2026年7月4日土曜日

団塊世代の私は写真界とは違う日本を代表する文学界の会に入れて頂いた。As a member of Babyboomer, I was admitted into a prominent Japanese literary association—a world distinct from that of photography.

  今日の話は一生に幾度もある話ではなく、大変嬉しい話なのでちょっと長い。

 筆者が父のドイツ製蛇腹カメラを親に黙って勝手に使い始めたのが12歳、中学1年の時だった事はこのブログで幾度も述べた通り。それ以来65年間も色々なカメラのファインダーを覗きながら種々雑多な被写体を撮影して写真として残してきた。

フィルム時代、上からカールツァイス・スーパーイコンタ、CanonAE1、New F1

デジタルの時代になって野鳥撮影最盛期のカメラ群、500㎜f4は既に処分してしまった。

 フィルム時代の写真は紙焼きだったり、大きくしてパネルとして残っていたり、はたまたスライド(ポジ)として現存している。2000年以降デジタルの世界になってデータとしてパソコンやDVDその他保存領域ストレージにコピーがたくさん保存されている。

 もちろん気に入ったものは編集してキャプション・説明を付けて写真集にして残している。その種類は既に20冊を超えた。

 しかし、写真家としては完全にアマチュアを守り、よほどのことがない限り職業写真家(=プロの方々)の領域へは入り込まないと決めて生きてきた。

 プロの方々に比べれば圧倒的にセンスも技術もないし、撮った写真でお金を稼ぐことに関して責任も持てないし、そもそも自信が無いので余計なストレスを感じることなく気楽なアマチュアという領域内で精一杯努力をし続けることを楽しみたいと思うから・・・。

 そんな感じではあったが、社会に出た1973年から仕事上では写真撮影を幾度も行い、証拠の記録、説明の為の写真を撮ることが増えた。

 社会人最初の企業アパレル業界のヴァン ヂャケットでは宣伝販促部でディスプレイ撮影、海外出張で内見会用の資料撮影、街中のファッション撮影、海外店舗撮影、社内クラブのアイスホッケー、内見会記録撮影など。

 2か所の広告代理店時代は、担当JOBのイベント実施記録(博覧会、スポーツの国際大会【ウインドサーフィン、スノーボード、ヨットレース、OLYMPIC】記録・雑誌投稿用、ファッション企業クライアントのファッションパンフレット(モデル)撮影、雑誌社の取材に同行=雑誌に掲載する写真(雑誌ポパイ、オリーブ、ターザン、BE-PAL、Men’s Clubなど)を盛んに行った。写真を撮影することでお金を頂いたのは、後にも先にもこの雑誌取材の同行カメラマンとしてだけだった。

 本職肩書は大手総合広告代理店のプロデューサー(実質はプランニング・ディレクター)だから撮る、書く、作るなどクリエイティブ作業は内外部のプロダクション専門家にアウトソーシングしろ、自分自身でクリエイティブ活動・作業はするな(出来ない人がほとんど)といった風調があった頃の話。

 写真に関しては割にこういったセミプロ的活動経緯で今に至っているのだが、写真家のプロ集団、クラブ、グループ、組織、団体には一切属さなかった。


 一方で文章を書くということに関しては、書くより喋る方が早いし間違ってもすぐ訂正できるということで、あまり執筆ということは得意としていなかった。

 しかし、Windows95の出現でパソコンが一般人に普及して以来、指先を使ってキーボードを叩き、PCを活用して思いの丈を自由に述べることが可能になった。

 それが発展し、ブログというものを自分で作成し情報発信できるようになり、自分自身の中で「文筆情報発信」ということが可能になった。

 子供の頃から本はよく読んだ。小倉の小学校時代図書室の貸し出しランキングで同じクラスの読書家女子に次いで第二位だったことがあるくらい本は読んだ。しかし自分で文章は書かなかった・・というより書くチャンスがなかった。

 手紙をもらっても、「手紙をありがとう、僕も元気です・・・」の後が続かなかった。

 字は汚いし、漢字は知らないし、書道も好きではなかった。大体国語の通信簿は5段階の3だった。高校時代の漢文や古文は赤点1だったこともある。

 そのまま大人になって、必要に迫られて給料の掛かった仕事上の企画書はよく書いたしPC・パワーポイントで絵と図形・グラフ、写真付きのプレゼン企画書は常に好評だった。広告代理店社内の常識に逆らってアウトソーシングせず、プレゼンの企画書も全部自分でPCワークでこしらえた。1996年より前は手書きで書いて、ワープロ屋に発注した。

