2014年6月30日月曜日

 「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #番外140630.」  ● ワールドカップ・サッカー、メディア報道に思う。

 連日、早朝に行われるワールドカップ・サッカー中継、私も出来る限り生で観るようにした。おかげでここ2週間は早朝の鳥視は御無沙汰している。いつもの鳥視タイムは爆睡中の事が多い。先週1次リーグ・トーナメント全試合を終えて、残念ながらザックジャパンは1分け2敗で敗退し、現地解散、ヨーロッパのクラブチームで活躍する選手以外は成田に帰国したのは御存じの通り。

 此処で一区切りついたので、これまでの日本のザックジャパンの闘い方がどうだったとか、なぜ日本が1次リーグで敗退したか等と言うサッカーそのものについてではなく、メディアが報ずるワールドカップ・サッカーの報道姿勢と、その内容に関して自分なりの考えをまとめてみた。 大学時代、体育会系のサッカー部(国公立大学・関東甲信越大会優勝)で4年間フォワードをやり、30年間広告代理店であらゆるメディアと接してきた経験値をベースに、今回のワールドカップの新聞やテレビでの報道、さらにはインターネット経由の報道・コメントなどを分析・精査してみた。

 結論から言うと、新聞・テレビの報道、WEB経由の解説・報道・意見は事前と事後で相当な開きが有るように思う。これは以前ソチオリンピックの時にも強く感じた事。しかし大会開始前と1次リーグ終了後の報道姿勢と内容があまりに酷く違う事と、同じコメンテーター、同じ新聞、テレビ番組、同じ解説者の云う事があまりに無責任なので今回はオリンピック以上に腹立たしく感じた。だからこそ、今これを掲載させて頂いている。

 まず、大会開催前日本のメディアは何と言って事前の盛り上げを行っていたか?「史上最高の監督ザッケローニ率いる史上最強の日本代表チーム!」と言って叫んでいなかっただろうか?証拠は幾らでも在る。特にテレビにおいてのワイドショー、あるいはワールドカップ特別番組でも元サッカー日本代表や監督経験者、Jリーグ解説者、はたまたスポーツコメンテーターに始まり、只サッカーが好きなお笑いタレントに至るまで、まるで日本代表チーム・ザックジャパンが間違いなく1次リーグを突破し、優勝へ!悪くても今回は2次トーナメントで1勝はしてベスト8、あわよくばベスト4には行けるはず!と言っていなかっただろうか?

 新聞の紙面を観ても、スポーツ新聞はもう当たり前のように本田圭佑の「優勝目指します!」をさも既成事実のように取り上げ、独特の自己演出で目立ちたがり屋の選手の単なる心意気を何か根拠が有る、あるいは裏取りが出来ているかのように報道した。これはこれをお読みの方々も異論はないと思う。テレビのモニター(国内の番組はニホンモニター(株)によりすべて記録保存されている。有料で購入可能)、録画、保存された新聞記事、ネットに残る各サイトの過去ログを観れば一目瞭然。


クリックして大きくしてみて頂きたい。1次リーグの最終結果とFIFAランク。

 
 この表はネット上に出ているワールドカップのサイトからデータを取り、自分で作成したもの。特にワールドカップサイトには出ていない、出場32か国のFIFAランキングを国旗の右に記載した。これを良く見て頂きたい。
 FIFAとは世界中のサッカーの中心だ、ましてや今回のワールドカップの開催者だ。その世界中のサッカーを束ねている、朝から晩までサッカーの事を考えている人間(いわばサッカーのプロ)たちが公平に最近の試合データをコンピュータに掛けて分析して熟考の末発表したのがFIFAランキングだ。これ以上今の世界各国のサッカーの実力レベルを正当・公平に評価しているモノは存在しない。

私は事前のメディアの盛り上がり方、テレビの報道の過熱が事後どうなるかを注視した。したがって初戦コートジボアールに逆転負けをした試合、前半45分間ピッチのライブを観て日本チームの選手が1点勝っているにもかかわらず、ほぼ全員が何故うなだれて戻って来たのか、直感で判った。理由は自分がサッカー現役時代にとてつもなく強い相手と当たって、ピッチの上でその実力差を感じてしまった時の状態に非常に似ていたからだった。

たとえば、ゴルフに行く。仲間内なら大体お互いの実力は判っているので、そうそうプレッシャーは感じないだろう。しかし大きなコンペで知らない人と組まされた時、あるいは一人でゴルフ場に行って、全く知らない人同士3人で組まされた時の1ホール目、2ホール目を想い出してほしい。ゴルフをおやりの方々ならよく判ろう、持っている道具とかウエア―でも少しは予感を感ずるものの、ティーショットに入った時の仕草や第1打の様子で、ほぼその人のレベルと経験が一発で判るという。この時セミプロ級、もしくはシングル・ハンディというベテランに出遭ってしまった感じ?また別の例えで言うならば、将棋で開始後相手の二手三手だけでその実力を感じ、飛車角落ちでも勝てそうにない、とてつもなく強い相手と判った時のショック。これを日本代表たちの顔に観てしまったのだ。

社会に出て青山のヴァン・ヂャケット(=VAN)の宣伝部に入り、アイスホッケーを4年間やったのだが、最終的にはチーム・ヴァンガーズは東京都実業団1部リーグまで上って行った。しかしどうやってもその1部リーグでは優勝できなかった。何故なら当時日本リーグで最強と言われた、国土計画(当時)の2軍チーム・国土レッドアローズと云うのがその1部リーグに居たのだ。
この国土レッドアローズは、王子製紙、西武鉄道、古河電工といった日本代表選手が参加する日本リーグの試合につい先週まで出ていて、たまたま今は調子が悪い・・というだけの選手が降りてきて参加しているチームなのだ。そこそこ経験者を入れて入るものの、ファッションメーカーのクラブチームが敵う訳が無かった。この国土レッドアローズに対峙した時のショック!今回のコートジボアール戦はまさにそれと同じ状況だったのだろう。

