2025年9月17日水曜日

団塊世代はモチベーションが非常に大事だと思う、その2。 I think motivation is very important for the baby boomer generation. Vol2.

  先日、このブログで団塊世代が若い頃と違って些細な事でモチベーションが上がったり下がったりするようになったという話を書いたらびっくりするほどの反応があった。

 体が動かなくなった分、脳がグルグルまわり余計な事を案ずるようになったという方が多かった。いろいろガタが来て体が動かなくなったのもあろうが、機能的には問題なく動くのに「やる気、その気」が萎えて、つまりモチベーション不足で外出しなくなったのではないだろうか?

 外出が億劫になった理由を天候のせいにしてみたり、前回述べたような些細な気分の浮き沈みや「もう年なんだから動き回るのも程々にして、転倒や事故を回避しなきゃ・・・」と仲の良い友達や自分の子供に言われたせいにする方が多くなっている様だ。

 筆者思うにそれ自体がまず「脳と精神力の老化現象」だと思う。

 ヤマセミの観察で10年通った人吉市界隈では一人1台の車普及で歩かなくなり、寝た切り高齢者の数が50年前より倍増したという。早朝球磨川土手をヤマセミ観察で徘徊していると、毎朝何人もの顔見知りになったウォーキングメンバーと挨拶を交わした事を思い出す。

 この辺りはこのブログで何度も御紹介している精神科医アンディッシュ・ハンセンの「運動脳」と「スマホ脳」を読むことをお勧めする。

 この2冊を読むだけで「便利に甘んじていちゃダメ!動かなきゃ!歩かなきゃ!」と思うのではないだろうか?これを読むだけで自分自身の健康寿命がどれだけ伸びそうか確信を持てる。

 筆者は常日頃思う。

 良い音楽を鑑賞したり素晴らしいアートを鑑賞したり、更には伝統的な日本文化に触れ鑑賞し、識者の演説・講義を聴いて「知識を吸収」するのは素晴らしい事だと。
 だが、知識を吸収してに自分の脳がどれほど豊かになってもそれを自分で生かさなきゃ単なる「人より物知り」になっただけ。

 得た知識を自分で何かを生み出す、つまり何か自分発のオリジナルをクリエイトする事に反映しなければあまり意味が無いんじゃないだろうか?・・・と思う次第。

 せっかく吸収した豊富な知識、貴重な体験を人との会話の中で「物知りねぇ?凄いねぇ?」と褒められ尊敬されるだけではちょっと悲しい。

 筆者はかって仕事の関係でコスモ石油の研究者たちが生み出したアミノベブリン酸(=ALA)という物質に関して色々詳しく調査した。なおかつそれが植物に本当に効くか否か実験もした。挙句の果てには苦労して原語の論文も半分程度さわりは読んだ。

 埼玉県幸手市の中央研究所へ通いALAを与えたほうれん草と与えていないほうれん草の効果の差を比較した。結果植物用照明を与え過ぎたほうれん草はいわゆる薹が立ってしまい、抽苔現象が起きたが、アミノベブリン酸5-ALAを与えた方はしっかりと茎が太く育ち抽苔現象を抑えられた。
埼玉県幸手のコスモ石油中央研究所 右端筆者

数年目の実験=5ALAを与えた植物と未使用植物の育成比較映像より。ALAを与えた方が長時間ライト照射にもかかわらず抽苔現象が起きずしっかりと太い幹で育っている。与えない右側は背は一見速く伸びているが幹が細く、この後すべて倒れてしまう。

これらを東京ビックサイトで実施されていたエコプロダクツ展で発表し注目を集めた。

 これらを経験した結果、筆者は医者が処方する薬物は余程裏が取れている場合以外まず飲まない、うたい文句満載のサプリも摂取しない生活を長年続けてきた中でアミノベブリン酸(=ALA)を原料とする5-ALAだけは摂り続けている。
 この効果は簡単に言うと生物の生存元になっているミトコンドリアを活性化させる材料である事。

 これは長崎大学医学部がコロナ過の初期に新型コロナ予防・症状軽減に一定の効果が出たという論文を発した事などでも裏付けられている。(※あの大騒ぎのコロナ過においてイベルメクチン同様、都合の悪い薬事・医療関係のシステムによりメディアから潰されたようだが・・。)

