2016年12月31日土曜日

団塊世代は電通の一件をどう視るか・・。How does the Baby boomer see an affair of Dentsu; ・・.?

 電通社員の自殺が大きなニュースになっている。今までも似たような事は幾つも在ったのだろうが、今回ほど大きくメディアが取り上げたことは無かった。 自分も永年25年以上大手広告代理店勤務だったので他人ごとではなかった。 当然何故だろう?という疑問が生じたので、自分なりにいろいろ調べてみた。その結果いくつかの推察が生まれた。

 あくまでこれは筆者個人の勝手な考えであり、思い込みの部分もあるので、多くの皆さん方とは異なって当然だ。一方で逆に筆者と似たような思いを持たれる方も居よう。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161225-00000002-mai-soci

 まず、亡くなった女性社員の母親の悲しみが尋常ではなく余程悔しかったのだろう。同時に非常に頭の良い方で、この件を闇に葬らずメディアへどのように訴え、二度とこういう悲劇を繰り返させないようにすべきかを考えた事。たぶん電通から、裏でそうはさせじと抑え込もうとする圧力も当然在った様な気がする。其れにも屈せず主張するには援軍が必須だ。その援軍が敏腕弁護士なのだろうと思う。

 娘の手記を掲げ、最近のSNSメディアなどの拡散力を信じ、アピールになったのだろうと推察する。SNSが騒げば既存メディアも騒ぐのが昨今のメディア事情だ。
 広告代理店ではないが、我が娘もアパレル系会社における同僚社員の意地の悪い無理強い・酷い扱いで「鬱」になり、既に7年ほど経過している。横で観ていても一進一退で不眠の悩みが続いていて、出勤したりしなかったりで日々を過ごしている。元々レディス系のアパレル企業は電通どころではないブラック企業が多い。特に労働時間の長さ、有給休暇・代休の不消化においては昔から有名だ。これも自分が広告業界に入る前アパレルの販促部門に居たのでよく知っている。

 我が娘は苦労しながらも努力し、それなりの病院にも通っている。筆者も親として「鬱」経験者の医師による体験本など30冊ほど読み、本人にも何かの参考にと読ませているが、効果の程ははかばかしくない。

 我が娘はさておき、筆者も電通に肩を並べる大手広告代理店で25年間過ごした人間だ。自分の周りにも同僚で社屋の屋上から投身自殺してしまったウインドサーフィン仲間がいた。マウイの海でも一緒にセーリングした仲だから、普通の人よりは本人に近かったと言って良い。

 彼が、プレゼン前日、直上司に最後の詰めの部分できつく指導され・・・と言えば聞こえが良いが、相当根詰めて準備して疲れのピークに在った本番前日、気遣いの無い直上司・先輩の心無い追い詰めに切れて衝動的に逝ってしまったのだと察する。いわばパンパンに膨らんだ風船に針の一刺しをしてしまったのだろう、その上司は。
 
 翌朝落下した下層階の屋根の上で亡くなっている本人が発見された。未だメディアに情報が載る前に、都内のウインドサーフショップの良く知ったオーナーから会社のデスクに居る筆者に直接電話が入った。勿論携帯電話の前の時代だから会社の番号にだ。「今、横に奥さんが来ているんだ、昨夜彼から電話があったという・・・」奥さんに直接事情は聴いたが、ひっちゃきになって奥さんを探している社には奥さんの希望もあり教えなかった。

 その内容は詳しく聴いたし、原因ははっきりしている。しかし、臨時の局会が開かれ何か原因になる事を知っている者は・・・。と問いかけられたが誰も知らなかったし、第一当事者の上司自身が状況説明をしなかったのだろう。
 筆者が亡くなった本人と仲良かった事を聴きつけたのか、当時上の方の人間から「原因に心当たりは無いか?女性問題とか、借金問題とか・・・。」

 さすがにむっとしてこう答えた「会社に不満が無くて、会社に原因が無くてわざわざ会社で死にますか?会社以外に原因を求めても無駄ですよ!」

 会社という組織は何処も似たり寄ったりだ。何かまずい事が起きた場合、会社には関係ないと常に隠そう・逃げようとする。今回はそうはさせじと頑張った母親と、日頃電通の横暴に悔しい思いをして来たメディアの最前線が一斉に意趣返しのような状況に陥ったのだろうと推察する。メディア各社も一社で反抗すれば干されるが、「赤信号、皆で渡れば怖くない」の例え通り一斉に叩きに回ったとしか思えない。同時に国も何らかの形でそれに加担した可能性もあると思う。そうで無ければ社員一人の自殺で社長の首など飛ぶものか。今までそんなことは一度もなかった。だから今回は明らかに異例の措置だ。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016122700811&g=soc