つまり何が違うか?FIFAランクで23位、日本はダブルスコアの46位、日本のマスコミはこの事実をあまり取り上げないが、そもそも本来格が全然違うのだ。10位台どうし、20位台どうしの闘いであれば実力差は余り無いので、FIFAランク下位のチームが上位に勝つ事は頻繁にあるだろう、しかし20位台と40位台では、全然レベルが違うのだ。
特にアフリカ系の国の選手の走りだしの初速、転がるボールの動きを予知する勘、味方の選手の動きを一瞬にして察知する群れで動く仲間への動体視力と、第6感によるテレパシーコミュニケーション。これはアフリカの原野で狩りをする祖先のDNA、猛獣の襲撃を予知し逃げる知恵のDNAが培ったモノだと思う。断っておくが決してこれは人種差別でも偏見でもない。むしろ羨ましいと思っている。

 ある意味これらを裏付ける事実もある。ヨーロッパの国々=イングランド、オランダ、イタリア、スイス、フランス、ベルギーなどには必ずこれらアフリカ系の選手が数人入っている。フランスやベルギーなど4~5人も入っている。皆昔の植民地時代の移住者・帰化者の子孫かも知れない。要は今の世界レベルのサッカー自体がアフリカ系の敏捷さ身体能力を必須とする時代になって来ていると思って間違いない。良い悪いは別にして、私が尊敬してやまないハンマー投げの室伏重信選手(父親)が、ヨーロッパ人の奥さんを迎え、生まれた今の室伏広治選手がオリンピックのハンマー投げ金メダルを獲得したのに近い事が、そのうち日本のサッカー界にも生まれるのではないだろうかと思っている。そういう意味ではブラジル日本のハーフ・闘莉王選手などは非常に好きなアスリートだ。

 正直に言うと、これは元々国民の半分以上がハーフ・クオーターなどの混血のアメリカ合衆国、スポーツチャンネルESPNのレポートの受け売りだ。今から50年前、東京オリンピックで圧倒的に強かったアメリカ合衆国。何故そうだったのか?今回のワールドカップサッカーを観て腑に落ちた。スポーツの世界では人種的に優れた素質を掛け合わせた者の時代に突入しているのだ。ただアメリカ合衆国が自然にそういう環境に在っただけなのだろうと思う。

つまりザックジャパンの代表選手たちは、この人間と云う動物の基本的な身体能力の差をピッチの上で生で感じてしまったのではないかと想像するのだ。こればかりは如何に4Kテレビが優れていてもTV画面を通しても判らないだろう。

1次リーグの初戦、コートジボアールに惜敗した後、WEB上で各コメンテーターがそれまでの勝てるはずだの報道から一転、負けた犯人捜しを始め、監督や選手を叩く中、唯一私とほぼ同じ意見をブログで、元陸上アスリートの為末大氏が意見を発表した。「FIFAランキングがどの程度正確なのかは分からないが、ランキングのままで考えると日本は1次リーグで最も低く、予選で1勝もできないことになる。」と書いていた。しかしこういったプロのスポーツジャーナリストでさえ事実を調べもせずコメントを軽々しく書いてしまうのだ。日本は出場32か国中で決して一番低い訳ではなく、下から4番目なのだ。まだ下にオーストラリア、韓国、カメルーンが居る。

しかも、この元陸上選手のコメントに在る「FIFAランキングがどの程度正確なのかは分からないが・・・」は余りに失礼だと思う。テニスの世界ランキングでのかっての伊達公子、今の錦織 圭などは正当なランキング評価をされていると思うが如何だろう?FIFAもそれに等しいか競技人口を観ればそれ以上だろう。

話が見えなくなってきたので、本題に戻すと

要は、日本は余程の事が無い限り1次リーグ突破は難しいのだ。これは初戦が終わるか否かの段階でFacebookに投稿したので良く覚えている。日本はアジア予選を勝ち抜いて世界で一番最初に本戦出場を決めた。そのアジア予選勝ち抜けの国々がFIFAランクで何位なのか?イランが筆頭で43位、日本46位、韓国が57位、オーストラリアが62位。アジア勢が勝つのは非常に難しいのだ。

それが証拠に、1次リーグの各グループの成績を観るが良い。人気の常に上位のスペイン、ポルトガル、イタリア、イングランドが消えてしまった以外は順当にFIFAランク上位国が勝ち抜いている。死のD組でコスタリカが急激に台頭したおかげでイングランドとイタリアが落ちたが、油断したスペイン以外は順当でFIFAランキングの正しさを裏付けている。

しかし、何故か日本のメディアはこういう事実を報道しようとはしない。むしろ逆に見事にこれを隠し通した。ワールドカップを盛り上げるのは決して悪い事ではない、TV中継の髙い放映権料を払うにはスポンサーが必要だし、関連商品の販売にも必要だろう。我々はこのお蔭で全試合を観る事が出来るのだ。しかし嘘をついてはいけない、騙してはいけない。  
特に報道においては事実を告げるのがまず一番、あおり期待させるような内容は二の次だ。実際の日本の強さのレベルを隠し、国民を期待させ間違った気持ちにさせてしまう意味で、日本のメディア・マスコミは世界で最も後進国かも知れない。

特に心を痛めたのが、2敗1分けで終了した時のメディアやサポーターたちがアンケートなどでザッケローニ監督や選手たちに浴びせたコメント、解説。「監督の躊躇した采配が原因、国の代表を率いる器量も実力も無いザッケローニには元々無理だった・・・。」こういうコメントのオンパレードだった。40年以上前メキシコオリンピックの頃活躍した釜本氏に至っては「代わりに俺がやる」、サッカー解説のセルジオ越後氏も非常に厳しいコメントをザッケローニ監督に対して評していた。しかし良く考えてものを言ってほしい。現代サッカーはコンピュータで相手チームの選手一人一人の動き方、運動量を分析して癖を掴み、戦略・戦術を立てるいわば電子戦。ミサイルと宇宙からの情報で闘う現代サッカーに、甲冑と竹槍の時代の人間が出てきてどうしようというのだ?釜本氏が監督をしていた時代のガンバ大阪がどうだったか?皆よく覚えていよう。

日本チームが帰国する前の記者会見。ザッケローニ監督が辞任帰国すると聞いてメディアの前で何人の選手が涙した?過去において、トルシエ監督、ジーコ監督、オシム監督、岡田監督、これらの監督の時に選手達が涙したのを観た事が有るか?外国人監督の専属通訳が涙したのを観た事が有っただろうか?人の好い、進んで日本の文化と風俗を理解したイタリアのオッサンをこんな酷い仕打ちで帰していいのだろうか?何時から日本人はこんなに無責任なメディア・解説者たちを野放しにしてしまったのだろう?このような状況の日本にはたして新しい外国人監督が来てくれるだろうか?



