2016年8月31日水曜日

日本の国鳥「キジ」の生態を観てみよう! Let's watch ecology of the national bird of Japan "pheasant" !

 熊本県の球磨川上流、人吉市の郊外に日本でただ1軒「キジ料理専門店」が在る。人吉市木地屋町に在る「きじや」というキジ屋なのだから徹底している。
 2~3代前の経営者が野生のキジを養殖成功させ、定期的に安定してキジ肉を供給できるようにして成功させたという。

 野生のキジも放鳥により繁殖を活性化させたため、春先は田んぼに100m置きくらいに野生のキジが居る。撮影する方はもう大助かりだ!

 頭を低くして、田んぼのあぜ道を行くキジ。ユーモアあふれる動きで、時折シャッターを押す指が震える。本人は隠れているつもりなのだろうが、丸見えだったりする。そのくせ大胆にも見晴らしの良い所に登っては胸を張って大声で鳴いたりする。

 やはり、この綺麗で大きな野鳥を観るには動物園ではなく、自然の野原で観るのが最高だと思う。思いの外良く飛ぶし、球磨川を超えて飛んで行ったりもする。川幅200m在る場所でも平気で飛んでいく。
 勿論飛び出すのは川の堤防土手の最上部で、降りるのは河原の部分だ。最初勢いよく上昇し、あとの半分は滑空するような感じが多いようだ。

 今日の画像は、まず見晴らしの良い所に出てきたキジの生態。普通は周りに身を隠せる場所を確保して、いつでも逃げ込めるようにするのだが、慣れてくると大胆な行動を取ったりする。

 
土手の上を平気で歩くキジ。初めて生で見ると感動する事間違いない。

ゴージャスなカラーリングだし、胸を張って意外に凛々しい。

切り倒されたタチヤナギの切り株で、非難するような眼でこちらを睨む。

ケーン、ケーンなどとは程遠い「ガオッ、ゲオッ!」と言うような喉を壊しそうな濁った鳴き声だ。

春先はこうしたレンゲ畑に見え隠れしながら移動する。非常に絵に成る綺麗な時期と言って良い。




2016年8月30日火曜日

台風10号に乗ってエナガが住宅街に! Long-tailed Tit came town area with strong typhoon #10.

 史上初の東北地方初上陸の台風10号!リンゴは落ちるは川は氾濫するはで、大きな慣れない被害が続出中。関東エリアは台風の西側に当たったためさほど大きな被害はなかった模様。

 研究所から戻っていつもの通り走ったら住宅街で聴きなれない鳥の声。良く見たらエナガの小群だった。電信柱にエナガとは珍しい。コンパクトデジカメなので撮り難かったが、証拠画像を確保。明日になって晴れたらまたほかにも飛ばされてきた迷鳥や珍鳥が居るかもしれない。

 
電柱の変圧器に三羽のエナガ!

住宅街の電線にエナガ!

ノウゼンカズラにエナガ!花鳥図みたいな佇まい。

こちらも日本画的に庭木にエナガ。

余程ノウゼンカズラがお気に入りなのか10分ほどここにいた。




2016年8月29日月曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝・番外編」  なぜ男は60歳を超えると人の話を聞かなくなるのか?

 十年以上前に英国の作家夫婦が出したベストセラー本に「話を聞かない男、地図を読めない女」というのがあった。
読んでみると大体次のような興味深い内容が含まれていた。

1998年、イギリスで上下が逆の地図を作ったところ、15000人以上の女性とひとにぎりの男性から反応があった。女性は地図と実際の方向をいっしょにしたがるから、この上下逆の地図に価値を見いだした。これにより空間能力が必要な職業では男性が多く、英国航空ではパイロットの98%が、建築家協会の建築家の98%が、ビリヤード選手の87%が男性などの具体的事実も判明した。
●女性は網膜が男性より優れており、色などもより繊細に識別できる。網膜にある錘状体という細胞はX染色体をもとにしているが、女性はX染色体を2本持っているのでそうなっている。
●女性は1日平均60008000語の単語を話すが、男性は20004000語にすぎない。
●さらに、アイオワ州立大学の調査では4歳にしてこの男女差は顕著ということがわかった。100万人以上の脳をスキャンした結果。
そうしてこれらは「男女同権、男女均等雇用法、男女差別をなくそう」といった権利の平等を進める事とは別に、明らかに男女間には異なる特質がある事実を証明した点で、全世界で大いに共感を得たものだった。


