2023年4月30日日曜日

団塊世代は生成AIに関しての世界の動向を注視したい。後編 Baby boomers want to keep a close eye on global trends in generative AI. VOL.2

  昨日のこのブログ、いきなり普段の5倍以上のアクセスがあって驚いている。いかにこの新しい生成AIへの皆の注目度が高いか良く判る。

 しかし、その前にマスコミが「今やこれだよ!これに精通していなきゃ遅れる!」と、火が付いたように騒ぐこういった新しい分野の新しい技術。果たしてそのすべてが世の中に定着し、順調に世界を凌駕して行っているだろうか?

 ここに、VR(簡単に言えば立体映像メガネを用いて仮想空間に自分がいる状況を造り出すシステム)が、より進化して社会性を持ったメタバースというジャンルがある。あのFacebookがメタ(=Meta)と企業名を変えたことからも判る通り、非常に高い将来性を期待されたものだ。いわゆる仮想空間の世界。

 ビジネスでも歌舞音曲でもスポーツでもVR機器を頭からかぶり、それを駆使して仮想空間を楽しみ、あるいは仮想通貨(これはちょっと意味が違うが)で儲けるものだ。

 しかし、筆者は思う「仮想はどんなに優れていてがんばっても、現実には成れないし敵わないニセモノ」仮想空間、仮想通貨、仮想恋愛、仮想ゲーム、仮想スポーツ・・。

 例えば仮想の世界では死なないかも知れないが、現実の世界では「死」は必然だ。

 それが一部証明されるニュースがつい最近出始めた。


 昨今、出始めて話題になっている生成AIだが、これもオリジナルのデータを世界中から勝手に無断で集めて造り上げた「コピペの集大成=ニセモノの作品と世界」と言えるのではないだろうか?

 才能のあるアーティスト、クリエーターたちが努力して作り上げたオリジナル作品(=音楽・美術・文学・写真)あるいは各ジャンルの論文データをコンピューターという「高度な電子計算機」がネットを通じて勝手に無償で収集・蓄積し、それをシャッフル・加工して別の要望に応えて、いかにもパッと見新しい別物(有償=商売)を造り上げている。

 実は、それを利用・活用しようとしている者は、オリジナルのクリエーター、アーティストの様な才能もなく、センスも無く、自分一人ではロクなオリジナルものを造れないからこそ、生成AIによって造り上げられる「物・回答」に期待し、なおかつ凄い!と感動するのではないだろうか?

 要は自分自身じゃ碌な文章も書けないし、碌な絵も描けない、碌な写真も撮れないし、碌な音楽も奏でられないからこそ「凄いものが出てきた!」と感動し、利用・期待するのではないだろうか?そんな人が自分はデザイナーだクリエーターだ、作家だと良く言えると思う。

 筆者は言いたい「人間としてのモノづくりの誇りと尊厳をアナタは持っているのか?」

 普通、優れたクリエーターたちは、失敗を重ね、苦労を惜しまず、努力を重ねるからこそ良い作品、思った通りの作品が出来上がった時、手ごたえを感じ満足感に浸れるのだろう?

 そうして、自分自身で自信作が出来れば達成感を得た満足感で無上の喜びを感じるのではないだろうか?それをコンテストに出そうが出すまいが、出したところで特選・入選しようがしまいが、人の評価などあまり気にしない。それが本当の「作家」クリエーターなのではないだろうか?

 だからこそ、昔から有名な画家が自分自身の作品の中で決して売って手放したりしない、コンテストにも出品しない秘蔵品を隠し持っているという現実があるのだと思う。

 生成AI利用ほんの数分で簡単にパソコンの液晶画面に「自分ではとてもできない素晴らしい作品」が出て来て、苦労し骨身を削って作品を仕上げたクリエーターと同じ喜びを感じられるだろうか?得られる訳が無かろう?

