2025年12月14日日曜日

団塊世代はオールドメディアという言葉の破壊力を憂える。The baby boomer generation is concerned about the destructive power of the term "old media."

  最近ネットでは「オールドメディア」という言葉が頻繁に出て来る。オールドメディアをAIでググると・・。

 ところが、当のオールドメディアであるテレビ、新聞、ラジオ、雑誌などは今の所この「オールドメディア」という言葉を殆ど使用していないように感ずる。筆者が接するオールドメディアはほんの氷山の一角だからかもしれないが・・・。

 その理由としてテレビ、新聞、ラジオ、雑誌などのメディア関係者たちが「オールドメディア=古い、時代遅れ、絶滅危惧」を肌で相当強く感じているからではないかと推察している。

 

 例年12月にも入ると、その年の流行語大賞が発表される。もちろんオールドメディアがその主な発表場所だ。これはその年頻繁にメディアで流れ話題になった言葉が幾つかの候補の中から選ばれるのだが過去にはこういう印象的なモノがあった。

 チョー気持ちいい(2004年)、アラフォー(2008年)、じぇじぇじぇ、倍返し(2013年)、お・も・て・な・し・(2013年)インスタ映え、忖度(2017年)、三密(2020年)、

 要は、一般的にその年日本人が会話の中で頻繁にマネして使った「流行り言葉」と言って良い。

 今年2025年の流行語大賞には候補がこれだけ挙げられていた。結果はご存じの通り高市早苗新首相の「働いて~」だったが・・・。

 筆者は圧倒的に「オールドメディア」がグランプリだと思っていたが、誰もが飛びつく話題性とご祝儀相場的理由で高市総理の「働いて~」がTOPになった。

 これは授賞式に高市早苗新総理が登場すると広告・PR効果が高石氏・流行語大賞側双方に大きな効果があるというWinWinの状態だったからそうなったとしか思えない。

 これら候補を視ても、オールドメディア、緊急銃猟、古古古米、昭和100年、トランプ関税、辺りが誰の頭にも共通して浮かぶ「言葉」だろう。
 それ以外は特定の映画、ドラマ、催事に関するもので、それに接していない者にはいったい何のことか良く判らない。

 大阪万博は国民の5人に一人換算(何度も行った人を考慮すると6人に一人)、映画国宝を観た者は国民の10人に一人。

 一方で「ほいたらね」のNHK朝ドラ「あんぱん」は歴代朝ドラの最高平均視聴数(2000万人オーバー/1日)を更新したが、全放送日を乗算すると恐ろしい数になる。

 あまりに質の違う「流行語候補」だが、筆者の言いたいポイントは流行語の優劣でもなく次の年になったら消えていく「刹那的言葉」ではなく、この先影響力が爆発する意味での「流行語」として「オールドメディア」という言葉の持つ「威力・破壊力・魔力」を非常に強く感じたので今日のこの投稿になっている。

 今まで、オールドメディアはメディア側から一方通行で一般国民に「断定的情報拡散」を行ってきた。その一番乱暴なのが雑誌で言えば「文春砲」と言われ恐れられてきた「週刊文春」。
 テレビで言えば政治からスポーツ・芸能ネタに至るまで上から目線で決めつけるコメンテーター玉川徹を擁する「テレ朝モーニングショー」や東大出と野球部員だった事を鼻にかけ、これも上から目線で政治家などを誘導尋問するMC大越健介のニュースステーション。

 ネットやSNSで常に世の情報を精査している人を除けば、国民の多くは相変わらず「テレビでこう言っていた、新聞にこう出ていた」というオールドメディアを唯一の情報源として自分の認識を固めている。

 そういう人々が選んだ議員が今までの国会で政治を動かしているのだ。そうしてそのオールドメディアで一方的に指摘され、決めつけられ、非難され、叩かれた議員や大臣の多くが辞任したり〇〇したりしているのは万人が良く知るところ。

