2025年9月15日月曜日

団塊世代はモチベーションが非常に大事だと思う。 I think motivation is very important for the baby boomer generation.

 モチベーションとは、AI検索によると「目標や目的に向かって行動するための原動力となる意欲や心理的エネルギー」を指す・・・と出ているが、いわゆるよく言う所の「やる気」とか「やり甲斐」といったモノだろう。

 これは若い時には自分が熱中している事に夢中で自分自身ではモチベーションというモノに気が付かなかったり、意欲旺盛で当たり前すぎて、取り立ててその存在の「在る無い」は感じなかったものだ。

 それが、30年以上仕事の世界で揉まれ、成功・失敗を繰り返し、年を取ると変わっていく。

 特に己の意思とは異なる理不尽な力(勤め先の都合、上司命令など)でやる気、頑張る心を揺るがされる事も多々経験し、現役を卒業しリタイヤした瞬間から「やる気」の世界が大きく変わってしまう事は数多くの人から聞いた話だ。

 基本的に企業のサラリーマンとして働いてきた団塊世代は、ある意味会社が利益を上げるための歯車の一つだった。もちろん基本的には自分の給与の為でもあるが、愛社精神(山一証券が破綻する前、昔はまだあった)の元、勤務する自分の会社(=企業)が金儲けをするために一生懸命汗水たらして働いたのだ。

 どんなに「良い事、凄い事」をしても、会社に金銭的な利益をもたらさねば決して「良い評価・高い評価」をされなかった。

 筆者は大手広告代理店時代、自社の営業セクション・デスク(庶務・管理)の女子社員が「あの人は沢山仕事を取ってくるから凄い、優秀だ」という言い方で営業マンを褒めていたのを聴いてゾッとしたことが有った。

 筆者のようなスタッフ部門(プランニング・クリエイティブ系)で、縦系列の上下関係が少ないディレクター職としては、とてもなじめない考え方だったのを記憶している。

 この言葉を聴いた時は、何千人といる社員皆がなんだかチャップリンの映画同様、働きバチや働きアリに見えて仕方が成らなかった。


 筆者の家庭は子供三人で決して裕福ではなかったが、日常暮らすにおいてお金に困るようなレベルではなかった為か「金儲け」という言葉や考え方にはトンとご縁が無かった。

 世の中にはお金などよりもっと大事なモノや事がある・・・と母と共に「日本幼稚園史」を編纂した祖母(新庄よし子)にも育てられ、そう思って生きてきた筆者だった。

 したがって同世代の人々のように高い給料をもらうために、有名一流大学に入り、一流企業に入って出世して管理職へ・・・というような願望は非常に薄かったように思う。

 父も言っていた。「管理職ってのは、現状維持・管理するしか能のない人がやる仕事」と言っていたのを真に受けたのだろう。

 だから現役で入った早稲田大学の教育学部の大教室・講堂での授業の学生数の多さを見て「こいつらとこの先も狭い器の中で学ばなきゃならないのか?」と思い数週間で辞め、阿佐ヶ谷の美術専門学校へ入ったのだ。

 昭和のど真ん中生まれで一番人数の多い団塊世代だから「人と同じじゃ、碌な事に成らない」と思ったのだろう。

 例えば所ジョージがこんな事を言っているのと非常に似ていたのだろうと思う。


 しかし、結局卒業就職の1年前の時点で就職相談に行った先輩の「良い仕事にありつく為には大学だけは出ておいた方が良いぞぅ?」という一言で横浜の大学に入り直したのだが、結果は良かったのかどうだったのか、今に至るまで良く判らない。

 こういった若い頃のモチベーション、やる気、意欲はありとあらゆる事に向けて強かったと記憶している。自分の行動、活動に直結していたのは間違いない。

 小学校、中学校時代はあまり感じていなかったが、高校に入ってからはやたら多くの事に「やる気」が出ていたと思う。バレーボール部活、真空管アンプ作り、ビートルズのコピーバンド、エレキ演奏、VANを中心とするアイビールック、週刊誌平凡パンチの表紙(大橋歩のイラスト)を切って作る定期入れ・・。受験勉強という事などよりその他の「活動」に夢中になっていたのは間違いない。

中学一年生からカメラに凝り始めていた

高校時代はビートルズに夢中でクラスメートとバンドを結成、文化祭で演奏

スキーに夢中になったのも高校1年生のスキー教室から、その後スノーボードへ続く

勿論ファッションに目覚めた高校1年生、VANに憧れた

HOゲージの鉄道模型にもハマった

VANに憧れた勢いで、社会人最初の会社はVAN(ヴァン ヂャケット)だった。

ヴァン ヂャケット宣伝部に入社、即アイスホッケーに夢中になった

’60s洋楽オールディズ好きは1961年頃からリアルタイムでハマっていた

 ドラエモンじゃないが、ポケットの中には得体のしれない「やる気=モチベーション」が高いレベルでたくさん入ってたという訳だ。


 それが、70年以上生きて最近思う事なのだが、周りで起きる些細な事象でその日一日、その一週間の「やる気=モチベーション」が変わる事に気が付き始めたのだ。

 応援する相撲取りが負けた、応援する野球チームが負けた・・などの理由で酒を食らい暴れる者の心理なり行動をNHKの番組が詳細に報じていたのを観たことが有る。

 これを自分に当てはめてみたら、意外に「気になる事」で己の気分の上下が影響していることを発見した。

 2006年頃から写真撮影の被写体に「野鳥」というジャンルが増えた。特に2010年頃からは熊本県の人吉市を中心とするエリアで「山翡翠=ヤマセミ」という希少種(1㎞四方に1つがいしか生息しない)に魅かれ、2020年に至る10年間人吉市に300泊以上して撮影観察しまくった。