 
 これと同様、高齢化により筋力低下による転倒を防ぐため、筋力キープの為にプロテインを少量毎朝摂取している。これは決してムキムキマンに成ろうというのではなく、高校生時代からの長いアスリート生活(=普通の人よりはのレベル)で得た筋肉の喪失を防ぐレベルの話だ。1㎏弱を2か月で消費するレベル。メーカーお勧め量の半分以下。
近所のスギ薬局で特典大安売りで買える日に3割引きくらいで買っている。

 体に良い事は「運動脳」の本にも出ていたが60歳還暦を越えた辺りから「野菜」の摂取量を増やしている。3日に一度葉物(レタス、サニーレタス、パクチ、セロリ等)根菜(タマネギ、ニンジン、)キノコ類(マッシュルーム)をボウル一杯(800~1000g)作り保存し、ハーブソルトとオリーブオイルだけで毎朝摂取している。決してビーガンではないが、海藻類と生野菜、茸系(椎茸、木耳、舞茸)は免疫力保持に良いとエビデンスも豊富なので続けている。


本当は毎朝作るべきなのだろうが3日分作り貯めている。

1回

 要は、「こうありたい、こうで居たい!」・・は黙っていてはダメという事だと思っている。「言うはたやすく、行うは難し」の格言は1960年頃米国のヒットパレードNO1.になったThe Essex(元沖縄駐留海兵隊メンバー)のEasier said than doneでも判る通りだろう?
何でEasier said than doneが「内気な17才」なのか良く判らないが・・。

 なんだか話が違う方向へ行きそうなので今日は此処まで。

2025年9月15日月曜日

団塊世代はモチベーションが非常に大事だと思う。 I think motivation is very important for the baby boomer generation.

 モチベーションとは、AI検索によると「目標や目的に向かって行動するための原動力となる意欲や心理的エネルギー」を指す・・・と出ているが、いわゆるよく言う所の「やる気」とか「やり甲斐」といったモノだろう。

 これは若い時には自分が熱中している事に夢中で自分自身ではモチベーションというモノに気が付かなかったり、意欲旺盛で当たり前すぎて、取り立ててその存在の「在る無い」は感じなかったものだ。

 それが、30年以上仕事の世界で揉まれ、成功・失敗を繰り返し、年を取ると変わっていく。

 特に己の意思とは異なる理不尽な力(勤め先の都合、上司命令など)でやる気、頑張る心を揺るがされる事も多々経験し、現役を卒業しリタイヤした瞬間から「やる気」の世界が大きく変わってしまう事は数多くの人から聞いた話だ。

 基本的に企業のサラリーマンとして働いてきた団塊世代は、ある意味会社が利益を上げるための歯車の一つだった。もちろん基本的には自分の給与の為でもあるが、愛社精神(山一証券が破綻する前、昔はまだあった)の元、勤務する自分の会社(=企業)が金儲けをするために一生懸命汗水たらして働いたのだ。

 どんなに「良い事、凄い事」をしても、会社に金銭的な利益をもたらさねば決して「良い評価・高い評価」をされなかった。

 筆者は大手広告代理店時代、自社の営業セクション・デスク(庶務・管理)の女子社員が「あの人は沢山仕事を取ってくるから凄い、優秀だ」という言い方で営業マンを褒めていたのを聴いてゾッとしたことが有った。

 筆者のようなスタッフ部門(プランニング・クリエイティブ系)で、縦系列の上下関係が少ないディレクター職としては、とてもなじめない考え方だったのを記憶している。

 この言葉を聴いた時は、何千人といる社員皆がなんだかチャップリンの映画同様、働きバチや働きアリに見えて仕方が成らなかった。


 筆者の家庭は子供三人で決して裕福ではなかったが、日常暮らすにおいてお金に困るようなレベルではなかった為か「金儲け」という言葉や考え方にはトンとご縁が無かった。

 世の中にはお金などよりもっと大事なモノや事がある・・・と母と共に「日本幼稚園史」を編纂した祖母(新庄よし子)にも育てられ、そう思って生きてきた筆者だった。

 したがって同世代の人々のように高い給料をもらうために、有名一流大学に入り、一流企業に入って出世して管理職へ・・・というような願望は非常に薄かったように思う。

 父も言っていた。「管理職ってのは、現状維持・管理するしか能のない人がやる仕事」と言っていたのを真に受けたのだろう。

 だから現役で入った早稲田大学の教育学部の大教室・講堂での授業の学生数の多さを見て「こいつらとこの先も狭い器の中で学ばなきゃならないのか?」と思い数週間で辞め、阿佐ヶ谷の美術専門学校へ入ったのだ。

