2025年12月6日土曜日

団塊世代は「認知機能検査」を行って最後の免許更新を行った。 The baby boomer generation took a cognitive function test to renew their driver's licenses for the last time.

  筆者は1948年12月8日生まれだから団塊世代のど真ん中!当然後期高齢者の領域だから免許更新の際は「認知機能検査」と「高齢者講習(実地含む)」が必須で、しかるべきところから通知葉書が来る。

 75歳を越えたら1回やれば良いのかと思っていたら、ゴールド免許保持者でも3年に一度同じことを繰り返してやらねばいけないようだ。ボケや認知症はどんどん進むから当たり前か?

 今回初めての(・・と言いつつ最後にしようとは思っている)後期高齢者免許更新。必須の関所を体験したので、その会場の様子、実際の内容などをレポートしようと思う。

 東京都公安委員会から届いた◆免許証更新のための検査と講習のお知らせ◆は今年7月2日に発送された。要は次の免許証更新までに所定の手続き(検査と講習)を完了しなさい!という事だ。

 この葉書を受け取った時は「えー?まだずいぶん先じゃん。」と思っていたのだが、歳をとると時間のスピードが光速に近くなるような気がする。自分が光速で動くと逆に自分自身の老化は遅くなるってアインシュタインって舌を出した科学者が居たっけ・・・。

 話が飛ぶ前に元に戻して、12月8日が誕生日の(・・って明後日、㐂寿じゃん!)筆者は東京都公安委員会から来た「運転免許証更新のお知らせ」という葉書を見て、必須の行動を起こすことにした、それが11月10日頃。ネットで最寄りの試験会場などを検索。

 で、「認知機能検査」と「高齢者講習(実地含む)」を同時に出来る自動車教習場を探したのだが、ネットでググったら一番近い東小金井駅傍の教習所は実地講習しかしていない(実はつい最近両方此処でも出来る事に成ったらしい)という。そこで認知機能検査を1000円(民間教習所の半分)で出来る府中自動車試験所に申し込んだ。

 要は必須案件を一発で出来ず、2日間に分けて別の所で行う訳だ。

 まあ仕方がない。予約した日に府中の試験場まで自宅からいつもの野川を渡って武蔵野公園を抜けて20分歩いて出向き、検査を受けた。

 この試験場に来ていた同じ高齢者たちを観察していたら、トンデモナイ事が判明!

 必要書類を構内で落としたらしくおろおろしている者、地下の食堂へ行ったまま戻ってこない者。待合の椅子で眠りこけている者。ボーっとして立ったまま動かない者。病院の待合室より酷い有様。

 これじゃ此処に居る半分はもう絶対に車を運転しては駄目なんじゃないの?と思える有様だった。この検査システムは絶対必要だ!と深く思った事だった。

 検査自体は3種類の設問を頭にヘッドフォンを付けタッチパネルに従って設問に答えていく簡単なものだった。3問とも半分まで行かないうちに「ハイ其処で終わってください!」とか言われて次へ移ってすぐに終了した。

 部屋の出口まで誘導されA4の封筒を渡され「合格ですから講習と実地を・・。」と言われ、ついでに「貴方は12月8日が誕生日ですから、もう1月前を過ぎているのですぐ更新できます、お早めに。」と言われ帰された。

 

 その3日後、東小金井の民間教習所(ここも歩いて15分で行ける)で講習(視野検査(左右で160度見えた、機械による動体視力や夜間視力の検査)と30分ほどの構内実地講習を受けた。75歳前に一度やった同じ教習所なので、まったく問題なかった。

 しかし、片側1車線(つまり2車線道路)から片側2車線(つまり全部で4車線)の道路に右折する時、教官に「これ右の車線入って良いの?」と訊いたら良いというので入ろうとしたが、まさにこれって逆走ではないか!

