2021年12月31日金曜日

2021年大晦日最後のブログは昨日明治神宮12月30日の野鳥。 The last blog on New Year's Eve 2021 is yesterday Meiji Jingu December 30th Wild Birds.

  昨日、2021年12月30日は今年28回目の明治神宮と御苑の野鳥探索。此処の野鳥に関しては年明けに細かくレポートするとして、今年最後のこのブログでは昨日出逢った野鳥たちをアットランダムにご紹介。

 それぞれ数カット以上撮影したので、総数は500カットを超えている。

 まずは昼1時頃境内に入り外周路でオオタカの鳴き声と飛ぶ姿を目視。撮影は出来なかったが回遊エリアにちゃんと居る事を確認。

 更に進んで、いつものヤマガラに遭遇。こちらの装束から認知していると思われる行動。帽子に留まり餌をせがむ。今回はヒマワリの種と、本当は自分用なのだがアーモンド。

 結論から言うと、両方持って行ってアーモンドにはさすがに長時間かけて食べていた。



キチンと両足で押さえて穿っていた。

御苑に入南池(なんち)へ赴くと、すぐ目に入ったのが凍った池の上を歩くキセキレイ。

次に常連のカワセミ、二羽。この間争っていたメス二羽だ。

雲行きが怪しくなってポツポツ来る直前、ヒヨドリが大挙ざわついた。

直後、南池上空をオオタカが2周した。

それからほどなくして、筆者頭上を後ろから猛禽類が低空飛行で飛んで行った。ハイタカと見えた。オオタカより胸の横縞が強く、尾が長い。

ほんの数秒だけ全身が見えたがすぐに枝の密集した後ろへ隠れてしまった。

 久しぶりに2時間ほど入った明治神宮だったが、予想外の出遭いがあって嬉しかった。来年も頼むよ!コロナで熊本へ行き辛い状況が続きそうに成って来たし・・・。

 今年もお付き合いいただいた皆様に感謝しつつ、来年も是非よろしくとご挨拶申し上げて今年最後のブログとしたい。感謝感謝です。皆様来年も良いお年を!そして良い鳥見を!

2021年12月30日木曜日

ヤマセミ生態シリーズ #6.  獲物をゲットした後の叩き練習をする幼鳥。 The Crested Kingfisher Ecology Series #6. A young bird practicing beating after getting fishes.

  2日前、ヤマセミが獲物を岩に叩き付けて完全に息の根を止め、食べやすくする状況をご紹介したが、今日は本能的にヤマセミの幼鳥がその技を会得する際の状況をご紹介。

 これも数年前ご紹介したものの再登場だが、ヤマセミの採餌~食事の際の生態に非常に密接に関連するので此処でご紹介しておくもの。

 ヤマセミはもちろん人間のように親が手取り足取りで「生き方、サバイバル、ヤマセミ界のおきて・・・」などは教えない。生まれて来た時の脳の中に先天的な自然対応機能が埋め込まれていると思って良い。

 ダイブしても溺れない、平気で水中に潜る。それよりも前に巣立つ際にいきなり穴倉から出て飛ぶのだ!猛禽類のようにオープンエアの巣の上で羽ばたきの練習をして向かい風で飛び上がって・・「飛べた!・・・マジっすか、俺飛べるじゃん?」ではないのだ。狭い穴の中で兄弟と3~4羽でひしめいていたのに、穴から出た瞬間初めて翼を思いきり広げられたというのに、飛べるのだ。

 こういった生まれつきの、先天的な能力の一つが水に潜って木の葉や樹の枝を咥えて来て岩に叩き付ける練習が誰にも教わらずにできるという事実なのだ。

 筆者は10年間ヤマセミを観察して来て、親鳥が幼鳥の横でその様子を見ながら叱咤激励しているのを観たことが無い。何かを言い合っているのは観たことがある、Googleの翻訳機能にヤマセミ語が見当たらないので判らなかった。これも今年このブログでご紹介した。

 今日の証拠画像は、木の枝を咥えて来て魚に見立てて岩に叩き付ける練習をするのだが、木の枝をすっ飛ばしてしまい、また拾ってくるまでのシークエンス。

 笑ってはいけない、ヤマセミは真剣なのだ。

突然右の方からオスの幼鳥が木の枝を咥えて飛んできてくれて・・・。


親と同じように魚を岩に叩き付ける練習を始めてくれた。




二度目に叩いた後、勢い余って・・・。

木の枝をすっ飛ばしてしまった!


焦る幼鳥・・・。


このまま前のめりに成って水没!

確かに一連の動作は漫画の様だが、自然界にはこうした事実が山ほどあるのだ。

 彼(オス)の名誉の為に申し上げておくが、この幼鳥はこの2日後、見事に自分で魚をゲットしている。・・・小さいエビだったが。

2021年12月29日水曜日

ヤマセミ生態シリーズ #5.  採餌する獲物の種類研究。 Crested Kingfisher Ecology Series # 5. Research on the types of prey to be foraged.

