2023年7月5日水曜日

写真展をプロデュースする写真家 佐藤秀明さん事典。その2. A dictionary of photographer Mr.Hideaki Sato, who produced the photo exhibition. Part2.

  昨日のこのブログは、今日から7月13日(木)まで調布文化会館「たづくり」2F南ギャラリーで行われる写真展「私たちと野鳥の楽園・野川」をプロデュースする写真家・佐藤秀明さんのごくごく一部をその出版された写真集でご紹介した。

 本番開始の今日のブログでは、写真集は勿論だが、その写真への向き合い方、撮影時の予備調査、被写体を観察するそのプロセスなど、筆者が相当影響を受けた部分に関して述べてみたい。

 佐藤さんはシャッターを押す前に相当時間を掛けて被写体を観察されるとみている。

 この時間を掛けてというのは具体的に何分・何秒という事ではなく、普通ならあっと言う間にアングルを決めてシャッターを押す所を、光と、被写体の様子とタイミングを充分計って撮るような気がしている。

 例えばこれ、同じビーチで同じサーファーが波の様子を見ている。この時の流れ、波の違いを2つのカットで表現する佐藤さん。普通の人はこれに気が付かないだろう。


上のカットの真ん中のサーファーとこのカットのサーファーは同じ人だろう。

 佐藤さんがハワイで諸々の撮影をしたのは1970-1980の間が一番多い様だ。2012年発行の「カイマナヒラ」や2016年発行の赤いハードカバー写真集に数多くのサーフィンやビーチの画像が掲載されている。

 筆者はその頃まだ佐藤さんもその作品も全く知らない。片岡義男の角川文庫の写真も他の写真家さんが撮ったものだとばかり勘違いしていたくらいだもの。

 筆者は筆者で1980年~2005年の間、自分自身ウインドサーフィンをやる事にハマっており、国内に居て週末風が上がれば間違いなく休みを取ってでも葉山の森戸神社裏でカッ飛んでいた。

 同時に広告代理店の仕事としてオアフ、マウイ、カウアイへ出かけ、ウインドサーフィンの国際プロ大会をプロデュース、NHK・BSへその映像を売るなど、多方面の仕事をしていた。いわば遊びと仕事の境が無い、ずるい生き方をしていた頃だ。

 取材やイベント運営でマウイに居る際(実は38回も業務でハワイに出張している)はカナハやスプレックルスビル、時にはキヘイでウインドに乗っていた。その他オアフではダイアモンドヘッド、ノースのモクレイアで乗った。いずれも仕事がらみだ。

 当然、滞在中仕事の時は大会の様子やプロたちのライディングやジャンプを撮影もしていた。雑誌ターザンの編集をお手伝いした際は、オレゴン州のフッドリバー、コロンビア川峡谷、いわゆるコロンビア・ゴージでモデルとして乗った。夢のような時代だった。


 21世紀になり、佐藤さんとコミュニケーションを取れるようになって、「えっ?」「あっ!」という様な場面に幾度もぶつかっている。

 サーフィンとウインドサーフィンの違いとは言え、同じビーチでの佇まいなどを似たような観点から撮影していることが判って、驚くと共にレベルやセンスは雲泥の差なのだが、何か熱いものを感じたのだ。

 1986年ウインドサーフィンジャパン社のブローシャ―を作った時の表紙。沖の風と波を見る第一人者のプロ、マイク・ウォルツ。彼は20分も見つめていた。自分も海へ出る際同じような状態になるので何カットか撮ったのを覚えている。

 佐藤さんと知り合って、2018年頃「カイマナヒラ」という写真集の中に見つけたこのロコサーファーの海を見つめるカット!
 ショックだった。佐藤さんもこのカットのシャッターを押す際「同じ感じだったのではないだろうか?」

佐藤さん1970-1980に掲載されているコンテスト時のビーチの写真。

1991年頃フロム・エー、スポンサーで開催したマウイ、オアフ、カウアイのプロ大会時のダイアモンド・ヘッドビーチでの筆者の撮影カット。もちろん2016年発行の佐藤さん写真集は観られる訳も無い。

 筆者が佐藤さんに大いに惹かれる理由が少しでも判って頂ければ、このブログは大成功だ。写真を見るだけではなく、自分で一生懸命撮影する方に、是非今回の佐藤さんプロデュースの写真展、ご覧いただきたいと思う。会場で佐藤さんにあれこれ質問出来るので最高の時間を過ごせるのではないだろうか?滅多にない事だと思う。