2014年6月29日日曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #47.」  ● 実録高校学校生活 その3.

 海の想い出は2年生の夏にもやはり伊豆の海でのキャンプ生活が甦って来る。この時は台風に直撃され遭難寸前だった。伊豆石廊崎の手前に在る蓑掛け岩という奇岩の根元に在る入り江でキャンプを張った。そこへ行くには近くの集落から断崖絶壁の岩場を伝って行くのだった。足を滑らせてもせいぜい5m程下の岩場の海中へ落下するだけなので、別段命に関わるほどのコースではなかった…但し海が穏やかであれば。
 
南伊豆の石廊崎手前、大瀬の集落の沖に蓑掛け岩と云う岩礁がある。キャンプしたのはこの画像の左端、崖下の岩と玉石の入り江。


 現場に到着すると、メンバーは2手に別れて燃料の薪となる流木を拾いに行くのと、テントを立ち上げる作業に入る。流木は30分も岩場を歩けば幾らでも落ちていた。ほとんどが打ち上げられた時の岩場の摩擦と天日にさらされ、綺麗にサンドペーパーをかけた様に白く乾燥し丸くなっていた。キャンプ地と2往復すれば4~5日分の薪は集まった。
流木は太平洋側なので黒潮に乗ったものを沢山拾えた。椰子の実もあった。

 一方でテント設置は下が岩場なので、まず小石を集めて平らなベースを造り、その上に崖の草をむしって来て大量に敷き詰めクッションにしてからその上にグランドシートを敷いた。こうして初日に大体のセッティングは終えたのだが、ホット一息ついた時にとんでもないことが発覚した。何と!5名のメンバーの内(全員男子)3名がお米を持ってくるのを忘れたという事が判明したのだ。太田郷小学校の授業のように、忘れ物は必ず各自自宅に取りに帰させるなどと云う事は既に不可能な状況だった。国鉄と伊豆急鉄道とバスを乗り継いでやっとたどり着いた石廊崎、結局食料不足は自分達で調達するしかなかった。
現場の雰囲気はこんな感じ、この3年後1969年にも大学のクラスメートとキャンプした。

 海に潜れば何か獲れるだろうと思ったのだ。これは半分正解だった。素潜りを散々練習した筆者は手製の水中銃と長めのヤスで魚を獲った。
海水浴場で売っているモノの倍の長さの柄の長い実用的なものを持って行った。

 一番の大物はでかい蛸だった。この大きな蛸は2006年に天草で蛸釣りに誘われて獲ったマダコと同じくらい大きかった。この天草の蛸は船頭さんの舟の蛸生簀の穴から下に入らず生簀の蓋をあけて入れなければいけない程の大蛸だった。その大蛸をどうやって料理するかが大変だった。そんなに大きなモノを調理する食器が無いのだ。飯盒以外食器は無い!
 結局、タコの足を8本バラバラにして焚火で焼いて食べた。あまりの大きさに他は何もいらなかった。
とにかく重たくて海中から持って上がるのに一苦労した。

 しかしキャンプは1夜だけではない。食糧不足は最期まで付き纏った。

 実はこの時、台風13号(8月6日頃八代附近に上陸)の影響で次第にうねりが入り、7月後半のキャンプ2日目には打ち寄せる波の力が強くて、来る時に通った崖沿いに集落へ戻れなくなっていた。育ちざかりの体育系クラブ所属の男子5名が居るというのに2人分の米しかないのだ・・・。まだダイエットには興味が無かった為、必死の食糧確保が日課のすべてとなった。
 有るのは豚肉こま切れ、キャベツにジャガイモに味噌・塩・醤油・味の素と食器位だった。主食のコメが完全に不足したので、決死隊を結成し入り江の背後に在る30m程の崖を直登して、集落に行き、米を分けてもらった。当時はお米を買うには既に配給制では無かったものの、まだ米穀通帳と云うモノが存在していて、それが無いと買えなかった時代(1972年廃止)。したがって分けてくれたものは、ゴミが入って米粒も普通の半分程度の雑穀米の様なものだった。しかしこれは涙が出る程有り難かった。

 米は何とか黄色い臭い米だが手に入った。しかし、いい加減な連中5名の食糧計画は見事に破たんし、ひもじいキャンプになってしまった。2日目の蛸はアッという間に無くなり、海で獲れるモノは毒のあるモノ以外は何でも食べた。蟹、ホンダワラの様な海藻、タカノハダイ、石鯛は割に良く獲れた。一度は真下を小さなサメが泳いでいて全身が硬直してしまったが何とかやり過ごした。ウツボも獲って刺身と半身は干して焼いて食べた。これは結構食べがいがあったように思う。21世紀になって北九州の福丸に在る「梅若」という料亭で黄色い身の魚の刺身を出され、思わず「えっ?ウツボ?」と訊いたら、何で知っているの?と驚かれた事が有る。九州では「きだこ」と言うらしい。
この黄色いウツボは食用になるが、紫色の奴は毒を持っているらしい。

キダコ(=ウツボ)の薄造り。東京ではまずお目に掛かれない。

もちろん鮑、サザエの類は人が来ない入り江なので大きなモノが獲れた。
サザエは突起の出ているのが荒波の場所、無いのが静かな場所で獲れたもの。

左、カサガイとシッタカ、右、カメノテ いずれもみそ汁に入れて食べた。

ゴンズイ、背ビレとエラ附近に猛毒の針を持つが、味噌汁にして食べると超美味!

