2020年8月31日月曜日

先日のツミは三鷹に住民登録したらしい。 The Japanese Sparrowhawk which I met last day seems to registered as a resident of Mitaka.

  今朝の愛犬散歩でまたまたツミに出遭った。朝5時30分だった。すぐそばでヒヨドリが盛んに鳴いていたので、なーんだヒヨドリかと角を曲がる瞬間、電線への留まり方がちょっと違うな?と思い、引き返してコンデジを向けたら猛禽類だった。チョウゲンボウより小さいのでツミに間違いないと思い、しばし観察を兼ねてコンデジを向け続けた。

 オオタカ、ハヤブサ、チョウゲンボウ・・と三鷹の住宅街には意外に猛禽類が居るが、このツミだけは飛翔空域が他の猛禽類と異なる。ほとんど電線に留まるか民家の屋根すれすれを飛ぶ。高い所から見下ろして餌を探すことをしない。ヒヨドリと見間違えるほどの大きさなので、探す時も他の猛禽類著は異なった探索注意が必要だ。

 徐々にお尻を上げたので脱糞かな?と思ったらすぐに発射してくれた。猛禽類の脱糞の瞬間を間近では初めて撮影した。

 先日と同じ個体であればまだ幼鳥だが目つき含めてずいぶん堂々としてきたようだ。多分三鷹の住宅街を狩場の縄張りにしたのだろう。

 そういえば今朝はヒヨドリの声を聴くまではスズメやメジロ、シジュウカラの声が全く聴こえなかった。半径500mに天敵の猛禽類が居ると判るのだろうか?

 

片足を上げて余裕しゃくしゃくの様だ。

フクロウも良くこうするが何でだろう?サギ類が真冬水の中でこうするのは、寒いから足が凍り付くのを防ぐ為だと教わったことがあるが、今はまだ真夏、朝から30℃の気温なのに。

脱糞は初めて見た。やはり他の野鳥同様白っぽい液体状だ。



目つきが前回より少し精悍に成ったような気がするが、気のせいだろうか?

2020年8月30日日曜日

緊急投稿!球磨川沿いの肥薩線の復旧を考える。その4.  Consider restoration of the Hisatsu Line along the Kuma River. Vol 4.

  突然!安倍首相が辞意表明した、潰瘍性大腸炎再発だという。実は今年の初め同い年の友人が同じ病気から大腸がんへ進んで逝ってしまった。安倍首相の場合はストレスがより病気の進行を速めたのだろう。一国のトップは通常の人の10倍以上のストレスが在るという。豪胆で図太いか、逆に憶病ながら狡い性格でないと長期間は務まらないという。カストロ、プーチンや吉田茂、佐藤栄作は前者で、安倍君は後者だろう。そのストレスは半分は自分に原因があり、残りの原因は周りの人間や環境に在るという。安倍首相のケースもそうに違いない。

 評価は色々あろう、長い事お疲れさまでしたという声は掛けたいと思う。しかしそれだけの不治の病を抱えていて歴代最長の記録を達成するまで意地張って在職した、というのも何だかミミッチイ奴だなあ…とも思うのは筆者だけだろうか?其処まで問題だらけの仕事ぶりを続けて最長在職記録を取りたいのだろうか?本末転倒だろうと思う。

 広島の河井克幸・安里議員の選挙違反問題、モリ・カケ・サクラの疑惑、それに関連して自殺した財務省職員の問題、埒の開かない拉致問題・・など、これらのトラブルのどれかで責任を取らざるを得なくなる前に「病気」を理由に辞任して晩節を汚さない方法を取った・・。などズルいという見方もあるようだ。しかし、実のところは病気の悪化と更なるより悪い状態へのバージョン進行が発見されたからの緊急判断ではなかろうか?あまり酷くないことを祈る。

 しかし、そもそも日本においてはメディアの報道自体が不正確極まりないし、政府記者会見も、すべてが出来レース(事前に質問と答えが決まっている)と世界のジャーナリズムから最低視されている日本の報道だもの、今の日本の政治の情報など何が本当で何が嘘なのか全く判らない。


 で、シリーズで投稿している肥薩線復旧問題。筆者が知っている2010年以来の10年間の肥薩線の画像を振り返りながら、「こういうのが在ったら・・」「こういうのは何故無いのだろう?」と言うあたりを画像中心で述べてみたい。その後、箇条書きで肥薩線が復旧するための条件や今後の方向性に関する「利用者ながら、よそ者」のアイディアをこのブログでアピールしてみたい。