 この辺りが引っかけのポイントなのだろうけれど、実際の道路の場合反対車線だと正面に車が居るので逆走なんて一発で体験的に判りそうなもの。脳が退化するとそれも判らなくなるのだろう・・。


民間教習所から府中の自動車試験場へ行って三角形に歩き2万歩だった。

 控室には高齢者(前期と後期の両方が混じっていた)が順番待ちをしているのだが、これがまあ皆さんよく喋る!呆れるほどのお喋りの場と化してしまった。筆者は今日初めて出遭った人たちとこんなにもお喋りができる人たちが羨ましい。自分にはとても出来ないので部屋から出て教習場の横を走る中央線を眺めていた。

 部屋の中は男性2名、女性4名なのだが、一人は50年間ペーパードライバーで実際に車を運転してこなかったご婦人。実地講習を終えて戻って来た時、教官に別室に呼ばれ「貴女は二度と車の運転をしてはいけません」と言われてしまったと聞いた。

 一方、「私はほぼ毎日運転しているわ」と言っていた女性は、コースを外れて生垣に突っ込みフロントの左側を壊したらしい。ものすごく緊張したんだとか。

 其処でお喋りの合間に聴こえて来た話。府中試験場でこういう人が居たと・・・。 府中試験場に車に乗って「認知機能検査」を受けに来た80歳代の高齢者。

 認知機能検査がまるでダメで、「今日は乗ってきた車、運転して帰ってはいけません!」とタクシーで帰されたのだと・・・。

 こんなような状態たもの、高齢者の車による事故を減らす試み、絶対に必要だと思う。

 結局筆者は全てOKで証書を貰ったので、その日その足で府中の試験場まで歩いて更新に行った。眼の検査やって写真撮ってお金納入して1時間後に更新免許証が交付されるってんで、すぐ裏の武蔵野公園で紅葉を愛でて時間を潰し、午後2時にはすべてが終了した。

 もう二度と府中の試験場には行かないで済むのだと思うとちょっと感無量。

 あと3年だけ車を運転する猶予を貰ったわけなので、九州へ再び往復してみようと思う。2017年18年と2年連続で九州人吉を往復したので、勝手は判っている。 

2025年12月4日木曜日

都心の緑地に昼から入ってみたらけっこう野鳥が一杯! I tried to go to a woody zone in the city center during the day and found that there were lots of wild birds!

  体調も徐々にトップレベルに戻り、軽い肉離れも1日1万2~3千歩程度であればリハビリになるので都心の植物園へ久しぶりに入ってみた。

 今は色々な木の実が生っていて、それ目当ての野鳥が結構群を成して押し寄せてきている。

 野鳥が集まればバーダーさん達も集まってくる(笑)

 自己顕示欲が強く、また群を成し妙な縄張り意識を持つグループもチラホラ。久しぶりに「撮り鉄」に近い「撮り鳥」の人々の生態を観察も出来た。

 希少種大好き、迷鳥大好き、撮れた画像の見せびらかし大好き、羨望のまなざし心待ち・・のバーダーさん達。独特の自己主張迷彩スタイルで集っていらっしゃいました。

 こちらは少し野鳥に飽きが来た隠居なので、希少種などへの「欲望」はとっくに失せ、何処にでもいる種の「生態」「行動」の面白さをパチリ!が目的なので群には入らず、遠巻きに撮影させて頂きました。

昼過ぎに低灌木ハゼの実近くの藪の中の小枝まで出て来たルリビタキ・オス

枯葉の絨毯へもチョロチョロと。

 木漏れ日を背に受けてジョン・デンバー的ポジションで13時に再度登場。

 2時半ごろ、いかにもバーダー・バーダーした御仁が「何時頃から居るの?ルリビタキでしょ?」とタメ口で訊いてきたので、昼過ぎに数回出ましたね。と答えたら「いいや」とかなんとかブツブツ言いながら去って行った・・・と思ったら、気になるのか10分もしないうち戻ってきて、後から来たバーダー仲間とサロン談義開始。

 筆者はこういう仲間・知り合いとフィールドで徒党を組みワイワイやるスタイルが大嫌いで、必ず一人でしか行動しないのだが・・・。なぜ日本人てこうなんだろう?

後ろの池にカワセミ女子がジーッとたたずんでました。

同じ池にヒヨドリが沢山!

日本独自の固有種に近い種なので、観光を兼ねて探鳥に来た外国人バーダーさんはさかんにこのヒヨドリを撮ってましたね。

開けたところでは、シジュウカラの群れが白い木の実を貪り食ってました。

ナンキンハゼの実に群がるシジュウカラ

こちらは大きなハゼノキの実

ムラサキの実、ヤブムラサキかムラサキシキブ系

ナンキンハゼの実

 ここ1週間はこういった木の実を餌とする野鳥がうるさいほど居るようだ。

2025年12月3日水曜日

団塊世代が想い出す「荒井由実」の頃、追加投稿。 The baby boomer generation remembers the time of "Arai Yumi" +α

  何と!野鳥ブログが本来の主旨であるこのヤマセミWEBブログでユーミンこと荒井由実の話をしたら桁が違うアクセスを頂いてしまった!何なんだ一体これは?

