2018年8月6日月曜日

実はヤマセミの足が非常に特殊な形状だという事は知られていない。Nobody knows that Crested kingfihser's foot is very extraordinary form.

 北九州で人気の歯科医師の幼馴染が以前プレゼントしてくれた著名な九谷焼の作家の一点物のヤマセミ図案の作品を改めて観て驚いた!

 なんと、焼き物の図柄になっているヤマセミの足がまるで猛禽類そのものなのだ!これには目を疑ってしまった。九谷焼としても普段使う茶碗やお皿のような食器ではなく、一応名工による一点物のアート作品なのだ。ネット上のオークションでは十万円以上の評価を得ている人気の高い結構な作品なのだ。

 筆者は審美眼に関しては全く個人の主観による好き嫌いで判断するので普通の人とは違うかもしれない。
 いわゆる美術商・骨董美術売買の業界の常識や評価基準は何一つ知らない。
 己が描いた絵(それがたとえ高く評価されても)を売買するという事に学生時代から違和感を覚えていたので、クラスメートが学生の身分で描いた絵が売れただの、売ったお金を貰えなかったなどという話を聴くのが信じられなかった。「絵」というモノへの意識が既に美術専攻の学生時代から千差万別だったのだと今になって判ったような気がした。

 絵に対する話や、美術品を売買する話に関してはまた改めてこのブログで論ずるとして、今日のテーマ、「ヤマセミの足は非常に特殊な形をしている・・・。」に戻そう。

 画像を見て頂ければ一発で理解頂けるが、結論から先に言うとヤマセミの足は「合趾足=ごうしそく」と言って、かかとの方の指がくっついていて人間の足のように成っている。決して大きな爪を持った猛禽類の足のようには成っていない。
http://www.yamasemi.org/report_chapter_2/pg23.html

 動植物を描かせたら右に出るもののいないと言われるあの天才・伊藤若冲がヤマセミを描いたら、詳しく観察して合趾足を描き切ったことだろう。九谷焼の作家さん、よくヤマセミの足を観察して頂き、今後の作品に生かして頂きたいと思う。

筆者所有のヤマセミ作品


Googleフリー画像より いくら芸術作品だからデフォルメが許されると言っても「ウソ」はいけない。猛禽類のくちばしがまっすぐだったり、クロツラヘラサギのくちばしがサギのように鋭くとがっているのに等しいのではないだろうか?

では、今年筆者撮影のヤマセミの足をご紹介しよう。



正面から合趾足が撮れた画像はあまりない。



ヤマセミの足は「合趾足」である事、ご理解頂けただろうか?


2018年8月5日日曜日

団塊世代のジジ放談! そろそろ人生最後まで大切にすべき友を選ぶ時期が来た。 For the end of life and disposal, It is time for decide what kind of friends must do remain?

 刑事フォイルを演ずる英国の男優マイケル・キッチンが団塊世代の男子としてはかっこいい歳の取り方をしていると述べた。じゃあお前の周りの友達で断捨離の対象に成らない「友」はどんなタイプなのか?当然訊かれるだろう。

 A・B・Cの各ゾーン分類とは別に、大切にすべき友、残すべき友に関しては「これだっ!」という定義なり方程式は存在しない。しかし、一つの事に関して、同じ土俵で相手を尊敬しつつ深く討論・ディベート出来ない相手はまず難しいと考えている。これは男女関係なくそう感ずる。

 以前どこかの寺の掲示板に張り出されていた回訓?訓示?に妙に納得する言葉があった。筆者は若い時から日本古来の神道(神社崇拝)で大陸渡来の仏教は信じていない。宗派が分かれ派閥争いがあったり、上下関係や金で何かが決まったりする仏教には興味がない。
 ましてや時期が来るとハロウィーンだのクリスマスだの商業ベースで信徒でもないのに騒ぐ集団を放っておく外来宗教を理解しようとも思わない。