 シッタカやカメノテも獲って味噌汁にして食べた。ゴンズイは大きくなると単独行動で岩場に来るので夜間懐中電灯で照らして獲った。カサゴやメバルも同じ要領でヤスで突いて獲った。だからキャンプ6日間は殆ど海産物で生き延びた訳だ。しかしあまりに原始的な食生活ばかりだったので、キャンプから戻った時にはそれまで嫌いで口にしなかったホウレンソウ、茄子の類が不思議に喉を通り、好き嫌いが無くなっていた。

 こうしてトランジスタラジオが告げる天気予報やニュースが台風の日本接近を警告するとともに、伊豆石廊崎附近のうねりも強くなってきた。この台風のうねりと普通の風波が如何に違うかは、海に潜ってみると非常に良く判る。普通の風波程度であれば7~8m/s吹いても、表面に波立つ程度で海中の揺れは少なくて済む。しかし台風のうねりが入ると海全体の水が動くので、潜っていると海底の砂が巻き上がってしまい、海が濁る。水中の見通しが悪くなるのだ。同時に水の大きな動きに体ごと持って行かれ、海中の大きなごつごつした岩の方が動いている様に見え始める。こうなると危ない。裸の体が岩にこすられ血だらけになってしまう。間一髪海から上がり難を逃れたが、この経験は後々まで非常に役に立った。台風が九州のまだ南に在るのに、伊豆の先端でこれだけのうねりになるとは思いもよらなかった。

 うねりが入っている夜中、沖に船の明かりが見えたので懐中電灯で照らしたが、小さな懐中電灯の光が届く訳もなかった・・・と思ったら、その船が近づいて来て「この附近だったぞー」と声が聴こえた。慌てて全消灯して息を殺した。しばらくして去って行ったが、台風のうねりの中船を出せるのは完全に漁師か保安庁などのプロだ。密漁船取締りか、台風の安全確認だったのか?翌朝になっても判らなかった。近所の漁師さんは我々がこの入り江でキャンプしているのを知っているので、地元の漁師ではないと思う。

 いずれにせよ、台風の影響を受けてのサバイバル・キャンプだったが多くの事を学んだ。東京に戻った2日後の夜7時のNHKニュースで、我々を翻弄したうねりを生んだ台風が、八代市附近に上陸した事を知った。
東京に戻って数日したら、あのうねりの主、台風13号が八代附近に上陸した。

 実は、この伊豆石廊崎キャンプ前に自作の水中銃で大事件を起こしていた。当時はまだ東急ハンズや郊外のDIYと言った店舗は無かったので、新宿伊勢丹のカーテン売り場でステンレス製の直径が違う2種類のカーテンレールパイプを買った。自分で作った水中銃の設計図通り部品を造り、組み立て、ダイビング用品屋で売っている本物の水中銃用の強力ゴムを装着し、安全装置を付けて完成させた。穂先は三つ又の鋳物で出来たヤスの穂先を上手くはめ込んだ。これとは別に普通の水中銃のヨリ戻し付の穂先も用意した。
 完成した時に、放課後教室で一番後ろの掃除用具箱が有るので、そこに目掛けて発射してみたが、考えが甘かった。
 ものすごい反動と共にステンレスのカーテンレールで出来た矢の部分が飛び出し、掃除箱を突き抜けて隣の教室の黒板の横に2cm程穂先が出てしまった。ものすごい威力である事を、この時初めて自覚した。水中銃と云うのが恐ろしい殺人武器になる事は、海から帰った5か月後、その年の暮れ12月に封切られた映画「007サンダーボール作戦」で初めて実感した。まさにジェームス・ボンドが水中銃で敵を倒す場面が出てきて、映画館の中で汗びっしょりになってしまった。
007サンダーボール作戦、ウエットスーツを脱ぐと、下はタキシード!これがカッコ良かった。でもウインドサーフィンを始めた頃、真似しようとしたが、物理的に無理!だからあれは嘘。

市販の水中銃、スピアガン。今でも合法的に所有できる殺傷能力の高い武器の一つ。

 この自作の水中銃にはまだ色々な余談が在る。石廊崎でキャンプ中に水中銃のゴムを掛けている時に安全装置をかけ忘れ、なおかつ水中で底の方まで落ちて行かない様に、リードのタコ糸を付けておくのだがこれも忘れ、空に向けて発射させてしまったのだ。キラキラさせながら空を飛んだ矢の部分は60m程先の海に落ちてしまった。
 これを捜して回収するのに2時間も掛かってしまった。なおかつ10mの海底まで耳抜きしながら潜るのが大変だった。それまで普段5m程度しか潜っていないのが、暗く青色しか見えない10mの海底はもう未知の世界だった。

 更に、鯵やカワハギの様な薄べったい魚をタテに撃ってしまうと、威力が強すぎて2つに切れてしまうのだった。切れた魚はアッという間にウツボや他の大きな魚が寄って来て持って行ってしまう。自然の世界の凄まじさもこのキャンプで学んだ事の一つだった。
ずいぶん後で、こういう事件が起きた。そのたびぞっとする。

 危ない殺人兵器を自作してしまい、今考えると身震いするような危険な事を平気で行っていた自分が、今更のように恐ろしくなる。本当は単位が足らずに大学を卒業出来ていないのではないだろうか?と云う恐怖と、この水中銃でクラスメートを殺してしまったのではないか?と云う夢を、その後20年以上見続けた事でも余程印象が深かったのだろうと思う。


2014年6月28日土曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #46.」  ● 実録高校学校生活 その2.

