2022年9月30日金曜日

東京・多摩川の広大な河原で野鳥の水浴び場に遭遇。 I Encountered wild birds bathing place on the vast riverbed of the Tama River in Tokyo.

  一昨日、近所の野川で久しぶりにカワセミに遭遇。早速採餌場面その他を撮影したが、500㎜ズーム手持ち撮影の感覚が戻らず、画面の端からカワセミが半分消えたカットが多くてショックを受けた。

 で、たまたま昨日武蔵小杉に用事があって、三鷹に帰る途中南武線で多摩川を遡りある駅で降りて最寄りの多摩川河原へ下りてみた。下流部の多摩川には毒針を持つアカエイの種類が遡上するという危険がいっぱいの多摩川。

 立川~狛江附近の中流部の広大な多摩川の河原は、豪雨の際に違法小屋の住民が樹によじ登って助けを待つTVニュースで知っているだけで、実際に現場に行った事は無かった。

 丸子橋付近の読売ジャイアンツの練習場で中学校時代、王、長嶋といったスターを観たときに行ったのが多摩川の河原のほんの少ない記憶だろうか?

 そのほかの記憶と言えばやはり中学校時代、河原の中州で友達3人と2B弾で遊び、不発弾の発火で中州を全焼させたり、固形燃料の手製ロケットに便所虫を入れて東京側から川崎側へ飛ばした時ぐらいだろうか?

ご参考 http://yamasemiweb.blogspot.com/2014/03/blog-post_24.html

 まだ真夏の多摩川河原は完全なジャングル。うかつに足を踏み入れるとマムシその他毒虫などでえらい目にあう事は熊本・人吉の球磨川河原でさんざん経験しているので、それらしき獣道的な草の切れ目を本流に向かって恐る恐る入って行った。

 すると、やたら野鳥のざわつく声がする一角があった。ヒヨドリ、ガビチョウ、複数のカワセミの鳴き声が聴こえた。そーっと近づくと、堤防土手からの切れ込み水路があり、木々が生い茂った下部の流れの浅瀬でやたらと野鳥が水浴びをしているのを発見!

 もうまるで野鳥集会所といった感じで色々な野鳥が入れ替わり立ち代り水浴びをしていた。もうNHKのダーウィンが来た!の映像の様だった。あの多摩川トライアングルのようなタヌキやカワウソの居るような環境ではないにしろ、多摩川の自然を感じた場所だった。

 地元の人の教わったわけでもなく、偶然行き当たりばったりで「予想と勘」だけでこういう場所に遭遇できるのが。アウトドア探検の喜びだと感じた次第。

 気温が少し落ち着いたので長パンを穿いていて正解だった、短パンだったらメチャクチャ虫に食われっぱなしだったろう。約40分間その場を動かず色々撮影したら、野鳥たちの鳴き声が止んだのでその場を後にした。

 今日はそのほんの一部をご紹介。カワセミは結構沢山撮れた。

広大な河原を本流に向かって歩きやすい場所を進んだ。

周りは背の丈より高い藪

かって横国大時代宮脇先生に習った、いわゆるマウント層の草木地帯。

最初に居たのはうるさいヒヨドリ、左は幼鳥の様に見えた。

ガビチョウも顔を出した。

ヒヨドリが水浴びする向こうにカワセミ!

周りの騒々しさに背を向けるカワセミ。

枯れ枝に片足をかけたりしてポーズしてくれた。

おもむろに木の茂みに飛びあがり

普段見慣れた三鷹の住宅街を流れる野川のカワセミとは全然違う気がした。

なんと!こんなに小魚がいるとは夢にも思わなかった。多摩川ジャングルは凄い!

2022年9月29日木曜日

団塊世代はパリでも結構写真を撮っているのだ、まずは1986年バージョン。後編。 The baby boomers are taking quite a few pictures in Paris, so let's start with the 1986 version. Vol.2

  今日は昨日のパリの36年前画像。仕事で出張した際のモノの後半。

 日本の老舗女性アパレルブランド企業の新しいブランド・スタートのブローシャー作成でパリの街中を数日ロケ。その後プロのカメラマンが撮影。こちらはロケ・ガイドと撮影現場を遠巻きに管理しながら、30m程離れた遠くから撮影現場を撮影して撮影の練習。それ以外もパリの町中を色々徘徊して撮影。