 しかし、この寺の門外に在る掲示板には腑に落ちる言葉が時々張り出されているので、結構気に入っている。
 最初に目に留まったのが1985年頃善光寺門前の別院に出ていた「生は偶然、死は必然」だった。そーだよな!と、妙に納得したのを覚えている。

 その次に眼にしたのが京都の寺だったか、「過去と他人は不変なり、己と未来は可変なり」これには相当納得してしまった。特に過去と他人は不変なり!の下りは心に残った。
Google画像より

Google画像より

 友達・・・もまさにこれだと思った。幼友達であれば小さい時から見慣れた友達の性格・癖・感性を知っているから何かにつけ接する際に相手を視ながら、自分を制御コントロールできよう。最近の言葉で言えば時には忖度し、時には譲って相手を立てつつコミュニケーションの調和を図ろうとする。複雑な社会で生きてきた人間であれば当然だし、数多くの異業種の人間と交わり仕事をし、異なる環境で生きてきた人種とトラブルなく生きていくには、大変重要な事だと知っている‥‥はずだ。

 しかし、大きくなって大人になって出遭った「人間どうし」は生まれ育ち生きて来た環境(価値観・常識・習慣・法令順守のさじ加減・良し悪しの判別)が随分違う事が多いので、意見がぶつかる場面が往々にして生ずる。
 それはごく当たり前の事なのだが、その「ぶつかり」をどのようにこなせるかで、「友」としての格付け、距離感が生まれるのは仕方がない事だろう。これは箇条書きになどとてもできる事ではなく「体と脳」が生理的に反応してしまうので「動物的直観」の分野の話になる。

 この「友」の判断に効果的で心打たれた「寺の貼り出し」に「己の我が儘は当然(許し)、他人の勝手は不自然(許さない)」というのがあった。人間歳を取るとなかなか出来なくなるのが「謙遜・反省・謝罪」だが、もともとそういう「品のある人間性」を持ち合わせていない「人間」もいる。残念だがこういうタイプは終活時における断捨離の候補に成ってしまうのだろう。

 「謙遜」というのはあくまでその時だけの相手に対する「おもてづら」の話で、心の中ではどう思っているかは勿論判らない。「反省」もポーズだけなら日光の猿軍団だって出来るし、内面的なものなので外からは計り知れない人間性の一つだ。

 しかし「謝罪」というのはなかなか難しい。まず相手・対象者がいる行動で、一人だけつまり自分だけで完結する問題ではない。謝罪というのは、する側が相手がその謝罪に対して納得して「許した」か否かを確認しなければならない。「許しを請う」ための謝罪なのだがこれが判っていない人が余りに多い。

 良くある「俺は一度もう謝ったんだから良いんだ、それでも許す気にならないのは相手がおかしいんだ」と思うタイプ。「謝罪は負け」だとでも思っているのだろうか?特に団塊世代は人数が多く競争・競争を生き抜いてきた世代だけに「勝ち負け」に敏感だし、自尊心が人一倍強い人が多い。
 一応謝ったにもかかわらず、悔しいのか「でもね・・・?」と、自己弁護をしてしまう人の何と多い事か。その瞬間相手は「本当は心から誤っていないな?」と判断すると同時に怒りが再びこみあげてきて火に油を注ぐ状態になってしまう事が多い。謝るという事は徹底的に謝り、暫くは相手の怒りが収まるのを待たねばならない事を知らない人が多い。これが我慢する・・・という事だ。

 セクハラ行為にしても、する側は「全然セクハラだと思っていない」事が多い。セクハラされた側が「セクハラされた」と主張した瞬間成立してしまうのが今のメディアなり社会一般の流れだという事を理解していない。
 このセクハラ問題にしたって謝罪を受け入れて、相手が「許します」と言わない限り謝罪は成立しないのと一緒だ。廻りで、セクハラだ、セクハラだと攻め立てる野次馬・メディアの様子は見苦しい事極まりないが、それを頼みに似非セクハラ、似非痴漢の類で冤罪が増えている今の世の中、どこかおかしいと思う。

 一方で、昔で言えば下着・水着レベルで女性を露出し男性を刺激しながら街を闊歩する「被害者」側には何の問題も責任も無いのだろうか?

