2016年12月11日日曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝#23」団塊世代のウインドサーファーだって勿論SEXに興味はあったのだ。Even a windsurfer in the baby-boomer was interested in SEX of course!

 昨日のブログへのアクセスが普段よりはるかに多いのにちょっと驚くと同時に、良い気分になっている。「ポルノ男優」という色っぽい話だったからなのか?それとも笑い話だったからなのか?

 幾度も説明して来た通り、本来このブログはヤマセミに魅せられた団塊世代の筆者が、遠い九州の人吉まで足繁く通い、ヤマセミを中心に野鳥の生態を観察撮影した画像をベースに毎日更新しているものだ。

 当然、国内外の野鳥ファンがそのアクセス者の大半だというデータが出ている。しかし野鳥ファン・バーダーであれば勿論週末土日、あるいは祭日は自ら野鳥観察や撮影を行う為、パソコンで人のブログなど見ていない。従って土日・休祭日はアクセス数が半減して当たり前だった。

 だからこそ、3年前からヤマセミに魅せられて狂ったように観察撮影を始めた筆者の生い立ちを「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」と銘打って週末にだけ不定期にアップして来た。そうして現在続編の「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝」として、更に不定期ながら更新を続けているのだ。

 しかし、昨日は300弱のアクセスを頂いており、昨日更新した内容へのアクセスが多い事が判っている。こうして野鳥の画像と生態の話をアップするより団塊世代の面白話をアップした日の方がアクセスがこうも多いと、嬉しいのだが、正直どうしたものか?とも思う。ビミョーな所だ。

 どちらかというと、決してハンサムな男優ではなく、札幌の地方TV局・深夜放送のタレントだった大泉洋が、いつの間にか名が上がり、NHK大河ドラマ「真田丸」で準主役で人気を博している様なものに似ているだろうか?

 話を戻そう!今日のメインは、大泉洋ではなく、真田信之でもない、昨日の続きで団塊世代がさんざんお世話に成って来たSEX産業の話だ。

 団塊世代の男子、もうそろそろ、ほぼ全員が67歳~69歳に成らんとする現在、既にSEXに関してもとうの昔に卒業、あるいは戦線離脱したものも多いと思われるが、その一方で、まだ勝った負けた!まだまだ現役とか言って無茶をする豪の者もいるようだ。

 以前「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」で書いたか否かは覚えていないが、その昔奴隷制度がまだ存在していた時代、西欧各国には奴隷市場というものがあった。アメリカは勿論、ビートルズの英国リバプールにも奴隷市場が在った。

 そこで売り買いされた奴隷の良し悪しに3つの見極め方が在り、SEXの強さというのが在った。本来、眼の良さと歯の良さ強さが重要なファクターだが、SEXが強いか否かでその奴隷の寿命、つまり長く使えるか否かを押し計ったのだ。そのテスト方法に関しては此処では詳しく述べぬが、その場で実技試験が為されたという事で想像されたい。

 親類の医者たちに訊いても、普通病院の診察や総合成人病検査では検査項目が無いが、実質SEXに関する意欲・実行力の個人差は、人間という動物の健康的な観点から見ても非常に重要なファクターだそうだ。要は「お元気」であればある程長生きするという事なのだろう。そう、人間にとって非常に重要な部分なのだ。単に色事だからと避ける傾向が多いが、このジャンルを避けるという事は実はとんでもない事なのだ。

 勿論そういう意味からすれば、高校に上がった頃などは団塊世代全員が健康体で、100歳まで全員生きられる・・・という状況だったに違いない。
 その高校時代、あるいはマセていた方は小学校高学年時代から男子たるもの女性やSEXに関して興味を持ち始めるものだ。

 個人的に知っている団塊世代の友達一人一人の性癖や豪傑話、あるいは女性遍歴などをこのブログで公表するつもりは毛頭ないが、このジャンルほど個人個人の差や、変化にとんだ経歴は無いと思われる。だからこそ色々小説に成ったり映画に成ったりするのだろう。

 そんな中で、団塊世代の男子が平均的に接してきた日本のSEX文化をその当事者としての立場から見直してみたいと考えた。これは文学青年だろうが、風さえあれば女性との約束を放ったらかして、ウインドサーフィンに乗って海へ出ていた筆者でも、そう大差はないと思う。盛り場や街中で女の子をナンパしまくっていたシティボーイ達も似た様なものだろう。

 小学校高学年の頃は異性やSEXに関する情報源は映画、それも金髪の女優さんが出て来る洋画だったのではないだろうか?