 この「話を聞かない男、地図を読めない女」に出ている男に関する話で非常に面白いものがあった。人の話を聞こうとしない男は、歳を重ねるとよけい人の話を聞かずに己の自己主張を始めるという。
 これの一番良い見本が、NHKの「日曜討論」だろうか?各政党の論客がワイワイガヤガヤ喧々囂々意見をぶつけ合っているが、やはり自分の意見を通そうと、発言中の者が居ようが居まいが、相手にかぶせて自分の意見を述べ始める。特に共産党の論客にこの手が多いと聞くが、男性に限らず何処かの大学の韓国人の女性政治学者なども似たようなもので皆から嫌われている。NHKの司会者に何度も注意を受けても直そうとしない札付きだ。視ていると結局嫌われて番組自体への出演機会が減るし、司会から発言を許されることも少なめになっている。

 しかし、嫌われようが何しようが自分の意見を述べ相手を論破したい、説き伏せたいと思うのだろう。しかしそうすることにより、相手により嫌がられ、飽きられ、見限られることが判らないのか、この手の性格はなかなか変わらないようだ。ネット上でも総攻撃を受けているのが見て取れる。

 テレビやマスコミで己の姿や発言内容を拡散してナンボという政治家だけではなく、日ごろ普通に生活している歳を重ねた男にもまったく同じ傾向が現れるのだという。
昔は町に一人や二人名物の「頑固爺=ガンコじじい」という町のご隠居さんが居たものだ。普通の人が面倒くさがって注意しない細かい社会のルール違反、道徳違反、共同生活のおきて破りを諫め戒める。こういう頑固一徹の人格者が居なくなって久しい。しかし、「話を聞かない男」というのはこの事ではない。

 日ごろ、仕事の上で人に頭を下げることに慣れている職種、経験者でも、この傾向は出てしまうという。まず相手の言わんとする話を聞こうとせず、発言を遮り、己の言いたいことを言いはじめ、挙句の果てに講釈を垂れ始める。其の講釈で相手を説得しないと気が済まないのだろう。往々にして一連の自分の言いたい喋りを終えないと相手の話を聞こうとしなくなるという事だ。

普段そうでないある種の特権者や、先生と呼ばれる一定のジャンルに詳しいタイプの人間は余計顕著に上から目線でのモノ言いも加わって、この傾向が出るという。
これでは相手も嫌気がさし、近づこうとせず、敬遠するようになるだろう。挙句の果てに離れていくに違いない。何故かこうなってしまう人間は残念ながら己の拙さに自分自身気が付かない。だから己を恥じて反省し謝ることはまずない。

自戒の念を含めて、この本をもう一度読み返すことにした。


2016年8月28日日曜日

人吉のハヤブサは撮影者の真上を回った! The falcon of the Hitoyoshi flies around above us !

  週末2日間の「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝#17・#18」は如何だったろう?既に、同時期ウインドサーフィンを始めた方々からメールも頂いた。沖縄の方からもメールを頂き、その頃の画像が何処何処のサイトに沢山有るよとご教授頂いたのには大変有り難かった。

 再開したピザハウスの件は、那覇にお住まいの方も知らなかったらしく、逆に感謝されてしまった。ネット・ブログには思いもよらぬ効果があると判り、驚かされもした。

 週末土日も終わり、月曜日を迎える今、大型の台風10号が迫りつつある関東エリアは、その対策・予定調整で忙しい。…という訳で、今日は複雑な説明のいらないハヤブサの飛翔画像。

 関東平野に比べ、人吉盆地ではハヤブサに遭遇する事は比較的多い。この時のハヤブサは明らかにこちらを意識していたのだろう、上空を円を描きながら3周して崖の上へと消えて行った。


大きな目は間違いなくこちらを意識していた。



完全逆光なのだが、しっかりと旋回しながら目はこちらを見据えていた。

この調子でグルグル回られた。


2016年8月27日土曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝#18」 1981頃の沖縄は今よりずーっとアメリカだった! In 1981 Okinawa was in much more American style culture.