 これに似たような事で「間違いを認める」という事をしたくない御仁が多い。我が友、同僚にも居た。「史上空前」を「しじょうくうまえ」と長い事思い込み皆の前でそれが露見し、絶対に自分が正しいと言い張った挙句に辞書まで見せられ指摘され怒り出した者。
 「順風満帆」を大声で「じゅんぷうまんぽ」と読み、指摘され恥をかいた者。「ひょっとすると自分は間違っているかもしれない」とは一欠けらも思わないタイプの御仁の何と多い事だろう。

 いずれも不勉強・勘違いの記憶から生じた事で「間違いは一時の恥、無知は一生の恥」の典型だろう。

 同じく、一般常識を間違えて解釈・認識し、その間違いを正された際に怒りだし、間違いを指摘・説明してくれた者に感謝もせず、バツが悪いのか二度とそういう話に触れない負けず嫌いの御仁もいるが、何と心の狭い人だろうと思う。
 こういう人は意外に沢山居る。負けず嫌いなのか、「でもね」で言い訳をすれば怒った相手が逆に火に油状態になる事を知らない。心の底で本当には謝っていないのだ。Google画像より

 人間70年も生きて来て、残り10~20年という時期に差し掛かると、今後はこういうややこしい事を繰り返す相手とは離れて、ストレスなく生きていきたいと願うが、如何だろう?

 そうなるとどんなに大切で近い「友」であっても、もういまさら相手が「変わる」「人間的に成熟」するのを期待しても無理だろう。固まってしまった癖や人間性はもう変わらないのだ。

 今まで「謝る」事をあまりしてこなかった自尊心と気位の高い人間はいくら言って聞かせても、大切な友達が離れて行ってもそう簡単に変われない。一度謝りさえすれば、もう自分に非が有るとはまず思わないし、相手が許そうが許すまいが二度と同じ件に関しては重ねて謝らない。これに納得しない人間は皆去っていき、どんどん関係が疎遠になっていく。
反省!

高齢者の孤独というのは、実はこういう所にも隠れた問題が存在するのではないかと訝しがっている昨今だ。自分自身がそうならない様に日々努力したい。

2018年8月4日土曜日

団塊世代のジジ放談! 人生最後まで大切にすべき友は誰だ? For the end of life and disposal, what kind of friends must do remain?

 先週末の「団塊世代のジジ放談!人生・終活、人間関係の断捨離」には数多くのアクセスを頂いて感謝している。同じ団塊世代のアクセスが殆どかと思うが、それにしても皆さん興味が御有りとみて心強かった。

 今週は調子に乗って、もう少し具体的に友達の選び方、断捨離の方法を述べてみたい。「断捨離」といっても何も永遠に縁を切るという事ではなく、積極的にこちらからアプローチせず、そのまま人生の終わりとともに自然消滅する方法をとるというだけの話。理不尽で失礼な事をしようという訳ではない。

 これはあくまで親類縁者や昔の幼稚園時代~小学校(いわば幼馴染)などクラス会や同期会で定期的に連絡の来る学校時代のクラスメートは別として、成人してからの知り合い・友に関する話と思って頂きたい。

 ここで、団塊世代の自分としてどんな男が理想的な歳の取り方をしているか考えてみたら意外に少ない事が見えてきた。

 国内で言えば北野武、武田鉄矢、矢沢永吉、沢田研二にはじまる芸能人に沢山著名人が居るが、その人となりやイメージはあまりにメディアのヨイショやゴシップなどで造られたもので実態が良く判らない。