 春夏秋冬、都心の高校生活は色々な事件で落ち着く暇は無かった。もちろん平穏無事な高校生活などこれっぽっちも望んでいなかったので、毎日が面白くてしょうがなかった。普通の平日はクラブ活動やエレキバンドの練習。朝、駅で待っていてくれる下級生女子と一緒に登校、帰りの渋谷までの下校 (これが同じ相手では無かったりもする)。しかし、それ以上の接近は無く、まだまだクラブ活動やバンド練習の方が遥かに心を惹かれる存在だったのは、今考えると正直ちょっと残念な気もする。


http://www.dagashi.org/index.html より転載させて頂いた。
当時の渋谷・恵比寿界隈を知るには貴重なサイト。

 しかし、学校生活に付き物の春休み、夏休み、冬休みは大いに色々な事を楽しみ経験し、高校生らしい悪戯事件も起こした。中学校時代の修学旅行時に起こした悪戯の延長と考えてもらって良い。まずは1年生の夏休み、伊豆の大瀬崎海水浴場の海の家で夜を過ごすツアーに出かけた。男子5名、女子2名くらいだったと記憶している。 行きは沼津から連絡船に乗って大瀬崎まで行ったような覚えがあるが、記憶は定かでは無い。
 ヨシズ張りの海の家は夕方になると、まるで人気のない静かな佇まいになる。夕御飯は近所の食堂で食べ、翌朝もその食堂で摂った気がする。朝も夕方もあちこちの宿舎や食堂から立ち昇る煙が目に染みた。
伊豆の大瀬崎は駿河湾越しに富士山を望む絶景地。当時は全くなかったダイビング屋さんが沢山店を出している所をみると、やはり今でも透明度が高くて良い所なのだろう。

 何故か、自分は昔からこういった賄いの煙や田んぼの藁焼きの煙の臭いが無性に好きなようだ。八代の十条製紙(現・日本製紙)から流れ出るチップを煮る際の臭い匂いも、今となっては非常に懐かしい好きな匂いになっている。こういった特徴のある匂いは、それを嗅いだ昔を想い出させてくれる。
長崎県の千々石棚田で一服中の親子を撮らせて頂いた、画面からも煙の匂いがする?

蒸気機関車の煙の匂いも好きな匂い。磐越線の列車

八代駅前で毎年11月に行われる妙見祭、十条製紙の煙の匂いが重なれば最高だ!

 一方で化粧品の匂いは大嫌い!   
香水たっぷりの女性が同じエレベーターに入ってくると、思わず降りる階まで息を止めて止めたまま我慢する。特にそれが年配の派手なオバちゃんだったりすると、加齢臭も加わって頭がおかしくなりそうになるので、さっさと降りる事にしている。だからデパートの1階にある化粧品フロアはまず通らない。
パリの百貨店、ギャラリー・ラファイエット 2011年渡仏の際撮影

北九州・小倉に着流しで街をさっそうと歩く、小学校時代の粋なクラスメート(実は優秀な歯医者)が居る。或る時彼と博多天神の三越に行った。この三越は西鉄福岡天神駅の真下に在って、横に長い敷地面積を持っている。その彼は目的地に向かって近道だからと称して、この1階の化粧品売り場の真ん中を平気でスタスタ歩いて行ける。こちらは1コーナー歩いただけでも、その混じりあった甘い匂いで気を失いそうになるので、この百貨店に平行して走っている外の表通りを歩いた。これで判るとおり匂いに対する嗜好や感性は個人個人で非常に異なるのだ。
 
いつの間にか話が伊豆の大瀬崎から九州まで飛んでしまった!話を戻そう。

大瀬崎では毎日海に潜って魚を突いた。何故か素潜りで魚を突くのが、この頃のマイブームだったようだ。まず海に潜水具無しで潜るには息を長く止められなければならない。この頃「若大将シリーズ」で全盛期を迎えていた加山雄三が、毎晩9時台にテレビでやっていた帯番組のスター千一夜で、三木鮎郎のインタビューに答えて「僕ぁー息を4分少し止められます」と言っていた。これを聴いて、「そうか、海に潜るには4分くらい息を止められなきゃ一流じゃないんだ!」と思い込んでしまった。それからしばらく、授業中に息を止める練習をしたのは当然の成り行きだった。最初は幾らやっても1分が限度だった。しかし1~2分深呼吸をして精一杯息を吸ってから止めると、長い事止めていられる事を発見した。このコツを覚えてから息止め時間は急速に伸びて行った。最高で3分20秒まで延ばす事に成功した!
海の若大将1965年夏封切り

しかし、事件はその時起こった。思いっきり息を吸い込んで止めて3分に差し掛かった時、「はい!シンジョー君!」と先生に指されてしまったのだ。何の授業だったか覚えていないが反射的に立ち上がった。しかし立ち上がったのは良いが、息を止めて脳内の酸素が欠乏し始めていたようだった。元々あまり中味の濃くない脳ではあったが、酸素不足によって視野の両側から暗い部分が広がり、そのうち眼の前が真っ暗になってしまった。
気が付くと「おい!大丈夫か?」とクラスメートに肩を揺すられる自分が居た。体は床に仰向けに寝ていた。

どうってことは無い、一種の貧血状態に陥った訳だ。先生は勿論慌てただろう。日に焼けて黒い健康そうな男子生徒が、自分が指した事で本人気を失ってしまったのだから、驚き、たじろぎ、多少なりとも責任を感じたのだろう。「じゃー、鎌田君!」と云う感じで他の生徒にお鉢が回って行った。
 
こうした、涙なくしては語れない努力の結果、安定して3分間は息を止められるようになった。魚を突くにもこれなら今までの倍は獲れそうだと歓び勇んで再び海へ行って潜った。目論見では3分潜れるはずだったが、意外にも2分間潜れた事はなかった。せいぜい潜れて1分と少々だった。しかし魚を獲る事に関しては以前より遥かに上手くなったのは間違いない、効果は確かにあったのだが予定とはずいぶん違った。
後で調べたら、人間は皮膚呼吸もしているので、陸上で息を3分間止められても、長い間水中には潜っていられないそうだ。たとえ空気中でも皮膚呼吸が出来なくなるとあっという間に窒息するのだそうだ。これは映画007シリーズ、ゴールドフィンガーの中で、美女が全身に金粉を塗られ皮膚呼吸を出来なくされ、殺されてしまうシーン観て偉く納得したのだった。