 ここで言う作品とは、絵画だったりデザインだったり音楽だったり、あるいはまた論文だったり小説だったり、AIが生成するすべてのジャンルに及ぶ。

 現実に、海外で在る写真家が生成AIを駆使して作った写真をコンテストに黙って出したところ、トップ賞を獲ったが、生成AIを使ったと審査機関に正直に言ったというではないか?それでこそ真のクリエーターだと思う。

自分でも写真撮影をし、近々写真展を控えているから身に染みて良く判る。

 クリエーターにはクリエーターとしてのプライド・誇りがあるものだ。自分の「作りだす力・才能」を信ずるからこそ、「生成AIの力」を借りた事を隠さなかったのだろう。

 生成AIが凄い!便利だ!新しい世界が開けた!・・と単純に思う人は、努力をしない人だと思う。自分のクリエィティブ力に自信がない人だと思う。自分で自分のオリジナルを造り出せないし、その事を恥じない人なのだろうと思う。

 心を込めて絵を描く、心を込めて字を書く、文章を書く、瞬間に集中してカメラのシャッターを切る・・・これらが出来ない人は是非生成AIの力を借りて満足のいく「非オリジナル作品」を造れば良いと思う。でも、それって人造肉よりまだ酷いのではないだろうか?

 更にそれを「俺が造ったんだ!」と後ろめたさを感じないで堂々と他人に言えば良いだろう。でも、もし言えるのであればアナタは決してまともなクリエーターじゃない。

 もっとクリエーターの立場から例えて言うならば、バルサの板からナイフと紙やすりとセメダインを使って戦艦大和の模型を作れる才能、同時に喜びと、プラモデルセットを箱から出してボンドで説明書通り造り上げる差以上の違いを感ずる。 

 あの、藤井聡太棋士がAI将棋と互角に戦い、時には勝つという。要はその藤井聡太に成れない(成る努力もしない)で、AI将棋側の後ろに隠れて自分が打った振りをするのが生成AI心待ちの人々と思えて仕方がない。自分の力で戦わないでどうする?これではあまりに情けないではないか?勝負うんぬんの前に自分で将棋を指しているとは決して言えない。


 で、昨日の新聞シリーズの続き。今回この読売新聞のシリーズは大変勉強になった。




 この件に関しては、今朝の読売オンライン、読売新聞にも英国で生成AIに関して「著作権侵害へ警鐘」との記事が載っていた。

 クリエーターのオリジナリティ保護、生成AI提供企業側へ利益機会無断搾取への警鐘を表している。筆者もこの点が非常に気になっていた。

 こうした専門家たちが実際、生成系AIを色々な場面で駆使した実地に基づいて論じたり警告を発しているので、筆者はこれら記事を大変信頼している。

 人より遅れて電脳化した筆者などが、このクソ忙しい日々の中で「実際自分でやりもしないで何が判る?」と言われても、今は生のクリエイティブ作業で手一杯。その代わりプロがやってみた結果の反応を知ることの方が全体像をつかめて良い。
 しかし、知っても覚えても、自分の倫理観・クリエイティブに対する考え方、生き方に合っていなければ利用活用はしないだろう。

 思い返せば1990年代前後広告代理店時代、全盛期はパラレルに幾つもの仕事を担当させられ、一か月の残業時間が120時間を超えたこともあった。デスクワークばかりではなく現場や出張も多かったため、当時出始めていたワープロ(=ワードプロセッサー)もとうとう覚える時間も取れずに時代が過ぎて行った。そうしてそのうちいつの間にか消えて行った。

 パソコンも、超忙しい頃を過ぎ、少し余裕が出てきた長野オリンピックの頃人より遅れて、助けてもらいながらやっと覚え始めたものだ。
 
 二度あることは三度あるという。自分にとって生成系AIも同じようなプロセスを踏む気がする。それが如何に凄い技術革新であっても、自分にとってはネットやパソコン程、あまり実利・利用価値は高く無いと踏んでいる。

 他人には出来ない「自分のオリジナリティ」を必死に追求しようとするクリエーター(筆者も含む)にとってこれら生成系のAI、どこまで意味があるものなのか?いずれ渡るにせよルビコン川に架かる石橋を何度も叩いて確認しようと思う。

 で、

 このブログも始めて10年が経ち、この5月14日でちょうど開始10年の記念日を迎える。ヤマセミの生態観察で通った人吉・球磨川流域へも充分行った感があるし、費用面、2020年豪雨災害以降・現地の状況面からして、今後はもうなかなか行けない状況だ。

 ヤマセミ生態に関するアナログの集大成「ヤマセミ生態記録本」を出版する作業もあるし、そろそろこのYAMASEMI WEB BLOGを終了する準備に掛かろうと思う。
 7月の写真展開催後のいつか、毎日更新を止めて、週一程度の不定期ランダム更新に替えようと思う。詳細が決まったらブログ上でお知らせを予定している。それに合わせてTwitter、Facebookなどもクローズの方向へ進むかもしれない。ここ数日本当の意味での終活を考え始めている自分に気が付いた。

