2026年2月17日火曜日

団塊世代は東京の緑地で繁殖するオオタカの記録写真集編纂に入った。 The baby boomer begun compiling a photo book documenting the goshawks that breed in Tokyo's green spaces.

  このブログもアクセス数が積算でとうとう120万回を超えた。特に最近は1日で2000アクセスを超える日もあって、喜びと共に責任の重さを感じる今日この頃。

 いつもご覧いただいている方々には心から感謝したい。

 筆者は今まで11冊の野鳥写真集を自費出版して来た。

いずれもデジタル入稿の写真集だが出版部数は50~1200冊とバラツキが大きい。

一番最近の写真集は、昨年1~2月に八代市の老舗珈琲店ミックさんで写真展を開催して頂いた出展作品の図録に近い形での写真集。これは2年前八代市のハーモニーホールなどで開催された合同写真展と同様。

 野鳥の写真集はいわゆる「奇麗な野鳥・珍しい野鳥」などを尊ぶ野鳥撮影ファンの方々が喜びそうな図鑑的な写真集は1冊もない。
 基本的に野鳥の面白い生態や、学術的に今まで判らなかった生態を観察して収録した「証拠画像」が中心の多少地味な写真集が多い。

 編纂に入ったオオタカの繁殖生態に関しては、世の中の先輩たちが沢山記録画像を撮られていると思う。
 筆者は東京の緑地で人間に慣れたオオタカが実はすごく合理的な営巣活動を行っている事実を4月~7月という足掛け4か月間で8,536カット収録した。

 今回の写真集は写真集というより「観察記録」に近い存在と言って良いだろう。

ヒナへの給餌の為獲物を抱えて飛ぶメス




オスから受け取った獲物の羽根ムシリ中のメス

巣へ餌物を抱えて向かうメス

最初は白い産毛のヒナ

ヒナのうちから眼付だけは非常に鋭い

徐々に茶色くなってどんどん大きく育つ

徐々に大きくなる三羽の幼鳥

子育て中、毎日同じ場所で水浴びを繰り返すオス

ビショビショで乾かす決まった場所へ移動

約1時間かけてゆっくり羽根を乾かすオス

 果たして9,000カット弱の静止画から何カットを掲載するか、現在作業中。こうご期待だ。

2026年2月15日日曜日

ミラノ・コルチナ オリンピックと団塊世代・筆者の繋がり話。 The story of the connection between the Milan-Cortina Olympics and the baby boomer me.

  連日メディアが伝える感動のアスリート奮闘話・成果。このイタリアのミラノ、1996年長野オリンピックの2年前スイス・インターラーケンでのFIS(=国際スキー連盟・International Ski and Snowboard Federation)会議に日本のスノーボード担当者として出席した際、次の週会議がミラノで行われ、アルプスの長いトンネルを列車で抜け、初めて訪問したのだった。

 イタリアはそれまで1972年英国40日ホームステイ滞在の帰りにローマで2泊しただけ。ミラノやトリノ、ベネチアなどへはまだ一度も足を踏み入れた事が無かった。

 当時筆者の頭の中はスノーボードの事で一杯だったからミラノのシンボル「ドゥオーモ」にも神道信者の筆者としては全く興味が無く、建物含め施設内には一度も足を踏み入れなかった。

 むしろ、並木通りに面した豪華なホテル(Diana Majestic, Milan)から徒歩で30分ほど歩き、SAJ(=全日本スキー連盟)やFISの人々と一緒に「ドゥオーモ」見物に行った際も、途中の高級住宅街の庭にピンクのフラミンゴが数羽いたのに絶句した印象の方がはるかに大きかった。

 ミラノといえばファッションで有名だし、1970年代VANに勤めていた際石津謙介社長から「ネクタイとサングラスだけはミラノが一番だぞ!)と教わり、良い品物を扱う店舗が多いと知っていたので、その両方をドゥオーモの行き帰りに買い求めたことぐらいしか覚えていない。


 話が逸れまくったが、今自分の人生を振り返ってみるとスノースポーツに関しては今回オリンピックの種目を含め筆者自身で数多く実際プレーしながら楽しんで来た。

 古い順に並べると・・。

 ①アルペンスキー、高校1年生15歳の時1964年~2008年頃。デモ選系の○○級といった基礎スキーの教程バッジテストは目指さず、ポールをクリヤーする競技系、あとはスキー場の頂上から麓まで一気に滑り降りる耐久ダウンヒルが好きで2~40歳代に盛んにやった。

1964年12月 都立広尾高校のスキー教室(蔵王)で初めて板を履いた。筆者右端

1976年VAN販促部恒例の南志賀山田高原での合宿 筆者右端

ポールを滑ってごらんとスクール教師に言われ、スケーティングだけで滑りラップを獲った。

この頃からゲレシュブ(小さいジャンプ)にハマっていた。ウインドと同じ?