 しかし海外の歌手や俳優で言えば、歌ったヒット曲や演じた役から、雑念なしにそのイメージを推し量り易いのでこちらを沢山例にしてみた。

 ビリー・ジョエル(英語発音=ビリー・ジョー)、リチャード・ギア、ブルース・スプリングスティーン、アル・ゴア=「不都合な真実」という疑わしい地球温暖化論でノーベル平和賞を貰った元米副大統領、スティーブン・スピルバーグ、ELOのジェフ・リン、FLEETWOOD MACのミック・フリートウッド、同じくボーカルのスティーヴィー・ニックス(女性)も同い年!スーパーバンド、イーグルスの殆どのメンバーなどビッグネームが海外の団塊世代として名が上がるが、筆者は刑事フォイルの英国俳優マイケル・キッチンを一番魅力的な歳の取り方をしている男として挙げてみたい。
 現在CATVのAXNミステリーで字幕スーパー版の放送が終ったばかり。今後はNHK/BSプレミアムで毎週土曜日(今日も!)午後5時から毎回前半か後半のどちらか半分づつという、ややこしい放送の仕方で9月22日までオンエアーされる。是非一度ご覧になるとこのブログで言っている事も理解し易いのではないだろうかと思う。

DVD#1 ~#14は日本語字幕版で市販されているが、#15 ~28はまだなのでCS放送から録画した。

この主演のフォイル刑事役のマイケル・キッチンはDVDで観る限りにおいてはあくまで外観だし、本人の性格や私生活がどうであるかはまったく判らない。日本で言えば遠い芸能の世界なのだろうが演じている役・場面の中での振る舞いや、あくまで会話(これも台詞通りなのだろう)からにじみ出る雰囲気を観ての話だ。

 しかしこの「刑事フォイル=FOYLE'S WAR」は2002年から2015年にかけてたった28本しか制作されていないシリーズもの。その正味約100分に及ぶ展開は非常に中身も濃く、丁寧に作られている。アメリカのネイビー犯罪捜査シリーズNCISなども好きなのだが、いささかレベルが違う。年に4本程度しか制作しないのを見てもきめの細かい制作ポリシーをとっているのが良く判る。

 まず、英国の戦争・直後の生活、社会、会話・ウイット、ジョーク、習慣、品の余さ、余裕などが非常に良く判って楽しい。Beatlesやビッグ・ベンや007、あるいはマンチェスターユナイテッドやベッカムだけで表面的に英国を判ったつもりで実際英国に旅行したとしても、本物の英国は判りにくい。

 この中でクリストファー・フォイル刑事演ずるところのマイケル・キッチンがちょうど1948年生まれで筆者と同い年だ。
 自分が年相応に良い歳の取り方を出来ているか?時々立ち止まって考えるにも良いお手本ではないだろうか?

 別にこの番組にかぶれた訳では無いが、落ち着き、会話、事の運び方、問題の解決方法、女性に対する考え方など団塊世代ならではのスタイルとそれに加えて英国紳士の品の良さが出ていて非常に参考になる。

 当時の空軍の名機スピットファイア(現物)や英国製のクラシックカー、モーガンなどが沢山出て来るのも面白いが、設定上では当初フォイル刑事は車の運転が出来ない事に成っていて、陸軍輸送部隊の女性運転手を部下にしている。(※20作品以降では自ら運転する場面もあって運転がまったく出来ない訳ではない事が判る)

 こういった、手本になる団塊世代の生き方を元に、それにふさわしい友の選び方なども28本の作品の中から充分得られたので、その辺りをベースに次回は少し考え方を述べてみたいと思う。
 

朝の列車一本が減って生息環境が変わったヤマセミ! Changing the timetable of railway have huge influence to Crested kingfisher ecology.

 微妙だが、人間の生活の変化が野鳥(=ヤマセミ)の生態に大きな影響を与える事実をレポートしようと思う。

 多分こう言った細かい変化に関するレポートは専門の鳥類学者さんたちは眼もくれないと思うが、ヤマセミと人間の共生・共創に関して研究している筆者にとっては具体的数値とまでは行かないが、「事実・真実」の一例として非常に重要な事として記録しておきたいと思っている。

 熊本県南部を流れる九州第二の一級河川球磨川。この中流域を形成する人吉盆地の中央部人吉市内で生息展開している普通では出遭い難い希少野鳥のヤマセミが、鉄道の列車一本が無くなっただけでその生息エリアが変化したのだ。