 このようにこういう悲劇が起こってしまう原因は会社のシステムや習慣、長時間労働を余儀なくされる業界の性質に在るのではなく、直接その本人に接する上司や同僚の人間性、物言い、相手に合わせた指示・指導を出来ない上司に原因がある事の方がはるかに多いと思う。実はこの手は思いのほか多い、これは経験値からだ。

 広告代理店は昔の工場のようなタイムカードで出退勤を管理されているのではない。自分の経験から言えば我がセクションでは昼前に出社している社員などあまり居なかった。管理部門やルーティン・デスクワークの部署は別だ。そういう職種は別に広告代理店でなくてもどの会社でも一緒だ。逆に言えば何処でもつぶしが効く。

 しかしモノづくりや、プロデュースする職種は現場がある。現場打ち合わせや土日・連休が本番等と言うのはごく当たり前のことだ。勤務時間など在って無いに等しい。長時間労働などと言っても職種によって全然意味がない場合もある事をメディアも知らない訳では無かろう。それを知っていて今電通を叩きまわるメディアはこの後電通からどういうしっぺ返しを食らうか、少し興味がある。

 電通が常に業界トップ、それに追いつき追い越せで、第2位以下の企業も似た様な働き方をしているのが広告業界だ。「鬼」の何とかなどは筆者のいた会社には無かったが、頭が空っぽで威勢だけが良い、俺が俺が・・・と云った出世願望型の「役付き心待ち」の人間は意外に多かった。

http://blackcorpaward.blogspot.jp/

 電通がブラック企業大賞を貰ったのを横目で見て、まさか「電通がブラック企業大賞を貰ったのだから、追いかける我が社はダークグレー企業大賞くらい貰わないでも良いのか?」等本気で言う馬鹿が居そうな気がする。


 

2016年12月30日金曜日

団塊世代が己の歳を感ずるとき! When baby boomers feel themselves's age!

 団塊世代のど真ん中の筆者は、12月に誕生日を迎えて68歳になった。1948年、昭和23年の生まれだ。生まれてから就職するまでの半生は「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」、つまりこのブログのちょうど今から3年前、2013年12月28日の開始から拾って読んで頂ければ良く判ろう。
 
団塊世代のヤマセミ狂い外伝#1
 http://yamasemiweb.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html

 ちょうど丸2年経った年の瀬、明日で大晦日という今日読売新聞に今年逝った著名人の一覧が出ている。自分の40歳くらいの時にはあまり気にしなかった事だが、特に今年は自分が色々今までに直接影響を受けた方々が亡くなっているので非常に気になった。

 団塊世代の方々であれば、ほぼ同じような感じを持たれるのではないだろうかと、今日はそれを取り上げてみた。出典は読売新聞全国版の朝刊だ。
 
 まずは、何と言っても一番影響を受けたのが大橋巨泉さんと永六輔さんだろう。筆者が九州の熊本県八代市から、中学校2年生になる春、単身上京し、世田谷の叔母の家に下宿したのが1962年だった。世田谷区でも東玉川と言って大田区に非常に近いエリアなので、当時のAMラジオ放送はラジオ関東(現ラジオニッポン)が一番大きく入った。

 此のラジオ関東で、毎日夜10時25分から10分間の帯番組に「きのうの続き」というのが在った。「今日の話は昨日の続き、今日の続きはまた明日、提供は参天製薬、声とアイディアは前田武彦・永六輔・大橋巨泉、それにあたくし富田恵子」今でもスラスラ言えるこのフレーズ。マエタケ、キョセンはご存じのとおりその後TVのゲバゲバ90分で顔もお馴染みになる。永さんは「男のおばさん」として世相を切る、のど飴のCMでも有名だ。

 富田恵子というのは、その当時は知らなかったが、あの60年代初期のTV番組「光子の窓」の草笛光子の実の妹だ。声がそっくり!草笛光子は今年のNHK大河ドラマ「真田丸」の真田の婆様役で人気だったからご存じだろう?
当時の新聞のラジオ欄ラジオ関東は一番右 Google画像より

