2020年6月14日日曜日

団塊世代は突然31年前の自分が写ったビデオを観て呆然としてしまった。 The baby boomer felt deep shock when he saw in a video of himself 31 years ago.

 40年近くの付き合いにもなる仲の良い友人から、突然31年前=1989年の自分達が写っている8㎜ビデオの撮りっぱなし映像が送られてきた。尺は60分以上ある。
 強風波浪注意報が出ているもの凄い西からの強風下、湘南葉山・森戸神社裏から出入りしているウインドサーフィンの映像だ。
 これをYoutubeに出せる程度の尺に短く編集するのにまる一日掛かった。しかし非常に楽しい作業だった。それがこれだ。
https://www.youtube.com/watch?v=AnyOlyIMDM4&feature=youtu.be

 そう古いとも思えないが強風と経年によるダメージで荒れたビデオ画面から出てくる中継アナウンスの出だし「えー、今日は1989年11月19日~」のフレーズにショックを受けない人はいないと思う。テレビのニュースや特番のアーカイブと違って、プライベートビデオなのだ、これは。それがごく普通に今日は1989年の・・・と言い出すところにこのビデオの持つ「凄さ」を感じざるを得ないのだ。

 だって、普通ビデオを回す時、最初に今日は西暦何年と言うだろうか?まるで30年後にこのビデオがどれだけの価値を持つか予測していたかのようなセリフではないか?

 筆者もその友人も、その頃はウインドサーフィンに狂っていて、平日風が吹けば「カゼでお休みします」と連絡して会社を休み、週末土日や祭日は風が有ろうと無かろうと、葉山森戸神社の境内にある駐車場に通っていた。

 この葉山森戸神社は富士山を正面に観る真西に面した高さ5mほどの石垣の上に建つ非常に由緒ある神社。かの石原裕次郎の映画「狂った果実」のロケ地でもあり、ちょうどこのビデオが撮影された1989年(平成元年)狭い神社裏の浜へ降りる階段の上に裕次郎記念の石碑が造られた。石原まき子さんが来られた除幕式にも偶然居合わせている。
正面に江の島、富士山を観られる神奈川県でも有数の夕陽名所に成っている。

 同時に沖の菜島(名島)の岩礁の切れ目の水道(船の通り道)に白い裕次郎灯台が設置された年でもある。その二つともこのビデオにしっかりと写っている。

森戸神社(森戸大明神)= http://www.moritojinja.jp/about/areamap.html 

 で、当時のマリンスポーツ界は、ウインドサーフィン全盛期!名前はサーフィンが付くので一見軟派っぽいが、実際は普通のサーフィン同様相当タフな体力のある人間にしか楽しめないハードなスポーツだった。

 今でこそ、思う通り楽しめるまでに余りにその下積み期間が長いとか、まず泳げなければ駄目だとか、道具にお金が掛かりすぎるなどの理由でプレイ人口が減り、絶滅危惧種とも言われかねない程の凋落ぶりだが、30年前は時代のトレンドの最先端にあったマリンスポーツだった。

森戸ジンジャーズのある日の記念撮影。多分真冬だ。

 この景色は31年前も今も変わらない。ビデオの日の様に真西からの風ではなく、こうした南西の強風日にはサイドからの風になる為、江の島あるいは富士山めがけて浜からまっすぐ沖に出られる湘南でも数少ないポイントだ。だからこそこの神社裏の猫の額ほどの岩場の入り江をベースにしているのだ。

森戸ジンジャーズの面々。超有名出版社のエディター、家電メーカーのエンジニア、ジュエリーデザイナー、八百屋、魚屋、漁師、CG関連エンジニア、広告代理店プロデューサーなど種々雑多な異業種間コミュニケーションの場だった。
 なんと、ここでウインドサーフィンをするようになって4年も経ってからお互いの職業や素性が判ったという、ウインドサーフィン以外の事での交流が一切生じなかったという伝説まで生まれている。

 1996年のある風の無い日、「もう今日は風は上がらぬ」とその日のライディングに見切りをつけた既に電脳化していたメンバーにより、三鷹の我が家にパソコンが持ち込まれ、ネット・プロバイダーに即加入させられ、画像と音楽入りのHTML方式のEメールの作り方、打ち方、受け方を教わった。それが無かったら、筆者はこのブログを打てるようになるまでさらに10年以上かかっただろうと思われる。