 広告宣伝用のスタジオ撮影と全然違って、周囲の状況で刻々と条件が変化し、状態は常に変わるという「その場合わせ」の屋外ロケ経験を色々させてもらった。これは雑誌ポパイや雑誌オリーブ、ターザン、あるいはBE-PAL等の海外ロケに参加した経験が非常に役に立った。

 高緯度のパリは夏は昼がやたら長く、逆に冬は朝9時でも暗く感ずる。ヨーロッパ文化と日本文化の差を嫌という程実地体験した。

 撮影はフィルム30本以上したと思う。

 メディアは高価なフィルムの時代だし、プライベートで撮った写真の費用は原価には入れられないし(この辺りがくそ真面目過ぎたという気もするが)、結構自己負担の費用が掛かったのを記憶している。しかし自費でパリなどそう簡単には行けない、出張というものは自分の撮影修練にまたとない機会を与えてくれた。

 この出張の際は陽の長い夏の撮影だったので、朝から晩まで結構ハードなスケジュールで撮影したのを覚えている。時にはアパレル、ファッション界の夜の世界にお付き合いせざるを得なかったが、お酒を一滴も飲めない筆者は何かと理由を付けてお断りした。

 華やかなパーティ会場から、「体調が悪い」と言いながら、ホテルに戻るのに2時間以上も遠回りして街中をしっかり撮影しながら帰ったこともあった。

これがパリの雰囲気。大通りじゃなくて路地裏のジモティ用のカフェ。

京都の錦小路や小倉の旦過市場って感じ?

パリにも猫は居ます。猫に注目したのは岩合さんより先だったかも、窓際の猫!

ここまで来るのにレストランに入って1時間準備!

花のパリでも街中でファッション撮影ともなると、見物人の山。

36年前のパリ画像 おわり。

2022年9月28日水曜日

団塊世代はパリでも結構写真を撮っているのだ、まずは1986年バージョン。 The baby boomers are taking quite a few pictures in Paris, so let's start with the 1986 version.

  幾度も繰り返すが、10年目を驀進中のこのブログ、本来はヤマセミを中心とした野鳥の生態をレポートするサイトだ。過去3,459回更新し、766,024回のアクセスを頂いている。

 普段ウイークデーは熊本県人吉市を流れる球磨川、その上流支流の川辺川で11年間にわたり観察を続けたヤマセミの生態観察画像、筆者が住んでいる東京郊外三鷹市を流れる野川流域や近隣住宅街の野鳥生態をご紹介している。

 で、週末はこのブログを普段見て頂いている野鳥ファンが、ご自分でフィールドに出て野鳥撮影をしたりバードウオッチングをされるので、「団塊世代の愚痴話」をアップしているというのが実情だ。

 しかし何故か、最近はその団塊世代の愚痴話、よもやま話へのアクセスが多くて妙な感じだ。つい最近も「メメント モリと写真」という東京都写真美術館での写真展にまつわる話でアクセスが急増、Google Bloggerのランキングの上位4位までを「団塊世代話」が独占した。 

 第1位に成ったのはこのランキングをクリップした前日アップしたブログだ。当ブログは本来野鳥ブログなのに良いんだろうか、これで?10年経つと色々変わるのは良く判るが・・。

 えーい、どうせならと野鳥が一番少ない夏の終わり、「懐かしい写真撮影」を想い出しながらフィルム時代の写真を色々ひも解いてご紹介してみようと思う。数は少ない。

 筆者は広告代理店プロデューサーという過去の職業上の理由で、海外への出張は割に多い方だと思う。勿論商社の方々とは比べ物にならないが、経理・人事・営業といった根のある職種ではないため、仕事のジャンルによっては相当長期の海外滞在も多かった。

 今回の画像はそんな中で、日本のファッションメーカー(レディス)が新しくデビューさせるブランドのブローシャー、要はカタログ製作の撮影。同時にパリコレのファッションショウ実施で渡仏した際の画像。まずは今から36年前当時のパリの街の佇まい。

 パリへは1972年、1982年、1986年(2回)、1994年、1995年、1999年、2005年、2011年、2012年と行っているが、今日のは古いほうから三番目の時の物。カメラはCanon FTbだったと思う。