  ヤマセミの生態シリーズを思いがけず#5まで一気に続けてしまったが、過去に既に投稿した部分の焼き直しを慎重に行う回もあるので、またしばらく資料精査の時間を頂く予定。

 頭を前にして飛んで行ったヤマセミが一体何を咥えていたのか?という疑問が次に来るのは当たり前なので、とりあえず筆者3冊目、2013年発行の野鳥写真集、「川辺川球磨川流域の山翡翠」にも掲載したヤマセミの獲物に関して少し述べておきたい。

2013年発行の野鳥写真集3冊目。



 ヤマセミは基本的にはどのような魚でも口にする。あの背びれにゴンズイの様な毒針を持つギギという厄介な魚も平気で食らう。ナマズでさえ好物の様だ。

 いわゆる表層~中層の回遊魚・群れるタイプが多い=アユ、ウグイ、オイカワ、ハヤ、カワムツなど。
 一方、底魚といわれる川底の岩陰、泥の中などに居るタイプ=カマツカ、ドンコ、ギギ、ナマズなど。

 いずれにしても、河川には基本的にハリセンボンの様に棘だらけの魚は居ないので、何でも食す様だ。

 暫く過去の画像データで採餌した獲物が判りやすい画像を紐解くまで過去に公開した荒い画像でご紹介しておきたい。下記URLで該当ページへアクセス可能。




毒魚ギギの処理に関しては、さすがに非常に真剣かつ念入りに行う。




発行した写真集にも掲載したナマズも立派な好物。

ヤマセミの獲物に関する詳細レポートは今少し時間を頂きたい。

2021年12月28日火曜日

ヤマセミ生態シリーズ #4.  獲物の頭を先にして餌を運ぶ行為。 The Crested Kingfisher Ecology Series #4. The act of carrying fish with the head forward first.

  ヤマセミが採餌した魚をさんざん岩に叩いて、自分の居た附近をウロコだらけにしたまでは昨日ご紹介した通りだ。

 で、普通はその獲物をその場でのみ込んで、お清めのダイブを繰り返して身繕いするのが普通だが、時に獲った魚の頭を前方にして咥え、どこかへ飛び去る事が多く観られることがある。これは2~6月の繁殖期に頻繁に観る事ができる。

 2~3月、時には年末から始まるペアリング、「今年もよろしくね?」の類がまずこれに当たる。長年連れ添った相方との再契約みたいなものだが、きちんと毎年仁義を切るあたり、筆者は人間も見習うべきと考えるが如何?次に繁殖期も佳境に入り交尾の際に行われる「求愛給餌」の時。これは決して毎回ではないが、メスの方からせかしたりもする。

 その次が巣において抱卵しているメスへ運ぶ時。そうして孵化したヒナへ与える餌の原材料としての獲物を運ぶ時。

 最後が、巣立ったヒナ・幼鳥たちへの給餌の為の運搬時。この時はオスもメスも同じ行動をするので一番目撃しやすい時期。大体5~7月が多い。

 カワセミのケースを捜したが、カワセミの場合はいちいち頭を前にして運ぶ様子は、観察した限りではなかったが、実際は大いに有り得ると思われる。余りにカワセミ自体も餌も小さいので誰かに横取りされる恐れもないから、この部分ではヤマセミと生態・癖が違うのかもしれない。過去の撮影データを見て、何か判ったらまたこのブログでご紹介させていただきたい。







わざわざ筆者の方へ飛んで来るように見えるが、渡す相手のメスがこちらに居るという証だろう。画像データを精査したら、何とメスは対岸正面の茂みに隠れていた。

2021年12月27日月曜日

ヤマセミ生態シリーズ #3.  獲物をゲットした後の叩き行為。 The Crested Kingfisher Ecology Series #3. hitting fish to the rock after getting prey.

  シリーズ#3は#2と前後してしまったが、採餌直後に岩に叩き付けて完全に息の根を止め、骨を砕いて丸呑みしやすくする行為。これはヤマセミもカワセミも同様。

今年筆者がPHOTOPRESSOで最後に出版した「ヤマセミカワセミ」より。

 アユやウグイ(熊本ではイダ)、あるいはハヤの様な回遊魚は数回叩くだけですぐ丸呑みするが、ギギやドンコの様な底魚、あるいはナマズの様な種は幾度も幾度も叩いて完全に殺してしまうまで続ける。

 一度、ギギを飲み込んだ後、しばらくして水面を暴れまくってのたうつヤマセミを見たが、多分呑み込んだ獲物が胃の中で息を吹き返したのではないかと推察した。いずれこの模様はこのブログでご紹介の予定。話が前後して申し訳ない。

まだそれほど叩いていない状態、岩のウロコの痕を見れば判る。


首をひねって

叩く!