 昭和のど真ん中生まれで一番人数の多い団塊世代だから「人と同じじゃ、碌な事に成らない」と思ったのだろう。

 例えば所ジョージがこんな事を言っているのと非常に似ていたのだろうと思う。


 しかし、結局卒業就職の1年前の時点で就職相談に行った先輩の「良い仕事にありつく為には大学だけは出ておいた方が良いぞぅ?」という一言で横浜の大学に入り直したのだが、結果は良かったのかどうだったのか、今に至るまで良く判らない。

 こういった若い頃のモチベーション、やる気、意欲はありとあらゆる事に向けて強かったと記憶している。自分の行動、活動に直結していたのは間違いない。

 小学校、中学校時代はあまり感じていなかったが、高校に入ってからはやたら多くの事に「やる気」が出ていたと思う。バレーボール部活、真空管アンプ作り、ビートルズのコピーバンド、エレキ演奏、VANを中心とするアイビールック、週刊誌平凡パンチの表紙(大橋歩のイラスト)を切って作る定期入れ・・。受験勉強という事などよりその他の「活動」に夢中になっていたのは間違いない。

中学一年生からカメラに凝り始めていた

高校時代はビートルズに夢中でクラスメートとバンドを結成、文化祭で演奏

スキーに夢中になったのも高校1年生のスキー教室から、その後スノーボードへ続く

勿論ファッションに目覚めた高校1年生、VANに憧れた

HOゲージの鉄道模型にもハマった

VANに憧れた勢いで、社会人最初の会社はVAN(ヴァン ヂャケット)だった。

ヴァン ヂャケット宣伝部に入社、即アイスホッケーに夢中になった

’60s洋楽オールディズ好きは1961年頃からリアルタイムでハマっていた

 ドラエモンじゃないが、ポケットの中には得体のしれない「やる気=モチベーション」が高いレベルでたくさん入ってたという訳だ。


 それが、70年以上生きて最近思う事なのだが、周りで起きる些細な事象でその日一日、その一週間の「やる気=モチベーション」が変わる事に気が付き始めたのだ。

 応援する相撲取りが負けた、応援する野球チームが負けた・・などの理由で酒を食らい暴れる者の心理なり行動をNHKの番組が詳細に報じていたのを観たことが有る。

 これを自分に当てはめてみたら、意外に「気になる事」で己の気分の上下が影響していることを発見した。

 2006年頃から写真撮影の被写体に「野鳥」というジャンルが増えた。特に2010年頃からは熊本県の人吉市を中心とするエリアで「山翡翠=ヤマセミ」という希少種(1㎞四方に1つがいしか生息しない)に魅かれ、2020年に至る10年間人吉市に300泊以上して撮影観察しまくった。

 これに夢中になっている頃は、ヤマセミとカワセミが並んで飛んでいたり、ヤマセミが大きなカラスに追われる場面を連写で撮れた際など「これでモチベーションが1年は続く!」と大喜びしたものだ。

2012年頃一生に一度偶然撮れたカワセミ(前)ヤマセミ(後)のランデブー飛行

2014年頃、カラスがヤマセミにちょっかいを出す場面を撮れた

 天体撮影に夢中な方が、先日の皆既月食を撮れたり、スカイツリーに満月が重なった瞬間を撮れた際に得られるモチベーションにも似ているのだろう。

 ある意味馬券を買って大当たりした際の悦びや、株価が上がって儲けた際の悦びと同じかもしれないが「悦びの質」が全然違うと思う。

 「努力・苦労」の結果の「悦び」と、偶然のたまものの「ラッキー悦び」では次への行動に対する影響が全然違う。

 

 これらに対して、日々の万象で微妙に自分の気分が上下する事を知った。

① ドジャースの大谷選手がホームランを打った日と、無安打に終わった日。

② NHK朝ドラ「あんぱん」で感動を受けた日とショックを受けた日。

③ 初めて入った街中の飲食店で超美味しい料理に出遭った日と逆の日。

・・・他愛もない「事象」なのだが、こんな事で自分の気分の上下を感ずるようになったという事で、団塊世代は自分が年を取ったのだなぁと感ずることが多いのではないだろうか?

2025年9月9日火曜日

団塊世代は「自民党総裁選騒ぎ」にオールドメディアの悪い癖を視た。 The baby boomer generation saw the bad habits of the old media in the ``LDP presidential election uproar.''