1986年のパリ・リヨン駅と当時のTGV初期型。JR九州在来線旧特急ツバメの原型。

リヨン駅のカフェ。

リヨン駅のカフェ 上のカットのテラスから撮影。

サクレクール寺院をこういったアングルで撮ったことはあまりなかった。

 気に成って何処から撮ったのかGoogle Mapで調べたら、パリ・シャペル60からシャルトル通り越しの一瞬のシャッターチャンスで撮影している事が判った。きっと渋滞中のバスの中から撮影出来たのだろう。



撮影の合間にランチしたレストラン。 この回続く。

2022年9月27日火曜日

コンデジで飛び回る二頭のアゲハ蝶を撮ってみた、スマホで出来るかな? I took a picture of two swallowtail butterflies flying around with a compact digital camera, can you do it with a smartphone?

  スマホのカメラ機能がどんどん充実し価格帯も急上昇しているようだ。iPhoneに至っては並みのデスクトップパソコンより高額な機種が出ているという。

 21世紀に入り、どんどん人類が機械に振り回され、スマホに頼り過ぎる人間がスマホ脳などと言われる「消費脳、選択脳」ばかり発達し、脳の総合力低下が始まり認知症・ボケへの加速が早まっていると聞いた。

 今日はスマホ脳の話は置いておいて、いつも持ち歩くコンデジで二頭のアゲハ蝶がもつれ合う様に飛んでいる所を連写してみた結果をご紹介。

 スマホさえあれば、もう大きなカメラやコンデジに至るまで不要だと豪語する者が多く出てきたと聞くが、果たしてそうだろうか?

 そういう方々はカメラを使って色々な被写体を撮ったことがおありなのだろうか?インスタ映えするからと似たような単焦点カメラの様な画像以外に・・・。

 もしスマホでもこういった類の画像が撮れるのであれば是非やって見て欲しい。コンデジ使いは是非スマホ使いに挑戦してみたい!

 今回使用機種はCanonのSX740 HS 4K連写機能使用。バス停で、ちょっとバスを待つ間のチョウチョ撮影!






是非ともカメラメーカーは耐久性に優れた機能充実のコンデジを出して欲しい!

2022年9月26日月曜日

夏の終わりの野川流域レポート。その1. Nogawa basin report at the end of summer. Part 1.

  昨日、荻窪界隈を徘徊していたら住宅街からツクツクホウシの鳴き声が!その後目黒方面へ行ったら自然教育園からミンミン、アブラ、ツクツクとまだ三種類のセミが合唱していた。

 今年の夏は長い!まだ半袖短パンで70歳代が街中を歩き回れる。昆虫や野鳥はまだ夏の名残りで生き延びているが、植物は例年通りきちんと変化を出してきている。一番如実なのが彼岸花=曼殊沙華、それに葛の花。萩や山椒の実、秋海棠、ムラサキシキブなども季節通りに変化しているのは本当に不思議だ。

 今年の夏も、このブログで数回レポートした通りセミを手で摑まえる事が出来た。計20匹ほど手掴みできたがさすがに今は遠くで声はすれども姿は見えない。

 一方で赤とんぼが高地から降りてきているので、川筋などで手掴みできるようになった。相変わらず、ギンヤンマその他は活発に動き回って繁殖行動しているのもこのブログでご紹介したとおりだ。

 今日はそんな自然の移ろいを野川流域で探したものをご紹介。まずは昆虫編

曼殊沙華にカラスアゲハ

空飛ぶタマムシ

よく見ないとタマムシだとは気が付かない。

シオカラトンボ

麦わらトンボ

ギンヤンマ、オス

ハグロトンボ

アキアカネ

2022年9月25日日曜日

団塊世代は観察中のヤマセミに教わることが非常に多い。 Boomers have a great deal to learn from the crested kingfisher they are observing.

  あれだけ事前の注意喚起がメディアから発せられた超大型の台風14号より、規格上最低ギリギリ台風=実質熱低だったはずの台風15号。被害と死者数を見比べるとほぼ熱低の15号の方が大きい様だ。結局風の被害より豪雨被害の方が日本の地形上ダメージが大きい様だ。

 今後への教訓に成っただろうか?都心を流れる目黒川が氾濫危険水位まで達するという事は結構プレッシャーが掛かったのではないだろうか?コンクリートジャングルの都会は低い方へ流れる水が行き先を失うって事だろう。