 上野のアメ横に在る中田商店ではないが、1981年ウインドサーフィン・沖縄ワールドが開催された頃、沖縄は今よりはるかにアメリカ・アメリカしていた。
 そう頻繁に一般人がまだハワイを含むアメリカへ行かなかった時代なので、片岡義男のハワイやアメリカ文化満載の文庫本を読んで、頭の中をアメリカ文化・想像キノコで満たすのが精一杯だったのかもしれない。

 1974年頃の「アメリカン・グラフィティ」その5年後の「ビッグ・ウエンズデ―」でアメリカン・オールディズを見直し、20歳代30歳代の頭の中をリトル・エバのロコモーションが流れるような感じで沖縄を観ていた、あるいは味わっていたのがちょうど此の頃の筆者だった。


音楽シーンでは勿論イーグルス、フリート・ウッドマック、ドゥービー・ブラザース、ジャクソン・ブラウンなどのウエストコースト・サウンドやヘビメタ・ロックなどがヒットチャートの常連だったが、沖縄はどちらかと言うと映画の影響を多分に受けた古き良き時代のアメリカの文化風俗がまだ残っていたと言って良い。

 もちろんこれは筆者が当時幾度も沖縄へ行っての感想だから、また違う感じをお持ちの方も居よう。

 此の頃はまだ筆者も車の免許を取っておらず、那覇空港からは大会会場の名護・沖縄海中公園へバスで移動していた。殆ど当時の沖縄の主動脈・国道58号線を走るのだ。
 その後1984年頃になって初めてスタッフの借りたレンタカーなどで名護から宜野湾、浦添辺りまで美味しいディナーを食べに出かけるようになったが、国道58号線沿いの有名なお店は、東京からの行き帰り時のみにしか立ち寄れなかった。

 まず那覇空港から長い下り坂を下りて那覇市内に入ると右手に沖配ビル(旧沖縄配電5社共同ビル)が在った。此処に沖縄ワールド開催に関する沖縄行政の中心が在った。確か(財)沖縄県観光開発公社と言う名で、現在の(財)沖縄観光コンベンションビューローが在った。
(財)沖縄県観光開発公社の入っていた旧沖配ビル Googleフリー画像

 此処の自動販売機でハイトーンだのロンだのヴァイオレットだの見かけない珍しい銘柄が沢山在った。勿論お土産に沢山買い込んで持ち帰ったが、「また買って来て!」と言われた事は一度も無かった。
今はもう販売されていないようだ。

こちらはまだ販売されているようだ。

この沖配ビルの(財)沖縄県観光開発公社で面白い事を聞いた。壁に黒っぽい同じ様なコートがたくさん並んでいたので、「沖縄でこんなコートを着るほど寒くなるんですか?」と尋ねた事が有る。そうしたら「あー、それは内地への出張用です。」と明るい声が返って来た。東京などへ出張するメンバーがその時だけ借りて出張に行くとの事。勿論沖縄でそんなものは不要だとの事。

 それから、当時の沖縄で貴重なモノはお米だった。ササニシキ、コシヒカリなどのブランド米はお土産に持って行くと大層喜ばれたのが此の頃だ。今は流通が完備し、当時のつもりで持って行ったりすると「どーしたの?」と言われかねないので要注意だ。

 沖配ビルを過ぎて、58号線を北上すると、左側に洒落たスペイン風、あるいはメキシコ風の白い建物が見えてくる。これがピザハウスだ。長い事大人気で有名だったのだが、6年前から移転の為に閉店していたようだった。しかしつい最近再開したようで喜ばしい。
旧ピザハウス外観

旧ピザハウス店内
新本店オープンの新聞記事

2004年頃、高校の同級生の宮城君に連れて行ってもらったのが最後だったが、またあのお店の雰囲気を味わえるとは嬉しい限りだ。とにかく当時も、「これが外国だ、これこそ日本の非日常だ!」と感動するインテリア、重厚さ、店内の暗さ。勿論ピザも本物だが、一番嬉しかったのはキノコのソテーだった。
 ここへ来るまで、キノコをこんなに山盛りで食べたことは無かった。いくら日本の洋食が外国並みになったとしても、こういうメニューは余程の所でも未だに無いだろう。