  石破首相が辞任して1日、既存TV・新聞のオ-ルドメディアは一斉に「次期総裁選、各立候補者の強みと泣き所」を報じ始めた。

 御用政治評論家の一人などは、待ってましたとばかりにテレ朝モーニングショーに連日呼ばれ「俺だけが知っている政界の裏側!」を得意げに述べはじめている。

9月9日のテレ朝モーニングショー より

 筆者は思った。いつもの大相撲今場所の優勝候補はダレでしょう?・・・と同じレベルではないか?と。

それもいつものレギュラー・コメンテーター。大相撲も映画も大リーグの大谷選手も同じレベルで処理してしまうオールドメディア、

 今回参院選で参政党なり国民民主党への賛同が多く集まった理由は、今までオールドメディアが忖度して触れなかった旧態然とする自民党、立憲民主党スタイル(政治家家系者、利権保持者、派閥(徒党を組む癖)、権力志向、金集めの汚さ)の偏向報道がSNS中心にバレてしまい、事実を知りそれらに呆れた国民の意思だと思う。

 石破氏が原因で負けたと自民党内で騒ぐが、参院選敗因をろくに分析もせず、自民党内の「次は我々のチャンスだ・・」の総裁選レース動向のみを興味本位であーだ、こうだ論ずる姿は国民の多くが嫌気を感じ見切りをつけたのではないだろうか?

 今の自民党内部の動きを見る限り、完全に世論と乖離しており、相当危ないと思うが如何だろう?

 政治評論家とコメンテータは「今こそ稼ぎ時!」と予想するが、観ていて見苦しい。だからMLBのドジャース中継へチャンネルを変えてしまう人が多いのだろう。


 コロナ過の報道がオールドメディアの無責任さを如実に表している事は、国民のほとんどが経験して知っている。今でもワクチンを打ってしまった自分に直接かかわりのある事だから。

 コロナの女王に始まり、イベルメクチンが効く効かない話に、2度3度とコロナワクチンを打たせる番組特集をこれでもかこれでもかと報道したのは記憶に新しい。

 コロナ過が決してコロナワクチンのお陰ではなく、自然に収まった今。

 かって埼玉県の一医院の院長が連日テレワーク出演し「現場は大変だワクチン打たなきゃ!」と騒いだ結果、打てば打つほど世界中で一番感染者(世界でのデータが証拠)が増えてしまった事実をキチンと報じず、結果間違った報道をし続けた事を詫びもしない。

 この辺りから、オールドメディアの「何かおかしい、事実をきちんと伝えていない気がする」という疑念が国民の間で広がったのではないかと筆者は思っている。

 そのトドメが世界一の発行部数を誇る読売新聞の参院選敗北数日後相互関税15%決定日の「石破総裁辞任」の大誤報だろう。今回石破総理が辞任の演説でも述べていた「日米関税交渉」の真っただ中に「辞める」などとは口が裂けても言えない状況を推察もせず判らなかった読売新聞社!

 日米関税交渉は赤澤大臣が一人でやっている訳ではない事くらいジャーナリスト、新聞社なら百も承知だろう?

 筆者のような政治素人でも、日本の国益が掛かっているトップ同士の交渉中に「辞める」などとは思いもせず「本当かよ?」と思ったと同時に読売新聞の大ドジ!だと見抜いていた。 

ネット・SNSや他の新聞社が全く報じていなかったから、余計強い確信をもって「読売の大ポカ」と断定したのだった。

 有料で決して安くない新聞、オールドメディアの「真実を伝えない酷さ」を国民が知って体験した結果、無料で「速くて政府に忖度せず事実をそのまま伝えるSNS,ネットメディア」の報ずるところを信ずる人が激増していくのは間違い無いのではないだろうか?

 SNSネットメディア>オールドメディア・・・の変換は予想よりはるかに速い気がする。

 

2025年9月5日金曜日

団塊世代は人間のエゴで混乱するクマと人間の関係を非常に憂えている。 The baby boomer is deeply concerned about the relationship between bears and humans, which has become complicated by human ego.