誰も居なくなった夜の「海の家」で皆で夜を明かす訳だが、大人と違って酒盛りをするわけでもなく、星空を眺めながら話をしているうちに、いつの間にか寝込んでしまった。もちろん都会で生活している時よりはるかに早い時間の就寝だった。そのかわり朝は早かった。寒いのだ、寝ていられない気温だった。夏休みと言うのに海辺の朝は想像以上に寒い。高校生だったからまだ良かったが、60歳過ぎてこう云う事をすると永遠に冷たくなってしまうかもしれない。オアフやマウイのサーフショップで売っているTシャツも、半袖より長袖の方が多かったりするのはこれが理由かもしれない。
大瀬崎の最近の海の家 Google画像


余談になるが、こうして初めて海辺で宿泊・生活する楽しさを覚えた感動と経験が、その後30歳から60歳になるまで約30年間もの長い間ウインドサーフィン中心に海廻りで活動したエネルギーになっているのだと思う。しかし、海に夢中になり、ウインドサーフィンも一気に上達して台風の時でも沖へ出られるようになった時、幾度か会社を休んで楽しんだ事は有るが、決して海の傍に住もうとは思わなかった。葉山の森戸海岸・森戸神社境内をベースに20年以上もジモティ(=地元の人間)のごとく通いで活動していた。TVドラマに出て来そうな昔の別荘が在って、幾度か購入も考えながら手ごろな物件を下見にも行った。しかし眺望は最高・抜群なのだが、価格の割に広すぎるのと、夏の治安に多少の不安が在ったので東京に住んで、ウインドサーフィンをする時だけ葉山や三浦海岸に行くというスタンスはとうとう変えなかった。
森戸神社裏の岩場海岸 夏は1軒だけ海の家がオープンしていた。夏以外は無人の浜となる。

晴れて風が強ければ正面に富士山が見える。25年間毎週末通い続けた心のふるさと。

理由ははっきりとしている。海際に住めば、いつも目の前に海が在って当たり前。最初の6か月は仲間に自慢しながら、住んで良かったと思うだろう。しかし会社勤めの身で、今日は重要な会議が有る、プレゼンが有る・・・と言う日に、真っ青な空で朝から安定したガスティではない15ノット以上の南西風が吹き、白波が立っていたらどうする?海に出る?会社行く?どっちを取る?結局は後ろ髪を引かれながら90分かけて東京へ行かねばならない。これは非常にストレスが溜まるというものだ。


海が在って当たり前、風が吹いていて当たり前。週に5日も「午後風が上がるかも知れない」と思いながら、辛い気持ちで都心に通うのと、平日は仕事に集中し、週末の2日間の事を天気図を観ながら楽しみに待ち、週末に成ったら葉山に向かうのと一体どちらが精神衛生上良いか?これを考えたら海岸沿いには絶対に住めないと思った。潮風で洗濯物は乾かないし、台風の時は家が壊れるかもしれない。潮風で家の外壁は直ぐ痛む・・・こういった言い訳をしながら海辺には住まなかったのだが、実際の理由は先に述べたような事だった。これは正解だった。


2014年6月27日金曜日

野鳥撮影における自分の立ち位置確認マトリックス。 This is everyone's standing position of matrix in the wild bird photographing .

 今日はちょっといつもとは違う内容だが、非常に重要な事だと思っている。

 野鳥を観察したり撮影したりしていると、色々な人に出遭う。こういう状況で良く有る事だが、相手も自分と同じ考えで、あるいは同じ目的で対象野鳥、あるいは被写体に接するものだと思い込んでしまう事が有る。たとえば、渡り鳥で非常に珍しい種が飛来した時に、とにかくこれはラッキーとばかりに出来るだけ接近してクリヤな画像で仲間に自慢できる画像を撮影したい・・・という野鳥撮影専門の人も居よう。一方で滅多に出遭えないその野鳥がどのような行動をするのか、今まで観察データが無いので自分で観察を続けて、その生態を証拠として記録する為に撮影する人も居よう。

 また一方で、素晴らしい風景や被写体を撮って、あちこちの写真コンテストに出して入選を狙うアマチュアカメラマンも居よう。そうして、その被写体が野鳥と云う場合もあろう。これはこれでフォトコンと言う一つのジャンルが確立されており、私の小学校時代のクラスメートも連日切磋琢磨して腕を磨いている。既に何度も入選してそれなりに頑張っているようだ。
 しかし、野鳥撮影においては、この写真撮影が命のアマチュアカメラマン達と野鳥観察・調査の為の撮影者の間で時折問題が起きる事が有るようだ。

 勿論、ケースバイケースで、それぞれ原因も内容も異なっているようだ。ちょうど仲の良い友人がこのアマチュアカメラマンでコンテスト荒らしを自認する20年選手なのだが、野鳥撮影に関して話をして色々な意見・考えやアイディアが出て来たので、自分たちなりに一緒に何が出来るか考えてみた。やはり、しっくり話し合ってみるとそれぞれの狙いと、目的達成のための手段に対する考え方が随分異なっている事をお互い認識できた。

 詳細は省くが、まず野鳥撮影をしている人種がどう云うジャンルに分布しているのかを視てみようと云う事に成り、1970年代発行の米国のNational Geographic誌(洋書)に出ていた、ネイチャー・カメラマンの色々と言う解説文を参考に、日本の今の状態をマトリックス化してみた。これはあくまで私的なものであり、異論・反論は当然あろう。在って当然だと思う、自分の立ち位置で自分以外の世界を観ればそれぞれ違って見えて当たり前なのだから。

 しかし自分の考え(=自分なりのマトリックス図)をまとめても居ないのに、反論したり否定・非難するのはインターナショナルスタンダードに反する。自分の考えもしくは反論に値する代替え案を提示出来ない者は、他人の考えや意見に反論する資格がない、してはいけないという事を、1980年代にコロラド州デンバーでの国際自然保護会議に出席した時に学んだ。この時はまさに目から鱗だった。

