今朝の読売の一面に1970年に引き続き二回目になる大阪万博関連の記事が出ていた。
「編集手帳」は朝日新聞の「天声人語」と並んで、昔からよく大学入試の例題に良く使われたコラム記事だ。1947年から始まった「編集手帳」七代目の執筆者は1964年東京オリンピックの年に生まれた方。前回1970年の大阪万博は6~7歳、小学校一年生だ。
だからか、前回の大阪万博と今回予定している2025大阪万博を比較できない。日本人が殆ど誰も知らない1900年のパリ万博と比べるより、高度成長ど真ん中1970年の大阪万博と衰退していく現在の日本で予定されている2025大阪万博を比べて欲しかった。前回を経験していないのでは、まあ無理な注文だろうとは思うが・・。
その、2025大阪万博が空中分解寸前だ。
原因は生成系AIを使いこなせない政府を含めた我々人類と、大手広告代理店の現場に長けたベテランプロデューサー不在だ。この手の国家的イベントは官民一体で行わねば成功しない。
上から目線の「官」と利益追求の「民」の間をうまく取り持つ「必要悪」としての広告代理店イベンターがいるからこそうまくいくのに、延期実施された2020東京オリンピックで、事後に大手広告代理店を「つるし上げ、見世物」にした反動が今回の万博に影響していると観るのは筆者だけだろうか?
一方でITスキル熟練者たちが当初「凄い」と誉めそやした生成系AI・・・。
生成系AIはITやAIスキルに詳しい先駆者たちが、その素晴らしさに驚き、「凄い!凄い!」で大騒ぎした結果、一般の人間に普及した際の弊害・トラブルをまるで予測できなかった結果が今の状況の原点だろうと察する。筆者はChatGPTが広まった初期に、かってのパソコンの師の日々はしゃぐ様を危惧したものだ。
仕組みや技術を他に抜きん出て理解できるIT・AI熟練者たちは、それが広まった時人間社会にどういった影響を及ぼし、どういう反応につながるかの思考・脳を全く持ち合わせていない。
いわゆるIT・AI馬鹿なのだ。オタク状態から視野の広い人間になれない種族なのだろう。
かってマンハッタン計画で原爆を作ってしまった科学者たちと、生成系AI創造者たちが筆者の頭の中で重なる。
一番典型的にこれを表しているのが、大阪府の万博PRツール。
もう1か月経ったから今はそうなっていないとは思うが・・。
こういうとんでもない結果が出たにもかかわらず、「間違いがあるからとすぐに辞めるのははどうか?」などと平気でコメントする首長だもの、開催が危ぶまれてもおかしくない。
これが直接の原因ではないが、ロシアのウクライナ侵攻に始まり、パレスチナVsイスラエルの戦争、世界中で多くの大きな問題勃発のさなか、目まぐるしい情勢変化の中で1970年大阪万博のような「お祭り」を今やって、意味があるのだろうか?
筆者はこれら紛争が勃発する前から、コロナ過が突然拡大しいつ治まるか判らない最中も反対してきた。ここへきて生成系AIの悪影響に対処できない人間社会を見ても、よりその思いは強まるばかりだ。
良い話は何一つない。
国民は敏感だ。テレビと新聞、ラジオと雑誌から情報を得て「民意」を形成していた1970年の大阪万博と、毎日秒単位でネット経由の情報をスマホ端末やPCで得られる国民の「民意・意思」を同じだと思い込んでいる為政者たちを憂える。
50年前とは情報の届く速さと広がる速さがまるで違うという事、為政者たちはまだ気が付いていないのだろうか?
あのAiに強い(自称)はずの河野デジタル大臣にして「問題は大きい」としか言えない、具体的な解決策を早急に打てない現実。二回目の大阪万博は今や風前の灯だ。
筆者は再び言う。「大阪万博を今やるのは無理、お止めなさい!」