 こうやって、中学校時代トランジスタ・ラジオから流れるラジオ関東の番組を聴きながら、高校受験をした団塊世代にとって重要な著名人が今年亡くなったのだ。「きのうの続き」の後は、京浜急行提供のミュージックトレイン、川崎蒲田ミスタウン提供の番組などが続いた。深夜11時25分頃からはケン田島・森純子のポートジョッキーが、港の船の汽笛の音と一緒にビリ―ヴォ―ン管弦楽団の「アマング・マイ・スーベニール」で始まった。~1977年4月1日終了

 当時のラジオ関東の貴重な録音

 こうして一世を風靡というか、我々団塊の世代に多大な影響を与えてくれた個性の強い方々が亡くなっていくのは本当に寂しいものだ。
 三笠宮崇仁親王殿下も亡くなってしまった。あの髭の殿下寛仁親王殿下の父上で、「おおでんか」と呼ばれていた方だ。軽井沢のテニスコートで2度ほどお目に掛かり、「あまりお得意では無いようだね?」と言われてしまった経験がある。今となっては懐かしい。

 大体昔を懐かしがり始めたら、歳をとった証拠だという。しかし68歳にもなって昔を懐かしがらない方がどうかしている。どうせクラス会だって、団塊世代のそれは記憶力の凄さ、記憶の正しさ間違いを指摘し合う勝った負けたの戦いだろう?

 この一覧表を見て、自分にとっての影響を与えてくれた方々を偲ぶが良い。正月を迎える前に、今一度年の瀬のけじめを付けるのも悪く無かろうと思う。

 デビッド・ボウイの存在は自分の音楽シーンの中では端の方だが、印象が無い訳では無い。むしろサー・ジョージ・マーチンの方がはるかに影響を受けている。勿論ビートルズを介しての部分もあるが、映画{マージー河のフェリーボート(日本未公開)」のテーマソング「All Quiet on The Mersey Front」の作曲・演奏(ジョージ・マーチン管弦楽団)は、たぶん自分が聴いた洋楽の曲では一番回数多く繰り返し聴いている。ビートルズ以上だと思う。

 オランダ・サッカーのヨハン・クライフは同い年というのもあって尊敬したプレーヤーだった。秋山ちえ子さんは1969年から今も通い続けている三鷹の床屋さんでいつもラジオから品の良い世相解説を聴きながら「一般常識」というものをいろいろ学んだものだ。

 大平透氏は勿論あのTV番組「スーパーマン」の声優だ。戸川昌子氏は平凡パンチに何度出てきたろう?冨田勲氏もシンセサイザーで「禿山の一夜」や「火の鳥」で全く新しいジャンルを知った。同い年で、お互い祖母の関係(共立女子学園関連)で小学校時代2度ほど音羽御殿で一緒に3時のおやつを食べた鳩山邦夫氏は特に残念だ。

 ザ・ピーナッツの伊藤ユミ、モハメッド・アリ、千代の富士、平幹二郎(三匹の侍)、小川宏、ジョン・グレン(宇宙飛行士)などは全てテレビ文化の中で団塊世代が青春時代脳裏に刻まれ、強く印象に残っている人々だろうと思う。

 今年もあと24時間とちょっとだ、60歳代にあと何ができるか?何を残せるか、70歳になるまで1年を切った団塊世代も居よう、いよいよ好きな事を出来る残り時間はすぐそこまで迫ってきている。


2016年12月29日木曜日

奥日光のアカゲラ再び。 Great Spotted Woodpecker of Oku-Nikko again.

 年に何度見かけるだろう、アカゲラ。我が家の隣の大学構内にもいるこの鮮やかなキツツキ。
 以前にもこのブログで2度ほど紹介したが、まだ野鳥に関して何の興味も持っていなかった10年程前の話。北九州小倉の小学校時代クラスメート才女にクラス会か何かの折「キツツキが・・・」と言った言葉尻を捉えられて、「シンジョー君!キツツキという鳥はいないのよっ!アカゲラとかアオゲラとか・・そういうのはいるけれど」と皆の前で指摘され笑われたことが有った。

 野鳥好きを自満する津田塾大出の秀才だけに、そうかと納得しかけたが、その勝ち誇ったような得意面にムカムカと対抗心が芽生え、何とか一泡ふかしてやりたいと考えた。
 相手は天下の津田塾出の才媛でBeatlesの単行本(アビーロード・ビートルズ最後の伝説=JICC出版局)を翻訳する程のプロ英語の達人だ。英語を多用する今なら現場においての実用会話では筆者も引けを取るとも思えないが、当時の英語力ではきっと敵わなかっただろう。

