2015年6月22日月曜日

ブッポウソウの観察レポート その2。This is a report that observed the broad-billed roller in detail. Part 2.

 今年のブッポウソウの繁殖は遅いようだ・・・と5月28日のブログでレポートしたが、どうやら幅があったようだ。6月4日に観察に行った際にそれが判明した。2組のファミリーが営巣しているようだったが、うち1組は連日交尾行動を行っていた。で、もう1つのファミリーは既に幼鳥に親が付ききりで空中採餌の手ほどきをしているように見えた。

 育雛中の採餌行動が一番頻繁に営巣ポイントと採餌場の往復を行うのだが、今回の観察中は営巣ポイントから飛び出してアッと言う間に巣に戻る行動を繰り返している場面に遭遇した。一回のフライトが6~7秒という短さ、此れは育雛中の1分以上のフライトに比べると極端に短い。距離も非常に短い、せいぜい巣から30m程度だ。

 最初は単純に手近で済ませているのだと思っていたが、実はそうではなかった。逆方向に場所を換え観察をしてみてよく判った。巣の出入り口に親鳥が居て並んで教育をしているようだった。

 ブッポウソウは雌雄同色といわれているが、雌雄で大きさはどのくらい違うのだろう?観察した2羽は親子だと思うが、もし此れがつがいの雌雄であればまったく此のレポートはウソになってしまう。野鳥の観察はそういう部分で難しい。

手前・幼鳥、奥・親鳥だと認識している。明らかに大きさが違う。

こうして並んでくれると更にその差は歴然。特にくちばしが違うのが良く判る。

2時間ほど横に並んでいた親は一度も空中採餌に出なかった。そのうち奥へ引っ込み、幼鳥だけが一生懸命単独で採餌の練習に飛び出していったが、じーっと飛んでいる虫を注視して動きを見ている様が良く判った。ちゃんと見極めて飛び出しているのだと感じた。決して空中にいい加減にでて鉢合わせした虫を偶然捕らえているのではないような気がする。成鳥になれば別だろうが。

飛び出した直後の姿勢

虫を捕らえる直前は口を開いて少し姿勢が立つ様だ。

これからは旋回しながらキャッチした連続撮影、一旦高度を下げてスピードをつけ、上昇しながら羽虫を下から空抜けで狙うと見た。

翼端がファインダーから外れてしまったが、キャッチする直前。

ターンした時には既に虫を加えていた。もっとも虫をキャッチできたからターンしたと理解したほうが早いだろう。

旋回中は羽ばたく必要が無いので同じ姿勢のままターンしていく。

日差しが強いのでコントラストがとても強い。しかし小鳥と違って猛禽類のようにも視える。

角度で色の変わる綺麗な野鳥だ。


2015年6月21日日曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #114.」 ヴァン ヂャケットの社内エピソード、トラッド・アイビー最盛期の終焉 その1.

 こうして順調に充実した生活を送っていたヴァン ヂャケットの社員生活だったが、1978年のある日、池袋西武百貨店で石津社長自らが店頭に立って来店客、つまり消費者対象のブレザー講座が実施された。そうして此の時まさに言うに言われぬ何か不安と異変を感じたのだった。此れは筆者だけだったかもしれない。 
 勿論Kent営業、ヴァン ヂャケットの星、西武系が担当の横田氏を中心に販売促進部が全面的に支援するスタイルだった。販促部の担当は筆者ならびに横田氏共通同期の愛甲氏、それに安達先輩も現場へお出ましだったので上手くいかない訳がなかった。総合司会はあの饒舌でユーモアたっぷり、「何と何とぉー、そんなことしちゃったりしてぇー!」と独特の節回しで当時のナレーター・声優の中でも絶大な人気を誇った広川太一郎さんだった。
場所は定かではないが、2階にメンズの売り場があるという事は池袋西武ではないようだ。


当時の百貨店の店内は店頭在庫(=商品量)が非常に多かった。

 このとき石津社長が百貨店のフロアで立って解説を行う姿の向こう側に居並ぶ観客・消費者の姿を観て背筋が寒くなったのを今でもはっきりと覚えている。お客の中に誰一人ジャケット、スーツ姿のお客が見当たらなかったのだ。極端な事をいえばヴァン ヂャケットの社員3名、売り場の販売員、西武百貨店のフロア責任者達、それに司会の広川太一郎氏と石津謙介社長。このメンバーだけしかスーツ・ジャケット姿の人間は居なかったのだ。
一段高いステージもなくフロアに立ってのイベントは目立ちにくかったろう。