 これに夢中になっている頃は、ヤマセミとカワセミが並んで飛んでいたり、ヤマセミが大きなカラスに追われる場面を連写で撮れた際など「これでモチベーションが1年は続く!」と大喜びしたものだ。

2012年頃一生に一度偶然撮れたカワセミ(前)ヤマセミ(後)のランデブー飛行

2014年頃、カラスがヤマセミにちょっかいを出す場面を撮れた

 天体撮影に夢中な方が、先日の皆既月食を撮れたり、スカイツリーに満月が重なった瞬間を撮れた際に得られるモチベーションにも似ているのだろう。

 ある意味馬券を買って大当たりした際の悦びや、株価が上がって儲けた際の悦びと同じかもしれないが「悦びの質」が全然違うと思う。

 「努力・苦労」の結果の「悦び」と、偶然のたまものの「ラッキー悦び」では次への行動に対する影響が全然違う。

 

 これらに対して、日々の万象で微妙に自分の気分が上下する事を知った。

① ドジャースの大谷選手がホームランを打った日と、無安打に終わった日。

② NHK朝ドラ「あんぱん」で感動を受けた日とショックを受けた日。

③ 初めて入った街中の飲食店で超美味しい料理に出遭った日と逆の日。

・・・他愛もない「事象」なのだが、こんな事で自分の気分の上下を感ずるようになったという事で、団塊世代は自分が年を取ったのだなぁと感ずることが多いのではないだろうか?

2025年9月9日火曜日

団塊世代は「自民党総裁選騒ぎ」にオールドメディアの悪い癖を視た。 The baby boomer generation saw the bad habits of the old media in the ``LDP presidential election uproar.''

  石破首相が辞任して1日、既存TV・新聞のオ-ルドメディアは一斉に「次期総裁選、各立候補者の強みと泣き所」を報じ始めた。

 御用政治評論家の一人などは、待ってましたとばかりにテレ朝モーニングショーに連日呼ばれ「俺だけが知っている政界の裏側!」を得意げに述べはじめている。

9月9日のテレ朝モーニングショー より

 筆者は思った。いつもの大相撲今場所の優勝候補はダレでしょう?・・・と同じレベルではないか?と。

それもいつものレギュラー・コメンテーター。大相撲も映画も大リーグの大谷選手も同じレベルで処理してしまうオールドメディア、

 今回参院選で参政党なり国民民主党への賛同が多く集まった理由は、今までオールドメディアが忖度して触れなかった旧態然とする自民党、立憲民主党スタイル(政治家家系者、利権保持者、派閥(徒党を組む癖)、権力志向、金集めの汚さ)の偏向報道がSNS中心にバレてしまい、事実を知りそれらに呆れた国民の意思だと思う。

 石破氏が原因で負けたと自民党内で騒ぐが、参院選敗因をろくに分析もせず、自民党内の「次は我々のチャンスだ・・」の総裁選レース動向のみを興味本位であーだ、こうだ論ずる姿は国民の多くが嫌気を感じ見切りをつけたのではないだろうか?

 今の自民党内部の動きを見る限り、完全に世論と乖離しており、相当危ないと思うが如何だろう?

 政治評論家とコメンテータは「今こそ稼ぎ時!」と予想するが、観ていて見苦しい。だからMLBのドジャース中継へチャンネルを変えてしまう人が多いのだろう。


 コロナ過の報道がオールドメディアの無責任さを如実に表している事は、国民のほとんどが経験して知っている。今でもワクチンを打ってしまった自分に直接かかわりのある事だから。

 コロナの女王に始まり、イベルメクチンが効く効かない話に、2度3度とコロナワクチンを打たせる番組特集をこれでもかこれでもかと報道したのは記憶に新しい。

 コロナ過が決してコロナワクチンのお陰ではなく、自然に収まった今。

 かって埼玉県の一医院の院長が連日テレワーク出演し「現場は大変だワクチン打たなきゃ!」と騒いだ結果、打てば打つほど世界中で一番感染者(世界でのデータが証拠)が増えてしまった事実をキチンと報じず、結果間違った報道をし続けた事を詫びもしない。

 この辺りから、オールドメディアの「何かおかしい、事実をきちんと伝えていない気がする」という疑念が国民の間で広がったのではないかと筆者は思っている。

 そのトドメが世界一の発行部数を誇る読売新聞の参院選敗北数日後相互関税15%決定日の「石破総裁辞任」の大誤報だろう。今回石破総理が辞任の演説でも述べていた「日米関税交渉」の真っただ中に「辞める」などとは口が裂けても言えない状況を推察もせず判らなかった読売新聞社!

