2013年5月28日火曜日

■写真撮影について 2.


 パソコン画像処理を自分でできなくても、撮影自体は問題なくできるのでアマチュアカメラマンの増加は今後も続いていくことだろう。手っ取り早いところでは「風景」「花」「神社仏閣」「街並」「日常生活」など失敗しても撮り直しが効く被写体。

例)近所の神社の古瓦に落ちた紅葉


 これが少し進むと「四季折々の風物詩」「祭り」「SL蒸気機関車・鉄道・航空機(基地際など)」そうやたら撮影するチャンスが多くないジャンル。

例)パリエアショーのユーロファイター戦闘機デモ飛行


さらに進むと「山岳、水中撮影・スポーツ・海外のたたずまい・近郊の野鳥・・・」など被写体に近づくにも自分自身の労力・撮影費用が重要なファクターを占めるもの。

例)ロンドン・ノッティングヒルの住宅

 


 極限は自宅や近所や檻の中にはいない動物(珍しいヤマセミのような野鳥もこれに含まれる)・希少生物・著名あるいは芸能人・政治家などの有名人などの被写体にたどり着くのが至難な被写体。

例)裏磐梯で巣穴から外を覗くアオゲラ


 少なくともカメラで何を撮りたいのか、自分のスキルと経験値で撮れるのか?自分の体力・スキル、財力、時間を天秤にかけて進むべき道を決めていくのが普通のことだろうと思う。しかしこの方向を自分では決めかねて「私はどうしたらいいでしょう?」というアマチュアカメラマンがなんと多いことだろう?
 自分個人の考えより、お友達の何さんがお祭りの撮影に行くので自然と私もついて行くようになったんですが・・・実は私は人ごみが嫌いなのよねー・・・」というような自主性のない話などがそこいらじゅうに転がっているから不思議だ。

 撮れた写真を褒めてもらいたい、誰かに煽ててほしい、自分は数多いアマチュアカメラマンの中で初心者だとは思うがセンス面でまったく底辺なのか?そこそこ行けそうなレベルなのか?期待薄だがひょっとして天性のセンスが有ったりして・・・などと勝手に思いを巡らせているのが昨今のアマチュアカメラマンの実情ではないだろうか?

 よく、海外から来る観光客に日本の印象をどう思うか聞かないと心配になるマスコミの御仁がいるが、それと同じなのだろう。要は自分自身に自信や確固たる信念がないので何かにつけ不安でしょうがないに違いないと見ている。その極致がコンテストにやたら応募するアマチュアカメラマンだ。コンテスト応募専門のカメラ雑誌まで発刊されるほどだもの、カメラ業界は人の心理をよく読んでいる。挙句の果てにはレタッチ屋さんだとか、レタッチの技法本まで出始めている。まるで整形施術そのものではないか?「枝被りしていても、後でレタッチで消せば良いんだ・・」という変な常識が一般化するに至ってはあんまりだとは思わないか?

 一番多いパターンは、自分が撮影した画像の良し悪しを検討・研究し、次の撮影にどう生かしていくか、次のテーマをどうするのではなく、仲間内で腕が上がった下がったの競争を始めてしまうアマチュアカメラマン達だ、カメラもゴルフも一緒なんだろう?

 撮った写真を見てほしい、褒めてほしい、それの極致がブログへの掲載だ。ちょっとパソコンをかじって画像処理ができるようになったらもう大変!必要以上に彩度を上げ、「綺麗!」に撮れたと自慢したくなる、しかし歳を取るほど鮮やかさに歯止めが効かなくなりどんどん彩度を上げて行ってしまう。秋の紅葉時期の観光案内パンフの紅葉の色と一緒!まるで香水を付けすぎて自分が自分の匂いに鈍感になってしまい不安になって、ついつい周りが避けて通るほどたっぷり香水を付けてしまいヒンシュクを買うのと一緒だ。

 神田にある日本で唯一のバードウォッチング・専門店で野鳥の写真集の最近事情を聞いた。そうしたら今は野鳥の写真集はなかなか売れないという。要は人が撮った野鳥の写真をいくら見ても自分がそうできるわけではないからジェラシーを感ずるとの事。アマチュアカメラマン達でも掲載された写真が野鳥の巣の中を写したり、明らかにストロボを当てて撮影した作為的な画像は「自然保護の面からも明らかに違反だよな?」と判断する普通の心は持っているようだ。

 
 動物園に行ってユニークな顔をした動物の写真を撮るのも一つのスタイルだろう。しかし、野生のままの動物を自然体で撮影しようとしたら、クマに食われてしまった動物写真家ほどではなくとも、撮影中に蜂に刺されたり、毒虫にやられたり、山ヒルに食われる、あるいは蛇を踏んづけるくらい当然のリスクなのだが、そういうのは絶対に嫌だが何とかならないか?としつこく聞いてくる人もいた。残念だが絶対に何とかはならない!本物のシャッターチャンスは決してそこいらには転がっていない。

この項もっと続く、