 同時に、マーケティング的に肥薩線が沿って走っている球磨川と言う川の存在意義と、そのマーケティング的利用のされ方に関して述べておきたい。

 筆者が東京都心で日常的にコンデジカメラを持って徘徊しているさなか、最近秋葉原で面白いモノを得て来た。「ちゃばら・日本百貨店食品館」という全国の地方の食品産業物パイロットショップで見つけた四国の四万十川のPRコーナーだった。

秋葉原のJR高架下に存在する。来店者は意外に多い。



四万十川ブランドに対して、熊本県南のコーナーはこれだけ「主張力・PR力」の差。

 何かにつけ球磨川と比較される四万十川(渡川)は3市7町1村をまたがって流れている四国の一級河川で「清流」という事で名が通っているが、国の定める水質においては川辺川・球磨川をはるかに下回る。同じ四国でも仁淀川の方が水質は良い。

 しかし、その名の通り方、清流としての知名度は圧倒的に球磨川を凌いでいる。マーケティングに関しても天然アユ・青海苔など産物もはるかに四万十川産が有名だ、何故だろう? その答えは簡単だ、球磨川流域のPRが下手だから。



 多分、アユと言えば人吉でも八代でも「オラが街の産物・産業」だと思っているだろう。球磨川漁協は人吉も八代もない、上流下流で皆漁師が一致協力して稚鮎を育て上流に運搬して放流して「球磨川の天然アユ」を商品化している。

 しかし、球磨川に関しての各流域自治体のPRはバラバラだ。それぞれが球磨川は自分のモノだと思っているくせにPRを十分行っていない。これって富士山に似ている。富士山と言えば俺の県のものだと言い張る静岡県・山梨県、時には神奈川県。 

 この富士山、登山者から見れば圧倒的に「山梨県」のものだ。山梨県側からの登山者17万人に比べ静岡県側からの登山者は6万人強なのだ。一方東海道新幹線の車窓からの眺めにしても江戸時代の浮世絵にしても清水次郎長映画にしても「観る」には静岡県側だ。理由は簡単、山梨県側から見る富士山は朝晩を除きいつも南向きなので逆光なのだ。

 それぞれの県が「おらほの山だべ」と勝手に主張している。球磨川も四万十川に比べるとその傾向が強いと筆者は思う。

 このあたりに、肥薩線の復旧に関するヒントが幾つか隠れているような気がする。ただ早く復旧してほしい・・ではなく「何故?無いと困るのか?」を明確にJR九州へプレゼンテーション出来なければ肥薩線は復旧しないだろう。筆者はそう見ている。

2020年8月29日土曜日

Gallery A⁴ (=ギャラリー・エークワッド)の写真展が面白い! The photo event at Gallery A⁴ is very good!

  先日、地下鉄東西線の東陽町にある竹中工務店のギャラリー・エー・クワッド(= Gallery A⁴ )で現在行われている写真展を観に行った。 


 ギャラリー・エー・クワッド(= Gallery A⁴ )とは、竹中工務店の関連CSR事業の公共財団法人で、色々ユニークで面白いイベントを実施していると聞いて行ってみたが、驚かされた。なかなか知恵を使った展開で得るところが多かった。

 要は、写ルンです!という富士フィルムのレンズ付きフィルム(バカチョン・カメラ=馬鹿でもチョンと押せばだれでも写るの意)を1台駆使して、アマチュアに自由に東京中心のテーマに答えた写真を撮りまくってもらうと言うモノだ。建物カットを必ず1件入れる事という条件が最低限竹中工務店がやっているという事のアイデンティティだった。

 実は、筆者はその昔1996年頃、大手広告代理店勤務中、北海道でスノーボードのワールドカップを企画・演出・運営した事が有ったのだが、その際海外から来た世界のトップ・プロ選手たちにこの「写ルンです!」を渡し、好き勝手に撮影して欲しい。プリントした画像はあとで差し上げる!とやったのだ。外人たちが日本のスノーサイトで一体何に興味を示すのかを知りたかったのだ。