 日米関税交渉は赤澤大臣が一人でやっている訳ではない事くらいジャーナリスト、新聞社なら百も承知だろう?

 筆者のような政治素人でも、日本の国益が掛かっているトップ同士の交渉中に「辞める」などとは思いもせず「本当かよ?」と思ったと同時に読売新聞の大ドジ!だと見抜いていた。 

ネット・SNSや他の新聞社が全く報じていなかったから、余計強い確信をもって「読売の大ポカ」と断定したのだった。

 有料で決して安くない新聞、オールドメディアの「真実を伝えない酷さ」を国民が知って体験した結果、無料で「速くて政府に忖度せず事実をそのまま伝えるSNS,ネットメディア」の報ずるところを信ずる人が激増していくのは間違い無いのではないだろうか?

 SNSネットメディア>オールドメディア・・・の変換は予想よりはるかに速い気がする。

 

2025年9月5日金曜日

団塊世代は人間のエゴで混乱するクマと人間の関係を非常に憂えている。 The baby boomer is deeply concerned about the relationship between bears and humans, which has become complicated by human ego.

  特に暑かった今年の夏、全国でクマに遭遇、クマによる被害、クマの駆除それぞれのニュースがマスコミを賑わしている。特にオールドメディア(TV、新聞、雑誌など)は何十年も昔の事件や映像を持ち出してこれでもか、これでもか!とクマ・ニュースを煽り立てる。

 特に最近の北海道の札幌近郊のクマ出没マップを見ると、筆者がかって重たいカメラを持って野鳥を探し、朝から一人で走り回った円山原始林(と言っても小山なのだが)附近は出没マークだらけ!今になって当時を思うと、全身冷や汗でずぶ濡れ状態だ。

 どうしてこうなったか?はいろいろ言われているし、時々解説もされる。要はクマの棲む「奥山」と人間が住む「里」との間に在った500m~1000mの「里山」、これが無くなったからだというのは20年前から言われている事。
 人が薪を採集したり炭を焼いたり、木の実を採集したり、畑を運用したりしていた場所が里山。 
 それが食物など物資流通の普及、生活環境の進歩(電気・ガス・生活用水)、クルマ文化の発達で人間が歩かなくなり、農作業・自然物採集をしなくなり入らなくなったかっての里山。

 1~2か月間人間が入らず人間の匂いが無くなると、クマは奥山から里山へ出てかって人間が採集していた木の実(栗、クルミ、柿、アケビ、栃の実、桑の実、ブドウ)や茸、筍、山芋、根菜を食べ始める。

 これらとは逆に、道路が出来て里山に宅地造成が広がり、機能が消滅した里山に降りて来たクマと鉢合わせをするようになったのだ。

 一方で大自然の辺境エリアまで道路が通り、昔は人間が立ち入れなかったクマの領域「奥山」へ車で簡単に行けるようになり、野生動物とペットを同じ「生き物」と勘違いする無能な観光客が餌付けしたり寄って写真を撮り自慢するようになってしまった。

 各地の行政や警察がこれらの先に起こる事を猟師や学者の「専門家」の意見をきちんと訊かず、ほぼ放って置いたが為、今のような状況になっているのだと推察する。
 どう考えても野生のクマ側に責任はなく、すべて人間の勝手とエゴで今の事態になっているように思う。
 今日から猟銃の使用条件が変わるようだが、そんな細部の法律が変わってもクマの現場では何も変わるまい?
 自動車で接近し車の窓を開けて餌を投げたり、車から降りて写真を撮るようなバカ者たちを取り締まり、現行犯の場合手錠を掛けて他の観光客へ見せしめ、重たい「罰」を与え、それを報道するしか即効性のある方法は無いのでは。
 いま車から餌を投げている馬鹿者は「自分は餌を探すに困っているクマを救って良い事をしているんだ」くらいに思っているんだろうし、近寄って写真を撮ろうとする者たちは「迷惑撮り鉄」の子供たちと同じ「虚栄心・優越感」がベースの自慢ネタを撮ろうとする「エゴの塊」なのだと思う。

 知床など、此処から先は営林署員、電力保持関係者以外たち行ったら逮捕・拘留する・・くらいの思い切った方法を取らねば事件はなくなるまい?この記事のように「観光地」だなどいうから富士山みたいになるのだろう?
 こういった馬鹿な観光客を強く取り締まる法律があるか無いか、オールドメディアは何も報じない。
 今後、どんどんクマに殺される無謀・無責任な観光客や山菜取りの老人、危険と判っていながらクマ領域をトレイルランする無謀な若者が出れば、オールドメディア側もクマが悪いのではなく、そういう事態を起こす人間側に問題があるように報じ始めるのではないだろうか?
 ヒグマと人間が共生するなど、甘く考え過ぎだろう?共生できるにはT.P.O.が非常に大切で、相当人間側が気を使い用心しなければいけないはず。
 この辺りメディアや自治体、警察は何を考えているのだろう?