  特に暑かった今年の夏、全国でクマに遭遇、クマによる被害、クマの駆除それぞれのニュースがマスコミを賑わしている。特にオールドメディア(TV、新聞、雑誌など)は何十年も昔の事件や映像を持ち出してこれでもか、これでもか!とクマ・ニュースを煽り立てる。

 特に最近の北海道の札幌近郊のクマ出没マップを見ると、筆者がかって重たいカメラを持って野鳥を探し、朝から一人で走り回った円山原始林(と言っても小山なのだが)附近は出没マークだらけ!今になって当時を思うと、全身冷や汗でずぶ濡れ状態だ。

 どうしてこうなったか?はいろいろ言われているし、時々解説もされる。要はクマの棲む「奥山」と人間が住む「里」との間に在った500m~1000mの「里山」、これが無くなったからだというのは20年前から言われている事。
 人が薪を採集したり炭を焼いたり、木の実を採集したり、畑を運用したりしていた場所が里山。 
 それが食物など物資流通の普及、生活環境の進歩(電気・ガス・生活用水)、クルマ文化の発達で人間が歩かなくなり、農作業・自然物採集をしなくなり入らなくなったかっての里山。

 1~2か月間人間が入らず人間の匂いが無くなると、クマは奥山から里山へ出てかって人間が採集していた木の実(栗、クルミ、柿、アケビ、栃の実、桑の実、ブドウ)や茸、筍、山芋、根菜を食べ始める。

 これらとは逆に、道路が出来て里山に宅地造成が広がり、機能が消滅した里山に降りて来たクマと鉢合わせをするようになったのだ。

 一方で大自然の辺境エリアまで道路が通り、昔は人間が立ち入れなかったクマの領域「奥山」へ車で簡単に行けるようになり、野生動物とペットを同じ「生き物」と勘違いする無能な観光客が餌付けしたり寄って写真を撮り自慢するようになってしまった。

 各地の行政や警察がこれらの先に起こる事を猟師や学者の「専門家」の意見をきちんと訊かず、ほぼ放って置いたが為、今のような状況になっているのだと推察する。
 どう考えても野生のクマ側に責任はなく、すべて人間の勝手とエゴで今の事態になっているように思う。
 今日から猟銃の使用条件が変わるようだが、そんな細部の法律が変わってもクマの現場では何も変わるまい?
 自動車で接近し車の窓を開けて餌を投げたり、車から降りて写真を撮るようなバカ者たちを取り締まり、現行犯の場合手錠を掛けて他の観光客へ見せしめ、重たい「罰」を与え、それを報道するしか即効性のある方法は無いのでは。
 いま車から餌を投げている馬鹿者は「自分は餌を探すに困っているクマを救って良い事をしているんだ」くらいに思っているんだろうし、近寄って写真を撮ろうとする者たちは「迷惑撮り鉄」の子供たちと同じ「虚栄心・優越感」がベースの自慢ネタを撮ろうとする「エゴの塊」なのだと思う。

 知床など、此処から先は営林署員、電力保持関係者以外たち行ったら逮捕・拘留する・・くらいの思い切った方法を取らねば事件はなくなるまい?この記事のように「観光地」だなどいうから富士山みたいになるのだろう?
 こういった馬鹿な観光客を強く取り締まる法律があるか無いか、オールドメディアは何も報じない。
 今後、どんどんクマに殺される無謀・無責任な観光客や山菜取りの老人、危険と判っていながらクマ領域をトレイルランする無謀な若者が出れば、オールドメディア側もクマが悪いのではなく、そういう事態を起こす人間側に問題があるように報じ始めるのではないだろうか?
 ヒグマと人間が共生するなど、甘く考え過ぎだろう?共生できるにはT.P.O.が非常に大切で、相当人間側が気を使い用心しなければいけないはず。
 この辺りメディアや自治体、警察は何を考えているのだろう?

2025年8月30日土曜日

団塊世代は気になる事・不安な事の解決に時間が掛かる。 It takes a long time for the baby boomer generation to resolve concerns and worries.

  今年に入ってから、普段の生活において気になる不安材料が噴出・急増!元来ノーテンキで楽観的な筆者だったが、さすがにここ数年今後の事を考えて「まじめに物事を精査・判断し生きている間に処分・処理をしなければいけない!」と思うようになった。

 どういうことかと言うと、先が見える年齢になったので不安材料を先送りをしなくなったのだ。これは高齢域に達した誰もがそうなる事だろう?そうしなければいけないという責任感がなすべき現象でもある。

 まずその最初の不安材料の一つが、自宅建物の物理的「揺れ異常」。1階の床のある部分を歩くと家全体が揺れるのだ。

 2階の屋根裏ロフトを寝床にして、天窓越しに毎晩星を眺めていた筆者だが(=最近は横になると数分以内にいきなり爆睡に入ってしまうが)今まで普通にしていて寝床が揺れるのを感じた事は無かった。