 これがとんでもない事に成った。あとでまとめて現像に出したら、当時の世界のトッププロ選手、特に女子選手たちの素っ裸の写真などが写っていて大変なことになってしまったのだ。
 ヨーロッパの選手たちの自由度・騒ぎ方は半端じゃなかった。名立たる金髪のトップ選手が3人並んで素っ裸でこち向いてラインダンスをしていたり、温泉大浴場で選手たちが湯船から顔だけ出して8名並んでいたり、中にはトイレの便器に座っている恥ずかしい写真など、とても世に出せるものではなかった。それらだけで写真展を行ったら物凄い事に成っただろうと思う。もう時効だから話だけ公表しようと思う。

 話が横道へそれてしまったが、だからこそ同じレンズ付きフィルムで似たようなことをやっている竹中工務店さんに非常に身近なものを感じたのだ。もちろん竹中工務店はまじめに写真文化と人それぞれの「モノの見方」を調査するなど、隠れた狙いがあるのは判っているが、実際に撮って貼り付けてある画像を見ると、撮影者が見えてきて面白い。

 しかし、残念ながらスノーボードの時とは違い「意外性」に関してはいささか期待外れだった。夫婦二人で一緒に撮りまわったらしいモノ、頼まれたから仕方なく撮ったような視点がまるで分らないもの・・・など。
 
 ただプロの写真家さんが渋谷でドブネズミを追いかけまわしたシリーズは気合が入っていた。インスタント系のカメラなので夜のストロボの発光範囲は狭い!それを逆にうまく活用し良い雰囲気が出ていた。しかも撮影は一晩では出来ないだろう、しっかりと撮影されたようで頭が下がった。

 一方で東京を表現するのに、東京でうごめく人間を通して表現した人が一人しか見当たらなかった。もう少しいろんな職業の人やバイトや渋谷を闊歩する目立ちたがり屋のファッションなどを前面に出した人がいないだろうかと思ったが見当たらなかった。ダメじゃん?

 しかしこのシリーズ企画はとても興味がわいた。面白い!是非行って観るべきだと思う。

行った日にすぐFacebookで投稿し情報拡散した。

此処がそのスペース。


数千枚の写真を見て回るのは腰が悪い人は救急車を呼ぶことに成るかも?

一番気に成ったのがこの作品だった。実際自分で撮ってごらん?多変だよ。

 で、過去のシリーズ展のパンフがまた面白い。大変勉強になった。

テーマの切り方がタイムリー。

江戸~東京の名残のありそうなエリア中心に・・。


東日本大震災にもきちんと目を向けている。

 今回、事務局の深澤さんに大変お世話に成り、無理をお願いして過去のパンフ資料などを分けて頂いた。企業のCSR活動としては頭が下がるものだと思うし、撮影、特にスナップを心掛ける人にとっては素晴らしいイベントだと思った。感謝。

2020年8月28日金曜日

緊急投稿!球磨川沿いの肥薩線の復旧を考える。その3.  Consider restoration of the Hisatsu Line along the Kuma River. Vol 3.

  1日前の地元地方紙の報道でもう川辺川ダムの再建設が出来レースのように始まってしまったように見えたため、このブログで悲観的にレポートしたが、少し早とちりだったかもしれない。

 川辺川ダムがもし出来てしまったら、ダムの影響で日本一の清流川辺川・球磨川の自然が失われてしまい、後世の子孫たちに顔向けできないと長年頑張って反対運動をして来られた方々が取材に声を上げた!と今日の同じ地方紙に出ている。満更捨てたものではないようだ。

                      熊日新聞より

 これが一時のバランス報道記事で無い事を祈るばかりだ。熊本県内にかかわらず、九州圏内あるいは全国で河川の豪雨災害、洪水災害回避への良きアイディアをお持ちの方々は是非知恵を出し合って100年先、200年先の球磨川沿いで生きていくための方向性に協力して頂ければと思う。

 今までの所、筆者は「治水」などという江戸時代以来の洪水防止策をダム建設や堤防積み上げなど人力で防ぐのは地球環境・気象が大きく変わりつつあるので物理的にもう無理だと思っている。別の方法を考える時期に差し掛かっているような気がしてしょうがない。

 したがって自然環境による川の変化と共存する意味で高台へ住み替えるか、洪水覚悟でどうしてもそこに住むと言うのであれば、洪水災害受けても補償は求めませんという誓約書を役所と交わした上で、過去の洪水水位データを参考にしながら3~4階建てあるいは相当な高床式にして、洪水を凌ぎ命を守る生き方に変えるしかないと思っている。