 いい加減な投稿をしたらやばいと思い、自宅の荒井由実のレコード確認してみたらデビューLPの「HIKOKI-GUMO」が行方不明!探さなきゃ。それに「紅雀」なんて買ってない事が判明!大変失礼いたしました。

 「紅雀」だけは買っていない事が判明って、何故か気に入った曲が無かったから買わなかったようだ。今のように買わずとも収録されている曲のさわりをネットで聴けるようなシステムが無かったからだろうか?

 昨夜遅く、気になって4,000枚のレコード棚から探してみた、なるべく縦帯は取ってあるが。ついでにマイルス・ディビスやジョン・コルトレーンなどジャズのLPがボロボロ出て来たには驚いた!知り合いのJAZZ好きに差し上げようと思う。レコードプレーヤーが在ればの話だが。

1974年10月

1975年6月

1976年6月赤と緑の色眼鏡は使ったためか、どっかへ紛失!

1976年11月

1978年11月

1979年7月

1979年12月

 こうしてみると1979年は7月と12月に立て続けにLPを出している。商業ベースに乗ったのだろう。もっとじっくり世の中を観ながら作品を選んで出した方が良かったのではないだろうか・・と今になってみると思うのだが。イケイケドンドンだったのだろう。

…と、とりあえず薄らぐ記憶を正す意味での、軽い追加投稿でした。

2025年12月2日火曜日

団塊世代が想い出す「荒井由実」の頃。 The baby boomer generation remembers the time of "Arai Yumi"

  12月に入って雨は降るものの一度も雨粒に濡れないで済んだ…というFacebookへのひょんな投稿から荒井由実の「12月の雨」という曲が団塊爺の頭に浮かんだ。

 で、忘れないうちにこの「12月の雨」という曲から当時の荒井由実に関する想い出話をこのヤマセミWEBブログに残しておこうと思いたったのが今日のこの投稿。

12月の雨は荒井由実2枚目のLPに入っている。

 ユーミンこと荒井由実、一時は松任谷由実と名乗っていた「歌う元美大生」は、その一風変わった性格・行動を同時期同じ美大で学んだ銀座の広告代理店の元同僚女史から色々聞いていた。

 もう45年も前の話なので記憶が定かでない為、詳しい話・面白い話、驚く話は省くが、目立ちたがりだったことはその数々の奇をてらった行動(聴いた話)からして間違いなかったようだ。

 筆者は横浜の丘の上の大学を出た後、青山のVAN宣伝販促部(後に宣伝部と販促部に分割、筆者は販促部)に1973年の新入社員として入社し、1978年7月会社更生法申請により事実上倒産するまで5年間在籍した。

 倒産後、二人の子供を抱えてとにかく収入を得るため新聞広告の切れっ端を持ってトリンプという外資系女性インナーの会社の宣伝課長として採用され転職(正確には倒産失職⇒再就職)した。しかし、たった1年2か月で当時の西ドイツ本社と大喧嘩して離職(実はその時、次の銀座の広告代理店が既に決まっていた。)

 その3社目という銀座の中堅広告代理店の同僚が美大時代ユーミンこと荒井由実と同じ授業を取っていたというのだ。


 縁は異なものというが、この荒井由実さんに関しては聞いた話だけでは済まず、VAN倒産後1979年12月25日に原宿ラフォーレで行われた「ユーミンとアイビー・クリスマスパーティ」というイベントに駆り出され、直接荒井由実さんと話したり、イベントを実施する事に成ったのだ。

筆者右から二人目、右端がVAN同期の天才横田哲夫氏、このパーティのプロデューサー。

筆者は所属していたアイスホッケーVangurdsのユニフォーム・スタジャンを着て出席。

彼こそラフォーレ原宿の「ユーミンとアイビー・クリスマスパーティ」のプロデューサー天才横田哲夫氏(VANの同期でサイクル・ロードレーサーでもある)