 スポーツ選手や芸能タレントが叩かれるのもこれと同じ、反論、身の潔白を明かそうにも手段が無かった。

 これはオールドメディアに対して広く反論が出来なかったからだ。オールドメディアは新しい総理や大臣が就任すると最初は持ち上げ、期待値を示し、如何にも応援するような振りをするが、しばらくするとボロを探し出し叩き失脚へと追いやる。

 多少のミスや誤報があっても片隅に数行でお詫び、番組中関係者が画面に向かって「不手際がありました、申し訳ありません」で頭を下げるだけ。被害者が被った時間と辛さなど意に介さないというのが実情だった。しかしこれからはそうはいかない。メディアのつくウソや失敗の具体例を挙げられ、YoutubeやFacebook、X(=旧ツイッター)で証拠を示され叩かれるようになったのだ。

 これは無理やり話題を作り上げ、視聴率アップ(番組スポンサー増)や販売購読者数を増やす(=売り上げ増、広告増)ためのビジネス的要因が大きくスポンサーへの忖度が報道を捻じ曲げたり情報を伏せたりすることが暗黙の内に知られていた事。しかしこれからはそうはいかない。
オールドメディアのコメンテーターたち  Facebook投稿より・引用元表記

 ところが、オールドメディアに対してネット・SNSを駆使できる為政者(政治家・首長・著名人が出てくる事により、自分中心のX(=旧Twitter)Facebook 、ブログ、で全方向へ反論ができるようになったのだ。


 新首相は4大ニューメディアすべてて情報拡散を行っている。これを持ってオールドメディアで報道された事を否定したり間違いを指摘したりすることで、お金を出して買ったり観たりしなければいけない受け手に無料で広く訴えかけられている。オールドメディアはこれを一切止められないのが強い。

X(旧ツイッター)を大きく表記するなど今までの政治と手法が変わった。

 SNS/メディアをスマホで常時ウォッチしている若者(筆者は良い意味でも悪い意味でもスマホジャンキーと呼んでいる)に支持者が多い理由もうなづける。もうすでに世論を動かす意味ではオールドメディアの存在は消える直前のシャボン玉状態なのかもしれない。

 これはある意味メディア界の革命と言って良い。

 これを始めた筆頭有名人は、かのトランプ大統領、イーロン・マスク氏だ。非常に短期間でケンカしたり仲直りしたりするスピード、オールドメディア時代には無かった現象だと思う。

 これを見習ったのか、高市早苗首相、片山さつき財務大臣、小野田紀大臣など強い女性陣を中心に多数の閣僚・大臣などがオールドメディアの報道(多少にいい加減)に対し記者会見・SNSで否定・抗議・訂正の指示をスピーディに行うようになって、今世の中が大きく変わろうとしている。

 そうして他の元閣僚や現閣僚など政治家も「オールドメディア」という言葉を使い始め、悪しきそのメディア癖を是正させ始めている。今までオールドメディアに叩かれた経験を持つ政治家の恨みエネルギーは相当埋蔵されていると思う。したがってこれからの仕返し・反撃・リベンジは相当なものになると筆者は見ている。

 AIでググるとこう出ている。

 かのNHKですら国会の場、SNSで裏を暴かれ叩かれまくっている、今後この動きは倍増すると思わる。

 既に、偏り過ぎ予想も外れまくりの政治評論家・田崎史郎、人を上から目線で叩く橋下徹、何でもかんでも物知り顔で上から目線で決めつけるテレ朝・玉川徹、強引な誘導質問ニュースステーション・大越健介がニューメディアで叩かれまくりこのところ静かになっている様だ。やっとニューメディア=ネット・SNSの怖さに気が付いたのだろうと言われている。

2025年12月11日木曜日

団塊世代は住宅街とは違う都心緑地で生きるメジロの生態を観察できた。 The baby boomers observed the ecology of Japanese white-eyes living in forest in the city center, separate from residential areas.

