2025年11月5日水曜日

団塊世代の私、酒は一切飲めないと言って半世紀以上が過ぎた。Half a century has passed since the baby boomer me declared that I could not drink alcohol at all.

  筆者は人より2年遅く実社会に出た頃から「私は遺伝で酒を分解する酵素を持ち合わせていないので、アルコールは一切呑めない」と周りの人達に言い続けて今日に至っている。

 そう言い続けているので、呑み会と称する会合には一切出ないし、食事の際に目の前の相手や回りを憚らず、当たり前のように酒をかっくらう非常識な人物はなるべく避けて来た。

 その分、酒を呑んで無駄な時間を過ごすより、自分に有意義な時間を他人よりはるかに長い事使えて来た。長い目で視たタイムパフォーマンスが良かったという事。

 1973年青山のVANに入社し、歓迎会でしこたま飲んで(飲まされて)当時の副社長にとんでもないことをしでかし、明け方近くタクシーで他の新入社員2人を送りつつ三鷹の自宅へ戻った。しかし、土足のまま玄関から上がり自分の部屋に戻り、一直線にベッドまで進んで回りの大切なものを皆壊して以来、外での酒の場には参加しなくなった。

 それとは別に・・。

 素面(シラフ)で普通にコミュニケーション出来ない御仁、酒が無ければ打ち解けられない、自分になれない、リラックス出来ない人は「酒の力を借りないとリラックスできない、素になれない面倒くさい御仁」だと思ってきた。これは今でもあまり変わらない。

 友達の精神科医に訊いても「言う通りで間違いない」といっていた。

 酒を呑むと良い気分になる・・は、ドラッグと同じ効果だろう?同時に酒が無ければ打ち解けられない、大切な事を正面から言えない・・のでは、裏を返せばシラフでの会話は「本音・本心」じゃないという事だろう?

 同時に「酒の席だから無礼講も許されよう」だの「酒を呑んでいたから失礼も多めに見てよ」と、酒を理由になあなあで許してもらうというズルい卑怯な生き方が大嫌いなのだ。

 氏素性、性格をすべて知っている長年付き合いのある親しい友人はもちろん別。

 実は筆者はフィジカル的にまったく酒を呑めないのではなく、25歳の頃から外では一切呑まないと決めて飲んでいないのだ。もちろん体質的に酒豪というほどは呑めない。本当に酒豪と自慢してた人で長生きはいないと親族の医者が言う。オイラも人並みの限界は在る。それにもまして酒を美味しいとは決して思わない。酒の場が楽しいなどと思わない。

 大体、盛り上がるっていう虚像の一時的合意みたいなのが大嫌いなのだ。

 しかし人には言ったことがなかったが自宅には数多くのアルコール飲料が在る。ほとんどすべてが頂いた焼酎やスコッチ、ブランデー、シャンパン。

 一番多いのが自家製梅酒に赤高定麗人参を浸けた2~30年物の朝鮮人参酒だ。薬用瓶5本+小型瓶2本ほど床下の酒蔵庫に低定温保存している。高齢になって疲労感を感じた日の夜就寝前にほんの少し「養命酒」のように摂取している。これは軍医少将だった亡き祖父の勧めによるもの。

 梅酒はもともとホワイトリカー35だからアルコール度数は非常に高い。だから量はとても飲めないし直ぐに酔いが回る。寝つきは1分も掛からない。ごく近い存在の友にしか分けていないが、自分の一生の分は既に確保してある。

お土産に頂いたものだが40年前で数万円したという記憶がある。

いわゆる高麗赤人参根、20年物、今は相当手に入り難いらしい。

1995年スポーツ関係でドイツ、ミュンヘンのISPOへ行った際ビヤホールでの一幕

 人と酒を呑んだり、内輪の酒の席は嫌いだが、アルコールの体に良い部分だけは活用している。しかし最近英国の論文で「酒は量に関わらず人間のフィジカルに悪影響がある」というのが出て、少々気にしている。

 人前で、あるいは人と一緒に自分が飲まないのには色々理由がある。他人が飲むのは自由だし勝手だし、決して止めないが、そういう場にあまり居たくないのは昔も今も変わらない。

 それは酒飲み特有のいい加減な行状、物言い、思考が大嫌いであるのと同時に、深酒をして一緒に居る他人への迷惑を一切顧みない様(さま)に我慢がならなかったから。

 ましてや、酒を多量に呑めるのを「強い」と自慢したり、「酒も呑めない弱い奴はだらしない」と下戸を蔑んだり、優越感を持つ昔の炭鉱夫や街のチンピラ・オッサンのような人にはあまり近づきたくない。そもそも価値観が違う。