 そのデンバー環境会議の時はスノーボ―ドのスキー場エリア外滑走をするマナー・ルール違反者を、どの様に注意し減らそうかと言うテーマだった。スノーボーダーがコース外滑走で、樹木にぶつかり、枝が折られ植物が枯れるのを防ぐというモノだった。髪の毛を染めて目立つ格好をした有名なプロライダーが、声高に「こう云う事をして良いのか?撲滅すべし!」とアジった。

 そうしたら、スポーツ・ジャーナリストが落ち着いた声で「じゃあ、君はどう言う方法で止めさせれば良いと思うのか?当然プランは有るよね?」と訊いたらアジった本人黙って座ってしまった。おまけにそのプロライダーのプロモーション・ビデオには林間コースを木の枝をへし折りながら滑っている姿が沢山映っていたのだった。彼は翌日その会議から追放されてしまった。自分のやっている事を棚に上げて人を声高に非難するのが、恥ずかしい行為だと云う事も世界共通のようだ。

 本題に入ろう。

 前置きはこの程度にして、野鳥撮影をする人間がどのくらいのグループに分かれているか、その立ち位置を図表化してみたのがこのマトリックスだ。これは、広告代理店時代に散々行ったクラスター分類、あるいはターゲット・マトリックス図表のごく初歩的なものと同じもの。マトリックスは2次元図で作成したが実際はカメラ機材のレベル軸が加わって3次元の立体図表になると思う。しかしここではそこまでは触れない。動画などが入って来て、そこまで来ている4K動画カメラでの画像収録が始まると、さらに複雑になると思われるから。
撮影に限らず野鳥観察・撮影に関わる全体マトリックス、まだ未完成なので今後の調査やヒヤリングなどで完成させていきたいと思っている。時代とともに変化するので終わりはないかもしれない。

いわゆるアマチュアカメラマン、最近団塊世代中心に急増しルール・マナー無視、自己都合による自然破壊、競争意識・他人への迷惑配慮に欠ける行為など全国で問題を起こしている。

 このアマチュアカメラマンが被写体を野鳥に向けるとまず入門野鳥としてカワセミへの執着が始まる。人工的な止まり木を設置、季節感を出すため、あるいは綺麗でユニークな画像に仕上げる為、ヤラセで止まり木にそこいらでへし折ってきた桜の小枝をくくりつけたりする現場を、熊本の江津湖で観た事が有る。呆れてしまってその人たち全体を撮影したが掲載はしない。

 これが、同じカワセミを撮るにしても、野鳥の生態などをベースに撮影する人は撮影するための場所を演出したりせず、手持ちで歩いて被写体を捜すだろう。此処で一つの線引きが出来ると思う。もっとも残念な事にこの撮影者はとうとうこの目の前のカワセミに気が付かなかったが・・・。

 だが煙草を吸いながら歩行で野鳥を探し、吸殻をそこいらに落としながら野鳥撮影を続けているので、やさしく丁寧に注意はしたものの「チッ!」という感じだった。アマチュアカメラマン達を非難する前に野鳥探究側にも目を向ける必要は大いに有ると思う。しかしこの場合は野鳥関係以前に人間性の問題だが。

 アマチュアカメラマン側の友人に言わせると、とにかく野鳥専門の撮影者たちは高圧的な言動が多いという。やたらと声を掛けると直ぐに「あっち行け!」と言われるという。不評なようだ。特に野鳥関連の団体に入っている人々の上から目線的な話し方、野鳥は全て自分たちが保護・管理しているのだと言わんばかりの排他的な態度など、目に余るという。この私も野鳥関連の団体に所属しているし同意できない部分も多いので、こればかりは聞き捨てならず、しっかりと意見を聴いておいた。それによると野鳥を観察・あるいは撮影している時の人間の思考や懸命さが一般のアマチュアカメラマンには理解できていない事が良く判った。

 一番顕著なのが、「今このチャンスを逃したら一生出遭えないかもしれない!」という瞬間に「何してんですか?なんか居るんですか?」と訊かれても対応できない・・・と言うケースが多いようで、その必死さ、集中度合がなかなか判らないそうだ。要はコミュニケーション不足に気が付き、他人は自分とは違うのだ、野鳥撮影するにしても色々な人種がいるのだと云う事の整理をつける役に立てば、マトリックス図を作ったのは成功かもしれない。

 とりあえず、自分以外の人間で野鳥にレンズを向けている人種がこれだけ色々な種類、違う目的で存在するのだと云う事をまとめてみた。もちろん野鳥に関わる人間に貴賤は無いし、間違っても上下関係が在ってはいけない。


2014年6月26日木曜日

キジは一見何処にでも居るようだが実はなかなか出遭い難い野鳥。   The pheasant is a wild bird that cannot encounter it easily anywhere.

 東京に住む人間はキジに出遭えるととても感動する。まずなかなか野生のキジには遭えないのと、日本の国鳥である事を良く知っているからまずは歓ぶ。そうしてその大きさとその鮮やかさに驚き感動する。しかし、そう云いながらキジ料理も大好きなのだ。前にもいつかブログ上で述べたがその国の象徴である国鳥を喰ってしまうのは日本人くらいなものだろうか?

 この国によって異なる食文化を比較すると色々判らない事が出てくる。クジラは知能が高いから殺して食べるなどもってのほかと言いながら、可愛い兎を殺して平気でメイン・ディッシュにするヨーロッパの国も多数ある。ジビエと言って狩猟で獲った野鳥を好んで食べるのもヨーロッパ人だ。もちろんキジを筆頭にライチョウ、マガモ、ウズラ、ヤマシギ(現在は禁猟)、鳩、雀など多数に渡るとネットに出ている。1982年頃フランスの田舎モンベリアールに仕事で1か月ほど行った時、連日このジビエ料理を出された事が在った。今でなくて本当に良かったと思う。

 球磨川流域の撮影をしていると、頻繁にキジを見かける。特に人吉市の温泉町界隈の左岸は車で通過すると必ず見掛ける。住民登録でもしているのだろうか?数年前の春先、畑にレンゲが咲き乱れる頃、間近でこのキジと遊ぶ機会が在った。飛翔シーンを撮りたかったが、キジの飛ぶ姿を前からは非常に撮り難い。残念だがどうしても後姿になってしまう。
人吉市郊外の万江川土手に昨日まで在ったタチヤナギの大木が切り倒されてしまい、途方に暮れるキジの雄。警戒心が強いキジがこうして見晴らしのいい場所に立ち尽くすのは珍しい。余程ショックだったのでは?人吉市役所めっ!