 マリリン・モンローの裸の写真を見て夢の中に出てきた事が有った。何と!夢の中で抱き合っている夢なのだから筆者も結構オマセだったのかもしれない。
 しかし裸のモンローさん、胸は見事に見えるのだが、へそから下がどう努力して夢の中で頑張っても見えない、見えないまま朝起きてしまい、凄く残念だった。
 何故?どうして?誰かおせーて!じゃないが、要は写真で見えていた裸が上半身だけだったので、写真で見ていない下半身は記憶に無い上、女性の下半身をまともにまだ視た事が無かった為、夢の中で見えなかっただけらしい。
マリリンモンロー Google Pictures.

 次にうっすらと髪の毛以外の体毛も生え揃う頃、そう高校入学の頃、洋画から男性雑誌や日本の映画・テレビに求める女の子やSEX領域の情報源が移って行く。平凡出版社(現マガジンハウス)の週間平凡パンチは勿論当時高校に成ったばかりの団塊世代の男子を意識して創刊された週刊誌だ。此の折込のヌード写真だけ集めていたクラスの同級生を知っている。
日本の若者文化を語る際に必ず出てくる平凡パンチ。

それ以外にも、当時の日本を代表する女優や歌手、タレント達のブロマイド、雑誌の特集などは大いに男子高校生たちの頬を染めた事だろう。

運動部活の部員にはカワイ子ちゃん系より色っぽいタレントが人気だった。

 サユリストというタモリを筆頭とするファン層が今でも居るという。吉永小百合さまは絶対にトイレなど行かぬ・・・等と言う都市伝説を信じる馬鹿者が居た程らしい。TVコマーシャルで観る度に「もう引退されては・・」と思うこの頃。

 1967年の年間女性タレント・ブロマイド人気#1松原智恵子も人気が高かった。現在CSで1968年放映のTVドラマ「若い川の流れ・全17話」が再放送されているが、団塊世代のオジサンがテレビの前に座ったきり、いくら声を掛けても振り向きもしないという現象が起きているようだ。彼女は歳をとってからの方が面白いと思うが如何だろう?

 中学から上京していた筆者は日本製の平凡パンチでは物足りなかった。神田古本屋街の源喜堂(=ブックブラザー)へ行っては、洋書PLAYBOY誌の無修正版を探しては買い込んだ。残念ながら当時は陰毛はご法度で必ず刃物のようなもので印刷表面を削られてしまっていた。従ってその部分は想像?今で言うバーチャル・VRで埋め合わせて鑑賞しなければならなかった。
 しかし想像力に関してはIQなどでは計り知れない程の天才値を持っていた筆者だけに、あまり修正済のPLAYBOY誌に幻滅は感じなかった。
一時期は40冊も集めたオリジナル・PLAYBOY誌

 その後、18~20歳(もちろんもっと早い者が多いのは知っている)を超えて大人になり、SEXそのものの体験を通り越すあたりから考えが大きく変わる。「エッチとは写真や動画を観る事ではなく、するものなのだ!」

 これら実経験に関しては、都会育ちの男子より田舎育ちの男子の方がはるかに早いのを知っている。理由は簡単だ、都会で若い高校生や中学生の男女が二人きりに成る場所はなかなか無い。しかし、田舎は少し歩けば二人きりに成れる場所はいくらでも在る、山や野原、海岸と言った大自然が若い男女を結ぶ最高の環境なのだ。畑の農機具小屋、納屋、漁師小屋などいくらでも在った。たとえば映画「潮騒」を観よ!あの場面は都会には無い。

 此の実体験を過ぎて、団塊世代の男子もSEX画像・映像などのメディアから離れて行く事になる。そうで無く、いつまでもそういうメディアから離れられない男子は、残念ながら相手に成る生身の生きた女性が居ないだけだろうと筆者は思っている。

 したがって、昨日からのAV産業は決して大人相手の産業ではなく、実は中高生含めて、まだ女性に接する経験事の無い若者、同時に経験値は在ってもその時点で接する相手のいない男性(もちろん高齢者も含めて)がターゲットなのだろうと思っている。