 此の瞬間ある意味自分の中でも、「残念ながらヴァン ヂャケット」最盛期の時代が終わったかもしれない。と思ってしまったのは間違いでは無かったような気もしている。実はこのブログを書いていてこの写真の催事が実は1978年の4月2日だったのを発見!何と会社更生法申請(実質倒産4日前)のイベントだった事を確認した。ヴァン ヂャケット倒産前最期の石津社長の写真に成るかもしれない貴重なものだった。

 少し話を遡ると、社内でも商品の売れ行き不振が営業会議で全国的に報告され、特に1976年夏、新ブランドSCENE、及び少し遅れて実質デビューしたNiblickのスタート時の記録的な冷夏長雨がたたり、衣料販売不振の中ダブルパンチでヴァン ヂャケットの屋台骨を揺るがし始めていた。
 
 此処に1976年夏、冷夏長雨に関する気象庁のレポートがある。「梅雨明けは四国、九州、奄美、沖縄地方で平年より遅かったほかはほぼ平年日前後だった。しかし梅雨明け後も太平洋高気圧の勢力は弱く、梅雨期から勢力の強かったオホーツク海高気圧が梅雨明け後も長く居座った影響で全国的に冷夏となり、曇りや雨の日が続いた。夏の平均気温は北・東・西日本で平年を1℃前後下回った。9月も顕著な低温で長雨の傾向が続き、全国的に農作物は歴史的不作に見舞われた。」
あくまでイメージの新聞記事だが、まず農作物への影響がメディア報道の軸になった。
 
 当時はまだエルニーニョ現象という言葉は日本の気象庁でも使用されていなかったが、80年代になるとラーニャ現象と一緒に盛んに使用され始めた。1976~77年、更に77~78年はいずれもエルニーニョで日本は二年連続で冷夏に襲われた。此れが消費者行動に異常をきたしたのはいうまでもない。勿論まだ此の頃はいわゆる地球温暖化問題、国連の気候変動に関する政府間パネル(=IPCC)などのレポート等は発表されておらず、むしろ2年続いた冷夏長雨の直感的な感覚として地球は小氷河期に入りつつあるのではないか?この先は防寒具・サバイバル的商品が売れるのではないかとさえ言われ始めていたのだ。ちょうど分厚い「WHOLE EARTH CATALOG」が月面に浮かぶ地球の写真と共に話題になった時代だった。
当初、雑誌ポパイなどで大々的に取り上げられたホールアースカタログ。1968年に創刊され、1974年に最終号が出で終了したが、あのスティーブ・ジョブスが大学の講演でこの本の一節を引用してアピールしたのは有名だ。原語版でまだ一冊持っている。

 残念ながらこの1976年にスタートした新ブランドSCENE、NIBLICKのブランド・スタートプロジェクトのメンバーに筆者は入れて貰えなかったが、きっと派手なスタート演出の影で何処かマーケティングの不具合が有ったのだろうと思う。質実剛健で伝統に培われたトラッド・アイビータイプが好きだった自分的には、ヨレヨレの化学繊維素材で出来たアメリカ中西部のでかいアメリカ人が着ているような新しいコンセプトの商品群はとてもじゃないが好きになれなかったのも確かだった。
 当時はセブンデイズといった量販店用のプライベートブランドに、一部そういったパンタロン系のヨレヨレ素材のズボンが有ったが一度も手にした事は無かった。

 内見会用に準備したコンセプトスライドのツール群もどんどんステップアップして、3台のプロジェクターを同時に稼動させ、スライド画面のつなぎ目をスムーズに、カラの店舗に徐々に商品が陳列され、最後には販売促進フェアの飾り付けまで動画のように見える仕掛けまで造ったのだが、何か非常にむなしいものを覚えるような日々が続いた。
 画面はその殆どが、雑誌ポパイから切り出したような写真ばかりで、つい2年前メンズクラブの写真を切り貼りしていた時期からの急激な変化に戸惑うばかりだった。前にも述べたが、西海岸風のアウトドア・ニュースポーツ的雰囲気でインテリアを演出し、商品も如何にもポパイの最新号に載っているようなアイテムでまとめたにも拘らず、そのパース(=手描きの完成想像予想イメージ図)に出てくる店員やお客がまだネクタイをしてジャケットやスーツ姿という何処かちぐはぐな時代だった。

