2025年10月25日土曜日

団塊世代は15年振りの上高地で野鳥二種を観察。  The baby boomer observed two species of wild birds in Kamikochi for the first time in 15 years.

  15年振りの上高地の自然がそのままだったことにホッとした筆者は、暑すぎた真夏の東京での野鳥観察を控えていた分、野鳥にも目を凝らして二日間梓川沿いを進んでみた。

 上高地帝国ホテルから明神橋を渡り、明神池から対岸を戻ってくるだけなので10㎞にも満たないかもしれないが、思いのほか野鳥の数は少なかった。

 ただ、さすがに大自然の中コゲラの巣作りとカワガラスの採餌行動をじっくりと観察・撮影できたのは収穫だった。さすがの地元三鷹の野川もコゲラの巣作りは幾度も観察できたがカワガラスにはまだ遭遇できていない。

 今回の周回コースでは数カ所で野猿に遭遇したが、多分国内の野猿では最もおとなしい自然体の猿たちだった。木道を人間と一緒に並んで歩いたり、子猿が人間に興味を示しても親はお構いなしだった。



結構子猿を連れた野猿の数が多かった。調べたら4グループ200頭ほどとか。

 最初に出逢ったコゲラ、ものすごい勢いで穴から削った木屑を排出していた。
最初は外に居たので巣穴は途中で気が付いた。



時折外へ出て近くの木から巣穴を確かめていたのが面白かった。

この後河原に出てカワガラスに遭遇、これは次回!

2025年10月22日水曜日

団塊世代は15年振りの上高地の高原紅葉に癒された。 The baby boomer was comforted by the autumn foliage on the Kamikochi plateau for the first time in 15 years.

  2010年初めて上高地を訪れた際は、雑誌や絵ハガキでさんざん脳にすり込まれた河童橋や穂高岳、大正池を確認するだけだったが、今回は動植物や空気感をしっかりと頭に入れ込んで帰って来た。

 この夏は暑さが続いたので紅葉が遅いようだったが、何とか黄葉の見事さはピークで堪能できた気がする。涸沢の紅葉は既にほぼ終わっていたようが、もちろん穂高の裏側なので下からは見えない。

 相変わらず観光客の数は多く、物価上昇で上高地帝国ホテルのメインダイニングのコースメニューも15年経って1万円ほど上がり2万5千円と約1.7倍になっていた。一人当たりの室料とディナーコース価格がほぼ同じというのも凄い事に成っている。

 普段近所の野川や都心の緑地帯がベースの筆者にとっては、奥日光の戦場ヶ原、霧ヶ峰の八島湿原と並び、癒しの大自然空間として重要な場所だ。ただおいそれとは行ける金額ではないし、帝国ホテルの予約もまずなかなか取れない。

 しかし、一度行けば都会生活に慣れてしまった現代人にとって眼からウロコどころか、全身からウロコ・・・と言った状態になること間違いなしだ。こればかりは行ってみなきゃワカルマイ?


何処でも観る上高地からの穂高岳風景だが

黄葉が見事で京都の寺社モミジ紅葉と良い対比だと思う。上の方は雲の中。

梓川流域は黄色が目立つ

カラ松が見事

明神池

白樺越しの紅葉

此処はツートーンの紅葉が結構目立っている。

2025年10月21日火曜日

団塊世代は西に低気圧がある時の夕焼けの凄さを知っている。Baby boomers know how spectacular the sunset is when there's a low-pressure in the west.

  しばらく経ってしまったが、この10月は関東地方で二度ほど広い範囲の素晴らしい夕焼けを観る事が出来た。10月8日(水)と10月12日(日)の二回。

10月8日地元三鷹の住宅街で撮影

4日後10月12日市川駅傍のアイ・リンクタウンまで出張って撮影した江戸川の夕焼け。この際は天気図を観て予測して出かけたのだが、都心方向は雲で覆われ埼玉方向に奇麗に出た。

 夕焼けのメカニズムは昔中学生の理科の時間などでも学んだが、今はそういう教育をしているか否かどうだか知らない。

 筆者が育った九州では小倉市(現北九州市)でも八代市でも鮮やかな夕焼けを幾度も観て育った。九州の夕焼けが鮮やかなのは大陸に近く飛来する黄砂の影響が強いからと教わったが本当か否か判らない。