 しかし、ここ半年ほど前から1階のその狭い範囲を人が通ると、2回屋根裏のロフトの寝床で微妙な揺れを感じるようになったのだ。具体的に言うと柱2本分ほどのエリア。1998年に建った大手建築メーカーのモノコック構造(2×2建築)なので柱自体が腐るとかどうのこうのではないとは思うものの、不気味な現象だった。とっさに浮かんだのが「シロアリ被害」だった。

 で、その1階の狭い範囲の場所を自分で歩いたりドンドン軽くジャンプすると、寝ていた犬が飛び起きてすっ飛んでくるではないか!確かに色々な家具やモノが揺れるのが音で判る。

 地震に非常に敏感な筆者は、2階のデスク横に三種類の長さが違う紐に重りを付けて、自作の地震計を作っている。同時に腕時計のコレクションを8個ヒートンに吊り下げているので、地震で三鷹が揺れればこの腕時計たちがすべてそろって横に揺れる。

長さ2m、1.5m、1mの3本が自作地震計、時には関西や北海道の揺れも感ずる。

 近くの細かい揺れはこれら腕時計が揃って揺れてくれる、近所の解体工事や道路工事は体感しなくても揺れは細かく拾ってくれる。

 遠くの地震であれば、三鷹市の震度表示が無く(震度ゼロ)でも(三鷹市は周囲の市《調布市や武蔵野市》が震度1や2でもゼロの時が多い程地盤が頑丈)この自作地震計は揺れるので地震の存在が判る。 

 こういう状況下で、今年に入って気象庁の地震震度発表が東京エリアでゼロなのに自作地震計はおろか自分自身でも「揺れてる!」と体感するほど地震に敏感な状況になっていた我家だった。完全にこれは何かおかしい、異常だ!と思い始めたのが3月。

 そこで、三鷹市の市役所で実施している耐震検査費用補助金のシステムを申請し、専門家に耐震検査をしてもらう事を思い立った。

 プロの建築事務所にまず検査をしてもらい、大がかりな修理をするか否かの判断を仰ぐというモノで、検査費用は20万円かかるが半分の10万円を市が補助してくれるというシステム。

 で、今年4月1日令和7年度一番の申請で頼んで、すぐ検査に入った結果「確かに揺れが存在する、倒壊する恐れが多少ある」というとんでもない結果が出てしまった。

細かい部分に関しては説明を省くが、一連の申請、補助金受諾完了まで1か月で終了した。市役所へ1か月に3度も通ったのは初めての事。

 しかし検査にすべて立ち合い、床下収納庫などから見える範囲で床下視認検査、その他各種機械を使っての専門検査を行ったが、床下に白アリなどの形跡はなく、見える範囲では非常に乾燥していて基礎木部の腐れなども全く無かった。

 但し、自分で修理した風呂場の洗面台の下部の排水溝の管が一部外れているのを検査員が発見、本来のジョイントへつなぎ直した。

 実はそれから3か月経った最近、気が付いた床の揺れが無くなった原因がこれだったのだ!

 要は厚い化粧ボール紙板性の建材で出来た床材が水漏れで腐り、大きな穴が開いていたのを発見、自分で大工修理した際、穴は塞いだもののパイプがズレているのに気が付かなかったし、更には修理工具なり床材に使った木製の板をぶつけて、今まで以上に余計外してしまったのかも知れなかった。

 しかし腑に落ちないのは、当初の床材が腐って穴が開くほどになるには相当前から水が漏れ続けなければ建材が腐る様な事はないはずだからだ。

 で、これらを物理的、時系列的に整理すると、

① 何らかの衝撃で当初の排水パイプがズレて、洗面台がオーバーフロウしそうになりオーバーフロウ防止口から水が流れ出る都度洗面台下部の収納部内に水が漏れ収納部の床板が腐り穴が開く。※本来の排水口とオーバーフロウ防止の排水口は別のパイプが存在する。

② それを自分で大工修理した際、腐った穴は補修できたものの、作業中気が付かずメインで排水する管を本来の排水溝管から外してしまった。これで洗面台で排水する水全てが床下に漏れる事態になった。