 一度都心の高級ホテルでパワー・ブレックファーストとか言って、朝食を摂りながら会議をするという場に招集された事が有って、ビュッフェ方式だったので大きな皿を持って順番に取り始めたところ、キノコのソテーの山盛りが眼に入った。「これだっ!これこそ沖縄のピザハウスのキノコソテーだ!」と思った事が有ったがそれ以上のレストランではお目に掛かった事がない。勿論数少ない外食での経験ではある事を申し上げて置きたい。

 これ以外にも浦添のブルーシールアイスクリームの傍に「ハナンドウズ」というステーキ&シーフード店があって、わらじの様に大きなステーキとロブスターのセットなどを頂いた。もう今は既にそのお店も無いが、お客も米軍関係者や家族が多く、日本人の客はまれだったようで、メニューも英語のしか置いてなかったように思う。今となっては懐かしい限りだ。

 その先嘉手納基地の北西のはずれで国道58号線は大きな円を描くロータリーを超えて名護に向かう。これは嘉手納ロータリーと言って英国に多いランナバウトというサークル状の交差点だった。回って行くので交差しないから交差点と言うのはおかしいかもしれない。
戦争直後の嘉手納ロータリー、たぶん右が那覇方面左が名護方面

 現在の嘉手納ロータリー、上が那覇方面 航空写真などで観ると今でもその痕跡は感じ取ることが出来る。

 最後にちょっと色っぽい話を・・・・。

 前にもこのブログで書いたが、その沖配ビルから東の方向を観ると広い水溜りの入り江の様なものが見えた。最初に観た時は、一面水で覆われていたが、会議が終わってホテルに戻ろうとしたら、すっかり干上がって真ん中を川が流れていて、ほとんどが干潟になっていた。そこで「アソコは何ですか?」と訊いたら明るい声で「マンコですね!」と返って来た。

 「えっ?」と出口へ向かった東京からのスタッフ全員の足が止まったのは言うまでもない。非日常の聴きなれない日本語が大きく聴こえたので当然だった。
 其処で始まった久しぶりの国語授業。マンコとは女性の恥ずかしい部分を指す隠語で、そう大きな声で叫ばれると、普通男性は体が凍るものなのです。という説明をした。では、沖縄ではそれを何と言うのですか?と聞いたら顔を赤らめながら小さい声で「ホウミと言います」と言うではないか。全員で「そうかあ、ホウミねえ!」と声を上げた瞬間、(財)沖縄県観光開発公社の室内の眼と言う眼がこちらを注視していたのだった。

あれから30年、2010年に訪れた沖縄の漫湖は野鳥水鳥の宝庫だった。

 

2016年8月26日金曜日

「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝 #17」 ウインドサーフィンと広告代理店 A Windsurefing and Advertising company .

 1980年代に入ると、世界は大きく変わる事になった。この80年代に入り日本を含めた世界はベルリンの壁崩壊に象徴される東西冷戦時代の終焉、ビートルズのジョン・レノン暗殺、英王室チャールズとダイアナの婚礼、ハリウッド俳優ロナルド・レーガンの米大統領就任、ファミコンのヒット、CDの発明普及、バブル景気の始まり・・・など、今思うと情報インフラが旧態依然の状況下大きな動きが在った10年間だった。
我が家に35年以上飾られているニューズウィークの特集ポスター。

ジョン・レノン死亡記事英字新聞

個人的にも初めての広告代理店業界・銀座の中央宣興に入りウインドサーフィンと言うスポーツと出逢った重要な時期。ちょうどホイチョイプロダクションの人気連載漫画「気まぐれコンセプト」で話題を呼び、いわゆるカッコいい憧れの職種として巷でもてはやされていた広告代理店の実態を経験し始めた頃だと言って良い。
週刊ビッグコミック・スピリッツ連載の「気まぐれコンセプト」