 この1976年夏の終わり辺りから、総じてヴァン ヂャケット全社での売り上げが悪い、全社的に経営が危ないのではないかと言う雰囲気、気配を察知した勘の鋭い社員達は決して少なくなかった。特に社内でも現業つまり最前線で外勤・販売・営業に従事していないスタッフ部門の者の間では、いつもデスクに座っているため噂は非常に速い速度で伝わる。深刻に「次のステップ、次の職場」を意識し始めた者が出始めたのもこの頃だ。何故か個人的に意匠室のメンバーに今後の事を相談される事が多かったのを覚えているが、決してそれは同期ばかりではなかった。

 そこで、自分でも勿論会社には内緒で2箇所、広告宣伝関係会社の中途採用試験を受けようと準備を始めたのだった。ちょうどこの頃は盛んに宣伝会議、ブレーン等の広告業界専門雑誌を読みふけっていた頃で、自分の職域である販売促進・宣伝ジャンルの専門職がどのような広がり・可能性を持っているか思案し始めていた所だった。まだ幼稚園にも上がらない2人の幼い子供を抱えて、30歳前の筆者がこの先の生計をどう立てようか真剣に考えるのは当たり前の事だった。


2015年6月19日金曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #113.」 ヴァン ヂャケットの社内エピソード、ヴァン・ファミリーセール。

 いつ頃から始まったのか良く判らないが、クリスマスプレゼントというノリでVAN社員の家族・関係者・得意先関連の上顧客を対象に、1973年4月に筆者が入社するはるか以前から限定招待・ファミリーバーゲンセールを行っていたらしい。初めの頃はクリスマスプレゼントのイメージを強調する為サンタクロースの衣装を着て会場を回った社員が居たという事だ。まさか石津社長ではないとは思うが、「遊び」のノリで世の中的には非常に羨ましがられた催事だったという事だ。
 当然招待券はプラチナペーパーと化し、売買されたりプレミアムが付いたと言う伝説があるようだ。筆者も入社が決まった1972年の12月、招待券を貰って朝早くから北の丸公園の科学技術館に並んだ覚えがあるが、物凄い列だった。

12月21日が金曜日なのは1973年だから、此の招待状は1973年の物だろう。


 此れが毎年の暮れ恒例の催事になったのは1971年あたりからだったようだ。本来は当初一回限りの予定で実施したものの、予想外の売り上げ数字に管理部門が驚いて「此れを放っておくのは勿体無い・・!」とばかりに翌年の売り上げ予測に確率度Aランクで入れてしまったのだろう。数値だけしか見えない管理・係数管理部門に良くある話だ。結局売れるから止められなくなってどうしたか。商品量を増やし、招待券の配布枚数も増やし、開催日程も増やしたのだ。
 そうなるとどうなるか?もう現場は大変な状態になる。非現業のほぼ全社員が会場の北の丸公園にある科学技術館・現場に借り出され、販売促進部員など当然最前線で連日運営管理に寝る暇も無かった。だんだん大掛かりになるにしたがって、更には売り上げが行き詰ってからは本番前の値札付けなどの倉庫作業にまで借り出される様に成った。

 このVANファミリーセールでは色々な事件が起きた。何年目かにはスタッフ社員に配られた昼食の弁当で食中毒が発生、数人が救急車で運ばれたりした。同じ昼食弁当を2個も完食して何とも無い筆者のような者が居る一方で、可哀相に入院した者も居たようだ。
科学技術館がアパレル会社のバーゲン会場になるとは当時理解し難かった。