1995年野沢温泉スキー場で開催の「インタースキー1995」の企画・運営に携わり、オリンピック、コルチナ・ダンペッツオ大会日本代表の杉山進先生に散々お世話になった。写真左杉山さん、真ん中筆者、右は八方尾根出身SAJ専務理事された丸山庄司さん。

北志賀夜間瀬のご自宅には一度泊めて頂いたことが有った、昨年4月亡くなる・・・R.I.P.

 2015年スキー雑誌Stuben発刊記念トークショウに参加した際の杉山進さん 筆者撮影



2005年乗鞍岳雪渓開催の「宮様フィーゲルスキー大会」時の筆者 寛仁親王殿下撮影

 故・髭の殿下のチーム「トド組」として乗鞍岳でのフィーゲルスキー・スーパー大回転レースに数回出場、50歳以上の組で今回オリンピックの前回開催時(コルチナ・ダンペッツオ大会)に出場された杉山進さんと同クラスで一緒に競った。(ゴール直前転倒し勿論順位は良くなかった)※フィーゲルスキーとは雪山登山で雪渓を横切る際に使用する50㎝ほどの超短い登山用スキー。


 ②アイスホッケー、1973年4月に新入社員として青山のヴァン ヂャケット宣伝販促部へ配属された初日にアイスホッケーの防具一式をドサッと足元へ置かれ「今日から君はアイスホッケー・ヴァンガーズのメンバーだかんネ!・・といわれ4年間プレーした。東京都実業団連盟下で2部~1部と昇格し、常勝・国土レッドアローズと戦う羽目になった。(※もちろんそんなトップレベルの試合には出してはもらえなかったが、公式戦で得点はしている)

かって高田馬場に在ったシチズンのリンクで 1975年

VANの会社案内にモデルとして出演時の写真1974年

 ③スノーボード、1990年北海道ルスツで2年連続で開催されたISF(プロの団体)スノボワールドカップを仕事として運営・参加した際スキーを履いて運営したのだが、TDのテッド・マーチンに言われスノボを現場で初めて履く事に成った。徹夜でゲレンデに灯る灯りを頼りに3時間ほどツボ足で上り下りして緩斜面練習をし、汗だくで何とか滑れるようになった。

 翌朝スタッフ宿舎のログハウスから黒いビニールのゴミ袋を抱えてスノボで下まで降りたら関係者から「えっ?」と驚かれ、有頂天になって即ハマった。

1996年頃北海道サホロリゾートで

 アルペンの板でハーフパイプに入り、転倒肩打撲で30㎝四方が真っ青に!今回オリンピックの選手たちは筆者に言わせれば「人間じゃない!」やったことが有る人間の方が今回の技・パフォーマンスの凄さが判ると思う。

急斜面と

ビッテリーターンにハマりまくった1996年頃


 ④クロスカントリースキー、1996年長野県飯山市のビルケバイネル・スキー大会(故・髭の殿下が名誉総裁)を仕事として運営することになった。

 大会前日設営が終わってから「自分でもやれよ!」と先輩に言われ、大会施設で初めて履いて滑ったのが最初。で、翌日の競技に出場しろと言われ慣れないまま初めて競技に出場、全体の真ん中くらいの成績だった。

生まれて初めて覚えた翌日のレース、アイスホッケーをやっていたからこそ出来た?