 ただ当時の小倉市も八代市も大雑把に言えば日本海側気候であり、太平洋側の気候ではない。冬には雪が舞う日も関東に比べれば多かったように記憶している。

 東京など関東地方で夕焼けが劇的に奇麗だった際は、常時持ち歩くコンデジで記録しているが、調べるといずれも西~南西に台風を含む熱帯低気圧か、強い温帯低気圧がある時だった。

冒頭の画像の三鷹撮影時の天気図

冒頭で市川撮影画像時の天気図

 だからこの10月の二度の全天奇麗な夕焼けは8日と12日に南西方向に台風があったからだという事に成る。特に8日の関東地方は夕方になって晴れてきたので、日没時は湘南から都心に至るまで素晴らしい夕焼けになった。SNSへの投稿が非常に多かったのを記憶している。

 湘南海岸、稲村ケ崎から江の島と富士山を入れたまるで生成AIで作ったような「超観光写真的」絶景PHOTOの目白押しだった。地元の利を精一杯生かした「自慢フォト」の嵐だった。


 何も高い所へ登ったり海岸へ出かけなくても素晴らしい夕焼けは東京首都圏でもいくらでも出遭える。幾つかをご紹介。

2024年9月22日目黒川で撮影、寒冷前線通過直後

2015年頃八ヶ岳蓼科山の夕焼け

2024年10月7日野川公園で撮影

富士山のはるか西まで全天が赤くなった規模の大きな夕焼け2024年11月7日。恵比寿ガーデンプレイスから撮影。

2024年11月7日フィリピンに非常に大きくて強い台風、小笠原西方に低気圧。

 ちょん髷の時代から、舞台背景に良く描かれる「夕焼け」。いつの時代にも日本人の心に印象的な思い出を刻む自然現象、天気図を観ながら少しでもチャンスに出遭いたいものだ。

2025年10月7日火曜日

団塊世代は今になって自分の胃の機能が低下したことを知った。Baby boomer generation, I've only now realized that my digestive system is slowing down.

  筆者は今年二度の酷い急性胃腸炎(自分で勝手につけた病名だが間違っていないと思う)で七転八倒した。今までには無かったことだ。小さい頃から「お腹が痛い」と思った事は殆どない。腐った物、傷んだ物、あるいは毒のある物を食べたようなケースは殆ど記憶がない。

 ただ一度完熟していない渋柿で「干し柿」を作っていて、干し上がる前の柿をアイスクリームに混ぜて食して腹痛を起こしたことが有った。今から3年前の話・・内科の医師も知らない人が多い「柿胃石=柿を食べ過ぎて胃に石が出来る病気、高齢者に多い)だった。

 3歳の時、自家中毒(自分の体内の何かのバランスが狂い中毒症状を起こす事)を発症し、ある晩陸軍軍医少将だった祖父が「今夜が峠だから親族を集めるように」の一言で東京の北区西ヶ原に在った十條製紙の狭い平屋社宅に12名の親類が集まった。

 真夜中12時頃社宅の玄関先にカーキ色の米軍ジープが止まり、祖父へ薬が渡され注射された30分後筆者はケロッと生き返ったそうだ。薬は抗生物質の試薬ペニシリンだったという。

AIによる説明⇒

「自家中毒は、医学的には「周期性嘔吐症」や「アセトン血性嘔吐症」と呼ばれる、小児に多くみられる病気です。肉体的疲労や精神的ストレスなどが引き金となり、激しい嘔吐を繰り返すのが特徴です。 
  • 誘因:精神的なストレスや興奮、肉体的な疲労、感染症などが引き金になります。」

これ以降70年間、筆者は腹痛、下痢、嘔吐という胃腸関係の症状はあまり経験していない。

 筆者は小さい時から基本的に体調が悪くなる一般的に「病気」と呼ばれる症状より、すり傷、切り傷、火傷、かぶれ、打撲・打ち身など怪我の方がはるかに多い。高校生になるまでは体中何処かに絆創膏や赤チンが付いていたような気がする。