 そういったスタッフ側、主催者側の問題より重大な問題が現場で起きたのだった。ある年、会場警備係の担当になり、迷子や落し物を探して会場を巡回していた時、お客様のオバサンたちが会場の隅で座って輪になってワイワイ言いながら選んだ商品を確かめている場に遭遇した。皆で手にした商品の最終決定をしているのかと思って遠巻きに観ていた。
 しかし各人どうも1つの商品に妙に集中するので、何かと思って良く観察をしてみたら、何と値札を安い物に付け替えているのだった。ただでさえ相当安い価格でサービスしている商品の値札を更に安い別の商品の物とせっせと付け替えているのだった。8人ぐらいの丸い輪で全員が同じ事をしていた。勿論違反行為だし刑事告訴すれば本当に手が後ろに回る事になる。完全に悪いと判っていての確信犯だ。大バーゲンの熱気の中で「赤信号、皆で渡れば怖くない!」のノリでやっているのだろう。ヴァン ヂャケットも舐められたものだ。

 またある時、靴の売り場でVANリーガル等の人気商品山積みの平台(商品陳列台)が定位置からズレているので元に戻そうと動かしたら、平台の下から汚い靴が2~30足も出てきた事があった。要はその場でサイズ合わせをする振りをしてそのまま未払いの商品を履いて帰ってしまっているのだった。またある時には中学生もしくは小学生高学年の子供がスイングトップ・ジャンパーを着てきたジャンパーの下に重ね着をしてそのまま帰ってしまおうとした所をレジの女子社員が気が付いた事もあった。つまり、自動的に好きな物だけ買い物袋に入れてレジに持っていくだけの単純なシステムだった為起きた事だった。「VANファミリー」としてのお客様をあまりに信用しすぎたのと、売り場を全然監視しなかった事により起きた「集団出来心」的な不正の数々だった。

 そこで、こういった不正や万引き行為を防止する必要が有ると本部に報告したら、すぐさま専門チームが編成される事になり、提案者の筆者がその責任を任されたのだった。
 そこで、アイスホッケー部のメンバーを中心に2班を作り、持ち場を決めて巡回する事にした。もうこの際の業務遂行については後で色々な人から言われてしまった。「あの時のシンジョーさんは物凄い形相で怖かった。」「似ている奴が居るなー、とは思ったがまさかシンジョーだとは思わなかった。アイスホッケーの試合中みたいだったよ!」など色々言われてしまった。余程不正摘発に燃えて正義感を高ぶらせていたのだと自己推察する。

 調べ始めたら色々な場面に遭遇した。中学生ぐらいの子がやたらと胴体が太っているのでおかしいと思いレジから出た後も尾行してみた。科学技術館の敷地の端にある公衆便所に入ったので一緒に入り用を足す振りをした。そうしたら仲間が待っていて、彼の着ているジャンパーの中からボロボロと同じ紺色のVANスウィングトップが丸められたまま出てきた。全部で8個もあったのだ。直ぐに元どうりに納めさせ、そのまま本部に連行した。 またあるときは大柄の詰襟学生服を着た青年2名が真新しいステンカラーコートを着て妙に早足で並んで会場を移動している。何かおかしいと思ったらKentのコート裾の仕付け糸がバッテンのまま付いているではないか!そのまま2名で連れ立ってレジを抜けたので、もう一人の見回り隊員と一緒に声を掛けて本部に連行した。そうしたら何と同じコートを2枚重ね着していた。連行の途中に係りの一人が振り払われ転倒し、筆者もグーで強烈な一発を食らってしまった。それで逃げようとするので、思わず一人に飛び掛りタックルして駐車場に倒し、急所を握って押さえ込み静かにさせ、駐車場係に大声で「頼む!万引きだ、そいつ!」と逃げるもう一人を指した。そうしたら駐車場の担当はアメリカンフットボール・ヴァンガーズの強力な面々だった。アッと言う間にその万引きを取り押さえて一緒に本部に連行した。連行して驚いたのはその2名が武道でもバンカラでも超有名な世田谷に在る大学の空手部員だった事だ。
 翌朝見事に青タンの出来た顔を見て社員に言われた「隊長!リンクの外では程々にね?」全員が既に昨日の武勇伝を知っていたのだ。