 もうすぐ75歳を迎えるにあたり、自分の中で何かが大きく変わろうとしている気がする。そろそろ一生懸命情報発信はしなくても良いかな?‥と思い始めている。
 

2023年4月29日土曜日

団塊世代は生成AIに関しての世界の動向を注視したい。前編  Baby boomers want to keep a close eye on global trends in generative AI. VOL.1

  ここ数ヶ月、生成系AIに関して情報が世界中を飛び交っている。

 この傾向は、昨年末の「生成系AIの代表”ChatGPT”スタートからたった1か月で世界の1億人が利用し始めた」という報道により、「IT,AI関連に詳しいと自認している世界各国の一般電脳先駆者たちが「試し始めた」のだろうと思っている。

 もちろん筆者などはそういう人たちからはるかに遅れてやって来た電脳未熟者だ。特に今は7月に予定されている首都圏で初めての写真展へ出展する「作品?」の掘り出しで毎日PC液晶画面と10時間にらめっこしているので、「今、話題になっている生成系AIに自分も早く接しないと、この分野で遅れていると言われるんじゃないか?」のノリで、先を争って実際体験し実感する余裕はない。

 その代わり、特にTVメディアが「凄いんです!”ChatGPT”スタートからたった1か月で世界の1億人が利用し始めた新しい対話型AIなんです。」と衝撃度や話題性の面のみを前面に、普段からそれほど最近のAIに関して造詣も深くないコメンテーターが「さも詳しい面」をしてうんちくを述べるのが気になって仕方がない。

 テレ朝の玉川徹、フリーの池上彰などを筆頭に感染症・コロナからウクライナをはじめ世界の戦争、教育問題、芸能界、サッカーワールドカップ、WBC世界野球に至るまで「何でも知っている・しゃべくる人間百科事典」を自認する輩たち。

 TVメディアはもう各ジャンルに関しての専門家だけに喋らせてほしい。この手のコメンテーター達がどれほど事実では無い事を情報発信し、嘘をつき茶の間の無邪気な国民を誤った方向へ導いてしまっているか?

 そういう意味から考えると、毎日の放送を録画でもしていない限り、その場限りで消えてしまう刹那的な「放送で言った事、報じた事」だらけのTVと違い、アナログの印刷物として残る「新聞」というメディアは慎重にウラ取りをして、幾人ものチェックを経た上で「本当の専門家の解説・コメント」掲載してくれているので、筆者はいつも重用している。

 そんな新聞メディアが、どれだけこの生成系AIに関して詳しい報道をしているかを調べようと思って、「主要新聞デイリーの主要記事とその紙面占有率」をGoogle検索してみたが、そういったサイトや比較データは全然何も出てこない。仕方がないので、実際の主要新聞を4紙取り寄せて最近1週間の記事を比較してみたら、「読売新聞」が一番充実して社を上げてこの件に関して深い突っ込みをしていた。

 今は自分で”ChatGPT”などを導入・体験する時間がないので「写真展」が終わる7月後半からしっかりと実地体験して判断評価をしてみたい。ただ、筆者は昔から新しい技術・特にデジタル便利機能に関しては「石橋を二度叩いて、なおかつ人が10人くらい渡った後」でないと信用しない性格なので相当時間はかかるだろう。

 小さい頃から、人に後れを取るなど恥とも何とも思わないし、自分を見失いう方に危機感と恥を感ずる性格なのでこれで良いと思っている。「お前、万博まだ行ってないの?俺はもう行ったぜ!」に腰が浮くタイプではない、1970年のあの大阪万博だって行ったのは最終日だもの。推して知るべき・・・だ。

 で、前置きが長くなったが、読売新聞全国版のここ4日間、第1面・2面でこの生成系AIに関しての専門家それぞれの解説・予想を特集しているのでご紹介。


この2ページ、4月25日版


この2ページ、4月26日版

 それぞれに、この生成AIに関して、当事者や実際に色々駆使した結果世界にあるいは人類にどのような影響を与えるか専門分野から見たコメントを発している。チョイかじりのTVコメンテーターの発言と一緒にしないでご覧いただきたいと筆者は思うが如何だろう?

