12月に入って雨は降るものの一度も雨粒に濡れないで済んだ…というFacebookへのひょんな投稿から荒井由実の「12月の雨」という曲が団塊爺の頭に浮かんだ。
で、忘れないうちにこの「12月の雨」という曲から当時の荒井由実に関する想い出話をこのヤマセミWEBブログに残しておこうと思いたったのが今日のこの投稿。
ユーミンこと荒井由実、一時は松任谷由実と名乗っていた「歌う元美大生」は、その一風変わった性格・行動を同時期同じ美大で学んだ銀座の広告代理店の元同僚女史から色々聞いていた。
もう45年も前の話なので記憶が定かでない為、詳しい話・面白い話、驚く話は省くが、目立ちたがりだったことはその数々の奇をてらった行動(聴いた話)からして間違いなかったようだ。
筆者は横浜の丘の上の大学を出た後、青山のVAN宣伝販促部(後に宣伝部と販促部に分割、筆者は販促部)に1973年の新入社員として入社し、1978年7月会社更生法申請により事実上倒産するまで5年間在籍した。
倒産後、二人の子供を抱えてとにかく収入を得るため新聞広告の切れっ端を持ってトリンプという外資系女性インナーの会社の宣伝課長として採用され転職(正確には倒産失職⇒再就職)した。しかし、たった1年2か月で当時の西ドイツ本社と大喧嘩して離職(実はその時、次の銀座の広告代理店が既に決まっていた。)
その3社目という銀座の中堅広告代理店の同僚が美大時代ユーミンこと荒井由実と同じ授業を取っていたというのだ。
縁は異なものというが、この荒井由実さんに関しては聞いた話だけでは済まず、VAN倒産後1979年12月25日に原宿ラフォーレで行われた「ユーミンとアイビー・クリスマスパーティ」というイベントに駆り出され、直接荒井由実さんと話したり、イベントを実施する事に成ったのだ。
もともとこの原宿ラフォーレでの「アイビー・クリスマスパーティ」はVAN1973年同期入社の天才・横田哲夫氏の発案で始まったIVYスピリットでクリスマスを楽しむ集いだったのだ。これにユーミン・ブランドが乗っかったのが1979年のクリスマスだったように思う。
そのユーミンこと荒井由実の曲に接したのは青山のVAN在籍中の1975年FM東京かなんかの番組で昔を懐かしむ「あの日に帰りたい」という特集があり、そのテーマソングで何度も流れた荒井由実の「あの日に帰りたい」を繰り返し聴いて初めて知ったのだった。
最初はこの番組の為に作られた曲かと思って聴いていたのだが、曲の方が先だと知ったのは番組が終わってからだった。
オールディズ・レコードの輸入盤コレクターでもある筆者が映画「アメリカン・グラフィティ」のヒットも相まってその番組に夢中になったのはまさに神の啓示とでも言うか、この荒井由実の曲が導いたと思ってもらって良いと思う。
原宿ラフォーレでのIVYパーティはその4年後なのだから、その間荒井由実の曲はレコードで散々聴いている。持っているLPは初期のこの8枚だけ。この後はコマーシャリズムに乗って皆同じに聞こえるので興味を失ってしまった。
問題の「12月の雨」は2枚目のLPミスリムに収録されている。筆者思うに荒井由実で好きな曲ベスト10曲にトップで入る曲だ。
| 1 | 1973年11月20日 | ひこうき雲 | 9位 |
|---|---|---|---|
| 2 | 1974年10月5日 | MISSLIM | 8位 |
| 3 | 1975年6月20日 | COBALT HOUR | 2位 |
| 4 | 1976年11月20日 | 14番目の月 | 1位 |
| 5 | 1978年3月5日 | 紅雀 | 2位 |
| 6 | 1978年11月5日 | 流線形'80 | 4位 |
| 7 | 1979年7月20日 | OLIVE | 5位 |
| 8 | 1979年12月1日 | 悲しいほどお天気 | 6位 |




















