 でも、窮すれば通ずの例え通り良い案が浮かんだのだ。そうして相手の眼を見据えてこう返した、「あのさ、じゃあ英語で言うWoodpecker、ウッドペッカーって端午があるけれど、貴女はどう訳すの?単純にキツツキってんじゃないの?それじゃおかしいんだよね?」これで、その場は逆転勝利で終わった。

 この事が常にそれ以降アカゲラだのコゲラだのを見る度に想い出される。数が少ない留鳥だけに眼にするのは非常に嬉しい鳥だ。ましてや同時に二羽フレームにとらえられるのも滅多に無い事なので、奥日光はそういう意味からすると非常に貴重な良いアカゲラ撮影ポイントかも知れない。





木の葉の茂る夏場にはまずこういった画像は望むべくもない。葉の落ちた今時期だからこその画像と思って良い。


2016年12月28日水曜日

人吉の街中を飛ぶヤマセミ! Crested kingfisher fly through mid town of Hitoyoshi-city.

 過去、このブログで散々本来深山渓流に棲むヤマセミが人吉市の街中を飛び回っている事をご紹介したが、今日の画像はヤマセミに憧れてあちこちで苦労して撮影されている方々にはちょっとショックかもしれない。

 人吉市内にはあまり高い建物はないのだが、此の球磨川縁の赤いマンションなどは一番高い建築物だと思う。ある意味ランドマークになっていると言って良い。

 普通ヤマセミは移動する際、川の上数十センチギリギリを飛行していくのが普通だ。主翼を下ろした際翼端が水面に接することも多いほどだ。しかし、今日の画像はたまにはこういう高高度を飛んでいくという事もあり得るという証拠画像だ。

 別に嫌な奴が上流部に居たから避けたわけでもあるまいが、危機回避に関しては他の野鳥以上に知恵のある野鳥なので何か理由があったものと推察する。



洗濯物を干したりする住民が居るともっと面白い絵になるのだが・・・。


最終的にはマンションの7階くらいの高度で球磨川を横断して矢黒神社方面へ抜けた。


2016年12月27日火曜日

リクエストに応えて再びタゲリ! I respond to the request, and, again, northern lapwing !

  12月に入って中頃、球磨川流域の野鳥情報でタゲリをアップしたところ、初めて見たが・・・。というメールを頂いた方が2名いた。留鳥としているケリとは違って冬鳥なので、観られない地域も在ろう。

 特に東北・北海道では旅鳥なので数日しか通過途中に観られないかもしれない。しかしケリにも似ている部分があるようだ。小群で行動し警戒心も強く、見張りがピーッと鳴くと全部が一斉飛び立つというような部分は似ていると言われる。

 団扇のような羽根でフワフワ飛ぶが、カラスに追われた時などは意外に速く飛んでいた。前にも書いたが珍鳥とされるヤツガシラに飛び方が似ていると思う。


正面から見ると化粧の濃い人面のように見えなくもない。





幅の広い初期の航空機のような団扇主翼で優雅に飛んでいく。玉虫色のような日本画調の主翼の色は羽ばたく角度で変わって見える。


今日のヤマセミはちょっと違う写真で! Today's Crested kingfisher is a little different photograph!

 今日は編纂作業が遅くまで掛かったので、その中からちょっと生態写真とは違う写真展に出てくるような撮られ方をしたヤマセミ。

 勿論ヤマセミ自体は「カノコショウビン」という別名もあるくらいだから、モノクロの鹿の子模様の野鳥だ。それが余り背景に色の無い状態で撮影されると画像自体がモノクロ画像のようになってしまう。

 この手の画像は、実は過去7年間のフォルダーの中にゴロゴロしているのだが、生態観察とそのレポート論文には何の意味もない画像なので、今まであまりこのブログでもご紹介していない。今後は少しずつご紹介していこうと思う。





筆者的には、この直後のダイブして採餌する瞬間の方が意味があるのだが。





2016年12月25日日曜日

久しぶりに清流のヤマセミ!その2. After a long time of the Crested Kingfisher of the clear stream !Part2.

 昨日の続きで、清流ぎりぎりを飛び行くヤマセミの画像を今日もアップ。昨年2015年から球磨川も水質日本一のグループに格上げになり、川辺川と共にお国のお墨付きの清流になった訳だ。

 見た目だけではなく、水質検査でも折り紙付きというのは嬉しい事だ。






今年もクリスマスが終わり、あっという間に新年モード。来年も良い野鳥撮影が先る事を祈ろう。

2016年12月24日土曜日

久しぶりに清流のヤマセミ! After a long time of the Crested Kingfisher of the clear stream !