 もう一つは人が酒の席で言ったことや約束は大概いい加減で嘘が多い事を経験上知っているから。その時その場所に同席していた人間達も「酒の席での約束は反故にしても良いし、その約束を守らないからと責めるのは野暮」だと諫める人間を逆に攻撃するから、それが許せない・・。

 「言った事には責任を持つべし、時間には遅れるな、約束は守れ」これをキツク幼少時から躾けられた筆者は今に至るまでこういう面は自分にも他人にも厳しい。その場繕いで調子の良いカラ約束を簡単に言う御仁も信用しない。

 母方の祖父は陸軍軍医少将(終戦中将)、実父は江田島の海軍兵学校教官・海軍少尉(終戦中尉)だった。悪い事をすると父親に「奥歯を食いしばれ」と言われグーで頬を殴られて育った。軟弱な今の世界だとDVだろう。

 メディアや最近の人々はそれが良いか悪いか勝手に意見を言うが、自分的には悪い事は悪い、良い事は良い・・・のけじめを覚えた意味では体罰を受けても悪くなかったと思う。

 八代の中学時代も悪さをすれば廊下に立たされ、先生にグーで拳骨を脳天に貰った。決して痛くなかったが・・・。

 何か迷惑を掛けても「酒の上の事だから大目に見る」という日本の昔の考え方がどうも好きではないという事に尽きるのだろうと思う。

 話は少し違うが・・。

 「人間は人生で三度、異性(または恋愛)に関して間違いを犯す」という格言は、フランスの作家・思想家であるアルベール・カミュの言葉として知られている。

 最初は「若いが為、勢いで相手をよく見定めず(判断力の欠如)で一緒になってしまう」、二番目は「我慢や諍い・困難に我慢できず(忍耐力の欠如)で別れてしまう」、そうして三番目が「一度間違った失敗を(反省力の欠如)で繰り返してしまう」

・・・と、この原因にすべてお酒が関わっているというのだ。

 筆者は23~4歳大学在学中英国に40日短期旅行し、労働者階級の家にホームステイした際に見聞した色々な事、事件によりそれまでの自分のお酒に対する考え方が大きく変わったのを覚えている。英国人たちの「常識」が余りに日本社会のそれと違っていたから、酒というモノの存在に「覚醒」したのかもしれない。

 もともと英国人は人種的、体質的にアルコール許容量の多い西洋人なのだが、パブで大人数で明るく騒いで吞む時は「暗い話、仔細のある話」はしない。全員で歌を歌うドイツ、ミュンヘンのビヤホールとまでは行かないが、1対1でマジな話をする際はたとえ食事の際でもあまり飲まない事を知った。

 いずれにせよ、団塊世代も高齢期に入り「酒」の存在が人間関係に大きな影響を与える時期は去った。フジカル的にも量は呑めず自他ともに悪影響も減少したので、ある程度筆者的にも自由にしても良いかなとは思う。

 さて団塊世代、各人酒への対応はどうなって来ただろう?「酒は百薬の長」と言ったのは大間違いだった英国の医学論文。程々も実は良くないと判った現在、酒業界はどうなるのだろう?

 ドジャースが連覇して、少し緊張がほぐれたので書くままに好きなブログを書いてみた。 


2025年11月3日月曜日

11月に入っての東京・野川上流部の野鳥たちレポート。 A report on wild birds in the upper reaches of the Nogawa River in Tokyo in early November.

  2回の急性胃炎を経て体調が復活したら、体重も6~7キロ減で軽く疲れない為かやたらと長距離を徘徊するようになった。途中で腰を降ろそうなどまるで考えなくなって以前よりシャッターチャンスが多くなったような気がする。

 食べ過ぎ、咀嚼不足による急性胃炎を腹八分目、今までの三倍の咀嚼・粉砕時間での食事により胃への負担を軽減すると同時に、漢方の助けで急速に体調が改善されているのを実感している。体調な戻る事でフィールドに出たくなる意欲が以前より高まるというのもフィジカルと脳の意欲の相関性を実感できて面白い。