 何のデータ根拠も専門家の分析もないまま、「ほーら、言わんこっちゃない川辺川ダムさえできていれば今回の洪水は起きなかった」などという動きを冷静に見極められる流域住民(被害者であっても)の意識レベルの高さに敬意を表したい。メディアもこの先もずーっと公平であってほしい。

 一方で肝心の肥薩線だが、実は奇しくも洪水災害1か月前にJR九州のTOPが赤字路線の肥薩線を何とかせんばいかん・・とコメントを出していた。それにこの豪雨災害だ。さぞ頭の痛い事だろうと心中をお察しする。九州管内で悪い方から二番目に大赤字の肥薩線だもの、廃線にしても本来は誰も文句を言えない。が、実はこの問題を解決するのはJR九州ではない。

 本来中心的に解決しなければいけないのは人吉市~球磨村など沿線住民、並びに肥薩線でやってくる観光客をあて込んでいる観光ビジネス関係者たちなのではないだろうか?


                            熊日新聞より。

 鉄道を捨て、車に頼り切っている人々に自分たちの車依存生活をちっとも改善しないでおいて「肥薩線の復旧を何とかして欲しい」と声高に言う権利はない。皆で乗り合う訳でもなく、たった一人の移動にさえ便利な車を駆使し、ガソリンを食って排ガスを出しながら、一方で「自然を大切に・・・」だの「肥薩線を是非復旧させて・・・」など唱えないで欲しい。

 筆者はこの肥薩線の復旧問題の根幹は、利用の恩恵を被る沿線地域住民の今後の具体的な行動に存在するものだと思っている。

 まずは、肥薩線の存在をJR九州が如何に苦労して今まで保持してきたかをデータで示していきたい。

八代市の人口約15万人に対し、八代駅・新八代駅の乗降客数が4千人/1日程度しかない事自体、このエリアの鉄道の存在が危ぶまれてもおかしくない状況だろう。 JR九州データ。

1日の乗降客数が1~200人レベルの「鉄道駅」の存在は普通では考えられない。
                             JR九州データ。

2018年に既に管内二番目の赤字路線になっている。 JR九州データ。



                       熊日新聞より。

 この記事は今回の球磨川豪雨災害の起こる約1か月前の記事。肥薩線・八代ー人吉間が九州管内で二番目に大きな赤字を生み出す「お荷物路線」だと報じている。これを何もせず無条件で「復旧させろ」というのはあまりな話だと思う。地元は具体的な知恵と行動が必要だろう。

2020年8月27日木曜日

野川でカワセミの幼鳥ガンバル! The young Kingfisher acting well in Nogawa !

  昨日のこのブログは色々な方から励ましや同意のご連絡を頂いた。国立大学の名誉教授の方やその他大学教授の方々からも投稿を頂いた。まことに恐縮している。日本中で注視していることが良く判る。

 肥薩線復旧に関する考え方に関しては、中1日で資料を精査中。今のままではJR九州のビジネス的に廃線を免れないが、復旧するほうが人吉球磨に関して良い・・という点に集中して述べてみたい。ただし地元生活者たちの「やらねばならない行動条件」付きであることは間違いない。

 で、今日はいつもの野鳥ブログの本筋に戻り、地元野川でのカワセミ幼鳥の奮闘ぶりを収録したので、レポートしてみたい。

 水辺の宝石ともいわれるカワセミだが、幼鳥の頃は色がくすんであまり綺麗とは言い難い。特に胸は朱色~オレンジ色ではなく墨で汚れたような色をしている。

 この8月も終盤にはいってまだくすんだ色をしている所を見ると、二番子(二度目の繁殖の子)なのかも知れない。

 イッチョ前に採餌なんかして小さなものを咥えていたようだ。対岸ではちゃんと親鳥が付かづ離れず様子を見守っていた。

カルガモ軍団に相対するカワセミの幼鳥。


野鳥は自分より高い位置にいるものには非常に警戒する。

ジーッと水面を視ていたが・・・。

ダイブのスピードは極めて速かった。

本当に小さな獲物らしきものを咥えていた、目は瞬膜で覆われて白目。

対岸でジーッと様子を見ていた親鳥が幼鳥の後を追って去って行った。

2020年8月26日水曜日

緊急投稿!球磨川沿いの肥薩線の復旧を考える。その2.  Consider restoration of the Hisatsu Line along the Kuma River. Vol 2.