 3冊目のヤマセミ写真集の画像セレクトを続けている。見返せば見返すほどに球磨川、川辺川その他支流の水の綺麗さに胸を打たれる。清流の鳥というのは判ってはいるが、意外に綺麗な清流を画像の中で表現できていない。

 勿論、もともとが生態の証拠を記録するのが目的の写真撮影なので、色が出ないだの、背景が気に入らんだとかいうコンテスト目的では無い為、致し方が無いのだが、たまには清流の雰囲気を出している画像があるので、徐々にアップして行こうと思う。

 主にヤマセミの撮影は晩秋から春先なので、水量が少ない時期に当たる。そんな中で撮影した数カット今日はご紹介。

川辺川で此の色は雨降りの翌日くらいの色と考えて良い。


清流は角度で緑色に見える事が多い。

つがいは大体いつもこれくらいの距離で居る事が多い。

川の水が綺麗か否かは、水中から飛び出した際のしぶきの色で判る。

向こう岸からこちらに向かって笑っているように見えるが・・・そうではない。


 

2016年12月23日金曜日

突然ヤマセミのチェイスに遭遇!その2. Suddenly I saw hard chase of two Crested kingfishers. Part2.

 先日、ヤマセミのチェイスに遭遇という内容をアップしたところ、アクセスが多かったので、その続編をご紹介。正直に言うと実は今日の画像は先日の画像一連の前の段階に当たる。

 球磨川の対岸の山の手で白い二羽のヤマセミがもつれるように飛んでいるのを発見!少し遠かったがこの二羽の後をレンズで追ってみた。

 そうしたら、途中からオス同士の縄張り争いだという事がすぐに判明、更に一生懸命追い掛けたのが先日20日にアップした部分だ。

 今日の部分は、重なって見える部分が多いが、たぶん前を行くのが後ろのオスの子供のような気がする。 そうなると、縄張り争いではなく繁殖期後期の父親が息子の、母親が娘の後を取って飛翔のスパルタ訓練をしている場面かも知れない。そういう教育の一環は今年の5~6月に初めて発見した生態でもある。他の野鳥も似た様な飛行訓練をしているのを確認している。





この後、一旦右へ出てUターンして左方向手前へ飛んでくる部分が20日のブログとなっている。




2016年12月22日木曜日

チョウゲンボウの採餌チェイスを追った! Followed the Kestrel foraging feed Chase !

  人吉市の市の鳥にヤマセミが加わる事が決定したため、現在大至急で「人吉の山翡翠」サブタイトルとして「人吉市におけるヤマセミと人間の奇跡の共創」という写真集を編纂し始めた。

 2010年4月1日に初めて生のヤマセミを目視して以来、現在までに撮影したヤマセミ8万カット以上の画像の中から、主題に相応しい画像を選び、トリミングなどを行い始めたが10日ほど掛かりそうだ。

 そんな中、今まで見落としていた野鳥の生態が色々出てきたので、ここ暫くブログのネタには不自由しないようだ。撮影直後はヤマセミに集中して画像チェックをしたためその他の野鳥などの生態には気を配らなかった。

 しかし、パソコンの卓上モニターも27インチを2面マルチユースで使用しているため、大きく拡大できるのと、収録カメラがフルサイズになったため多少の拡大でも荒れるような事が少なくなっているのも幸いしているようだ。

 今日気が付いた生態は、チョウゲンボウと思われる猛禽類がたぶんホオジロと思われる小鳥を捕まえようと、追い回している画像に気が付いたのでご紹介。古いAPS-Cサイズの画像なので非常に視難い画面だが、猛禽類がまさに追い掛け回すシーンを感じ取って頂ければ幸いだ。
最初はヤマセミの飛び交う球磨川支流の万江川を見ていていきなり目に入って来た野鳥の動きだった。

勿論、撮影時にはチョウゲンボウらしき猛禽類しか筆者の目に入っていない。

昔から各種スポーツをして来た為か、動体視力は人一倍良いのが幸いした。

この画像などは、ほとんど判別できないかもしれない。正面真ん中にチョウゲンボウが土手の道を横切っている。

一旦道を低く横切ったチョウゲンボウが上空で反転して戻って来た。

犬の散歩をしているご婦人の頭の上でホオジロと思しき小鳥を追う。

この時期が一番接近している様に見てとれる。

もう絶体絶命だろう。・・・・しかし、実はこの狩りは失敗だった。この後のカットで何も持たずに西へ飛び去るチョウゲンボウの画像がしっかりと映っている。