 具体的に言うと、肥薩線の山線といわれる人吉―吉松間の列車本数が減った為、今まで朝7時台に第三鉄橋を轟音とともに鉄橋に留まっていた野鳥たちを蹴散らしながら渡っていた列車2本(1往復)が無くなり、今年の4月1日から朝一番が午前9時半頃に成ったのだ。

 これがどのような変化を野鳥たちに与えたかというと、それまであまり鉄橋に寄り付かなかったヤマセミが、繁殖期の幼鳥教育のベースにこの鉄橋を利用し始めたのだ。

 詳しい経緯と変化は、この先自費出版予定の「人吉市におけるヤマセミの生態記録・(2010年~2020年人吉市におけるヤマセミと人間の共創)」に掲載予定。

 状況としては、毎年ヤマセミ繁殖期の後半幼鳥訓練が行われる人吉城址脇の球磨川が、毎朝7時~8時半頃、近隣高校カヌー部の朝練で占有されるため、ヤマセミはその間川上500m移動した浅い瀬のエリアに退避していた。
 これが今年4月から朝の上下始発列車が2時間ほど遅くなり朝7時~8時台に鉄橋を渡らなくなったため、安心して肥薩線鉄橋をベースに幼鳥教育が展開され始めたという訳だ。

 但しこれは、あくまで年間10日間(毎年不定期)ほどの現象なので取るに足らない事象なのだが、野鳥の生態の変化を観察している筆者から見ると非常に面白い現象だと思うのだ。
2019年度までは朝7時台の上下始発が轟音を上げて鉄橋を渡り、その都度鉄橋に留まっていた野鳥たちが逃げまどっていた。

肝の据わったヤマセミも最後には列車直前に逃げていた。

それが、朝一番列車が無くなり9時半に始発が来るようになったため、

鉄橋の上ですっかり寛いだり、

幼鳥の監視を鉄橋の上から行ったり、

1対1の教育を鉄橋の上で行ったりするようになった。

日の出から朝9時まで鉄道の鉄橋が最高の場所に成った訳だ。



繰り返すが、あくまでヤマセミの繁殖期後半、子育て幼鳥教育春先の10日間、しかも朝2時間ほどだけで、今はもう観られない。

 散々鉄橋を堪能したヤマセミが居なくなった朝9時30分頃、今日の始発の列車が既にヤマセミ以外の野鳥も殆どいなくなった鉄橋を渡る。


2018年8月3日金曜日

集中特集 ヤマセミの幼鳥教育に飛翔の美しさ観た!最終回.  Special issue: I observed young bird’s beautiful flying educations of Crested kingfisher at Hitoyoshi-Kuma area. Final episode.

 ヤマセミの高速飛翔画像にもそろそろ飽きが来た頃ではないだろうか?
 
 現場で観察撮影していると一日中観ていても飽きないのだが、他人が撮影した他画像をネット上で観るだけだと臨場感もないし、こういう場合はNHKやBBCの動画の方がはるかに臨場感ある映像でヤマセミを理解できるはずだ。

 その意味からすれば、NHKの自然モノの映像収録は相当大変だろうと察する。高校生の頃はこの手の自然ドキュメンタリー番組を製作する仕事につきたくて仕方がなかった。特に南米のアマゾンやインディオの村など未開拓地(当時の話)へランクルやジープで分け入って映像収録をするのが夢だった。

 しかし、片目の視力が先天性弱視の為0.08しかないので、もう一つの憧れだったパイロットや船乗りの方向性も諦め、60歳を超えて今やっと片目でも画像が撮れる写真の世界を楽しんでいるといった具合だ。

 毎年、ヤマセミ繁殖期の高速飛翔訓練を撮影してきたが、だんだん慣れや経験値からの先読みのお陰で素晴らしいチャンスを得られるようになってきた。

 今回にも増して来年は更にいい場面に出遭いたいと思う。
実はこれは一連の連写の最後の方のカットだ。此処へ至るまでの親子の連動飛翔が素晴らしい!