2023年4月28日金曜日

我が家の巣箱のシジュウカラ、もうすぐ巣立ちの様子。 The titmouse in our hive looks to leaving the nest soon.

  先日、集合住宅の集会所横の樹の洞で営巣中のシジュウカラ、巣の中から雛の餌を欲しがる声が聴こえて来ていたので数日中に巣立つだろう。

 一方で、我が家の巣箱からはまだシーシーシーというヒナたちの声が聴こえてこないので数日遅い進行具合と視た。

 我が家では過去4~5回シジュウカラが巣立っているので、いつ使用しても大丈夫なように巣箱の管理・養生は毎年しっかりしているつもりだ。年に二回繁殖した例もあるので、巣立ったらすぐに屋根を外して巣の乾燥、殺菌消毒、トリサシダ二の駆除を行っている。

 野鳥は人間が考えている以上に清潔好きなのだ。昔から朝起きても顔も洗わないで、すぐ愛犬散歩に出てしまう筆者とは大違いだ。

 ここ数日は5分間に数回2羽の親鳥が交互、または同時に巣穴を出入りし、給餌と糞出しを繰り返しているので、巣立ちまで4~5日と視ている。ヒナの声はまだそれほど大きくないので今日・明日ではないという事だけは確かだ。

前回2021年の営巣の後、リフォームした巣箱。家賃は上げていない。

右は国際基督教大学キャンパス・附属高校エリア

巣箱は北側を向けて設置している、地上2.5m



巣穴の入り口は狭めに造っておかないとスズメが入ってしまう。近所の巣箱は殆ど大きく開けすぎてスズメが繁殖している。



動画でも収録しているので、巣立ち後Youtubeにアップしてみたい。

2023年4月27日木曜日

人馴れする野鳥の野性度は一体どうなっているのだろう?  What is going on the wildness of wild birds that are familiar with people?                                                                                                             

  浅草の浅草寺の境内を歩いていて、自分の股の間をドバト(=カワラバト)がチョコチョコ抜けて行って驚かれたことがあろう?意外に外人観光客の人々が驚かないのは、ベニスやパリ・ロンドン中心部の観光名所で似たような経験があるからだろうか?

 ハワイの観光地のカフェでも、ホノルルのアウトドア・モーニングカフェでもハトの出来損ないの様な小さいハト系や赤っぽいイエスズメ、あるいは頭が赤いカージナルなどが寄ってくるだろう。

 こうした人に近づく野鳥が餌を求めての事であることは誰もが知っている。

 筆者が定点観察を続けている上野公園不忍池でも、学生時代1970年頃から年に数度は行っていたが、まだあの品のないスワンボートはなく、木製あるいはそろそろ出始めていたグラスウールを巻いたグラスファイバー製の手漕ぎボートだった。

 今日のこのブログは希少種や珍鳥・迷鳥の対極の存在、自分を人間の仲間だと思い込んでいるのではないだろうか?と思えるような行動をする身近な野鳥(これらを野鳥と言って良いか否か問題は在ろうが・・。)の実例をレポートしてみたい。

 人馴れした野鳥は餌付けがベースだろうとは思う。野鳥が人間の顔の識別ができる事はよく知られているが、特に餌をくれる人間は忘れない様だ。これは明治神宮へ友人と連れ立って行っても、寄ってくるヤマガラは筆者にまとわりつくし、不忍池のスズメの餌やりも常連さん(筆者ではない)に集まるのは間違いない。 

 最近ばい菌の様に増えた外人観光客も、真似してこの常連さんから餌を貰ってやってみるが、まずすぐには来ない。決してこれはスズメが外国語を理解できないからではないと思う。
 都心ど真ん中、六本木ミッドタウン。此処にはフジフィルム スクエアがあるので月に何度か行く所。行けば信濃町や千駄ヶ谷まで歩く前に、1F北側の無料アウトスペース・テラスで15分ほどくつろぐのだが、必ずスズメが寄ってくる。

 いつも顔馴染みのスズメが最初に来る。ほかのスズメと違い筆者の傍へ来たときは堂々としていて、他のスズメのように逃げる素振りが無い。

 完全にこちらの顔を認識しているようだ。カメラを向けても他のスズメのように逃げない。餌など見せても居ないのに人の顔をジーッと見て寄ってきて、筆者の腕に片足をかける。餌をくれという仕草と受け取っている。誰かが教えたのだろうか?筆者ではない。