 もともとこの原宿ラフォーレでの「アイビー・クリスマスパーティ」はVAN1973年同期入社の天才・横田哲夫氏の発案で始まったIVYスピリットでクリスマスを楽しむ集いだったのだ。これにユーミン・ブランドが乗っかったのが1979年のクリスマスだったように思う。


 そのユーミンこと荒井由実の曲に接したのは青山のVAN在籍中の1975年FM東京かなんかの番組で昔を懐かしむ「あの日に帰りたい」という特集があり、そのテーマソングで何度も流れた荒井由実の「あの日に帰りたい」を繰り返し聴いて初めて知ったのだった。

 最初はこの番組の為に作られた曲かと思って聴いていたのだが、曲の方が先だと知ったのは番組が終わってからだった。

 オールディズ・レコードの輸入盤コレクターでもある筆者が映画「アメリカン・グラフィティ」のヒットも相まってその番組に夢中になったのはまさに神の啓示とでも言うか、この荒井由実の曲が導いたと思ってもらって良いと思う。

 原宿ラフォーレでのIVYパーティはその4年後なのだから、その間荒井由実の曲はレコードで散々聴いている。持っているLPは初期のこの8枚だけ。この後はコマーシャリズムに乗って皆同じに聞こえるので興味を失ってしまった。

問題の「12月の雨」は2枚目のLPミスリムに収録されている。筆者思うに荒井由実で好きな曲ベスト10曲にトップで入る曲だ。

11973年11月20日ひこうき雲9位
21974年10月5日MISSLIM8位
31975年6月20日COBALT HOUR2位
41976年11月20日14番目の月1位
51978年3月5日紅雀2位
61978年11月5日流線形'804位
71979年7月20日OLIVE5位
81979年12月1日悲しいほどお天気6位
この後は漫画「気まぐれコンセプト」のホイチョイ・プロダクションだの、映画「私をスキーに連れて行って」のヒットなどで苗場スキー場ゲレンデに朝から晩までユーミンが流れて狂いそうになったので「荒井由実」とは色んな意味でこの頃おさらばした。

ホイチョイの「私をスキーに連れて行って」の頃のスキーファッションとVAN卒業生・元社員たちのスキースタイルはあまりにかけ離れていて、ミーハーなスキーウエアメーカーお仕着せのスタイルは絶対にしなかった。

 唯一、マガジンハウスの雑誌「オリーブ」の編集部でウインドサーフィン関連を連載し手伝っていた頃、編集スタッフの間でユーミンに関する文化論が高まったことが有った。1982年頃の話。

 その中で、自分が聴いた初期のユーミン曲は大きく三つに分けられるという話を編集部でしたことが有った。それはこの3種類・・・。

①一人でシンミリ聴く曲、「海を見ていた午後」「卒業写真」「12月の雨」など

②愛する二人でデレデレしながら聴く曲、「中央フリーウエイ」「ディステニー」

③皆でワイワイしながら歌う曲、「恋人がサンタクロース」「ルージュの伝言」など

 いずれも一部③を除いて当初の8枚のLPに入っている曲。一人称、二人称の愁いを帯びた曲で売り出した荒井由実だが商業ベースに乗って万人受けする明るい曲も出さざるを得なかったのだろう。

 初期のヒット曲がプロコルハルムの「青い影」つまり元曲のバロック音源を更にカスタマイズさせヒットさせた辺りは、団塊世代と同じでアメリカンポップス=オールディズで育った耳を持って曲作りをした事が見え見え。団塊世代には良く判る。

 オールディスに限らず、「気ままな朝帰り」などは、ギルバート・オサリバンの「クレア」そのままに近い。
 例の原宿ラフォーレの「アイビー・クリスマスパーティ」の際、同じバスで目白の東京カテドラルへミサに行った際(確かユーミンは此処でピアノの弾き歌いをしたはず)帰りのバスで前の席の荒井由実さんに確かめたら慌てて「あれはマンタがやったんだからねっ!」と半分認めていた。※マンタとは旦那様・松任谷正隆氏の事

 いずれにしても湘南サウンドと呼ばれる日本の1970年以降のポップ・ヒット曲の多くは、米国ポップミュージックを脳に摺込まれた団塊世代附近の人々によって作り出されたものだと言って良い。