 医者に行かず、自分で自分の体調と原因を色々な症状その他で推察。行きついた結果が自分の咀嚼不良と大食いに在ると判断。その行為を改善するのと合わせて漢方療法をネットでググって、「S・M配合散+百草(ミカン科の広葉樹キハダの内皮(生薬名:オウバク)を抽出)」を入手し服用で一気にすこぶる調子が良くなった。

 夏鳥が去り、冬鳥到来でいつもの晩秋から冬の野鳥が野川に戻って来た。今日は11月2日(三連休の中日・日曜午後3時~)の野川で出遭った野鳥をご紹介。

野川自然観察園内の池の茂みで木漏れ日を受けつつカワセミ

高い木の上ではメジロが10羽ほど出たり入ったり

紅葉が始まった野川流域で紅葉の上をオナガのファミリーが飛翔


エナガが三羽で打ち合わせをしていた。

物音に驚いたスズメの群れ、野川にはスズメが大量にいる。

ネズミモチ、クロガネモチ系の実を食すヒヨドリ

ヒッヒッヒッ♪とパルス信号音で鳴くジョウビタキのオス

ヌマエビゲットのキセキレイ

シジュウカラ、エナガなどと小群を形成し始めたコゲラ。

キョ、キヨ、キヨ・・と鳴きながら飛び回るワカケホンセイインコ

最近野川周辺に多い。

2025年10月30日木曜日

三鷹の野川流域では冬鳥のアオジ、到着しました。 The winter bird, Black-faced bunting has arrived in the Nogawa River basin in Mitaka-City.

  10月も残り2日の今日30日(木)都心の帰りに調布から野川沿いを探鳥しながら上流へ遡ってみた。川沿いをランニングで無くカメラを提げて歩くのは実に1か月以上ぶり。

 今年は二度の急性胃腸炎などで体調が悪く、なかなか本調子に戻らなくて探鳥から遠ざかっていたのだが、やっと気温が下がって歩きやすくなってきた10月後半から走ったり歩いたり調子が上がって来た。

 二度の強烈な胃腸炎で体重が8㎏も減ったせいで体が軽い!夕方サンセットランと称して走るのも普段7~8㎞なのだが、時には10㎞も走れるようになった。

 軽登山靴で草地の土手を調布近辺から西武多摩川線鉄橋下までほんの5㎞。


 今日出遭った野鳥の主なものは、アオジのオス、メス、モズ、ジョウビタキ、キセキレイ、スズメ、カワセミ、バン、カルガモ、コガモ。

 ほんの40分程度の撮影でこれだけ出遭えれば御の字。

アオジのメス


アオジのオス




力んだのか?瞬膜が閉じた状態で鳴いていた

瞬膜が空くと漫画「がきデカ=コマワリ君」の阿部先生のような眼をしていた。

バンが二羽連れ立っていた。


2025年10月25日土曜日

団塊世代は15年振りの上高地で野鳥二種を観察。  The baby boomer observed two species of wild birds in Kamikochi for the first time in 15 years.

  15年振りの上高地の自然がそのままだったことにホッとした筆者は、暑すぎた真夏の東京での野鳥観察を控えていた分、野鳥にも目を凝らして二日間梓川沿いを進んでみた。

 上高地帝国ホテルから明神橋を渡り、明神池から対岸を戻ってくるだけなので10㎞にも満たないかもしれないが、思いのほか野鳥の数は少なかった。

 ただ、さすがに大自然の中コゲラの巣作りとカワガラスの採餌行動をじっくりと観察・撮影できたのは収穫だった。さすがの地元三鷹の野川もコゲラの巣作りは幾度も観察できたがカワガラスにはまだ遭遇できていない。

 今回の周回コースでは数カ所で野猿に遭遇したが、多分国内の野猿では最もおとなしい自然体の猿たちだった。木道を人間と一緒に並んで歩いたり、子猿が人間に興味を示しても親はお構いなしだった。



結構子猿を連れた野猿の数が多かった。調べたら4グループ200頭ほどとか。

 最初に出逢ったコゲラ、ものすごい勢いで穴から削った木屑を排出していた。
最初は外に居たので巣穴は途中で気が付いた。



時折外へ出て近くの木から巣穴を確かめていたのが面白かった。

この後河原に出てカワガラスに遭遇、これは次回!

2025年10月22日水曜日

団塊世代は15年振りの上高地の高原紅葉に癒された。 The baby boomer was comforted by the autumn foliage on the Kamikochi plateau for the first time in 15 years.