 しかし本部はアッと言う間に不正を働いた入場者で満杯になり、まるで留置場の様に成ってしまった。管轄の麹町署のパトカーが4台も駆けつけて大騒ぎになったが、「このような出来心を起こすような販売方法を採ったVANさんのほうもいけない」と逆に指導を受けてしまった。
「じゃあ、状況がそうであれば万引きや盗みは不問にされるのか?」と周りを囲んだ社員達のクレームに対し返答は「勿論盗みは悪い、今回の件はすべて調書は取る!VANさんが被害届を出し窃盗者を訴えるんであれば受理しないでもない・・・。」という事だった。 残念ながらせっかく現場を捕まえたのにトップの判断で不問にする事になってしまった。しかし2時間も3時間も本部の厳重な監視の下に警察の来るのを待たされ、写真も撮られ恥ずかしい思いをした人々の口コミ効果は非常に強力で、翌日以降万引きや不正は激減したのだった。

 むしろ、北の丸公園の科学技術館現場に到着するはずの商品満載の荷物車を、某幹部社員が経営する郊外の自分のお店に配達させて横取りしたなどという話も出て(噂の域を出ないが)1976年以降は毎回大混乱だった様だ。

ブッポウソウの観察レポート。This is a report that observed the broad-billed roller in detail.

 梅雨に入って雨で濁って増水する事の多かった球磨川水系。結果としてブッポウソウの観察に3度ほど通う事が出来た。信号が1箇所しかない広域農道や国道・県道を40分程進み県境に近くなるとブッポウソウの営巣エリアに到着する。峡谷にかかる大きな橋の付近はまず歩行者は一人も居ない。午前と午後で太陽の位置が当然のように逆になるので撮影ポイントを替えないととんでもない逆光で撮影する事になる。

 ブッポウソウに最初に出遭ったのは此の場所ではなかったが、夏の盛り8月の頭だった。ネット等で観た電線に留まっている写真のイメージが強かったせいでなかなか目視出来なかった。殆ど何の知識も無かった為今考えればもっと図鑑やネットで調べていくべきだったと思う。諦めて帰ろうと思ったとき上空をブツブツ鳴きながら変な野鳥が10羽以上で旋回しているのに遭遇。
 上空高度4~50mを不規則な動きで旋回・上下する此の野鳥がブッポウソウではないかと気が付いたのは飛んでいる大型のトンボ等をフライングキャッチしているのに気が付いたからだった。
 それと、昔のゼロ戦のように両翼に白い斑点マークが付いているのに気が付いたからだった。ただ鳴き声を知らなかったのでブツブツ風邪を引いたような声で鳴く奇妙な姿に「本当にこういう鳴き声なのか?」と不思議に思ったのも確かだった。

 夕方の虫が飛び交う時期だったのだろう、素晴らしいブッポウソウの乱れ飛ぶ空中ショーだったが上空を見上げながらの撮影だったので翌日首が痛くなったのを覚えている。

 とりあえず今日のブログは、その全体の美しさと飛翔の美しさをレポート。コマごとの説明は要らないだろう。












週末は「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」の掲載になるので次回は月曜日にブッポウソウの生態観察レポート続編を掲載予定。幼鳥教育、大喧嘩の様子、空中採餌の様子・・・など。





2015年6月18日木曜日

今年の人吉エリア・ヤマセミ繁殖レポート その4。 This is the breeding report of Crested kingfisher at Hitoyoshi area. Part4.

 今日の出だしは繁殖中のヤマセミつがいに何かが発生したと思われる異様な鳴き声を発するヤマセミの音声。2日前6月16日付の画像と同じ方向に向けたカメラの動画機能を使って音声だけを録音したもの。16日のブログにも説明をしてあるが、正面に写っている巣穴は昨年以前のモノ。鳴き続けるヤマセミの親は向かって右の杉の木立の奥から聴こえている。現役の巣穴はその方向に存在するものと思われる。
 ※営巣中のヤマセミに異変発生=https://youtu.be/GQzjSIrbo4k

 声しか聴こえず、姿が見えないため静止画の撮影が出来ない。したがってうるさい連写のシャッター音も聴こえない。非常に奇妙な状態が約30分以上続いた。この間親鳥はこの状態のまま鳴き続けていた。観察する側としてはこれ以上辛い状況は無かった。

 鳴き声が止んだのは相当経った後だった。それから暫くして親鳥つがいが川を挟んで留まり、暫く動かなかった。今改めて撮れた画像をよく視ると雛が何か天敵にヤラれ、諦め落胆しているように見える。昨年ヤマセミ繁殖中に巣穴に青大将が入りメスの親と卵もしくは雛が全滅したのを目撃した経験が甦ってきて大きなショックを受けてしまった。