 その頃今の生成AIが在ったら曲作りはイージー過ぎて大変な事に成っていたろうと思う。似た様な曲ばかり沢山出来ただろう・・・。

 やはりこの辺りは1970年代から活躍するクリエーターたちの感じた、本人だけの琴線に触れた海外の原曲を基に自分で苦労し新たな曲を生み出した努力を大いに認めたい。

 荒井由実と対極をなす竹内まりあがBEATLESやマージービート系をベースに曲作りをしている流れも、団塊爺的にはとても嬉しい。

 団塊世代はレコードで育った世代なのでアーティストのステージ演奏やアニメーションなど「映像」が無いと曲を楽しめないなどという最近の人たちとは全然音感・脳が違う。

 シングルレコードの袋に入ったたった一枚の写真だけを眺めながら曲を楽しめる「空想力・想像力」が今の人たちと違ってもの凄いのだ。

 この手の話、話し出したら団塊世代は止まらない・・・、今日はこの辺で。

2025年12月1日月曜日

野川自然観察園で久しぶりの野鳥との対話! Interacting with wild birds for the first time in a while at Nogawa Nature Observation Garden!

  約4週間ぶりに野川自然観察園へ入り、野鳥との対話。昨日はモズとコゲラ、アオジをご紹介。今日は普段住宅街に居るジョウビタキとは少し違う野川が好きなジョウビタキ。その他シメ、ほか数種のご紹介。

 大砲レンズをもって一日中遠征先のポイントを探し回ってクマタカ、オオワシ、ルリビタキ、ベニマシコ、ノゴマ、その他猛禽類など人気の野鳥を追う時代は筆者的には年齢的に終了!

 2006年頃から熊本県中心に数多くの遠征探鳥で楽しんだ時代は20年間で終え、今は撮り過ぎた画像整理で時間が足りない状態。ヤマセミだけで20万カットを優に超える量なのでどう整理して残すかが今後の課題。

 したがって、このヤマセミWEBブログも再び未公開のヤマセミの生態画像と近所の野川中心のアーバン野鳥ブログにさせて頂こうと思う次第。

で、昨日の後半!

 ジョウビタキは非常に人間が好きなのか、筆者など歩く方へ歩く方へ先導してくれるような気がしてならない。毎朝の愛犬散歩でも必ず同じ所のテレビアンテナに留まってヒッヒッと鳴いてくれる近所のジョウビタキ。毎晩の塒(畑の生垣)も大体わかっているので刺激しない様に通り抜けている。

毎朝出遭うジョウビタキ

夕方にも居る朝と同じ個体と思われるジョウビタキ

こっち観ながら鳴いてくれた

撮影者を完全に認識している気がする。


つかず離れず15分ほど一緒に林間を移動。

梢に居たシメ

他のヒヨドリやツグミと一緒に去って行ったので猛禽が来たらしい。

2025年11月30日日曜日

団塊世代は久しぶりにブログ投稿に戻って来た! The Baby Boomers are back to blogging after a long time!

  11月初旬でこのヤマセミWEBブログが途絶えていた。今月は忙しかったのだ。


 11月初旬立て続けに歯医者の治療が重なった。両サイドの下奥歯が差し歯と共に本来の歯が抜けたり、クラウン(被せ)が割れ落ちたり、加齢で歯ももろくなったのだろう。

 この今年の始めからの両奥歯不具合で何が起きたかというと今年二回の急性胃腸炎。咀嚼不良と食べ過ぎが原因なのだが・・・。この時の詳細は10月4日付のこのブログに投稿した。

https://yamasemiweb.blogspot.com/2025/10/baby-boomer-generation-ive-only-now.html

しかし後になって考えてみると、9月に入ってなった二度目の急性胃腸炎らしき事態はアニサキスによるものかもしれない。青魚が大好物の筆者は今まで一度もなったことがないが、数年前の「柿胃石」といい、歳を重ね高齢域に達することで食生活において今までなったことがない事態に陥ることが最近増えつつあるようだ。だので充分に用心するよう心掛け始めたところ。

 体調不具合に加えて、自動車免許更新に向けお上から必須の「認知機能検査」「高齢者講習※75歳以上」を経て、府中自動車試験場で最後の免許更新を終えるのに手間と時間が掛かってしまったのが忙しさに拍車をかけたという事。

 その他、三鷹市の無料定期健康診断、三か月に一度の血液検査などなど、落ち着いてブログネタを整理し、画像を選んであれこれ考える余裕が無かったのでしばらく間が空いたという事。

 皆様のおかげで積算アクセス100万回を超え、現在115万回に達しようというこのブログ読者にご心配をおかけしたことを此処で切にお詫びしたい。


・・・・で、今日は朝から野川自然観察園へ入って「季節の野鳥」をソローリ、ソローリ園内を歩いて探鳥。相当久しぶりながらそれなりに成果は在って満足。




すべて同じ個体メス、サービス満点の動きでした。


コゲラは単独行で盛んに採餌中でした。UFOみたいな空中姿勢は偶然!