  2010年初めて上高地を訪れた際は、雑誌や絵ハガキでさんざん脳にすり込まれた河童橋や穂高岳、大正池を確認するだけだったが、今回は動植物や空気感をしっかりと頭に入れ込んで帰って来た。

 この夏は暑さが続いたので紅葉が遅いようだったが、何とか黄葉の見事さはピークで堪能できた気がする。涸沢の紅葉は既にほぼ終わっていたようが、もちろん穂高の裏側なので下からは見えない。

 相変わらず観光客の数は多く、物価上昇で上高地帝国ホテルのメインダイニングのコースメニューも15年経って1万円ほど上がり2万5千円と約1.7倍になっていた。一人当たりの室料とディナーコース価格がほぼ同じというのも凄い事に成っている。

 普段近所の野川や都心の緑地帯がベースの筆者にとっては、奥日光の戦場ヶ原、霧ヶ峰の八島湿原と並び、癒しの大自然空間として重要な場所だ。ただおいそれとは行ける金額ではないし、帝国ホテルの予約もまずなかなか取れない。

 しかし、一度行けば都会生活に慣れてしまった現代人にとって眼からウロコどころか、全身からウロコ・・・と言った状態になること間違いなしだ。こればかりは行ってみなきゃワカルマイ?


何処でも観る上高地からの穂高岳風景だが

黄葉が見事で京都の寺社モミジ紅葉と良い対比だと思う。上の方は雲の中。

梓川流域は黄色が目立つ

カラ松が見事

明神池

白樺越しの紅葉

此処はツートーンの紅葉が結構目立っている。

2025年10月21日火曜日

団塊世代は西に低気圧がある時の夕焼けの凄さを知っている。Baby boomers know how spectacular the sunset is when there's a low-pressure in the west.

  しばらく経ってしまったが、この10月は関東地方で二度ほど広い範囲の素晴らしい夕焼けを観る事が出来た。10月8日(水)と10月12日(日)の二回。

10月8日地元三鷹の住宅街で撮影

4日後10月12日市川駅傍のアイ・リンクタウンまで出張って撮影した江戸川の夕焼け。この際は天気図を観て予測して出かけたのだが、都心方向は雲で覆われ埼玉方向に奇麗に出た。

 夕焼けのメカニズムは昔中学生の理科の時間などでも学んだが、今はそういう教育をしているか否かどうだか知らない。

 筆者が育った九州では小倉市(現北九州市)でも八代市でも鮮やかな夕焼けを幾度も観て育った。九州の夕焼けが鮮やかなのは大陸に近く飛来する黄砂の影響が強いからと教わったが本当か否か判らない。

 ただ当時の小倉市も八代市も大雑把に言えば日本海側気候であり、太平洋側の気候ではない。冬には雪が舞う日も関東に比べれば多かったように記憶している。

 東京など関東地方で夕焼けが劇的に奇麗だった際は、常時持ち歩くコンデジで記録しているが、調べるといずれも西~南西に台風を含む熱帯低気圧か、強い温帯低気圧がある時だった。

冒頭の画像の三鷹撮影時の天気図

冒頭で市川撮影画像時の天気図

 だからこの10月の二度の全天奇麗な夕焼けは8日と12日に南西方向に台風があったからだという事に成る。特に8日の関東地方は夕方になって晴れてきたので、日没時は湘南から都心に至るまで素晴らしい夕焼けになった。SNSへの投稿が非常に多かったのを記憶している。

 湘南海岸、稲村ケ崎から江の島と富士山を入れたまるで生成AIで作ったような「超観光写真的」絶景PHOTOの目白押しだった。地元の利を精一杯生かした「自慢フォト」の嵐だった。


 何も高い所へ登ったり海岸へ出かけなくても素晴らしい夕焼けは東京首都圏でもいくらでも出遭える。幾つかをご紹介。

2024年9月22日目黒川で撮影、寒冷前線通過直後

2015年頃八ヶ岳蓼科山の夕焼け

2024年10月7日野川公園で撮影

富士山のはるか西まで全天が赤くなった規模の大きな夕焼け2024年11月7日。恵比寿ガーデンプレイスから撮影。

2024年11月7日フィリピンに非常に大きくて強い台風、小笠原西方に低気圧。

 ちょん髷の時代から、舞台背景に良く描かれる「夕焼け」。いつの時代にも日本人の心に印象的な思い出を刻む自然現象、天気図を観ながら少しでもチャンスに出遭いたいものだ。