③ 半年経って床下の一番低い部分にその水がたまり、その周辺の地盤全体が緩み柱が不安定になって少しの振動でも揺れるようになった。

④ 専門家の検査時に洗面台の下部のパイプのズレに気が付いた検査員がそのズレたパイプを本来の排水パイプに繋ぎ直した。

⑤ 検査総合結果は良くなかったが、検査から3か月経って日常生活で「揺れ」が全く無くなっている事にある日突然気が付いた。※揺れが無くなれば検査結果など意味がない。

⑥ そこで色々推理すると、最初のパイプのズレは2011年の東日本大震災の時の揺れで外れたのではないか?という推察が浮かぶ。北側隣家ではあの地震で床が微妙に傾き、平屋に立て直している。筆者の部屋は南北に家財が15㎝ずつズレて部屋が狭くなっていた。地盤のしっかりしている三鷹では非常に珍しい揺れだった。洗面台の下部のパイプのズレもこの一連の影響であったことが想像に難くない。

 以上が、床下揺れ事件の全貌であると思われる。

 今朝、8月30日(土)未明の東北震源マグニチュード5.7、最大深度4の地震時は以前と異なって全く気が付かなかった、寝入って2時間の完全ディープな状態だったからかも知れないが、以前だったら起きていたと思う。三鷹市の震度は東京の調布市1に対してゼロだった。


 不安な材料が沢山出てくる中で、一番気になっていた事が「アクション」を起こしたことで無事解決したというのは、大きな胸のつかえが取れたという点で大いに満足なのだ。 



2025年8月21日木曜日

団塊世代は子供の頃の世情を振り返って驚いた!その3. Baby boomers were surprised when they look back on their childhood living conditions! Part3.

  昭和30年東京都庁発行の「家庭便利帖」、この手帖という字を使っていること自体「昔、古い」という感を免れない。今は「帳」の字が使われるが「帖」の字は常用漢字(1981年~)に無いためと思われる。

 前回はこの小冊子の重要性と昭和30年頃(筆者7歳小学校1年)の日本が戦後復興で国を挙げて努力していた世相をご紹介した。

 今日はその続きで、ロックンロールもプレスリーもまだ世に出ていない頃、戦後10年以内の東京の様子をデータを基にご紹介しながら、今との違いを述べてみたい。

 実は驚いたことの一つに、戦後10年で既に東京観光バス「はとバス」が存在していた事がある。

料金は300円~2000円(外人コース・飲食代含)

 「家庭便利帖」の紹介ではこういった観光コースなどの紹介が載っているが、はとバスに関しては此の数年後(昭和40年・1960年)の資料も手に入れている。

 昭和40年の小冊子だが、バスの上にガイドさんを乗せるという「こんな事して良いのかよ?道交法違反じゃネ?」的な表紙でびっくりさせられた。背景は昭和39年東京オリンピックを開催したばかりの国立競技場。

 このパンフを見ると、東京の中心部、盛り場などの写真が出ていて今現在の盛り場との差に驚愕する。新宿駅周辺では新宿駅ビル、小田急HALCビルが既に出来ている。しかしバス乗り場の西側(写真では手前)はまだヨドバシ浄水場の広い水場が広がっている。

上が新宿駅周辺、下が渋谷駅周辺。渋谷駅は筆者が通学路(帰りのみ)屋上に五島プラネタリウムの銀色のドームを掲げた東急文化会館、駅ビル東横百貨店を挟んで空中廊下が結んでいた。この基本構造は現在も変わらない。

現在の新宿は都庁はじめ副都心の高層ビルが立ち並び、昭和40年にはまだ無かった駅並行の小田急デパートが取り壊され、新たなビルが出来始めている。(2025年8月19日撮影)

副都心の高層ビル群はかっての真鍋博のイラストにも出てこなかった未来の形が!


更には東口駅前に3D立体液晶動画広告が出来て外人観光客に大人気。


渋谷駅周辺の中心部、今はこのような超高層ビルに埋まってしまっている。大きさがとてつもないので魚眼レンズでもない限り1カットでは収めきれない。右がヒカリエ(元は東急文化会館)、左は渋谷スクランブル・スクエア(元は駅ビル兼東横百貨店)この両サイドを結ぶ空中廊下は改装され場所も移動して残っている。

 一方で東京駅周辺は大丸百貨店の宣伝写真に八重洲側から見通して丸の内側まで一望に出来るモノが載っている。
八重洲側の車の数を見ると信じられないような大渋滞。赤や黄色の車は皆タクシー。筆者も東京ー熊本間を何度も寝台特急で往復したので、この駅前タクシーの大渋滞はしっかりと記憶している。