他のスズメやハトが来ないように、クラッカーの一片を手から与えておしまい。2度はやらない。癖になる・・ってもうなっているが。

 一方でこちらは調布の調布銀座横町のお店の前に居たハクセキレイ。見上げて艶めかしく媚びを売るようなしぐさをする。「ねえ、餌持ってない?お爺さん・・。」とでも言っているような気がする。

 このハクセキレイ、食料品店の入り口を行ったり来たりしている。店内へ入らんばかりの勢いだ。

ウロウロしていると、店内から女店員さんが来てパンくずのようなものを与えた。

貰って、食べて、こちらへまた向かってきた。

あげる素振りが無いと、ほかの人間へツツツーと寄っていく。

 毎日野鳥ブログを続けて8年が経ち、今朝アクセス数が81万回を超えた。先月10日頃80万回を超えてもう翌月81万回超え、これも皆さまのおかげと感謝!

2023年4月26日水曜日

三鷹の住宅街のシジュウカラ、意外な営巣場所。 A titmouse of a residential area of Mitaka, an unexpected nesting site.

  過去5~6回我が家の巣箱からシジュウカラが巣立っている。三鷹市で配った無料巣箱や自作の巣箱で雛がかえっている。

 今年も3月終盤から営巣をはじめたが、2年前の古巣なので基本的苔床がそのまま残っているためあっという間の産卵、あっという間の給餌開始。昨日の段階で巣への給餌・糞出し作業は猛烈な頻度で行っている。

 そんな中、愛犬散歩でいつも周回する三鷹の住宅街の一角でシジュウカラの警戒声が聴こえてきた。この時期連続音でジジジジ、ジジジジと鳴くのは営巣中の親鳥が良く出す声だ。

 立ち止まってシジュウカラの飛ぶ様子を観察したら、集合住宅の一角にある大きな樹の根元に空いた洞に一羽のシジュウカラが吸い込まれていくではないか!

 何と地上50㎝程の低い所に空いた洞で営巣していたのだ。昨日再び愛犬散歩の途中覗きに行ったら目の前に作業の軽自動車が停まっていたが、全然お構いなしに餌を運び、ヒナの糞を出していた。

 やはり野鳥は人間が出入りする民家の傍の方が安全だという事を知っているのだろう。我が家のシジュウカラとこの樹の洞のファミリーとどちらが先に巣立つだろう、楽しみだ。

 まず今日は樹の洞で繁殖中のファミリーの様子ご紹介。

後ろは集合住宅の民家。必ず上の枝に留まってから洞へ入る。

洞から出た場合は上の枝へ一旦立ち寄るか、そのまま飛去る。

廻りを確認警戒してから飛び立つ

入る際は全然躊躇しない


スムーズに入れる様だ。

ヒナの糞を咥えて捨てに行く。



給餌だけで戻る場合も多い


今日などは目の前に作業の車が停まっていたが全然平気にしていた。

2023年4月25日火曜日

久し振りにカワセミにグッと接近してみた。I got close to a kingfisher for the first time in a while.

  筆者は現在7月上旬に予定している首都圏で初めての写真展の準備をしている。

 基本的に筆者の野鳥写真はヤマセミ生態研究に必要な学術的証拠写真が主なもので、綺麗に撮るより「生態の珍しい瞬間」を記録することに主眼を置いている。ヤマセミ以外の野鳥の画像も似たようなものだ。

 したがって写真コンテストに出すような「作品」ではなく、全ての画像が「エビデンス=証拠画像」だ。

 だから、「綺麗な作品」に仕上げるためのレタッチとかはよく知らないし、証拠写真から言えば、消したい背景も「生息環境証拠の一部」だからうっかり消すとヤバいのだ。

 つまり二度と撮れないかも知れない「生態の瞬間」を記録するので、三脚などはまず使わないし、スローシャッターで撮ることも流し撮りの時以外めったにない。画面が荒れないようにISO低感度で撮ることもない。

 そんな筆者の写真を長年視てくださっているプロのベテラン写真家さんが「写真展一緒にやろうよ」とおっしゃってくださってもう3年が経つ。3年間も延び延びになった理由はコロナ過だ。

 しかしついに今年、本当にやることが決まってしまった。初めて戦場に出る兵士の様な気分だ・・って、もちろん戦場に出た事などないからあくまで想像上の話だが。初体験という事で非常にテンションが上がっているのも確か。もう二度とこんな晴れ舞台はなかろうと思うし・・。

