世の中には色々な「野鳥撮影愛好家」いわゆるバーダーと呼ばれる方がいらっしゃる。多くのカメラメーカー上得意の皆さんだろう?
筆者が野鳥撮影を始めたのは、熊本市の江津湖周回路で足元を低く抜けていく青い奇麗な鳥カワセミを観た時からだ。2005年世界女性スポーツ会議運営の時だからもう20年も前になる。
その際に撮ったカットをまとめて2012年「江津湖の野鳥」というB5サイズ横遣いの写真集を自費出版し、当時お世話になった日本野鳥の会熊本県支部の方に売上金を寄付し、江津湖の釣り人が残した釣り糸や釣針の放棄防止・ごみ捨て防止・マナー啓蒙の立て札・チラシ製作費にしていただいた。
東京ではお目に掛かれない清流のせっかく奇麗な加瀬川の保護と、江津湖に住むカワセミたち野鳥保護が狙いだった。キレイなカワセミが餌を咥えて飛んでいく水面に浮かんだペットボトル!何とかしないと・・と思った次第。
こうした野鳥に興味を持ったからには、ただアップで奇麗な野鳥、珍しい野鳥を鳥類図鑑のように撮影して仲間に自慢するだけでは「それだけで終わってしまい、すぐに飽きるだろう」と当時思った。
その野鳥がレンズの前でいったい今何をしているの?ただ木や岩に留まっているだけなのか?採餌の最中なのか?繁殖期独特の行動なのか?子育て中なのか?天敵を警戒しているのか?果たしてこの行動の持つ意味は?・・これが野鳥撮影の時に筆者がまず考える事だった。
一方で・・・・、
2005年当時、撮った野鳥の写真をラミネートパウチして撮影現場に持ち歩き、仲間や他の撮影者に「見てみて!これ撮ったんだよ!」と自慢する方が多くいた。日光の戦場ヶ原や八ヶ岳山麓でも出くわした。
霞ケ浦の湿原では必死にチュウヒ二羽の争いを撮影中の筆者の横に立って、今撮ったばかりのチュウヒの画像を見せて自慢しようと撮影の邪魔をする(=嫌がらせ?)とんでもない御仁も居た。
要は皆さん褒めて欲しいのだ!
でも、その大半は珍しい鳥をアップで撮れた、どうよ!・・・という無邪気なレベル。自分の悦びは非常に良く判る、気持ちも良く判るが、現場で他人の撮影の邪魔だけはしてはいけないと思うが如何だろう?
しかしあれから20年が経ち、自分で撮影した画像をブログやインスタグラム、Facebook投稿で紹介される方も増えた。幾つかのサイトは毎日観させていただき非常に勉強になる部分も時々見かける。
何処にどんな野鳥が出没した、今年の渡り鳥の動向はこうだ・・といった情報中心の投稿グループもあれば、こんなに珍しい野鳥をドアップで撮れた!どうよ?…的な自慢グループモノも多い。特にFacebookにこのタイプが増えて来た。
ただ生成AIでありもしない野鳥の画像や動画をアップしたりするのだけはやめて欲しい。野鳥撮影経験者には一発で判るが、野鳥に詳しくない一般の人には全く判らない。今後問題になるだろう。
まじめな野鳥撮影ファンクラブ的なものはいくら増えても良いのだと思う。自由だもの。20年前に比べればネット環境が遥かに良くなりPCスキルを持った野鳥ファンもどんどん増えている事だろう。スマホで情報拡散のスピードも信じられないほどの時代になった。
しかし、せっかく野鳥を撮影する悦びを知ったなら、もう一歩進んで「明治期からの画家・小原古邨」の優れた観察力を学び、野鳥撮影に生かしたらどうだろうと思うのが今日のこのブログのテーマ。
明治10年~昭和20年に生きた画家「小原古邨」は今のようなネット環境も無い、車という移動手段も無い、連写可能なカメラも無い、当然野鳥情報など無い時代に色々な野鳥の生態を観察し素晴らしい作品として数多く描いている。
その生態観察力、特に飛んでいる野鳥の姿、採餌の際の生態、その野鳥の居る環境の背景。「野鳥と航空機は飛んでいる時こそ美しい!」という筆者の理念とまったく同じ作家さんだ、この部分に非常に共感もしている。
生態を表わす背景のモチーフ、全て凄すぎる観察力だと思う。現代に通じる古(いにしえ)の観察力・表現力を学び、少しでも「今」の写真撮影表現に生かしたいと思う筆者なのだ。
前期展示はもう終わってしまったが、入れ替えの後期は昨日5月3日から始まった。 是非!