 そうして、このウインドサーフィンという全く新しい、まだ知名度のないマリンスポーツがそれから5年も経たない1984年のロサンゼルス・オリンピックの競技種目に成るという急速な発展を遂げる事に成る。まさにその創成期から話題のニュースポーツへ発展する一番ホットな時期に、一番近い位置に居られたことはこの上ない幸運だと思っている。

 この事は、その後1990年頃から騒がれ始め、伝統的で閉鎖的な日本のスキー業界・団体で白い眼で蔑まれつつ爆発的に普及したスノーボードが、1998年長野オリンピックの正式種目に成るのと非常によく似ている。

 スノボの場合は早くから組織されていたメーカー群主体のプロ集団と、JOC傘下のスキー団体の争いのど真ん中で揉まれ、誰も経験した事のない嫌な思いもした。プロ集団からは個人名入りの怪文書を幾度も出され目の敵にもされた。しかしその双方の烏合の衆を外から見ることが出来、スポーツに携わる人種の人間性、徒党を組むと人間はどうなるかを観察できて面白くもあった。

 趣味をベースにしている野鳥愛好家団体とは異なり、頭の中に雪しか詰まっていない連中の名誉だの収入だのが関わる為だろうか、より激しく、より嫌らしい妬み、やっかみが強く、差別、陰謀、策略、下剋上が渦巻く世界だった。いずれ、このスキー・スノースポーツ業界の人種の笑える話はまとめてみたいと思っている。

 ウインドサーフィン、スノーボードいずれも横乗り系スポーツとして今までには無いジャンルを確立したが、もちろん自分でその種目を出来なければ何も言えない、言うべきではないという根本的理念から、乗れるように努力した。
 生まれついてのバランスの良さだったのか、ウインドサーフィンは乗った初日に沖へ行って戻れたし、スノーボードに至っては夜中の11時に暗いゲレンデで初めてスタッフに道具を借り、夜どうし一人で練習し、翌朝には黒い大きなゴミ袋を抱えてゲレンデの下の方まで捨てに行けた程だ。余程性に合っていたのだろう、コレばかりは両親のDNAに感謝するしかない。
1980年秋、31歳で筆者が生まれて初めてウインドサーフィンに乗った沖縄。

1990年、42歳で生まれて初めてスノーボードに乗った日の翌日、ルスツで。

こうした新しいジャンルのスポーツを扱うとなると、広告代理店というものはそれが将来「金に成るのか否か?」を早い段階で見極めようとする。しかし当時の中央宣興の社長は太っ腹だったのか、はたまた報知新聞やマリンスポーツ方面のメディア、人種、人材とのコネクションを他に先駆けて得ようとしたのか、非常に応援をしてくれた。

 そう大きな会社でもないのに、1981年の沖縄ワールドと言われた世界選手権大会のプロジェクトルームを社内に用意してくれて、ウインドサーフィンて何だ?面白そうだな?と寄ってくる社内の若手社員のたまり場になった。ホイチョイプロダクションの気まぐれコンセプトのネタになりそうな話が山ほど生まれたのもこの辺りの話だ。
中央宣興中心の沖縄ワールド、プロジェクトチームなど。営業・制作・マーケ。

 この沖縄ワールドのお陰で、生まれて初めて沖縄と言う場所に行けた。その後も計12回ほど沖縄を往復し、すっかり沖縄ファンになってしまった。まだ今のようなギスギスした沖縄ではなく、自然豊かな米軍風俗文化満載の魅惑の地だった印象が強い。贔屓にしているガレッジ・セールのゴリ君などまだ8歳・小学校2年生の頃だ。沖縄の何処かですれ違っていたかもしれない。安室奈美恵などまだ保育園に行くか否かの大昔の話。

 完全な沖縄方言でしゃべる人が沢山居た頃だ。幾度か泊めて頂いた名護の親切な知人宅で寝間着代わりに「着ていましょうネ!?」と沖縄風に言われ散々着続け、大会後その方から持って行きなさい、と言われ持ち帰った縞柄の浴衣が有るのだが、それが芭蕉布着物で非常に貴重で高価なモノだというのを知ったのは、つい数年前の事だった。
頂いた芭蕉布着物、洗い屋さんに出して綺麗にしたもの。