名残惜しそうにいつまでも切り株を観ていた。実は餌を探していたりして。

万江川を飛んで渡るキジ。結構この辺りでは頻繁に視られる。

麦畑に隠れたつもりのキジ。普通は非常に警戒心が強い。

人吉には昔からキジが多かったのだろう。郷土玩具のキジ馬は非常に有名だ。鹿児島県伊佐市(2008年まで大口市)に抜ける久七峠までの国道276号線の熊本県内はキジ馬街道とも呼ばれ、途中に日本国内でたった1っ軒だけ存在するキジ料理専門店「きじや」が在る。しかし、繰り返すが養殖のキジとはいえ日本の国鳥だよなー。

キジが縄張りを主張する際に無く鳴き声が何で昔から「ケーンケーン」と評されるのだろう?あのウガイしながらオエッ!と叫ぶと言うか、風邪ひきの様な濁った声なのに何故「ケーン・ケーン」なのだろう、不思議。

飛び立つときは助走が必要なのだ。

蓮華畑で一緒になって、横を走りながら飛ぶ瞬間を撮影してみた。

そうしたら、急に向きを変えて畑の1段下方向へ滑空して行ってしまった。これは連続画像合成。



 

2014年6月25日水曜日

フライング・キャッチの瞬間!ツバメ、モズ、ブッポウソウ。  This is an air capture scene of the insect by a wild bird.

 野鳥の採餌方法は色々なタイプが存在するが、空中でのフライングキャッチもなかなか豪快で観ていて飽きない採餌方法だ。河川にダイブして採餌するヤマセミやカワセミ、似たようなタイプのミサゴなどは、採餌した餌の魚の大きさを観て楽しむ方法もあるが、空中採餌の場合は餌物の大きさまで判別し難いので撮影した画像を後から検証してみるほかない。

 今回の人吉撮影時に球磨川本流木山の淵付近でツバメを追い写ししていた時の画像の中に明らかにフライングキャッチと思われる画像が在ったので、他の2種と一緒に比べる意味で掲載した。これ以外にもムクドリが木の枝でセミを咥えている画像などもあるが、やはり飛んでいる最中の画像の方が野鳥らしくて好きだ。
併走している左の個体が一瞬体を立てた瞬間キャッチしていた。

餌物は何か不明だが小型のトンボだろうか?

こちらは以前このブログでも紹介したモスのフライングキャッチ


咥えた後反転して最初の木の枝に戻った。

ブッポウソウは朝と夕方渓谷の上を飛ぶ大型のトンボなどをキャッチする。

既に日は上り10時過ぎになっているが採餌行動は止まない。


一番観察しやすいのは7月後半で育雛の最中が一番フライングキャッチの頻度が高い。


2014年6月24日火曜日

球磨川本流のカワセミ観察 その1. Common kingfisher living Kumagawa main river is little bit different from normal one.

 多分カワセミは日本で一番人気のある身近な野鳥かも知れない。もちろんタンチョウやトキやコウノトリも人気だが決して身近な野鳥ではなく、東京からだと旅行しなければ出遭えない野鳥だ。
 もちろん野鳥写真撮影に夢中になっているアマチュアカメラマンなどは、アカショウビンだのヤツガシラに執着するのも良く知られている。ここいら辺りから野鳥カメラマンたちの「優越感」の闘い、自慢話の競い合いになるが、野鳥撮影の初心者に限らず住宅街の川にも生息するカワセミの人気は群を抜いているだろう。

 野鳥撮影のベテランになると、もうカワセミなどには目もくれず、「ふん、カワセミか?初心者じゃあるまいに・・」くらいの事は平気で言う御仁も居る様だ。しかし、実はカワセミは大変奥が深いのだ。東京都心のど真ん中新宿御苑にも、皇居の吹上御苑にも棲息している。護岸工事でコンクリートの壁に囲まれた神田川にすら生息している。新宿区で区民アンケートを行ったらカワセミが神田川に生息している事を認識している人の割合は10%も居なかったという。まだカワセミを昆虫のセミだと思って野鳥だと認識している人が50%を切っていた頃の話だ。

 要は、神田川のような環境でも「水辺の宝石カワセミ」は生活できるしたたかな野鳥なのだ。武蔵野のハケ沿いに流れている野川流域でも、行けばセキレイ類と同等かそれ以上の確率でこのカワセミに出遭える。下手をすると一番出遭いやすい野鳥の一つかもしれない。

 2006年に熊本県熊本市のお手伝いをした際に、市役所の前を流れる坪井川の堤防でこのカワセミを観て以来、市のど真ん中に在る江津湖で沢山のカワセミを撮影し始めたのが、この私が野鳥撮影に入り始めたきっかけ。だからカワセミには大変感謝している。メインの対象がヤマセミに移行した今も同属のカワセミに対する尊敬の念は変わらない。何かにつけカワセミとヤマセミの行動、癖、等を比較しながら観察を続けている。

 今回は球磨川本流で棲息するカワセミの画像をご紹介。球磨川は水面川幅が150m程になる場所が数か所あるが、カワセミはあの小さな体で平気でこれを横切って行く。飛翔能力、採餌能力、繁殖能力、どれをとっても球磨川本流のカワセミはタフなようだ。そのかわり江津湖のカワセミの様な人馴れをしていない点で警戒心が強く、なかなか撮影させてくれない。












各ショットのコメントはしないが、手持ちで500mmを撮るというのは苦に成らなくなったが、事カワセミともなると動きが敏捷過ぎて最初は尻尾だけしか写っていなかったり、パソコンで視てみて自分で大笑いしてしまう事が何度もあった。