観察園の眼玉、山モミジを背景にアオジがほんの数秒留まってくれました。
 

2025年11月5日水曜日

団塊世代の私、酒は一切飲めないと言って半世紀以上が過ぎた。Half a century has passed since the baby boomer me declared that I could not drink alcohol at all.

  筆者は人より2年遅く実社会に出た頃から「私は遺伝で酒を分解する酵素を持ち合わせていないので、アルコールは一切呑めない」と周りの人達に言い続けて今日に至っている。

 そう言い続けているので、呑み会と称する会合には一切出ないし、食事の際に目の前の相手や回りを憚らず、当たり前のように酒をかっくらう非常識な人物はなるべく避けて来た。

 その分、酒を呑んで無駄な時間を過ごすより、自分に有意義な時間を他人よりはるかに長い事使えて来た。長い目で視たタイムパフォーマンスが良かったという事。

 1973年青山のVANに入社し、歓迎会でしこたま飲んで(飲まされて)当時の副社長にとんでもないことをしでかし、明け方近くタクシーで他の新入社員2人を送りつつ三鷹の自宅へ戻った。しかし、土足のまま玄関から上がり自分の部屋に戻り、一直線にベッドまで進んで回りの大切なものを皆壊して以来、外での酒の場には参加しなくなった。

 それとは別に・・。

 素面(シラフ)で普通にコミュニケーション出来ない御仁、酒が無ければ打ち解けられない、自分になれない、リラックス出来ない人は「酒の力を借りないとリラックスできない、素になれない面倒くさい御仁」だと思ってきた。これは今でもあまり変わらない。

 友達の精神科医に訊いても「言う通りで間違いない」といっていた。

 酒を呑むと良い気分になる・・は、ドラッグと同じ効果だろう?同時に酒が無ければ打ち解けられない、大切な事を正面から言えない・・のでは、裏を返せばシラフでの会話は「本音・本心」じゃないという事だろう?

 同時に「酒の席だから無礼講も許されよう」だの「酒を呑んでいたから失礼も多めに見てよ」と、酒を理由になあなあで許してもらうというズルい卑怯な生き方が大嫌いなのだ。

 氏素性、性格をすべて知っている長年付き合いのある親しい友人はもちろん別。

 実は筆者はフィジカル的にまったく酒を呑めないのではなく、25歳の頃から外では一切呑まないと決めて飲んでいないのだ。もちろん体質的に酒豪というほどは呑めない。本当に酒豪と自慢してた人で長生きはいないと親族の医者が言う。オイラも人並みの限界は在る。それにもまして酒を美味しいとは決して思わない。酒の場が楽しいなどと思わない。

 大体、盛り上がるっていう虚像の一時的合意みたいなのが大嫌いなのだ。

 しかし人には言ったことがなかったが自宅には数多くのアルコール飲料が在る。ほとんどすべてが頂いた焼酎やスコッチ、ブランデー、シャンパン。

 一番多いのが自家製梅酒に赤高定麗人参を浸けた2~30年物の朝鮮人参酒だ。薬用瓶5本+小型瓶2本ほど床下の酒蔵庫に低定温保存している。高齢になって疲労感を感じた日の夜就寝前にほんの少し「養命酒」のように摂取している。これは軍医少将だった亡き祖父の勧めによるもの。

 梅酒はもともとホワイトリカー35だからアルコール度数は非常に高い。だから量はとても飲めないし直ぐに酔いが回る。寝つきは1分も掛からない。ごく近い存在の友にしか分けていないが、自分の一生の分は既に確保してある。