伝統的な縞柄。普段着ながら一生もの。

さっそく沖縄の風俗を調べて芭蕉布着物の価値を確認した。

琉球文化風俗は非常に興味深いものがある。

その貴重な着物を下さった名護の方はとうの昔に亡くなってしまったが、今になってその恩を返せない事を悔やんでいる。同時に沖縄と言えば現在政治的な動き、反戦活動、地元の方々と政治活動の外人部隊とのトラブルばかりメディアに載っているが、本当の沖縄の良さを少しも伝えないメディアには、ほとほと呆れるばかりだ。


2016年8月25日木曜日

こちらはクサシギ、英語だとグリーン・サンドパイパー。似た様なもんか? This is Green sandpiper, It looks like common sandpiper.

 昨日のイソシギのブログを視て、映画に「イソシギ」ってのが在ったのを初めて知ったという投稿があった。てっきり野鳥の映画だと思った方が1名。中年期に差し掛かったエリザベス・テーラーを観て改めてファンになったとか・・・。

 映画のテーマソングの「シャドウ・オブ・ユア・スマイル」を聴いて、そうかこの映画の主題歌だったのかと感激した方が1名。サントラはトランペットだったような気がするが筆者は個人的にアストラッド・ジルベルトのバージョンが一番耳に残っている。

 野鳥は野鳥だけにとどまらず、色々な想い出まで掘り起こしてくれるようだ。
クサシギはイソシギと似ているが、それもそのはず英名はクサシギがGreen Sandpiperで、イソシギがCommon Sandpiperだもの似ていると思うのは世界共通なのだろう。

 実際球磨川の河原でこの2種を見比べると、まず間違うことは無いと思うのだが、筆者は飛んでいるところを目撃する事が多いからだろう。尾羽で殆ど瞬時に見分けることが出来る。




水際を歩いている時には、勿論その鈍い緑色・草色の足色で判別可能だ。


2016年8月24日水曜日

あー、イソシギね?と言う割にちゃんと視た事ありますか?  It is common Sandpiper, isn't it? you say easy ,but do you watch it properly?

 たいがい、何処にでも居るイソシギ。佐賀の東与賀干潟などでは他の目立つ珍しいシギチドリの邪魔だと言われかねない程の扱いだが、きちんと見ている人はあまりいないようだ。

 更には、イソシギ?あ~良かったよねあの映画。エリザベス・テーラーのでしょ?等と言われ話を止めた事も在る。それが水鳥だという事は知らないのに、サンドパイパーという英語名だけ何故か知ってたりするからややこしい。

 球磨川流域には通年で居る様な気もするが、北の方では冬居なくなるらしい。南に移動するのだろう。

 とにかく人吉の球磨川でヤマセミを観察していると、一番傍に居てチョロチョロしているのが此のイソシギとセグロセキレイだ。尾羽の形がひし形に見えるので、クサシギとは飛んでいる時に差別化できる。





水面ぎりぎりを飛ぶのはヤマセミもクサシギも一緒。

2016年8月23日火曜日

初夏のハヤブサは崖の花畑を飛ぶ! The falcon of the early summer flies in the field of flowers of the cliff!

 人吉の先輩と幾つかある球磨川の淵で、対岸からヤマセミの観察・撮影をしていた時、いきなり崖のありとあらゆるところから野鳥がギャーギャー言いながら蜘蛛の子を散らすように飛び立った事が有った。

 何事か?地震でも来るのか?と思ったらハヤブサがゆっくりと目の前の大きな崖を横切った。そうして我々河原に居る人間の上を3周ほどして、ゆっくりと崖の上を越えて行った。

 真上を3周する間の様子を見ていたら、我々をしっかりと監視しているように見えた。ちょうど夏の初めだったので崖には色々な花が一杯咲いていて、滅多に視られない崖の花畑を行くハヤブサを撮る事が出来た。しかし残念ながら真逆光の光なので酷い画質だが、ご容赦願いたい。


何と言う名前だか、傍に行けないので良く判らないが綺麗に咲いている。



朴の花は非常に大きいのでよく目立つ。

このハヤブサは2枚目の花の所が好きらしく、何度もそこでUターンした。