 成人してからも変わらず、骨折こそ一度もないが骨にひびが入った事は数度ある。ウインドサーフィンで浅い海に入り海底のサンゴで足を切ったり、アイスホッケーの試合でパックを咥えてしまい前歯4本(うち2本が差し歯)が抜け落ちた事すらある。

 55歳広告代理店勤務の際はサッカーの試合でジャンプして競り合った際、敵の肘鉄を食らい知らぬうち肋骨にヒビが入っていたこともある。(※3年後に胸部レントゲン撮影で痕跡を医者に指摘された)

 こんな生い立ちなので、今になって4月と9月の年2度も強烈な胃痛を味わい、相当慌てたしショックだった。その時点ではこの腹痛2回とも間違いなく外因的理由だと思っていた。

 夕食後、なんか胃に違和感あるな?と思っていたら突然しゃがみ込むような強烈な胃痛!海老のように体を二つ折りにして胃に手を当て温め(いわゆる手当?)ながら横になるのが精一杯!汗びっしょりだ。が、熱はまったく無かった。一時は感染症かと思ったが違う様だ、感染症なら普通発熱するはず。

 痛みからして普通なら即救急車を呼ぶレベルなのだろうが、とりあえずビオフェルミン+ガスター10を飲んで寝た。しかしなかなか強い痛みが取れないので2~3時間経って無理やり腹の中をカラにすべし・・・と無理やり胃の中のモノを強制的に戻した。強制嘔吐だ。昔毒物を摂取した人間の胃をカラにしたり睡眠薬を過剰摂取した自殺願望者の胃洗浄方法を実地研修していたので役に立った。

 これをやると見事に胃痛は治りやっと寝られた。
 が、胃が弱っているとの自己判断で「お粥」を作りその上澄み「おもゆ」を摂取したのが30時間後、つまり1日以上経ってからだった。
自作のおもゆは鶏ガラスープかホタテ貝柱エキスを入れて作った。

 こうして4月に七転八倒の第1回目を経験した。

 が、完治したつもりの3日後に同じことを繰り返してしまった。この時も強制嘔吐(学習能力は在った)で24時間寝込んで回復した。本人、原因はまだ残っていたウイルスが原因だとばかり思いこんでいた。

 この際は39度を超える熱が出たが、4月にはめったにない28℃の暑い日だったので室内熱中症を併発していたと思う。クーラー全開と頭を氷で冷し熱は下がった。
 

気温28度の特異日、軽い熱中症だろう熱の下がり方は急激だったが・・・。

 此処で少し気になり、歩けるようになって初めて町医者へ行ったが「もう終わってますね?」でビオフェルミンとガスター20という市販薬の2倍の効能が期待される処方薬を貰った。とりあえず最初の時の自分の投薬は間違っていなかったんだとホッとした。


 しかし、担当医師は「問診」だけで血液検査もせず処方箋をいきなり書いて「お大事に!」だけだった。病名も何も言わずに薬だけ・・?

 これが終わって実は体重が8㎏も減った、顔の皮膚などシワシワで、鏡を見るとストーンズのキース・リチャードといい勝負だと思うほど(涙)

 だが体重が8㎏も軽くなるとどうなるか?2005年くらいからかれこれ20年、週一でサンセットランと称して野川沿いを走るのだが、これがメチャ軽い!普段8㎞が普通の所10㎞走れたりする。1時間走りっぱなしでも疲れなかったりする。

 これが何を呼ぶかというと、腹が減るのだ!団塊世代が晩飯を丼で食べてしまう。自分で握る寿司も12貫くらい食べてしまう。良いネタを自分で握るのだから美味いに決まっている。

 これが、暑い今年の夏を越えて9月後半にまた急性胃炎を呼んだのだ。今回は前回より酷く30時間以上寝込んだ。熱も7度6分迄上がった。

 今回も強制嘔吐で治ったが、さすがに原因を真剣に考えた。何か大きな病気の前兆なのか?はたまたもう治らない大病の末期段階の症状なのか?

