その情報で、普段ヤマセミ観察で走り回った所の惨状がより良く判り、気が滅入ってしまった。この分では元通りにはならない所もあるだろうし、表向きの復興にも3年は掛かってしまうだろう。
知っているだけで、坂本地区(八代市)で2~3本の橋が崩落・流出。神瀬(こうのせ)の白石駅傍の古い石橋もこの分では跡形もないのでは?
今だに取材陣もすべてのエリアの惨状現場には行けておらず、球磨川流域の広さにてこずっている様だ。特に峡谷部(渡~八代遥拝の瀬)を順にみるにはドローンを飛ばすかヘリでなければ無理。筆者がヤマセミ観察で人吉から国道219号線、左岸の細い人吉―水俣線15号道路を幾度も走った記憶からすれば、災害のほとんどの場所でヤマセミの撮影をしている。
とりあえず今日は、新聞記事に載っていた災害の場所のかって在った普段の姿をご紹介しようと思う。
あの熊本地震で熊本城が壊滅的に壊れた直後、このブログで地震のほんの3か月前撮影した熊本城の各所をご紹介したのと同じだ。
まずは人吉市の矢黒町の生活道路だった西瀬橋の崩落。
普段の川の水面からの高さを考えて頂きたい。ヤマセミを幾度この橋で撮影したか。
次は人気の赤い天狗橋。人と自転車しか通行できない古い橋だったが流れたという。
このエリアでもさんざんヤマセミを撮影・観察してきた。
天狗橋の下を良く球磨川下りの船を見てほしい。これだけの落差がありながら流れた。
今回バックウォーターの影響でこの堤防の陸側・中神地区が満水になり、この部分の堤防が決壊したようだ。青い扉は八久保樋門といって、普段は球磨川が増水し水位が上がった際に農耕地に球磨川の水が氾濫しない様に設けられた樋門だ。今回はこの土手を乗り越えて球磨川の水が流れ込んだ。この写真で手前を飛んでいるのは人吉では非常に珍しい赤ツクシガモ。
こういった状況下、今朝の読売新聞に今回の球磨川洪水に関して記事が出ていた。ダムによる治水の可能性も示唆するように読み取れなくもないが、ダムや堤防での治水には限界があるとも述べている。しかし群馬県の八ッ場(やんば)ダムが試験貯水中昨年の台風19号の大雨で洪水を防いだ・・・などと述べ、球磨川に川辺川ダムがもしできていたら・・などと言っているが、あまりにお粗末な「論」だと思う。
今回の洪水に関して何も状況が判っていない論だと思われる。去年の台風19号の降雨量(水量)と今回の線状降水帯の球磨川水系に短時間に降った水量の比較を無視したような「論」は暴論としか言えない。この記者たちは地理・地学に関しては相当無知なのだろう。
そもそも、住んでいる地形や降雨量、大雨時の球磨川の増水状況、過去の事例を理解した上で住んでいる人々なのだろうが、時代が変わり雨の降り方、量(⇒今回は球磨川の防災ハザードマップ作成の想定雨量の倍の量が一気に降ったためハザードマップの意味が無かった)が変わったことを考えれば、昔の条件のままで場所を決め家を建て住む生活の常識を一切変えずに、ダムだの堤防で治水事業をすること自体が不可能になってきたのではないだろうか?
今回の球磨川水系での洪水は市房ダムが午前8時30分に、しばらくして午前9時30分にダムを支えきれずに放水を開始すると一時は予告していたのだ。結局奇跡的に雨が小やみになったため放水は中止となったが、もし雨があと2時間降り続いて市房ダムが放水を開始していたら下流部の水量は一気に増え、逆にダムの存在が「人殺し」をしかねない状況だったのだ。
これに加えてもし川辺川ダムが出来ていたら、間違いなくとんでもない災害を起こしていたろう。市房ダムと川辺川ダムが同時に満杯で放流を始めていたら、流域の死者は数千人は軽く超え、万一下流部の八代市の萩原堤防(スーパー堤防建設が未遂行)が決壊すれば八代市都市部全域が水浸して、日本史上最大の水害になってしまう所だったと推察する。
今の天候、降雨の傾向は1~2個のダムなどで貯められるような水量ではないし、ダムの上流だけに降るのではなく、ダムを含めた球磨川流域全体(中流・下流)にも降っているのでダムが防災・治水の役など果たせないことは明らかだ。すべての球磨川支流(50本以上)が本流に流れ込むところのほとんどでバックウォーターと言われる合流部氾濫を起こして甚大な被害を起こしている事でも判ろう?
単純な足し算だ。今回球磨川全流域(上流山間部中心に)に降った水量と、市房ダムと仮に出来ていたとしての川辺川ダムの貯水量を計算、比較してみれば判るだろう?そういう計算をして後にこういった論評記事を出してほしい。勉強が足りない。
此処に筆者がこのブログで書いた後に気が付いたネット上の記事をご紹介しよう。大体似たことを言っているので心強い。