 更に昨年その悲劇の直後新たな繁殖中の巣を発見、遠くから観察したがやはり5羽の雛(後で計算して5羽が判明)の内1羽は青大将に呑まれ、1羽は巣立ち直前に巣から落下、テンやカラスに殺され3羽のみが巣立つ事が出来た。此れは約10日間ベタ付で観察できた。まだヤマセミの繁殖記録の詳細画像付き文献は日本に存在しないので近日中に自費出版予定中(100冊程度限定・非売品)。

 これら昨年と今年の3家族の繁殖記録を見る限り、各家族5個づつの卵を産み育てたとして、巣立てたのは15個中3羽という事になる。巣立ち率20%、5個に1羽しか巣立てないという事になる。勿論巣立った後の自然淘汰を考えるとヤマセミの数が思いのほか増えない意味が良く理解できる。一方で6年前からのヤマセミの繁殖状況を見ていると、4羽の子連れ、3羽の子連れ、2羽の子連れファミリーの教育場面の画像が幾らでもあるのでもう少し繁殖率は高いかもしれない。データがまとまったらまた此のブログとメインのYAMASEMI WEBで発表したいと思う。

 しかし、此れだけははっきりと言える。繁殖活動を止めてしまうから営巣中の野鳥の巣に近づくな!と良く言うが、野鳥の種類と周りの環境とその時々の立地条件を判断すべきだろう。ツバメやカラスの営巣に近づいて放棄した話は聴いた事がない。そんな事でカラスが減るのであれば東京のカラス問題はもっと簡単に片付くはずだ。これはサンコウチョウでもブッポウソウでも同様だ。

 憲法の様にすべてに共通する解釈は成り立たない。脚立でも立てかけて巣穴を覗き込み、雛と親が居る所をストロボをたいて写真を撮ったりして親が脅威を感じ諦めない限り繁殖行動を放棄したりはしない。過去においてそう云う事が有ったのは余程の事だろう。1つの例をとって全部が全部そうだと決め付けるのは実態をよく観察していない者のいう事だ。TVメディアの報道を頭から鵜呑みにする一般大衆と同じだろう。

 実際、野鳥愛好家の中にはそういう覗きこみ写真を撮って本にして出したり、ブログに載せたりする人を幾らでも知っているが、確かにやり過ぎだとは思う。しかし野生の繁殖力は実はそんな事ではめげるほど弱くない。ヤマセミにとっても天敵青大将やカラスの脅威のほうがはるかに大きいのだ、むしろ今回発見した別の営巣ポイントは道路から15m民家から20mの距離に営巣している。 勿論あまりに近い為、関係者間で「此の巣だけは近寄るまい」と決めたので、その後の進展は判っていない。今回失敗に終わった此処のヤマセミの観察にしても、巣穴から最低でも80m以上離れて一般の道路に車を停めて観察撮影している。

 いずれにせよ、これらのデータを元にヤマセミがこれ以上減らないようにするには人間として何が出来そうか、すこし知恵を出してみたい。

けたたましい鳴き声が止んだ後、親鳥つがいは電線上でしばし動かなかった。

30分後川に面した竹の上でじーっと動かないつがい。繁殖失敗のショックで落胆中か?

ヤマセミがこれほど長い事動かないのも久しぶりと思えるほどだった。

巣穴を見通せる正面(距離90m程)の杉に留まっている親鳥つがい。

翌日もいつもの附近でつがいで行動していたが、巣のほうには二度と行かなかった。

事件の2日後二羽の親鳥達はテリトリーの上空をむなしく旋回することが多かった。

盛んに給餌していた時と異なって何も咥えず巣立ちを促すこともなかった、残念。

ヤマセミを観察していてこれほど辛い事はないが、大自然の驚異を目の当たりに出来ている
幸運を感じつつ今後も観察を続けたい。来年また同じ所で営巣するとは限らないが・・・。



<お知らせ>

日本野鳥の会熊本県支部の安藤博人さん則子さんご夫妻の展覧会が
以下の内容で行われる。自分にはとても撮れない素晴らしい野鳥写真
を沢山観させて頂けそうで今からワクワクしている。昨年も数多くの作品
を見せていただき大きな刺激になった。行ける方は奥様の力作と一緒に
是非ご覧になっていただくと嬉しい。


実は此の安藤さんご夫妻はブルーベリー・ファームの経営者でもある。
毎年素晴らしい大粒のブルーベリーを生産されている、一度お試しを!