 日曜日は団塊世代のボヤキ特集がいつもの事だが、先週色々その手が多かったので今日は久しぶりにヤマセミの生態。ヤマセミから団塊世代が教わったのは「失敗にめげず何度も繰り返せ!」同じようなドジを同じ場所で繰り返す若鳥。そのうちドジは無くなった、いわゆる学習能力って奴だろうか?今の若者に掛けているのではないだろうかと思う団塊爺だった。

 今日の画像の解説・・。

 人吉近郊の球磨川支流の堰で採餌中、獲物を狙っている時強い水流に思わず足を取られ、バランスを崩したヤマセミ。飛んで元の場所へ戻って採餌を続けた。幾度も似たようなことを繰り返したが、そのうちしなくなった。

堰の上から魚を狙うヤマセミ、メスの若鳥のようだ。

つい獲物に集中しすぎて右足を踏み外した!

バランスを失って前へつんのめるヤマセミ。

仕方がないので飛ぶ・・・。

飛んで元の場所へ。

無事ランディング。

テメー、見てんじゃないよ!・・と言われた様な気がした。

2022年9月24日土曜日

団塊世代の同級生は皆作家!横文字使いたきゃクリエーター?アーティスト?  All the baby boomer classmates are fine artist ! Are you a creator if you use horizontal characters? Artist?

  筆者は生涯都内で一番足繁く通う場所としては明治神宮、上野公園が一番多いのではないだろうかと思う。

 それぞれに大きな理由は存在する。上野公園、地下鉄大江戸線新御徒町駅近くと上野入谷交差点にそれぞれ非常に近い友が居るからだ。しかし、それだけではなくアメ横、吉池(魚の百貨店=50年前直江津だか国鉄高田駅の駅前に在った店舗外壁にこう書いてあった)、上野松坂屋といった良い食材の宝庫があるというのも理由の一つ。

 筆者のデイパックの底には常時保冷袋2枚、カメラメーカーのトートバッグがそれぞれ折りたたまれて入っている。刺身だろうが冷凍物だろうが、三鷹に着くまで多少寄り道しても融けた事は無い。

 其の多少寄り道というのが不忍池、明治神宮や目黒の自然教育園である事は決して少なくない。勿論目的は野鳥中心、自然界の動植物だ。都心を徘徊していて季節の移ろいをこれほど如実に感じられる場所はそう多くない。普段2~3日ランニングや散策で訪れる野川流域の緑地帯があってもなおこういった環境を求める「本能」はきっと体質が原始的にできているに違いないと思っている。

 ワクチンやマスクの効果などまるで関係なく、最近自然に急激に治まってきているコロナウイルスだが、これに万一感染し、都心の隔離ホテルに強制的に缶詰めにでもされたら、筆者はまちがいなく2日で死んでしまうだろう。が、決してその場合はコロナ死ではない!

 週に2~3日、数時間以上は身近な自然の緑(附近の小さな都市計画に沿ってできた人造緑地などではなく)の中に身を置かないと発狂しそうになる筆者なので、こういった徘徊行動は理に適っている。父の職業柄、地方で育った筆者は大都会東京の盛り場がどうしても苦手。人が多いのが嫌いなのだ。だから新宿・池袋・渋谷などの盛り場、人がごみごみした附近で日常の生活を送れる人は大変尊敬している。

 決してこれは繁華街周辺生活者への嫌味でも何でもなく、人間それぞれ育った環境で、好みの落ち着く環境というものを持っていると言いたいのだ。野鳥が塒(ねぐら=毎晩夜を明かす場所、寝床)にする場所や、野良猫が居つく場所みたいなものだろうか?

 こういった中、台風15号(ギリギリ規格上台風だが規模は普通の熱低)の雨が予想される中、上野公園の東京都美術館へ集合した。集合したのは筆者が卒業した横浜国立大学教育学部美術専攻科の級友だ。

 同期は決して多くない。正確に言えば筆者の所属したクラスはたった7名しかいない。下手をすれば大きな大学のゼミより少ない人数だろう。

 一応中高教員養成課程科なのだが教師に成ったものは一人もいなかったように思う。当時の東京教育大芸術学部志望者(自分がそうだった)のほとんどが、東大ゲバゲバのあおりを食って入試を中止した結果、横国大の教育学部美術へ流れたためと聞いた(級友に)。