 全体で真ん中ぐらいだったのには自分で驚いた。これで調子に乗って福島県連でクロスカントリースキーのインストラクター指導員資格を取得した。写真は1996年の大会。

 左が初めてクロカンスキーを履いた(47歳)翌日のレース記録順位は250番前後。右は翌年のレース記録、距離は同じ5㎞だが参加者が多いので選手をバラけさせる意味で峠越えのキツイコースが設定された。781人中157位、ジモティ(10~30歳代が多い)が殆どの中でよく頑張った!48歳時。



 ⑤スキージャンプ、・・・これはやりたかったがチャンスは今だ無し。


 決して自分がやって来たウインタースポーツ各種目を自慢したり、今やっているオリンピックのそれと比較する訳ではないが、今回のオリンピックのアスリートたちを観ていて「時代は変わったなぁ!」とつくづく思う。もちろんとても良い方向へ。

 いわゆる昭和の頃、体育会系独特の勝った負けた!敵意むき出しのスポ根の世界で育った団塊世代は、スノボの若い選手たちの試合後の選手交流(言葉が古いなぁ!)の場面を見る限り非常に羨ましく思う。メダリスト3人が「未知の大技」にチャレンジしてコケた4位の選手にみんなのメダルを掛けてあげてリスペクトしたシーンなんか最高だと思う。

 昭和に生まれて育った人間は、自分より優れている人、凄い事を出来る他人を素直にリスペクト出来ない、しない人が多い。リスペクトどころか妬む、悔しさが長じて無視したり意地悪をしたりする。そういう人間が高齢になるとさらに極端になる。つくづく自分はそうなりたくないと今回オリンピックのチームニッポン選手たちの行状を観ていて思った次第。

 運動会で1位2位を褒めない最近のバカな教育(優劣を付けさせない、競わせない)…とは違う所で新しい「常識」が育っている事もとても嬉しい。

 しかし、これらはマジ、スポーツなのだ!体を動かして疲れるし怪我の危険もある、でもやっている時の楽しさ、悦びは実際にやっている者にしか判らない。テレビで成り行きを観て勝った勝った!と喜ぶのも良いが、実際やった経験値を通して観ると余計感動が湧くのだ。スポーツとはそういうモノだと思う。

 料理だってそうだろ?写真や動画で人が美味そうに食べるのを観るより、自分で作って食べる方がどれだけ美味しくて楽しいか?スポーツも料理・食事も「観る・食べる」だけではなく、常に自分自身で「やる!料理する!」悦びを持つ側で居たいと思う次第。

 音楽だって、演劇(ミュージカルや歌舞伎など伝統芸)だって、ただ入場券を買って聴く・観る、そうして感動し批評するだけではなく、自分で演奏したり演じたりする事を尊びたい筆者なのだ。消費行動よりクリエイティブ(制作)行動こそ他人には出来ない自分を表現する生きざまとして大切にしたい筆者なのだ。
 


2026年2月14日土曜日

雪の日のカワセミは採餌で忙しく警戒心が薄いのだろうか? Are Kingfishers less wary on snowy days because they are busy foraging?

  雪の日の野鳥の警戒心に関して昨日投稿したが、カワセミはもっと警戒心が薄れるようだ。

 一級河川の野川流域ではカワセミが500m置きに生息していて、シャッターチャンスが豊富に生まれる恵まれた地域なのだ。塒などは国分寺ハケ線の崖附近のようだ。

 野川のカワセミは筆者のテリトリー内で3~5つがいが生息している。御塔坂橋~小金井新橋間4.5㎞の間。春の繁殖期には野川の土手に掘った巣穴(すべての個体がそうではないが)の前でどっかりと腰を下ろして一日中大砲レンズを巣穴に向けているアマチュアカメラマンが居るが、最近はいつでも見られるのでそういう「へばりつき」タイプの御仁たちには会わなくなった。

 10~20年前は高齢者が数名折り畳み椅子に座って日向ぼっこしながら並んでカワセミを待ち、三脚を立てて日がな一日雑談にふけっていたが、最近は観なくなった。飽きたのか其処へ集まるエナルギーが失せたか、もしくは・・。

 昨年は1月後半~2月中旬まで熊本県へ遠征して写真展を開催していたので、三鷹での雪の日の撮影チャンスが無かったが、数年前雪中でのカワセミ撮影のチャンスがあった。ちょうど2年前の2月6日だから今年とほぼ同じ時期だった。

「緊急投稿!大雪降る野川で野鳥たちはどうしていたか? Urgent post! What were wild birds doing in river Nogawa with heavy snowfall?」

https://yamasemiweb.blogspot.com/2024/02/urgent-post-what-were-wild-birds-doing.html

 

 やはり、雪が降った日の野鳥の行動は今風に言えば「餌さファースト!」で必死のようだ。

2年前の雪の日の野川のカワセミ、頭に雪が付いているからまだ降っている最中か?