 でも、体調も悪くなく、特に不具合や違和感もないのに定期健康診断と癌の早期発見検査だけは「ヤルナ!」と親類の医者二名と友達の医師に教わっているので、病院へは行かなかった。これが理由で問題だらけのコロナワクチンも1回打っただけで、二度打ちの二度目はパスした。

 それでも、1回打っただけで擦り傷などの治りが昔の倍の時間かかる(加齢のせいかも知れないが・・・。)ワクチンのせいか否かは証明できないが・・・。

 今回今年二度目の劇症「急性胃痛」を体験して団塊世代は考えた・・その原因を。

 何かの大きな病気が原因なら、自己判断で治っても野川沿いなど問題なく疲れず走れる訳が無いだろう?鰻重やニラレバ炒めや湯麵を美味しく完食できないだろう?

・・・じゃぁ何なんだ?

 今回治りかけの際、おもゆを啜りながら考えて「ハッ!」と気が付いたことが有った。
 それは、「ちゃんと嚙んで物を食べていないからでは?!」…だった。

 笑われるかもしれないが、筆者は中学校の頃からモノ食べた後必ずキャベツの芯や肉の筋の部分、魚の骨、果物の種や芯が胃から戻ってくるのだ。
 そう、牛と同じで「反芻=はんすう」していたのだ。

 高校のバレーボール部で、大学のサッカー部で、社会人になってVANのアイスホッケー部で練習や試合中先輩やキャプテン・監督から「シンジョー!ガム噛みながら試合するんじゃない!物を食べながらプレイするな!」とよく言われていた。その都度「違うんですさっきの昼めしが胃から戻って来たんです、すぐ呑み込みます!」と言って試合を続けた。

 詳しい検査をしたら、一種の慢性胃炎で緊張したり体が次の行動の準備に集中し過ぎると体内の胃に血液が行かなくなり「胃の機能」が低下して消化しずらい食物を「もう一度咀嚼しろ」と口腔に戻すらしいのだ。

 サッカーの試合前、ウインドサーフィンで風が上がって来て出られそうになると緊張と集中力でゲーゲーやるのが常だった。森戸海岸の神社裏などで風待ちしていて「げーげー」やると「アッ!シンジョーさんのゲエゲエが始まった、風くるぞぉ!」とよく言われたものだ。

 50歳の頃広告代理店でイベントが無事終了して、若手社員とスタッフを連れて焼肉で打ち上げを行ったことが有った。皆若いから我先に半生の焼肉を群がって食べた。

 何故か筆者も嫌いじゃない焼肉だから、一生懸命食べた。で、解散して1時間後三鷹のバス停でバスから降りたら先ほどのカルビが口の中へ戻って来た。4枚も五枚も!それも短冊状の四角いままのカルビ肉が歯形こそ付いて入るだろうが、そのまま出て来たのには自分で笑ってしまった。

 自分の胃が「もう一度よく嚙め!」と反芻したのだ。50歳でもまだこんな状態の強度な我が胃だったのだ。それが70歳を越えてもうその機能が衰え、胃から戻れず急性胃痛になったというのが今回2度の急性胃炎の原因だとやっとわかったのだ(汗)

 もう漫画のような体質!

 で、2度目の終息期からはいつもの3倍の時間をかけてよく噛んで食事をした。肉であれサラダであれ、すべての食べ物がひきわり納豆のようなサイズになる迄のみ込まないようにした。これが功を奏したのか?これをやり始めて以降胃痛は全く起きていない。

 ビオフェルミンだけは毎食後摂取している。これは父親から3錠でも4錠でも嚙んで良いから飲むようにと小さい時から教わっていたので・・。しかし同時にネットで調べて良かれと飲み始めた漢方薬「上味平胃散エキス(顆粒)」はあっと言う間に全身が痒くなり発疹が出たので廃棄した。

 効能・副作用をみたら発疹・食欲不振の項がぴったりだった。漢方薬は体に合う合わないが非常に多いようだ。副鼻腔炎に関しては漢方が効いたが・・・。


 こうして団塊世代は二度の酷い急性胃痛を経験して「食事はよく噛んでゆっくり食べなさい!」を70歳を越えて初めて身にしみて感じたのだ・・。

2025年10月5日日曜日

雨の日東京都心皇居近くでクマシデの実を啄ばむスズメ。 A sparrow pecks at the fruit of a Japanese hornbeam near the Imperial Palace in central Tokyo on a rainy day.

