2020年12月6日日曜日

2030年代にガソリン車販売禁止って?実際可能なのだろうか? Is it really possible the ban on gasoline car sales in the 2030s?

  ヨーロッパ各国の2030年以降ガソリン車の販売禁止という信じられないような宣言に押されて、慌てて我が国も似たような宣言をしている様だが、本当にそんなこと言って良いのだろうか?大丈夫なのだろうか?

 筆者ですら2007年登録のスバルレガシィ・アウトバックをいまだに愛用して快調に走っている。2017、18年には東京ー九州間を二往復している。全然トラブルもない。

 それが地球環境の事を考えて、コンセントからでも充電可能な電気自動車(EV)や水素燃料を使う燃料電池車(FCV)に全とっかえするって事なのだろうけれど、今から10年や20年そこらでガソリンとエンジンで動く車の多くがエンジン音のしない電気自動車などに替わるとはとても思えないのだが・・・。

ご参考=https://www.goo-net.com/magazine/7197.html

 電気自動車(EV)を例にとって考えれば良く判ろう?ガソリンの代わりになる燃料の「電気」が2030年あたりから急激に需要が増えるはずなのに、発電量をそんなに増やせるのか、我が国は?その分化石燃料を燃やす火力発電を活性化させれば余計地球環境に悪いのではないだろうか?

 そもそも地球環境問題にしても、アフリカに自国の電気製品や産業廃棄物を大量に捨てているヨーロッパ諸国が言い出した「環境ビジネス」が発端と聞いている。その辺りは「環境問題のウソ」などの著書や論文で未だに平行線だ。その流れをくむ「ガソリン車撤廃ムーブメント」に諸手を挙げて賛成をしかねるのが筆者の考え方だ。

 原発だってすごく難しい発電装置だと思っている人が多いのだが、実は水を沸騰させて蒸気の力でタービンを回して発電するのだから「蒸気機関」なのだ実際は。ジェームズ・ワット以来、火力発電も原発も発電に関する基本的原理は何も変わっちゃいないのだ。

     https://www.energia.co.jp/atom/more2.html  中国電力のHPより

 多くの野鳥をその大きな回転翼で叩き殺している風力発電だって、太陽光を使うソーラー発電だって2030年以降、今までガソリンで動いていた車を同じような効率・利便性で動かせるほどの量の電気(=燃料)をガソリンと同じような効率コストで自動車へ供給できるのだろうか、我が国でも?

 週に一度は行く恵比寿のデザイン研究所の近所に水素ステーションがあるが、車が入っているのに遭遇したことが一度もない。

恵比寿から目黒へ通ずる住宅街のど真ん中、道路沿いに在る水素ステーション。

 メディアの発表で菅総理が2030年代に「新車販売を脱ガソリン車にする」と軽く宣言したようだが、欧米の手前、何の裏付けもないまま遅れては恥だとばかりに「大ウソ」を言ったのではないかと心配している。国連で実施裏付け方法論の無い脱炭素に関する大見得を切って大恥をかいた小泉環境大臣とあまり変わらないような気もするが如何だろう?

 先ほどの電力量の問題もそうだが、高速道路で「電池切れ」を起こした場合充電に時間のかかるEV車が高速の至る所に数珠繋ぎになりやしないか?JAFはそれらに対応できるようになるだろうか?

 ひょっとすると、電池切れの際の用意として30分だけ使えるバッテリーパックとか10分・20分用だとかがAmazonやIKEA、あるいは高速道路内のSAなどでお土産品と並んで売られたりするのだろうか?

 更にはSAやPAで充電をあてにしている車相手に、、諏訪湖SAのような仮眠施設や温泉とか広い充電駐車ゾーンが出来たりするのだろうか?いずれにせよ車のEV化は世の中の仕組みを相当変えそうだ。しかしガソリンスタンドで充電もするとなると都心の給油所の混雑はとんでもない事になるかもしれない。

 菅首相はこうした関連変化をどのように考えて欧米に追従したような宣言をしたのだろう?

 実際は我が国の技術として強みのあるガソリン+電動のハイブリッド車を含んでの2030年代に・・という逃げも含んだ宣言なので、実際には90%以上がハイブリッド車であってもウソではないのだ、それも2030年代の終わり2039年ころまでに恰好がつけばお得意の答弁「目標を達成していないというのは当たらない」などと言ってデカい面をするのだろう。もっともその頃彼自身総理ではない事も含みおいての無責任宣言だろうとは思うが・・。

 これらに関していくつかの記事やネット情報を集めたのでご覧いただいて、メディアが軽く流す情報の裏が如何に大変な状況なのか読み取っていただければ嬉しい。





今後、多くのこの手のネット情報などが出てこよう。注視してみたい。