今や東京駅八重洲口側は超高層ビルが乱立し、東京駅は右下隅の白いテント状の建造物。

オリジナルの三階建てに修復なった東京駅丸の内側赤煉瓦駅舎。八重洲側の高層ビル群を見る限り恐ろしい程の変わりようを実感できる。

 丸の内側も丸ビル、新丸ビルすべてが建て替わり高層化。赤煉瓦の駅舎も二階建てから創建当時の三階建てに修復建て替わっている。中央郵便局も外側だけ昔のファサード(表側)を残し改装建て替わり、KITTEというネーミングで新しくなっている。

 東京という首都が昭和40年=1960年以降60年間で外観からこれだけ変わったのは住んでいても結構驚異だし今後どうなっていくのか想像も難しい。

2025年8月20日水曜日

団塊世代は子供の頃の世情を振り返って驚いた!その2. Baby boomers were surprised when they look back on their childhood living conditions! Part2.

  自分の母子手帳から昭和の終戦直後・昭和23年頃の生活諸事情を推し測った前回のこのブログだったが、今回は更に時が進み昭和30年(=1955年)前後の日本の世情がどうだったかを見てみたい。

 その資料は神田の古本屋街で仕入れた「家庭便利帳=東京PR連絡協議会発行」という昭和30年頃の日本の首都東京での生活水準(=単位表記)を示すマーケティングデータなのだ。

 現在、日本における数値的生活水準を調査しようと思ったら、各省庁のバラバラなデータを収集し自分で統一したデータに翻訳しなければならない。

 当時の日本の各省庁のデータは年度がまちまちだったり、括りの単位が違ったりでバラバラだった。総務省辺りがそれらをまとめて一般国民に判りやすく公開すべきなのだが、戦後まだ10年の段階でそれを求めるのは酷だったのだろう。

 しかしさすが首都東京、戦後10年で「東京PR連絡協議会」なる組織が立ち上がって、今回手に入れたような資料を発行している。役所も戦後復興で一生懸命だったのだろう、頭が下がる。

 ところが現在Googleその他ネットでこの組織をググってみても、何もヒットしない。更にはこれに準ずる一般用資料・小冊子・WEBサイトは何処にも無い!東京都庁はこういった面では残念ながら退化してしまったとしか思えない。

「家庭便利帳」右・表一、左表4。白木屋デパートの広告がある。

 作成に当たって当時の東京都の主要組織が皆入っている。第1号=創刊号らしい。公共の為に役所と企業(JTB、東京ガス、東京電力など)が一緒にこういう物を作っている。今はどうだろう?こういったサービスは無いのでは?誰の発案なのだろう、当時の都知事は安井誠一郎氏だが・・・。

まだ、公共の場所だろうが何処だろうが「タバコ喫煙」は普通の事だった頃。

 たばこの一服が美味い時は健康だ!と書いたり、ご家庭の気軽な贈り物に「たばこ」を・・と勧めたり、常識がこれほど違う世の中だったのだ。70年経つと色々な常識が変わるモノなのだ。

 昭和30年、東京タワーもまだ工事に入っていないし、高速道路も無い。テレビの普及台数は10月段階でNHK受信契約が10万代の時代だ。まだまだメディアはラジオ・新聞が主流。世の中すべてがアナログの時代。今とは情報のスピードが余りにも違う時代だった。

 政治の世界もラジオと新聞、週刊誌。しかもその頃在った週刊誌は「サンデー毎日」「週刊朝日」程度で文春砲や週刊新潮は翌年昭和31年=1956年の創刊だ。価格も50円、60円が一般的だった。

 この情報スピードの差は、60年経った今年の参院選でさらに加速した。

 このようにリアルタイム=ライブで伝わるSNS中継が主流になると、ライブの段取りが大変な一般TV局からの情報はもう時代遅れになり、スマホでSNSやネット情報で「今」を知る時代になるだろう。スマホの威力は恐ろしいものがある。これはまた別の機会に掘り下げたい。

 今回の参院選で数々の既存大手メディアの偏向報道、情報操作が露呈してしまい、いま大きな曲がり角に差し掛かっていると言って良いのではないだろうか?

 今後既存の大手メディアは「偏向報道や作為的な操作」が出来なくなり、「世論を誘導してきた暗黙の情報操作特権」を失うことになってしまう。

 こうなると民放テレビは呆れるほどのコマーシャルの多さと、お笑い芸人がひな壇に並ぶバラエティ番組ばかり(既に数年前からそうだが)でテレビ離れが急速に起こる気がする。

                                   この項続く。