お土産に頂いたものだが40年前で数万円したという記憶がある。

いわゆる高麗赤人参根、20年物、今は相当手に入り難いらしい。

1995年スポーツ関係でドイツ、ミュンヘンのISPOへ行った際ビヤホールでの一幕

 人と酒を呑んだり、内輪の酒の席は嫌いだが、アルコールの体に良い部分だけは活用している。しかし最近英国の論文で「酒は量に関わらず人間のフィジカルに悪影響がある」というのが出て、少々気にしている。

 人前で、あるいは人と一緒に自分が飲まないのには色々理由がある。他人が飲むのは自由だし勝手だし、決して止めないが、そういう場にあまり居たくないのは昔も今も変わらない。

 それは酒飲み特有のいい加減な行状、物言い、思考が大嫌いであるのと同時に、深酒をして一緒に居る他人への迷惑を一切顧みない様(さま)に我慢がならなかったから。

 ましてや、酒を多量に呑めるのを「強い」と自慢したり、「酒も呑めない弱い奴はだらしない」と下戸を蔑んだり、優越感を持つ昔の炭鉱夫や街のチンピラ・オッサンのような人にはあまり近づきたくない。そもそも価値観が違う。

 もう一つは人が酒の席で言ったことや約束は大概いい加減で嘘が多い事を経験上知っているから。その時その場所に同席していた人間達も「酒の席での約束は反故にしても良いし、その約束を守らないからと責めるのは野暮」だと諫める人間を逆に攻撃するから、それが許せない・・。

 「言った事には責任を持つべし、時間には遅れるな、約束は守れ」これをキツク幼少時から躾けられた筆者は今に至るまでこういう面は自分にも他人にも厳しい。その場繕いで調子の良いカラ約束を簡単に言う御仁も信用しない。

 母方の祖父は陸軍軍医少将(終戦中将)、実父は江田島の海軍兵学校教官・海軍少尉(終戦中尉)だった。悪い事をすると父親に「奥歯を食いしばれ」と言われグーで頬を殴られて育った。軟弱な今の世界だとDVだろう。

 メディアや最近の人々はそれが良いか悪いか勝手に意見を言うが、自分的には悪い事は悪い、良い事は良い・・・のけじめを覚えた意味では体罰を受けても悪くなかったと思う。

 八代の中学時代も悪さをすれば廊下に立たされ、先生にグーで拳骨を脳天に貰った。決して痛くなかったが・・・。

 何か迷惑を掛けても「酒の上の事だから大目に見る」という日本の昔の考え方がどうも好きではないという事に尽きるのだろうと思う。

 話は少し違うが・・。

 「人間は人生で三度、異性(または恋愛)に関して間違いを犯す」という格言は、フランスの作家・思想家であるアルベール・カミュの言葉として知られている。

 最初は「若いが為、勢いで相手をよく見定めず(判断力の欠如)で一緒になってしまう」、二番目は「我慢や諍い・困難に我慢できず(忍耐力の欠如)で別れてしまう」、そうして三番目が「一度間違った失敗を(反省力の欠如)で繰り返してしまう」

・・・と、この原因にすべてお酒が関わっているというのだ。

 筆者は23~4歳大学在学中英国に40日短期旅行し、労働者階級の家にホームステイした際に見聞した色々な事、事件によりそれまでの自分のお酒に対する考え方が大きく変わったのを覚えている。英国人たちの「常識」が余りに日本社会のそれと違っていたから、酒というモノの存在に「覚醒」したのかもしれない。

 もともと英国人は人種的、体質的にアルコール許容量の多い西洋人なのだが、パブで大人数で明るく騒いで吞む時は「暗い話、仔細のある話」はしない。全員で歌を歌うドイツ、ミュンヘンのビヤホールとまでは行かないが、1対1でマジな話をする際はたとえ食事の際でもあまり飲まない事を知った。

 いずれにせよ、団塊世代も高齢期に入り「酒」の存在が人間関係に大きな影響を与える時期は去った。フジカル的にも量は呑めず自他ともに悪影響も減少したので、ある程度筆者的にも自由にしても良いかなとは思う。

 さて団塊世代、各人酒への対応はどうなって来ただろう?「酒は百薬の長」と言ったのは大間違いだった英国の医学論文。程々も実は良くないと判った現在、酒業界はどうなるのだろう?

 ドジャースが連覇して、少し緊張がほぐれたので書くままに好きなブログを書いてみた。