  暑かった9月も過ぎ、10月に入ってやっと長パンで外出できるようになった今年の東京。植物は酷暑の影響で大きな変化が出ている様だ。

 まず彼岸花がその名の通りお彼岸の9月23日前後には咲かず10月に入ってピークを迎える所が続出。その一方で例年の2~30%程度しか開花しない所が多いと聞く。彼岸花祭り、曼殊沙華祭りを開催している所は痛手だろう?

 その一方で、早くから咲いた夏の花が一旦枯れて全滅し、再び芽が出て二度咲きするものも多いようだ。ムラサキツユクサなど三鷹エリアでは二度目の開花をしている所がある。

 野川自然観察園では例年どおりツリフネソウと秋海棠が今満開状態。



まだ一部曼殊沙華が残っているエリアも

ツリフネソウ

 そんな中、昨日雨予報の中半蔵門のJCIIフォトサロンへ行った帰り、九段下迄皇居北の丸公園を時計回りに歩いた途中でクマシデの実をむさぼるスズメに遭遇。スズメと言えば街中~住宅街で人間の食べ物のおこぼれを採餌しているのかと思ったら、ちゃんと天然の木の実を食べていたので妙に感心して撮影しておいた。

 昼12時なのに日が暮れた後のように暗い中でのコンデジ撮影だが、ご容赦願いたい。






昼12時なのに夜のように暗い中やっと撮影(コンデジ)

2025年10月4日土曜日

団塊世代は野鳥ばかりでなく秋の風物詩にもレンズを向けてみた。 The baby boomers turned their lenses not only to wild birds but also to autumnal nature Scenic feature.

  2006年、筆者が55歳の時から仕事以外にもプライベート時に写真撮影を始め、主に野鳥撮影にハマったのはこのブログの最初の2013年書き出しの頃を御覧頂ければご理解いただけると思う。

 過去ログは全てブログ画面の右側に下から年代順に出ている。昨日までに4,402件投稿している。総アクセス数は1,127,863回に及ぶ。 何と、112万アクセスだ!

 まあ、塵も積もれば山と成る・・・の格言通りなのだが、これだけ多くの方々(海外が結構多い)に見て読んで頂いているという事はいい加減な投稿は出来ないという事でもある。

 タイトルに一行英訳を乗せてあるだけで、海外の方のアクセスが増えているのだろうと察している。 今や翻訳ソフトはネット経由でたくさん存在するし、タイトルと最初の写真でピンと来た方がクリックしてくださるのだろうと思っている。

 猛禽類のネタの日はロシアからのアクセスが多かったりするし、大阪万博の件をネタにすると平均的に東南アジアの国のアクセスが増えたりする、ブロガーのアナリストサイトを分析すると非常に面白いものが見える。

 が、平均定期に外国は米国、シンガポール、韓国、英国、その他東南アジアが多いようだ。

 

 ここしばらくはまだ野鳥が活性化する前で、特に今年は夏の余韻があふれている時期なので、そんな中でも秋の風物詩となりうる自然界の「花鳥もの」を少し投稿させて頂こうと思う。


 まずは植物から・・で、曼殊沙華。

 今年は夏が暑(熱)すぎて、植物に相当なダメージが在ったと聞く。例年赤い絨毯になるはずのヒガンバナの有名群生地が軒並み3~50%しか咲かず、それも時期が遅く五月雨式にしか咲かないというのだ。 

 しかし、このブログでは過去の曼殊沙華のお気に入り画像で少しご紹介してみようと思う。

これが今年の三鷹に在る野川自然観察園の曼殊沙華群生地だ、例年の2割ほど。自宅から歩いて15分くらいだから、環境としては恵まれている。

2022年、3年前の同じ場所の密生度から比較すると残念な今年だった。

撮影角度と日当たり密生エリアの関係でこうなっている。

木道のすぐ傍であればこういう画像も撮影可能。

一方で、関東でも有名な曼殊沙華密集地は観光宣伝で有名になり過ぎて、花より人の方が多くなってしまった所もあるが、小まめに情報を探すとこういう所もある。


延々と斜面が続く





残念ながらこれは2020年コロナ過突入年の群生地で人数は非常に少なかった。

 曼殊沙華の次は、コスモス辺りを考えてみよう・・・。