  ルリビタキとヒヨドリに続いてメジロの生態を都心緑地で観察できたのでご紹介。

メジロは世界中に生息する日本と名前の付いた著名な野鳥。「Japanese white-eyes」の名の通り目玉の周りの白い縁取りが一発でメジロと判る身近な野鳥だ。

 ハワイでもダウンアンダーのオーストラリア西海岸でもたくさん撮影した。

 メジロは虫食いの一種と言って良い。5年前のこのブログでもその生態をレポートしている。

秋の葉の裏に付いた虫を食べるメジロ。 The Japanese White-eye that eats insects on the back of Autumn leaves.」=ご参考

https://yamasemiweb.blogspot.com/2020/11/the-japanese-white-eye-that-eats.html

 

 今回の都心緑地でのメジロは一羽ではなく数羽の小群での行動だった。

丁度昼頃数羽で水飲みに来たメジロの小群、ヒヨドリ他の野鳥も一斉に水飲みタイム。

何度も散っては集まる事を繰り返していた。バーダーさん達もバシャバシャ連写!


2020年の投稿では葉の裏の虫を採餌していたが、今回は表側に居たようだ。

イイギリの赤い実を咥えるのではなく、熟した実を突々いている様だ。


江戸時代の花鳥画の絵師たちはこうして観察をして作品にしたのだろうか?

ここ1週間ほどは観られるようだ。

2025年12月10日水曜日

団塊世代はイイギリの実に集まるヒヨドリを観察した。 The baby boomer observed brown-eared bulbuls gathering around the fruit of the Japanese Iigiri tree.

  本来はルリビタキのオス一点狙いで入った都心の緑地、意外に他の野鳥の採餌行動も撮影できたのでご紹介。

 それはイイギリの赤い実に群がるヒヨドリとメジロ。ヤマセミ観察で10年間通った熊本県はイイギリの木があまり多くない。代わりに栴檀(=せんだん)の樹は非常に多い。

 初冬になるとこの栴檀の実を咥えたヒヨドリを数多く見かけるが、熊本県でイイギリの赤い実を咥えたヒヨドリはあまり見た事が無かった、撮影画像も栴檀の実を咥えたものばかり。

 AIで調べると栴檀が熊本県の気候、土壌に非常に良くマッチしているとの事。天草では植林迄していると・・・。一方でイイギリに関しては情報やデータが無いようだった。

 筆者の住む三鷹市の野川公園周辺ではこの栴檀もイイギリも存在するので両方の採餌画像が存在。

 2023年に調布の「たづくり」での写真展へ出させて頂いた作品にもこのイイギリを採餌しているヒヨドリのカットが存在する。

野川公園での撮影

一方こちらは栴檀の実を咥えたヒヨドリ 野川公園

こちらも野川沿いの栴檀の木の実を食べるヒヨドリ

此処から下は都心の緑地で数日前撮影のイイギリ食いのヒヨドリ





この赤い実が食べつくされるとまた別種の木の実に移る。ツグミなども同様。

団塊世代は青い鳥ルリビタキの人気ぶりを都心の緑地で確認した。 The baby boomer witnessed the popularity of the blue bird, the Blue-and-White Flycatcher, in green spaces in the city center.

  暫くぶりに都心の緑地でルリビタキのオスと対面した。初冬の野鳥探索で訪れた二日前、ちらっとその姿を見かけたので、きちんと朝から観察に来ようと思って9時開園時からフィールドに入ってみたのだ。

 東京では過去、新宿御苑、明治神宮、目黒自然教育園、小石川の東大植物園、井の頭公園などで遭遇。要は緑地であれば何処でも出遭える割にポピュラーな野鳥なのだ。

 もちろん八ヶ岳周辺、奥日光など筆者の良く行くフィールドでは当然のように出遭える。

 しかし、レンズに迷彩ステッカー巻いたバーダーさん達が目の色を変えて緑地内を右往左往する様を見て、なぜそんなに必死にあちこち追うのだろう?と不思議だった。

 ここ4~5年バーダーさん達がスマホ連絡網でフィールドでも盛んに電話をしている姿が特に目立つ、多い。フィールドでは常に単独行の筆者、野鳥の生態知識からその場の自然の様子をよく観察し、周りの雑音に惑わされず目的の被写体に集中して行動するようにしている。