最初は遠くからこちらへ向かう一羽のヤマセミだと思った。

三脚に乗せたカメラで待ち受けても、まず捉えられない瞬間だった。どうやって此処までピタッと寄り添えるのか不思議だ。

野鳥の飛翔やホタルの点滅は良くシンクロすると言われるが、此処まで呼吸が合いながら高速で飛ぶのも滅多に観られるシーンではない。

川幅の広い球磨川ならではの生態だろう。各支流部では見られない。





良く観察していなければ、これがヤマセミ♀親の♀幼鳥に対する飛翔訓練だとは思わないかもしれない。

2018年8月2日木曜日

集中特集 ヤマセミの幼鳥教育に飛翔の美しさ観た!その3.  Special issue: I observed young bird’s beautiful flying educations of Crested kingfisher at Hitoyoshi-Kuma area. Vol.3

  昨日の高速飛翔シーンへはいきなり海外からのアクセスが多かった。今回はフランスからのアクセスが急増。
 海外では常時トップのアメリカに続き珍しくフランスが150を超えるアクセスで驚かされた。国内909に対して海外総計551以上の比率は素晴らしいと思っている。たった一行の英語表記さえあれば後は世界共通の野鳥の画像なのでアクセスしやすいのだろう。

 どうやら細かい生態より、観て美しい飛翔シーンが気に入られているようだ。やはり「鳥と航空機は飛んでいる時こそ美しい!」という筆者のコンセプトに賛同して頂ける方が多いようで嬉しい。

 今日は同じ様な展開だが、昨日とは違ってメス親とメス幼鳥のより密接な飛翔シーンのご紹介。もう見事というほかない。

 今日の画像は、今年のファミリーが最初に集っていた通称横棒と言われている大きな倒木で最終的な給餌を行った後にファミリーがバラけて幼鳥めいめいが好きな方向へ飛び出し始めた頃の画像。
 これはあくまで帰京後パソコンの大画面で精査して初めて「この時、集合教育から各自教育に変化したのだな?」と推察できたのだ。

 ある意味、非常に面白い生態の瞬間だったような気もしている。

ファミリーが集合している最後のカットの様だ。しかし幼鳥たちは落ち着かず各自勝手な動きをしている。好き勝手に動きたくてしょうがない様子が見て取れる。

横棒から一斉にバラけて目の前の岩の多いエリアで飛び回っていた。

そのうちの一羽にメス親が近づき・・・。

飛行訓練に誘い始めた。

空中でブレーキをかけて幼鳥を誘う。


誘いにのって幼鳥が飛び始めた。すぐ後ろに親が付いて教育開始!

まだバラけ切っていない他の幼鳥の目の前を飛行訓練が行く。

広い球磨川の左岸(下流に向かって左側)を行ったり来たり。

飛翔訓練は約20分ほど続いた。


2018年8月1日水曜日

集中特集 ヤマセミの幼鳥教育に飛翔の美しさ観た!その2.  Special issue: I observed young bird’s beautiful flying educations of Crested kingfisher at Hitoyoshi-Kuma area. Vol.2

 今日はいよいよ親子での高速飛翔訓練!

 球磨川本流へデビューしてから10日余り。ファミリー全体で展開していたヤマセミの親子は、それぞれ育ち具合に応じて親子ペア―による個人訓練に入る。今日・明日はそれらの模様をレポート。
ファミリーが固まっている初期の飛翔訓練は4羽が飛んでいたり、

親子全部で飛翔するシーンを視られる事があった。

 それが、ペアでの1対1訓練に成るとこうなる。飛翔カットに説明はいらないだろう、画像主体で行こうと思う。
川中の岩にいる幼鳥に訓練の誘いに来るオス親ヤマセミ



一見、すれ違うと思わせ・・・。

ゼロ戦なみの急上昇で方向転換!

ピタッと幼鳥に付き添い・・・。



これから約10分間、広い球磨川両岸を含む300m四方を飛び交った。撮影はCanon1Dx+CANON EF500mm F4L ISⅡUSM手持ち。