 つい数日前、その写真家さんが案内状に掲載する写真をたった1枚メール添付で送ってきた。「これでお願いします・・。」が~ん!である。

 夜11時過ぎに届いたメールに添付された画像を見て、ショックのあまりその晩はもう何も考えずにさっさと寝ちまった。

 写真家さんの送ってきた画像は、例えていうならば「古伊万里の逸品」だった。品格、趣、訴えるもの、全てが明確。自分で写真を撮らない人でも「いいなぁ・・。」となる写真だ。

 それに対して筆者が考えていた「案内状用の画像」はいわばトイザらスで売っているカラフルなレゴのプラスチック製のおもちゃみたいなものだ。もうとにかく「が~ん!」である。

 しかし、一晩寝て朝3時半に目が覚めてしまって、頭の中が溶鉱炉の真っ赤に溶けた鉄状態だった。早く目覚めてしまったが二度寝など絶対に出来ない状態。

 自分の頭の中で自分の候補画像がぐるぐるとアンドロメダ星雲になっているのが感じられた。これからの1週間、外の天気関係なくPC前で大奮闘が始まるって寸法だ。


 そんな状態だから、脳を洗浄する意味で久しぶりに野川に出てカワセミの度接近画像を撮って心を整理しようと思ったのが、今日ご紹介の画像。数日前の野川のカワセミだ。

追い写し

ガマの枯れ穂にカワセミ・・は野川の象徴

撮影用にこしらえた留まり木ではないので、結構この手は難しい。

カワセミの綺麗な色は構造色なので太陽の角度で色が変わる

薄曇りの陽が一番きれいに色が出るような気がする。

三脚を付けてちゃこうは撮れない。

2023年4月24日月曜日

近所の広場で早朝から繁殖期のオナガがにぎやかだ。 In the neighborhood plaza, the Blue-tailed Magpie is lively in the breeding season from early in the morning.

  筆者は冬至前後の真冬は午前6時半起床で日の出の頃に愛犬散歩で近所を約3,000歩回る。ちょうど今頃から日の出の速い夏至近辺は5時半起床で同じく近所を回る。

 冬季はツグミやヒヨドリがさかんに鳴く早朝だが、今の時期繁殖期を迎えた野鳥の別の声が住宅街を満たす。アオゲラ、シジュウカラ、オナガがその中心だ。

 今日のブログはこのオナガの普段とは違う地上での様子をコンデジで捉えたのでご紹介。

 ちょうどこの広場は高いネットで囲まれ、近所の子供たち、休日はファミリーで球技に勤しむエリア。だが、早朝は愛犬散歩、それもネットが在ることを良い事にリードを外してドッグランエリアのつもりで犬を解き放つルール破りが横行する。

 そのネットエリアの外側に幹回り3mほどの太い欅の木がある。樹齢は不明だが100年以上は経っているだろう。まだこの三鷹の住宅街が農地だった頃から立っている欅だろうと思う。

 その根元にキノコが生えているのに気が付いたのは最近の事。古い樹にキノコが生えたらもう寿命に近いと聞いていたので気に成っていたのだが、昨日の朝その幹に「幹の一部が腐っており危険につき近いうち伐採します」と張り紙があった。

 まだ青々とした新葉を山のように付けている欅なのだが、確かに幹の一部が腐っている。

 しかしこの腐った部分の幹のみを伐採するだけで、別のもっと太い幹中心にせっかくの欅を救えないものだろうか?広場の三鷹市民の憩いのシンボル的欅だろうに、ちょっと腐った部分があるからと全部を切り倒すというのは植木職人・樹木専門家から見て「当然の事」なのだろうか?この樹一本で人間1人分の吐き出す二酸化炭素くらいは吸収してくれていただろうに・

 何かのコマーシャルではないが「ちょっと、気になる樹」・・だ。


根元にキノコが生えていて、やばい兆候だとは思っていた。

桜の老木も、寿命が地近づくと幹や根元にキノコが生える。


たった、これだけの告知で切ってしまうのは何か寂しい気がする。

  で、この樹の根元含めた広場で集うオナガが今日の主役。
これが広場を囲っているボール止めの高いネット


まだ誰も居ない広場で騒ぐオナガたち


虫を見つけては採餌

気分が高まっているのだろうか?警戒心が強い癖にカメラを向けても動じない。