 そもそも最初からある一種目的でフィールドに出たのは今回が初めてかもしれない。

 過去の経験値からすると、どちらかと言えば藪鳥の部類に入るルリビタキはそうそうあちこちを飛び回らない種だと思っている。

 新宿でも明治神宮でも、いつも行って出遭えるのは決まったポイントが多い。かっては入れた三鷹の国際キリスト教大学のキャンパスでも、ルリビタキの出現場所は毎年同じだった記憶がある。

 今回の緑地は木の実が多いエリアなので、ヒタキ系、カラ系が割と多い場所だ。

 今年は特にメジロ、ヒヨドリが多く、エリアに探鳥しに入って徘徊してもやたらうるさく感じる。野鳥は基本的に自分のテリトリー=水飲み場、餌さ場、塒(ねぐら)を決めたらあまり変えない。従って行動ルート、時間、パターンはルーティン化しており、ハプニングやサプライズで日によって気分で違う所で行動はあまりしない。

 これは10年以上熊本県の人吉に通い、ヤマセミを中心に色々な野鳥の行動パターンを観察して分かった事。ヤマセミは好きな羽根休み場、採餌場、水飲み場、縄張り監視場を決めたら変えなかった。だから信じられないようなカット数を撮影できたと思っている。

 基本的にルリビタキは雑食でクモや小昆虫(羽虫・カゲロウなど)を好むが、木の実、草の実も食すので、都心の緑地でも木の実草の実が熟す今の時期は同じ場所で行動することが多いようだ。

 今回の緑地でもハゼの実採餌に来る場面での撮影となった。

パッと来てパッと消える感じの出現雰囲気だった。園内路に近いからだと察する。

日曜日など通行人の3m傍なのに平気で採餌をしていた。

目の前を入園者が通っても逃げない、むしろ人間の方が気が付かないようだ。

首を伸ばしてハゼの実を口に咥えている。

直後真下に消えた。いつまでいるだろう?

2025年12月6日土曜日

団塊世代は「認知機能検査」を行って最後の免許更新を行った。 The baby boomer generation took a cognitive function test to renew their driver's licenses for the last time.

  筆者は1948年12月8日生まれだから団塊世代のど真ん中!当然後期高齢者の領域だから免許更新の際は「認知機能検査」と「高齢者講習(実地含む)」が必須で、しかるべきところから通知葉書が来る。

 75歳を越えたら1回やれば良いのかと思っていたら、ゴールド免許保持者でも3年に一度同じことを繰り返してやらねばいけないようだ。ボケや認知症はどんどん進むから当たり前か?

 今回初めての(・・と言いつつ最後にしようとは思っている)後期高齢者免許更新。必須の関所を体験したので、その会場の様子、実際の内容などをレポートしようと思う。

 東京都公安委員会から届いた◆免許証更新のための検査と講習のお知らせ◆は今年7月2日に発送された。要は次の免許証更新までに所定の手続き(検査と講習)を完了しなさい!という事だ。

 この葉書を受け取った時は「えー?まだずいぶん先じゃん。」と思っていたのだが、歳をとると時間のスピードが光速に近くなるような気がする。自分が光速で動くと逆に自分自身の老化は遅くなるってアインシュタインって舌を出した科学者が居たっけ・・・。

 話が飛ぶ前に元に戻して、12月8日が誕生日の(・・って明後日、㐂寿じゃん!)筆者は東京都公安委員会から来た「運転免許証更新のお知らせ」という葉書を見て、必須の行動を起こすことにした、それが11月10日頃。ネットで最寄りの試験会場などを検索。

 で、「認知機能検査」と「高齢者講習(実地含む)」を同時に出来る自動車教習場を探したのだが、ネットでググったら一番近い東小金井駅傍の教習所は実地講習しかしていない(実はつい最近両方此処でも出来る事に成ったらしい)という。そこで認知機能検査を1000円(民間教習所の半分)で出来る府中自動車試験所に申し込んだ。

 要は必須案件を一発で出来ず、2日間に分けて別の所で行う訳だ。

 まあ仕方がない。予約した日に府中の試験場まで自宅からいつもの野川を渡って武蔵野公園を抜けて20分歩いて出向き、検査を受けた。

 この試験場に来ていた同じ高齢者たちを観察していたら、トンデモナイ事が判明!

