9月に成るかならないかの1日で、前の日まで大合唱していたセミの鳴き声がピターっと止み、一晩で虫の大合唱が聴こえるようになった。これほどの自然急変は未だ経験したことが無い。これに合わせたのか、現職の総理大臣が突然辞めるという・・。
普段国民より近い位置に居ながら、菅義偉氏の性格・技量・能力を見誤った自民党の国会議員たちの責任は非常に大きい。派閥グループの力で一気に「首相に適さない人間」を押し上げてしまった自民党議員たちは、江戸時代の百姓一揆とほとんど変わらない。
しかし、俗っぽく言えば首相に成った直後から一般国民やメディアが「言動が首相の器ではない」とSNSで発信した通りに成ったような気がする。国民の直感・勘は恐ろしい。
一部のメディアでは数週間前から「菅おろしが激しくなった・・。」と噂には成っていたし、横浜市長選挙で強敵小此木八郎氏を負かした「ハマのドン藤木氏」が選挙直後述べた「これで菅首相は辞めるんじゃないの?」辞めないと自民党は次の選挙で勝てないよ?‥‥と言った通りになった。ハマのドンは自民党のベテラン議員達よりはるかに先を読める人だ。
筆者は菅首相と同い年だし、横浜にご縁があるので当初は少し期待したものの、2週間ほどしか応援する気持ちが持たなかったことを今想い返している。
http://yamasemiweb.blogspot.com/2020/10/prime-minister-suga-of-baby-boomer.html
上記ブログは菅総理がなり立ての頃、筆者とのかかわりを投稿したもの。もうこの頃既に高学歴の官僚や実力者たちへの「権力を笠に着た上から高圧的言動」「意趣返し的言動」を危惧していたのだが、メディア報道のあちこちにその事が出始めた頃から、今日の日がそう遠くないかも知れないと思っていた。
http://yamasemiweb.blogspot.com/2021/01/2020tokyothe-embarrassment-of-being.html
この今年1月23日のブログで書いた「無責任で強引だった安倍内閣の『伝令担当』でしかなかった官房長官の役割と、野党や記者たちの鋭い突っ込みに臨機応変に対応しなければいけない『首相』というそれが如何に違うものか、今頃菅義偉氏は『しまった!やっぱり俺にはこの仕事は無理だったな・・。』と思っているに違いない。当の昔に周りの取り巻きがそう思っている事はメディアの報道で国民の多くは知ってしまっている。」が、そのまま8か月後に現実の辞任に成ってしまったわけだ。
http://yamasemiweb.blogspot.com/2021/01/looking-at-recent-newspaper-articles.html
あれだけ国内外のメディア、国民が反対したオリンピックを強引に開催したことで、第5次感染拡大が進み、自宅療養(事実上放置)の患者が重症化して亡くなる案件が増えた。
こうなる事は予想できたし、感染症素人の筆者もオリンピック選手村を臨時の野戦病院化して・・と1月30日に投稿している。この時点でオリンピックの再延期もしくは中止を決断し選手村をコロナ専用病棟化すれば、今頃「日本の救世主」となって長期安泰だったのだろうが・・。
先を読めない、優柔不断、決断の遅さ、人を見る眼(要人への登用失敗の連続)・・・どれをとってもやはり首相の器では無かった様だ。残念。