主開催国米国のトランプが観客ブーイングの中醜態を示しつつ終了したFIFAワールドカップ(=FIFA World Cup 26)メディアの論評、にわか解説者たち、自称解説者たちの論評、どれを観ても大体の様子がまとまってきたようだ。
決勝戦に関しては圧倒的スペインの質と量的優位はもちろんの事、負けて2位になったアルゼンチンの反則の多さ酷さ、メッシを含めた選手の試合後の態度の悪さで過去最低の決勝戦と言われているようだ。
筆者も特にアルゼンチンのチーム態度は酷いと思うし、それをコントロールできなかったFIFAが一番悪いと思う。今のFIFAではサッカーの今後は世界のスポーツの中でどんどん見下げられていくだろう。
WCが終わり、いろんな人の論評がSNSを中心に飛び交っているようだが、10年前とは異なりオールドメディアの解説者の論評は誰も信用していないし、聞いちゃいないだろう。
筆者的にはサッカー界のいろいろな裏事情を知ったうえで、現場を仕切った森保監督が忖度やしがらみを捨てて本音で述べてくれたらそれが一番現状に合った「解説・論評」に成るような気がするが、まずメディアを通じては聞けまい。
筆者は現場主義だ。自分自身体を動かしてピッチの上で実際に敵が間近に迫ってくる中球を蹴ったことがある人間の意見や感想しか信じないし認めない。
TVの液晶や大型画面で中継にしろ録画にしろ、俯瞰で遠くから観られる戦況を追っただけで試合を総論したり、どっちがどうの・・・を論評するのは聞かないし見ない。
生のサッカーの試合はピッチの芝から立ち上がる熱気・湿度、目線でしか見えない敵味方、液晶画面上で全体を俯瞰で観戦できる観客と間近に審判とも接するピッチ上でプレー中の選手では全くその試合への考えや判断・視方は違うのだ。
画面を通じてではわかりにくい、本当に痛い酷い反則かシミュレーションかはピッチ上ならすぐ判る。本当に痛かったらまず動けない。大げさなジェスチャーはほとんどがシミュレーションと言って良い。これが好き勝手に贔屓を応援する観客の画面上ではわからない。
映画の論評、ドラマの論評、美術の論評、音楽の論評。すべてにおいてその対象を自分でクリエイトする側としてプレイする演者側と、演じない人の「観客・鑑賞者として感じた思い」はあくまで違うのだ。見て論ずるだけの批評はその人だけの思いや考えだから実際演ずるクリエーターとはすべてにおいて違う。これを解っている人と、そうでない人が同じモノを見てどれほど感想・評価が違うか。
筆者はそういった意味で横綱や名力士の解説はすんなり信ずる、元操縦士の飛行機事故解説は聴く。横尾忠則さんの美術論評はもちろん頭から信ずる。(・・が彼が他のアーティストの論評をしたのを一度も聞いたことがない。)筆者思うに筆者以上にストイックで筋を通す方なのだろう。
サッカーに話を戻せば、かっての釜本邦茂選手や川渕三郎選手が偉くなってする論評も時代とスポーツそのものが変わってしまい今や全く別次元なので、これも聞かない。彼らもしないだろう。
しかしメディアの中の毒舌で有名になったセルジオ越後の精神論的サッカー解説などには昔から耳を傾けたことは無い。
筆者は大学4年間横浜国立大学サッカー部で4年間球を蹴った。もちろん1970年前後で、まだオランダのヨハン・クライフ率いるアヤックスがそれまでのフォーメーション重視のサッカーから全員攻撃全員守備の今につながるスタイルを始める前の話。
でも、40名近くいた部員(1年生~5年生までいた)の中から未経験の筆者が1年も経たずに右ウイングのポジションレギュラーを獲れたのは足の速さとジャンプ力のおかげだった。
大学がゲバゲバで封鎖中の1970年4月からクラブで球を蹴り始め(それまで経験はなかった)て10月に山梨の甲府で開催された「関東甲信越国公立大学選手権大会」で優勝し得点王になっているのだから、サッカーがよほど自分の性格に合っていたのだろう。
1972年英国ボーンマスへ40日間ホームステイで短期語学研修に行った際も世界各国から来ている学生たちの混成チームでボーンマス陸軍サッカー部と戦い、ハットトリックを達成し勝った際も日本へ帰らずそのまま英国に残った方が良かったのではないかと、現地で幾人にも言われた‥‥こともあった。
時代は完全に違うが、球を蹴るチームスポーツ、それも炎天下8月の甲府で1日に2試合を行い関東甲信越大会で優勝した経験をベースに水飲みタイムを設けるほどのコンディションの辛い今回のワールドカップを自分なりに総括してみたい。
映像を通じてみたのは日本の試合全部と米国Vsボスニア ヘルツェゴビナ、ノルウェーの全試合、カーボベルデの全試合、準々決勝以降全試合。ほとんどは夜放映された録画。
Liveで観たのはイングランドVsフランスの全部と決勝の延長戦だけ全部
たったこれだけだが、自分の知っているサッカーの中で今回大会は一番レベルが高かった。UEFAのヨーロッパ選手権やスコットランド、イングランドプレミア、ドイツブンデスリーガなどを良く観るが、それらと比較しても相当レベルが高いと思った。
しかし、しかしだ。南米の国の戦い方はあまりに意図的な反則が多くて観ていられなかった。しかもそれに対する審判のいい加減さがヨーロッパの各リーグの采配とあまりに違うので「これが本当に世界最高のはずのFIFAの大会なのか?」とあきれてしまった。
結論から言うと、英国で生まれたフェアプレイ、スポーツマンシップに則って戦うヨーロッパ中心のサッカーと、審判に判らなければどんな反則も暴行もやってもいい南米スタイルのサッカーの二極化の最後の大会になるだろうという感想だ。
FIFAというサッカーを元にお金を稼ぐ、いわばIOC=オンピック貴族と同じサッカー貴族たちの道具としてのワールドカップは今回が最後になるだろうという想いだった。
➀ 南米系の反則サッカーの目に余る試合
② それを見て見ぬふりをする審判とジャッジ
③ FIFAの思惑で動く不平等な審判の選定(日本Vsブラジル戦など)
④ 話題の選手への極端なジャッジの優劣(ハーランドへのジャッジ不公平)
⑤ メッシ、アルゼンチンへの有利なジャッジ(対戦チームへの不利なジャッジ)
⑥ 米国レッドカードへのトランプの介入
⑦ 入場券の高騰放置
⑧ 決勝戦のハーフショウののバカバカしさ
⑨ 負けてさっさと帰ってきてしまった日本チーム、残って世界のレベルの高い戦いを生で観て学ぼうとする気がない残念過ぎる行動。
これらを総合すると過去最低のワールドカップと言って良いと思う。
大会後SNSなどでの各コメンテーターの総論にも似たようなものが圧倒的に多く、充分納得いくものが多かった。
FIFAは大いに反省してほしい、しかしこれほど大きな大会になってしまった今、難しいのかもしれない、残念な気持ちでいっぱいだ。























