 その恩人はこのビデオでも筆者と一緒に4.2㎡のセイルでカッ飛んでいる。

画面左の階段の上の碑が裕次郎の碑。

 潮が引けば岩場に成る、出入りが非常に難しい狭いビーチ。慣れない人が此処から出入りするとまずボードを壊すし、岩で足を切りけがをする。

 筆者を含めてこのウインドサーフィンのライダーたちの熱中度合いはもの凄く、都心で仕事をしていても、レストランで昼食を摂っていても、少しでも風を感ずると腰が浮き、空を見上げる!と言ったものだ、たとえそれがビル風であっても・・・。

 もちろん携帯電話(スマホやパソコンはまだ無い!)の短縮1番目には神奈川県の気象予報045-177が入っていた。この予報で「明日は風やや強く」というアナウンスを聴いた途端、風の方向がどうであれ翌日の予定をすべて変更して、ウインドの準備をするほどだった。勿論天気図を読んだり、観天望気に詳しくなったのは言うまでもない。

 1981年に筆者が始めたウインドサーフィンは実は最初仕事でだった。ごく初期のウインドサーファー艇の世界選手権大会(沖縄)の企画・運営・実施がそのきっかけで、その前年プレ大会運営会場でライディングを覚えたのが始まり。それがその後仕事と楽しみの相乗効果で、リクルート・フロムエーという素晴らしいクライアントさんと出逢う幸運もあり、日本のウインドサーフィン界の裏方を随分長い事担当させて頂いたのだ。その結果、仕事でハワイに30回以上出張し、業務上(仕方なく?)ウインドを屋根に積んだレンタカーを乗り回し、マウイの沖合の波でジャンプしなければならなかったという、とんでもない境遇にも恵まれたのだ。

 この1989年11月というのはそういう状況のまさに絶頂期に当たる頃なのだ。当時一度見た記憶があるこのビデオとの31年後の再会はそういう意味でも非常に「凄い!」事だった。

 普通、誰でも31年も前の映像を観ると、相当な時差・年代差を画面に感ずるものだと思う。例えば、仮に今が1990年だとして、その31年前1959年の映画や映像を観ると相当な時代差を感じただろうと思う。1990年と言えばローリングストーンズやポール・マッカートニーのドーム公演があり、テレビではちびまる子ちゃんや渡る世間に鬼~が流行った頃だ。
 その1990年から1959年を観れば、テレビは白黒で番組は「NHK・夢で逢いましょう」だの「事件記者」などだ。これらを観るのと一緒で、画面を見る限り俳優や流行った歌などでその差を相当感じざるを得ないだろう?
 映像的に見ても31前の渋谷や新宿、はたまた銀座・日本橋は相当違う背景となって写っていただろう、日本橋の上に高速道路は無いし、数寄屋橋には日劇も不二家のペコちゃんのネオン、地球儀のネオンもあった事だろう。何せ大きな通りには何処でも都電が走っている!山手線や中央線も緑や黄色ではなく、すべてがこげ茶色の空調機の無い電車だろう。そういう意味での31年間の映像的時代差は明らかなはずだ。

 しかし、今回の31年前のウインドサーフィンの映像を観る限り、何故か画面からはその31年間の差を殆ど感じないのだ。画面の画角が違う程度で、現在71歳になった筆者が当時40歳、映像全体からはその差異を感じられないのだ。

 何故だろう?とても不思議だ!

 で、いろいろ考えたら一つの結論に達した。それは画面に写っている富士山や江の島や菜島の灯台、遠くに見える逗子マリーナなどが今も全く背景として31年前と変わらないからなのだ。江の島の上の展望台は替わったかもしれないが動く画面では遠すぎて認識できない。
 上が1989年11月19日森戸神社裏から撮ったビデオ映像切り出し。下がGoogleマップでほぼ同じ場所から2020年1月に撮った画像。ほとんど何も変わっていない。ビデオに登場する人間だけが31年前って訳だ。これは一種のタイムマシンだと思う。

 ウインドサーフィンのセイル自体もそう形が変わったわけではない、強風と経年変化のお陰で荒れた画面が理由でもない。ただ写っている我々ウインドサーファーだけが今より31歳若い状態なのだ。これは結構大きなショックだった。何度も観返してしまった、何度も編集し直してしまった。これは初めての凄い経験だった。

 後日談だが、更に何と、大元の8㎜ビデオテープ自体、専門プロのお店で相当キレイになってブレや荒れが亡くなって戻ってきたという。今まで見られなかった部分の尺までかろうじて再生できるという。もう一度最初から編集し直しだ!しかし全然苦にならない。観られなかった尺を見られるという期待だけで何でも出来そうな気がする。