誰もが抱く「望郷の念」に沿った昔を再確認する旅、そうセンチメンタルジャーニーのお勧め話だ。 筆者も残り何年生きられるか判らない状態だ。ちょっと必死で最後のセンチメンタルジャーニーを企画しなければ間に合わない。

 要は、故郷を離れて大都会に根を下ろし、そのまま戻らず数十年経った方、あるいは若いころ放浪した海外の国々・都市や田舎を再び訪れ、そのタイムマシーンに乗ったような感覚を楽しんではどうだろうというのが今回の企画意図だ。

 世の中には人それぞれ色々な形のセンチメンタルジャーニーが有ると思うが、取りあえず1972年大学時代、40日間英国Bournemouthホームステイ・ツアーで初めて行った海外、英国~フランス辺りに関する再訪の旅、筆者のセンチメンタルジャーニーを振り返ってみたい。

 大元は1972年のLOOKというJTB団体旅行での英国Bournemouthホームステイ・ツアーだが、その後2001年ドイツ・シュツットガルトの帰り、2010年に英国航空ショーでロンドン滞在、翌年2011年パリの国際航空ショーへ行った際、帰りにロンドン経由で戻り、その際懐かしのロンドンにそれぞれ数泊した。その2001年の際に足を延ばしてみた約30年振りのBournemouthだったが、充分自分的にはセンチメンタルジャーニーだった。

 幸い昔から写真撮影が好きで、色々な物を撮影していたので、比較対象物が多く、充分同じ場所の時代の流れによる経過比較が出来て意味深いと思う。単なる観光旅行とは違うセンチメンタルジャーニーの魅力と意味を少しでも理解して頂けると嬉しい。

まずは、英国のセンチメンタルジャーニー編から・・・・。
航空機の中から眼下のロンドン中心部を撮影したもの。コンデジの性能が良くなって、こういう画像が簡単に撮れるのも嬉しい。テームズ河から国会議事堂、ナショナルギャラリー、Beatlesの映画「Let It Be」の最後に屋根上でのライブシーンがあったが、そこからの眺望に映っていたロンドンBTタワーも左の方に見えている。

1972年ロンドンのテームズ河に架かるロンドンブリッジから観た東方下流のタワーブリッジ、右側の軍艦は巡洋艦ベルファースト(記念艦)

2010年英国航空ショー(Farnborough Air Show)の際、毎日渡ったウォータールー橋から観た上流、国会議事堂ビッグベン方向。テームズ河の河の色はちっとも変っていなかった。

日本橋三越の店頭に鎮座しているライオン像はこのネルソン提督の像の立つトラファルガー広場に在るものだ。毎回ナショナルギャラリーへ行くので、同じ様なシーンを毎回撮影出来ている。さすが英国!40年経ってもほとんど何も変わらない証拠がこの2枚の写真だ。左の写真の石の柵は今でも在る。右の2010年の場合多少撮影ポイントが右なので、ちょうど柵が切れているだけ。

ピンクフロイドのLP(アニマルズ)やThe Beatlesの映画HELPでも停電の場面で出て来たバタシー火力発電所。1972年は最盛期の活動中だった。現在は何度も再開発の話が立ち上がっては消えているようだ。

1972年BOURNEMOUTH滞在中に撮影したドーバー海峡に面した海岸通りを散歩する老人二人。

30年経って、自分も高齢者の入り口に掛った2001年、仕事で同行した友人と共に似た様な状況で記念に撮影してもらった1ショット。手摺りが出来、街灯が変っている他はあまり変わっていなかった。1972年同様フットボールのイングランド・リーグではマンチェスター・ユナイテッドが圧倒的に強かった。
 
カメラをデイパックに載せてセルフで撮影!30年前の老人たちとほぼ同じシーンを撮る事が出来た。上の写真を持って行った訳ではないのに、昔の場所も背景もほぼ間違っていない!これがセンチメンタルジャーニー独特の効果だろうと思う。
当時鉄道に興味があった筆者は、盛んに英国の鉄道写真を撮っている。当時も今も英国の鉄道は東京の地下鉄銀座線同様第3軌条から電気を取っている。
Beatlesの映画「A Hard Day's Night」からまだ8年しか経って居なかった1972年は映画の中に出てくるような列車がまだ走っていた。

写真がデジタルでカラーが当たり前に成ったからではなく、最近の英国の鉄道車両そのものが物凄くカラフルに成った。

ロンドン、ウォータールー駅も出入りする車両のお陰で非常にカラフルに成ったようだ。こうした自分が興味を持ったもののNOW&THENを楽しむのも、センチメンタルジャー二―の楽しみ方だろう。