 必要書類を構内で落としたらしくおろおろしている者、地下の食堂へ行ったまま戻ってこない者。待合の椅子で眠りこけている者。ボーっとして立ったまま動かない者。病院の待合室より酷い有様。

 これじゃ此処に居る半分はもう絶対に車を運転しては駄目なんじゃないの?と思える有様だった。この検査システムは絶対必要だ!と深く思った事だった。

 検査自体は3種類の設問を頭にヘッドフォンを付けタッチパネルに従って設問に答えていく簡単なものだった。3問とも半分まで行かないうちに「ハイ其処で終わってください!」とか言われて次へ移ってすぐに終了した。

 部屋の出口まで誘導されA4の封筒を渡され「合格ですから講習と実地を・・。」と言われ、ついでに「貴方は12月8日が誕生日ですから、もう1月前を過ぎているのですぐ更新できます、お早めに。」と言われ帰された。

 

 その3日後、東小金井の民間教習所(ここも歩いて15分で行ける)で講習(視野検査(左右で160度見えた、機械による動体視力や夜間視力の検査)と30分ほどの構内実地講習を受けた。75歳前に一度やった同じ教習所なので、まったく問題なかった。

 しかし、片側1車線(つまり2車線道路)から片側2車線(つまり全部で4車線)の道路に右折する時、教官に「これ右の車線入って良いの?」と訊いたら良いというので入ろうとしたが、まさにこれって逆走ではないか!

 この辺りが引っかけのポイントなのだろうけれど、実際の道路の場合反対車線だと正面に車が居るので逆走なんて一発で体験的に判りそうなもの。脳が退化するとそれも判らなくなるのだろう・・。


民間教習所から府中の自動車試験場へ行って三角形に歩き2万歩だった。

 控室には高齢者(前期と後期の両方が混じっていた)が順番待ちをしているのだが、これがまあ皆さんよく喋る!呆れるほどのお喋りの場と化してしまった。筆者は今日初めて出遭った人たちとこんなにもお喋りができる人たちが羨ましい。自分にはとても出来ないので部屋から出て教習場の横を走る中央線を眺めていた。

 部屋の中は男性2名、女性4名なのだが、一人は50年間ペーパードライバーで実際に車を運転してこなかったご婦人。実地講習を終えて戻って来た時、教官に別室に呼ばれ「貴女は二度と車の運転をしてはいけません」と言われてしまったと聞いた。

 一方、「私はほぼ毎日運転しているわ」と言っていた女性は、コースを外れて生垣に突っ込みフロントの左側を壊したらしい。ものすごく緊張したんだとか。

 其処でお喋りの合間に聴こえて来た話。府中試験場でこういう人が居たと・・・。 府中試験場に車に乗って「認知機能検査」を受けに来た80歳代の高齢者。

 認知機能検査がまるでダメで、「今日は乗ってきた車、運転して帰ってはいけません!」とタクシーで帰されたのだと・・・。

 こんなような状態たもの、高齢者の車による事故を減らす試み、絶対に必要だと思う。

 結局筆者は全てOKで証書を貰ったので、その日その足で府中の試験場まで歩いて更新に行った。眼の検査やって写真撮ってお金納入して1時間後に更新免許証が交付されるってんで、すぐ裏の武蔵野公園で紅葉を愛でて時間を潰し、午後2時にはすべてが終了した。

 もう二度と府中の試験場には行かないで済むのだと思うとちょっと感無量。

 あと3年だけ車を運転する猶予を貰ったわけなので、九州へ再び往復してみようと思う。2017年18年と2年連続で九州人吉を往復したので、勝手は判っている。 

2025年12月4日木曜日

都心の緑地に昼から入ってみたらけっこう野鳥が一杯! I tried to go to a woody zone in the city center during the day and found that there were lots of wild birds!