今年の野川も川床に水が無い部分が多いが、カワセミ撮影は2㎞離れた場所。

江戸時代の墨絵のような構図で留まってくれた親切なカワセミ

雪から出た小枝に留まって小魚を狙うオス

場所替え移動のオス

曇りで積もった雪がレフ板の役割を果たすので晴れの日より奇麗に撮れる

寒い時期の川魚は動きが鈍い。成功率が高い理由の一つだろう。

水上がりのカットも撮りやすい

餌をゲットした際はこちらも嬉しい

この日は集中して気が入り1000カットも撮ってしまい、雪の土手に腰を下ろしてポットの珈琲を飲んだら急に睡魔に襲われうっかり寝落ちしてしまった。
気温-0.5℃の雪の土手!二重のHEATTECH+厚手のダウンジャケットなので、まさか凍死はしないだろうけれど、15分ほど寝落ちしてしまい雪景色散歩の高齢者夫婦(たぶん)に心配されて肩を揺すられ目が覚めた。皆様もご用心召され・・。

2026年2月12日木曜日

雪の日の野鳥は採餌で忙しく警戒心が薄いのだろうか? Are wild birds less wary on snowy days because they are busy foraging?

  今年に入って首都圏は雨が非常に少なく乾燥が続き、近所の野川も例年以上に干上がって野鳥たちの吸水場が少なくなっている。

 ただ、BBCやNHKの野生動物記録映画に出て来る砂漠のように何もない様なひどい状態ではない。野鳥はフィールドにおいて常に水のある場所を知っていて、公園の池や農業用水溜池など、あるいは我家のベランダのような水場で充分に吸水をしている。

 我が家のベランダの野鳥用の水場にも数多くの種が飲水に来る。

薮鳥のアオジと順番待ちのヒヨドリ

シメ

ウグイス

 一方で野川の水が無いと生きていけない魚類は、川床のあちこちが干上がると残った水溜りにも行けなくなり死んでしまう残念な状況があちこちで見受けられた。

武蔵野公園付近の干上がった野川で大きな鯉が・・・。

野川の水をキレイに保ってくれている野生の鯉は非常に大きいのだ。

 で、こういう状態で先週2月7~8日に雪が降った。

 7日はもちろん出ないで8日朝から野川流域に根室で購入した寒冷地用の長靴を履いて出かけた。枯れた野川の川床ではそれでもアオジのペア、セキレイ系、カワラヒワなどがかすかに残った水溜りで飲水・水浴び、採餌に集まっていた。

 10㎝ほど積もった野川土手・河原の雪を踏んで2㎞ほど進むと水量は少ないものの15∻30㎝以上はあるエリアでカワセミの採餌に遭遇。傍にはコサギやアオサギなども小魚を追ってうろついていたが、土手ギリギリでカメラを構える筆者の真横3mほどの川中を進んでも警戒されなかった。普段なら20mの距離で飛び立つというのに・・・。

 両岸に木々が密集し(~とはいっても葉は全部落ちている)川を覆うトンネル状態エリアだったので、それだけも安心できる採餌場所なのだろうか?これは初めての経験だった。

 理由は色々あろうが周りが一面銀施世界だと鳥の眼から人間などはハレーションのお陰でコントラストが強すぎて視難いのではないかとも思った。

 カワセミにおいても普段ならとっくに逃げてしまう距離で平然と採餌を続けていた。これは降雪後中2日で昨日2月10日に3㎞ほど離れたエリアで同じくカワセミに出遭ったが、迷彩ダウンを着て迷彩ハットを被っていても一番寄れて20mほどの距離だった。

 もっともこのエリアは土手に障害になる木々が何もなく、素通しだったので警戒心が強かったのかも?でも雪は全部融けていた。

ジョウビタキのメス、住宅街から野川へ降りて来たらしい。


カワラヒワも群れではないがつがいで水浴びに来ていた。

シメも群れではなく2羽のペアでピチッピチッ♪と鳴きながら高枝で・・・。

樹々の隙間から覗いたら眼が合った。

アオジもつがいで移動していた。

 続編は雪の日のカワセミ特集で・・・。