  今朝の熊本県地元の地方紙の報道によると、残念ながら熊本県は今回の球磨川洪水であまりのショックを受けたのか、あるいは千載一遇のチャンスと建設関係者が思ったのか、川辺川ダムを建設する方向へ進みだしてしまったようだ。「治水」が出来るなどという人間の思い上がった自然への甘い考えを叩きのめす今回の球磨川豪雨災害なのに、地元地方紙の論調は既に建設しないという選択肢は無いやろう・・という感じで報道を始めている。

勿論国交省はダム建設推進本体だもの、この数値は危機感を煽りつつ川辺川ダムさえあればの方向へ話を持って行こうとするお手盛りのあくまで『推計』実際の事実ではない。きちんとしたデータが研究機関の専門家たちからいずれ出てくるだろう。日本中の河川の専門家たちがこれをどのようにとらえるか?今一度新潟大学の名誉教授大熊 孝氏のデータと推論をご覧いただきたい。

 全国の著名な専門家がダムの一つや二つ造っても今回の豪雨災害は防げる訳がなかったと報告しているにもかかわらず、自然を破壊してダムを造り「治水」が出来るなどと本気で考えているのか?と全国民が熊本県を注視している。わずか二か月しかたっていないにもかかわらず、データや現場事実を把握・検討しないまま、早くももうダム建設の方向へ走り出してしまったのだろうか?普通はデータ分析・被害状況を精査した上1年は掛かるだろう調査なのに・・。

 県南の災害に対して、建設業者は県北・熊本市周辺に集中していて今回の災害を受けていないから人吉球磨の被害は他人事だろう。同時に工事が始まれば人吉市内の宿泊施設は数年間満杯になるだろうから、コロナ・水害で落ち込んだ経済復興に地元では歓迎の声が出るに決まっている。

 こうして地元の論理で事が動き出してしまうのだろう。人吉球磨の「自然」を守ろうという気概のある動きが生まれるか否か?残念ながら望みは非常に薄い。熊本県人の行動が全国から注視される時がしばらく続くだろう。

 特に「川辺川ダムを造るに賛成か反対か?」の二者択一で迫り、ダム賛成派Vsダム反対派に色分けして他の考え方や意見を抹殺する公平性を欠く地元新聞メディアや有力者(声のデカい者たち)に対抗する心ある熊本県民がどれだけいるか、今や全国民が熊本県人を注視している。


 ため息の出るような地元の動きはさておいて、話を肥薩線に戻そう。


 昨日の投稿に随分アクセスを頂いた。それだけ肥薩線の復旧に注目が集まっているのだろうと感じた。1975年以前の国鉄時代であれば「親方日の丸」で国の方策として交通インフラは「施して当たり前」だったろう。肥薩線があったればこそ、その沿線の駅周辺に集落が出来たのだろうし、移り住んでくる人たちが居たのだろう。

 しかし、国鉄が民営化された昭和50年以降、車の普及に反比例するように鉄路の世界は大きく変わり全国各地で鉄道の廃線化が進んだ。モータリゼーションの影響であっという間にアメリカ並みの車文化に成った日本。

 全国の主だった都市は旧中心部の繁華街が郊外バイパス沿いの駐車場付き大型店舗に車で動く客を奪われ、閑古鳥が鳴いてシャッター通りがどんどん増えていった。

 両サイドに鉄道の駅、もしくはバス停が無いアーケードは現在ほとんどシャッター・アーケードに成ってしまっている。八代市の本町通り(1丁目~3丁目)が良い例だ。熊本市の下通・上通は通町筋・新市街の両サイドに市電の停留所があるからまだ活気づいている。

 このように全国の地方においては車社会がどんどん進む中、「一家に一台」と夢のようだった話が、1975年(昭和50年)を過ぎてあっという間に「一人に一台」の時代になってしまい、肥薩線などもうほとんど見向きもされなくなったのがここ20年前くらいからだろうか?

 こういった状況をネットで集められる限りの統計データを元に、如何に肥薩線がJR九州のお荷物路線に成ってしまっているかを認識してみようと思う。まずは如何に車社会が進んだかのデータを調べてみた。熊本県も全国の流れに準じていると言って良い。






熊本市の公共交通の利用頻度の減少傾向を表すグラフ。八代市~人吉市のデータなどある訳がないが、熊本県全体の傾向はこのグラフから見てとれるだろう。

 肥薩線自体の経営状態が如何に酷いかは次回以降。

2020年8月25日火曜日

緊急投稿!球磨川沿いの肥薩線の復旧を考える。その1.  Consider restoration of the Hisatsu Line along the Kuma River. Vol 1.