幾度も幾度も繰り返すのが自然界の掟。


叩いた箇所の岩には魚のウロコが沢山こびりつく。この個体(地元の観察者達から川辺川太郎と名づけられている)は顔見知り人に成っているので、必ずカメラの方を確認する。

2021年12月26日日曜日

団塊世代は子供の頃の写真をデジタル復活させ楽しむ。 Baby boomers enjoy digitally reviving their childhood photos.

  団塊世代であれば誰しも自分の幼少期に親が写真を撮ってくれて、アルバムに貼り付けてあるだろう。昭和30年代であれば四隅に紙焼きの写真を留めるポケット式のコーナー紙片があったろうし、もう少し経つと1ページを覆う透明なフィルムと台紙に薄くノリの付いた間に紙焼き写真を挟んで保存するコクヨのフォトアルバム、フリーなどにまとめたものだ。

 しかし経年変化や湿度でノリと写真がくっついてしまい、剥がしたら薄く写真の表面だけがかろうじて残ったりする。いずれにせよモノクロ写真は黄ばみセピア色に成っているものがほとんどだ。

 大瀧詠一じゃないが、~想い出はモノクローム♪色を点けてくれ♪と言っても始まらない。勿論現在はIT技術・色々なアプリで、いとも簡単にモノクロ写真画像を人着(いわゆる人工着色)の様にカラー写真っぽくできなくもない。

 しかし自分の頭の中の昭和30年代、40年代はやっぱりモノクロだろう?無理に色を付けるより、写真をシャープに、セピア色をコントラストのはっきりした当時の白黒にして拡大した方が意味が有ろうと言うもの。勿論好きだったあの娘だけトリミングして拡大も可能だ!

 またあるいは写っている人物などより、当時の鉄道車両や背景の建物・景色(=今は既に無い)に眼が行く方も多いかもしれない。

 いずれにせよ、昔の写真アルバムをそのままにしておくより、想い出深い意味のある写真だけを選んでデジタル再生し、新たなフォトブックに仕立てる楽しみを電脳化した団塊世代は持っているのだ。そうしてこの作業の過程で思わぬ新事実や思い違いを発見したりするものだ。

 筆者など、現在の友が我が妹と60年以上前、幼稚園時代同じ写真に納まっているのを発見し、友と共に腰を抜かしたものだ。

 いずれ、徐々にその方法論をこのブログでもご紹介したい。画像処理ソフトとスキャナー(=複合インクジェットプリンターについているレベルで充分)さえあれば今すぐにでも可能だ。

昭和28年東京北区にある飛鳥すみれ幼稚園の運動会。筆者は66年前卒園のOBなのだ。

同上、近隣の小学校で開催。手前右から二人目筆者。

 幼稚園のジャングルジム。筆者は年長組の男子をこの上から突き落として謹慎となった。しかしクラスメートの女子を叩いて虐めたので仕返しをしただけ、悪くない。筆者右上。

 一旦は祖母(お茶の水幼稚園の教員だった)がこの幼稚園の対応に怒り狂って筆者を退園させたが、いつの間にか復帰していたようだ。この通り無事卒園している。3列目右から3人目。

 たった1学期しかいなかった東京学芸大学附属追分小学校(数年後に竹早校・小金井校へ統合され廃校となった)の入学式。当時の母親がほとんど和服であることが凄い。これは転校した九州の小倉市(現・北九州市)でも同様だった。

その小倉市(当時)の祇園祭。馬借町附近。この列の何処かにそろいの浴衣で筆者は居る。

 1961年の八代駅、寝台特急はやぶさ、東京―西鹿児島間を走る当時日本で最長路線の特急だった。13歳で単身上京下宿した筆者は此の寝台列車で八代ー東京間を一人で15往復はしている。当時は八代駅構内を中学1年生なのに自由に出入りして撮影していた。1961年の事だから後のSLブームのはるか前だった。線路内立ち入りで今だったら大騒ぎだろう?

帰省時に八代駅で列車を降りても、待っている親をほったらかして写真撮影していたようだ。

1962年春の奥沢中学校遠足(バスで城ヶ島)途中の休憩時の画像。先生たちより向こうを走っている古い京急の車両が懐かしい。スリーサンズの「ハーバーライト」で始まるラジオ関東の「ミュージックトレイン」を毎日聴いていた頃だ。

全共闘封鎖中の横浜国大美術科で自主授業中、クラスメート全員を撮影した時の1カット。「焼いたら1枚頂戴ね・・。」ではなくて、たぶん「撮るのやめてよ!」と言われているのだと思う。

 上記いずれもスキャナ~でスキャンし、画像処理ソフトでトリミング、ゴミ取り、シャープネス、コントラスト修正、色調補正などを行ったモノ。元の紙焼き写真は名刺サイズのものも多い。

 モノクロ時代の写真って程よくピンが甘くて、レコードで言えばオルトフォンのカートリッジで真空管のアンプを通して聴くような妙な懐かしさがあるように思うが如何だろう?