  体調も徐々にトップレベルに戻り、軽い肉離れも1日1万2~3千歩程度であればリハビリになるので都心の植物園へ久しぶりに入ってみた。

 今は色々な木の実が生っていて、それ目当ての野鳥が結構群を成して押し寄せてきている。

 野鳥が集まればバーダーさん達も集まってくる(笑)

 自己顕示欲が強く、また群を成し妙な縄張り意識を持つグループもチラホラ。久しぶりに「撮り鉄」に近い「撮り鳥」の人々の生態を観察も出来た。

 希少種大好き、迷鳥大好き、撮れた画像の見せびらかし大好き、羨望のまなざし心待ち・・のバーダーさん達。独特の自己主張迷彩スタイルで集っていらっしゃいました。

 こちらは少し野鳥に飽きが来た隠居なので、希少種などへの「欲望」はとっくに失せ、何処にでもいる種の「生態」「行動」の面白さをパチリ!が目的なので群には入らず、遠巻きに撮影させて頂きました。

昼過ぎに低灌木ハゼの実近くの藪の中の小枝まで出て来たルリビタキ・オス

枯葉の絨毯へもチョロチョロと。

 木漏れ日を背に受けてジョン・デンバー的ポジションで13時に再度登場。

 2時半ごろ、いかにもバーダー・バーダーした御仁が「何時頃から居るの?ルリビタキでしょ?」とタメ口で訊いてきたので、昼過ぎに数回出ましたね。と答えたら「いいや」とかなんとかブツブツ言いながら去って行った・・・と思ったら、気になるのか10分もしないうち戻ってきて、後から来たバーダー仲間とサロン談義開始。

 筆者はこういう仲間・知り合いとフィールドで徒党を組みワイワイやるスタイルが大嫌いで、必ず一人でしか行動しないのだが・・・。なぜ日本人てこうなんだろう?

後ろの池にカワセミ女子がジーッとたたずんでました。

同じ池にヒヨドリが沢山!

日本独自の固有種に近い種なので、観光を兼ねて探鳥に来た外国人バーダーさんはさかんにこのヒヨドリを撮ってましたね。

開けたところでは、シジュウカラの群れが白い木の実を貪り食ってました。

ナンキンハゼの実に群がるシジュウカラ

こちらは大きなハゼノキの実

ムラサキの実、ヤブムラサキかムラサキシキブ系

ナンキンハゼの実

 ここ1週間はこういった木の実を餌とする野鳥がうるさいほど居るようだ。

2025年12月3日水曜日

団塊世代が想い出す「荒井由実」の頃、追加投稿。 The baby boomer generation remembers the time of "Arai Yumi" +α

  何と!野鳥ブログが本来の主旨であるこのヤマセミWEBブログでユーミンこと荒井由実の話をしたら桁が違うアクセスを頂いてしまった!何なんだ一体これは?

 いい加減な投稿をしたらやばいと思い、自宅の荒井由実のレコード確認してみたらデビューLPの「HIKOKI-GUMO」が行方不明!探さなきゃ。それに「紅雀」なんて買ってない事が判明!大変失礼いたしました。

 「紅雀」だけは買っていない事が判明って、何故か気に入った曲が無かったから買わなかったようだ。今のように買わずとも収録されている曲のさわりをネットで聴けるようなシステムが無かったからだろうか?

 昨夜遅く、気になって4,000枚のレコード棚から探してみた、なるべく縦帯は取ってあるが。ついでにマイルス・ディビスやジョン・コルトレーンなどジャズのLPがボロボロ出て来たには驚いた!知り合いのJAZZ好きに差し上げようと思う。レコードプレーヤーが在ればの話だが。

1974年10月

1975年6月

1976年6月赤と緑の色眼鏡は使ったためか、どっかへ紛失!

1976年11月

1978年11月

1979年7月

1979年12月

 こうしてみると1979年は7月と12月に立て続けにLPを出している。商業ベースに乗ったのだろう。もっとじっくり世の中を観ながら作品を選んで出した方が良かったのではないだろうか・・と今になってみると思うのだが。イケイケドンドンだったのだろう。

…と、とりあえず薄らぐ記憶を正す意味での、軽い追加投稿でした。