  小学校の時から鉄道ファンだった筆者は、今回球磨川豪雨災害によって寸断された球磨川沿いを走る肥薩線の普及に当たり、7月4日以来今日まで色々な事を考えて来た。

 単なる鉄道ファンだから考えるのではなく、筆者自身がこの肥薩線が結び、現在不通区間に成っている人吉市と八代市の2つの都市に大いに関係があるからだ。地元意識の強い御仁は、またまたよそ者がデカい面をして・・と訝しがるだろうが、こと肥薩線に関しては一歩も譲るつもりはない。

 なぜこれ程肥薩線に関しての思い入れや意見が筆者にあるのか、今までの関わり具合をまずこのシリーズの第1回で説明しておこうと思う。筆者がああだこうだ、しゃしゃり出て言う理由を少しでも理解いただければ嬉しい。

 筆者は小学校6年生の秋、昭和35年10月8日に当時の小倉市(現北九州市小倉北区)から十条製紙勤務の父親の転勤により八代市福正元町の社宅へ引っ越してきた。この十条製紙の社宅からは夜間八代駅構内での入れ替え作業の蒸気機関車や貨車の音が間近にはっきりと聞こえて来るという環境だった。特に真冬の空気が澄んだ頃は寝床に入ってからも聞こえた。

 太田郷小学校を卒業した後、隣の八代市立二中に進んで、かのSLで有名な小沢利満先生の勧めで学校の鉄道クラブと鉄道友の会に入ったのだ。白ダンボール紙で鉄道模型HOゲージの車両制作に没頭したのもこの頃。

※小沢利満先生= https://www.asahi.com/articles/ASJ1V7DL4J1VTLVB01Z.html

2003年4月八代二中時代の同期中川氏と小沢先生宅を訪問42年振りに再会。右筆者。

 同時にドイツ製の蛇腹のカメラ(カール・ツァイス製スーパーイコンタ)で八代駅中心に蒸気機関車の写真を撮りまくった。その中に肥薩線の列車も多々あったし、その後現在に至るまで肥薩線の列車を幾度も撮影しこのブログ(過去ログ参照)で発表している。

 今日のこのブログの鉄道画像(13歳時撮影)はすべてこのドイツ製スーパーイコンタで撮影。当時の小遣いで買えるブローニーフィルム(大判の紙ロール式)は1か月に1個だけだったので撮影数は少ない。


特急はやぶさの出発は豪快そのものだった。これは下り西鹿児島行き。1962年8月撮影

門司港行きの上り鈍行普通列車126レ。牽引するのはSL人吉号と同型86式。なんとこの頃は1606発大阪行き236レという八代始発の普通列車が存在している。 1962年8月撮影

主に特急はやぶさはC61 が牽引していた。1962年8月撮影

上りと下りの特急はやぶさは毎日14時半頃八代駅ですれ違う。熊本式に言えば離合?


当時の肥薩線デーゼルカー、キハ10系車両。以上いずれも中学校1年生時の画像。まだこの時代は肥薩線で人吉という所へは行った事が無かった。今思えばとても不思議な話だ。

機関庫のC57とD51 八代駅は結構しっかりとした機関庫だった。1962年8月撮影

86の上にいるのは我が弟。当時夏休み中は毎日入り浸っていたので顔パスで駅構内へ。

 その後50年以上経っても・・・。

 2017年3月に特急かわせみやませみ号が運行開始した際は、そのJR九州のプロジェクトをほんの一部だがお手伝いもした。自分がライフワークとして生態研究している人吉市のヤマセミの生態画像と、撮影中副産物として撮れたカワセミの写真を合わせ、オープンの際に球磨川に生息する素晴らしい野鳥ヤマセミとカワセミのミニ写真集を5000冊自費出版した。更にそれをJR九州から運行開始の頃の乗客の皆さんに無償で配って頂くほどの入れ込みをした。それがこれ。

ヤマセミとカワセミを同時に観られる球磨川の自然は凄い!をPRする小冊子。

このページの球磨川下りのパンフは神田の古本屋で見つけたもので、人吉市の方を通じて球磨川下り株式会社へ進呈したが今回の洪水で無くなってしまったと思われる。

 少なくとも筆者は地元沿線ぞいに住んではいないが、誰よりも球磨川と肥薩線への思いは深いと自負している。だからこそ、肥薩線復旧に向けていろいろ思う所があるのだ。