 しかしそのほとんどメンバーは何らかの領域での現役作家さんだ。頻度や密度は千差万別にしろ、創作活動に励んでいる団塊世代だ。

 で、その中で一番世界中(ユーラシア大陸が多いようだが)を放浪して回った男が、力強い作品で賞を獲ったというので、開催中の東京都美術館の展覧会に集合した。

7点の作品群。右端が佐藤完兒郎氏


 この佐藤完兒郎氏、ネパール辺りの子供たちを撮影した写真集でも「第1回日本全国自費出版大賞」を受賞している凄い人。もっともこれは主催者とそのバックに居るメディア新聞社に騙されて出版費用として一千万円近く出費させられたご褒美だとボヤいてはいたが・・。

 いずれにせよ、「物を作り出す=創作する」作家、英語で言えばアーティスト、クリエーター、ミュージシャン、色々あろうが、意図、自分の思いを目的を持って何らかの表現方法で作品化するエネルギーは70歳を越えても全然衰えないのを感じた。

 これは芸術作品、たとえそれが記録作品や音楽であっても、ただ鑑賞するだけで創り出す側に立って考えられない者には理解できない世界だと思う。かって岡本太郎さんが「芸術は爆発だ!」や「瓶の底に顔があったって良いじゃないか!」と言ったのを単なる奇をてらった「宣伝文句」としてしか感じなかった人々と違って、創作する作家たちが皆大なり小なり感じている事を知らない人は多いと思う。

 1970年代、蔵王のスキー場でお会いした際この辺りを熱を持って話されているのを横で聴いていたのを上野の美術館の広い展示室で想い出した。

カザマスキーで作られた岡本太郎氏意匠のスキー板。

 岡本太郎さんの事は1970年大阪万博・太陽の塔や東京青山通り「こどもの城」前の「子供の樹」あるいは渋谷駅の井の頭線からスクランブルスクエアへの通路壁の大作で良く知られているが、実はスキー板もデザインされている。

 モノを創る側、あるいは音楽を演奏するロックバンドの演奏者、もちろんクラシックやジャズの演奏家。夢中になって無我の境地で良い演奏をしようとする者達。聴く方は演奏家=音楽家、芸術家、アーティストとして良い演奏かなど、聴きながら自分勝手にそれぞれ評価するだろうが、演奏する側の気持ち、気の入れ方、歓びがどうであるかは全く判るまい?

 良くある駅ピアノ、TVでこれを観ているととても良く判る。聴衆など一人も居なくても良いのだ、ピアノを弾くことで自分が満足するのだから・・。

 筆者は決して有能なミュージシャンでは無かったが、高校時代のビートルズバンド(ベースギター、ピアノ)、50歳頃のベンチャーズコピーバンド(リードギター)、いずれも一生懸命やって、最終的にごくごく仲間内の演奏会では目をつぶったまま何曲も演奏できた。指の演奏ダコなど幾度出来た事か。

 細かい話をすれば、ベンチャーズの「十番街の殺人」の主旋律の約半分弱は実はギターではなくキーボードだ。今ならすべてパソコン楽器で全ての音を出せようが、1963年頃のプロ、2000年当時のアマチュアバンドはキーボードだった。アマチュアバンドの自分たちはどうやってキーボード演奏者を手配しようか、大いに揉めたのを覚えている。これは聴く側にとっては判らない、知らない部分だろう。

 夢中で創作・夢中で演奏、これは全てプロだろうがアマだろうが「芸術家=アーティスト」特有の行動意識だと言って良いはずだ。

 聴く方の側、観る方の側などまるで意識などせず、自分の思いを成就させる、自分の納得のいく創作活動が出来ればアーティストとしての達成感は充分に味わえるのだ。ある意味聴衆や鑑賞側の評価、受け取りなどどうでも良い・・。創作活動でお金を得ようとしないアマであればなおさらだ。
 これが創作活動をする側の「芸術の意識、アーティストの境地」だろうと思う。これを知るのは「創り出す側」の人間にしか絶対出来ない事だ。

 今回の級友が受賞した展覧会を見て、今までいい加減に納得していた「創り出す側とそれを鑑賞する側の大きな違い」が何だかはっきりわかった気がした。

 当然、いつもの通りコンデジを携えての徘徊なので、目に付いた被写体は皆撮影しておいた。
上野公園の大道芸

刀の刃の上に独楽!

眼が緑色のカワウ、距離3m 不忍池

曼殊沙華にカラスアゲハ