※なお人気商品の為此のブログをご覧になった時点で売り切れの場合は是非ご容赦を。









2015年6月17日水曜日

今年の人吉エリア・ヤマセミ繁殖レポート その3。 This is the breeding report of Crested kingfisher at Hitoyoshi area. Part3.

 昨日に引き続き繁殖失敗ヤマセミの生態。巣の雛に給餌する為に魚の頭を前にして川から巣穴へ運ぶ親鳥の姿を幾つか掲載したが、給餌している時以外は普通は巣穴をほぼ正面から見える位置で遠くから見守るのが巣立ち前のヤマセミの親鳥の行動だ。此れは昨年3羽の雛が無事巣立ったファミリーの生態観察での記録が残っている。

 主に監視する為に留まる場所は3~4箇所在ったが、今回の場合肝心の巣穴が観察者の筆者からは杉の木立に隠れていて直視できない為主に2箇所だけ確認できている。このほぼ巣穴の正面で監視する理由は、巣立つ直前の雛が親鳥の姿とその声を直接確認できるように・・・との事だろうと推測している。動物、特に野鳥は生まれて眼が見えるようになって最初に動くものを親だと認識する為にそういう事なのだろうと思う。

 この親が巣穴の雛に集中し、給仕を頻繁に行って居る最中、実は親鳥のつがいがいつも縄張りとしているエリア、採餌するエリアは縄張り監視が手薄になり、隣組のヤマセミが進入・通過する事がある。時には知らん顔で羽休めをしたりする。
 縄張り侵犯は、普段であればすぐさまスクランブル発進する監視役のオスが、水面すれすれで飛行してくる隣組ヤマセミを高い位置にある監視場から加速しながら急降下して追い立てるため、アッと言う間に終わる事が多い。普段縄張り争いはオスの役割と相場が決まっている。此れは長い事観察していてのデータがそう示しているので間違いない。

 しかし、オスが給餌の真っ最中だったり、何かで巣穴の傍に居ていつもの縄張り監視がおろそかになった場合、メスが代わりにスクランブル発進して侵入者を追い払うことがある。メスが他のヤマセミと猛然と争う場合は初冬の頃、オスの取り合い、つまり嫁に成りたいメス同士がオスの目の前で闘い嫁の座を得ようとする場合と、このように繁殖期のエリア信入者の駆逐・排除の場合に限られる。それ以外はメスは殆ど目立って争う事をしないように見える。オス同士の激しい縄張り争いの場合でもメスはそれぞれ一歩も二歩も下がって遠くから静観している。「何やってんのよ!もっとやんなさいよ!」などとは決してけしかけたりしない。色々な意味で人間の夫婦とは随分違う、人間も是非ヤマセミのつがいの生き方を学ぶべきではないだろうかと、常々思っている。
突然監視台の杉の木から舞い降りて侵入してきた隣組のメスを追い立てるメス。びっくりした侵入者は一度水中に没して攻撃をかわした為波紋が残っている。

逃げる方はもう必死で逃げまくる。

主翼端が水面を叩いた後が幾つも残る必死さだ。

急旋回して本能的に自分のテリトリーのほうへ戻ろうとする侵入者。

隣組は実は昨年生まれた追いかけるほうの子供だったり、或いは兄弟・姉妹だったりする。

闘いあうのが目的ではないので、威嚇しながら併走して追い出すのが通常だ。

此処まで来て双方メスで在る事が見て取れよう。

追い出したメスは意気揚々と筆者の目の前まで凱旋してきた。

勝ち誇ったように傍を旋回して・・・。

30mほどの距離の電線に留まった。

暫く羽根を休めていた。こちらは車の迷彩ネットの中から一切出ないで息を殺していたがこちらが居ると言うのは百も承知!と言った感じだった。3日同じ場所に居れば慣れているのだろう。