 1998年頃。パワーポイントを使用してスキーリゾートの観光活性化企画書を作った際も、つたないPCワークでイメージ図をいくつか作り、大好評だったのを覚えている。


パワポの画像素材を集めただけなのだが、現地の人々には非常に好評だった。

 だからプレゼンでクライアントの前に立って説明する際も、「〇〇ページの左下の図をご覧ください・・。」と企画書(自分で作ったモノ)を見ないで自分の口でスラスラ説明できた。説明をプロダクションのスタッフにさせるような恥ずかしいことは一度もした事がなかった。

 こういう感じでモノを書くという行為に関して進んできた筆者だが、ブログというものを自分の手で打ち込んで、自分で撮った写真を添えて情報発信できるようになり2013年から「YAMASEMI WEB BLOG」というサイトを立ち上げヤマセミという希少種の野鳥中心ブログを始めたのだ。これ以降人生で一番モノを書く時代になったわけだ。あくまで野鳥生態の説明の為だったが・・・。

 しかし、週末は読者たち野鳥撮影愛好家たちもフィールドに出てしまうため、閲覧アクセスが極端に減るので、自分の生い立ちを「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」と称して週2で掲載始めたのだ。いわば昔で言う個人史絵日記に近い存在だ。

 そうしたら、仲間や昔のクラスメート団塊世代の間で面白がって読まれ始め、PCに慣れないこの世代の多くから「タテ読みの紙の本にしてくれないか?」と頼まれ50冊程度だけパソコンの師に依頼してデジタル印刷した。


最近になってまた欲しいという方が増えたので、サイズを小さくして増刷した。

 そのブログの延長が今や1日に世界中から~5千のアクセスを受けるようになった。これはタイトルにたった一行英語訳を併記しただけなのだが、基本が野鳥写真を中心にしたブログなので判りやすいからだろうとは分析している。

 そうして始めて13年経ったこのブログ、今やなんと156万アクセスを越えてしまった。ともすると1日で1万近いアクセスを頂くまでになった。

 なんと、国内より海外からの方がアクセスが多いのが現状だ。


昨日などは1日で1万アクセスを越えた。ちょっと怖くなってきている。

 自分のブログが世界中で毎日5~6千回以上に読まれているというのは非常に妙な気分だが、本として出版しネットや本屋さん店頭で買われて読まれることを考えたら、IT発展・ネット時代は文筆ものを読まれる環境がずいぶん変わったと思わざるを得ない。

 アクセス数の多かった人気の日の閲覧回数を合計すると2~30万になるので出版物だったら結構ヒット作品同等の換算数になっていると思う。

 印刷物書物と電子書物では現在アニメ漫画ジャンルではとっくに電子書物の方が多く(9割以上)、ライトノベルで3~4割が電子書物、長い文学ではまだ紙の書物が8~9割となっている。

 この傾向は今後どんどん電子化へ進んでいくだろうと多くのAIでは予告している。

 この点で行けばブログは完全電子書物なので、いろいろな出版社あるいは文壇が与える「賞」・「コンテスト」も今後相当に変化していくに違いない。


 そんな状況下、前出の「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」の印刷物がある方の目に留まり、日本で最高峰の文筆家の著名団体「日本エッセイストクラブ」に推薦され、このほど会員にしていただいた。


会長はあの2015年ノーベル生理学・医学賞受賞に輝いた大村智さん!

 そのメンバーを見れば今まで日本の文化を中心的存在として引っ張ってきた幅広い賢人たちの集団と言って良い。新旧名簿を調べると、もちろん文筆界のプロもいれば、マスコミ界の重鎮もいる、俳優もいれば歌手もいる。デザイナーもいれば、辛口評論家もいる・・・才能豊かな方々の集団と言って良い。

 少なくとも昭和以降の日本の文化・風俗を作ってこられた方々の集団だ。

 この会のメンバーに推挙していただいたことで、過去の会員などに何と筆者の縁者がいらっしゃることを教わった。

 筆者、最初の勤め先青山のヴァン ヂャケットの創始者・社長石津謙介氏、一時所属していた「日本野鳥の会」の創始者中西悟堂氏と名簿上で並ぶわけだ。筆者はこんな奇遇も栄誉もまったく予想もしていなかった。これであと10年テンションを高めることができた。

 このチャンスを紹介してくれた我が友、並びに推薦してくださった関係者の方には感謝しか無い。

 筆者にとっては自動的に持ち回りの「叙勲」の授与よりはるかな栄誉と考えている。