2020年7月12日日曜日

団塊爺の大失敗!また古い薬を飲んで大騒ぎしてしまった! Baby boomer old boy into big failure! I took an old medicine again and made a shame panic!

 東京女子医大病院の看護師400名が辞めたいと言っているそうだ!そりゃそうだろう?
コロナ感染の恐怖に立ち向かいながら、昼夜わがままで自分勝手な患者たちの相手をしているのにボーナスは出ない、残業代もろくに出ない。筆者ならとっくに辞めている。医療関係は聖職なんだから頑張れよ!とはとても言えない。それなりの対価を払うべきだろう。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6a72c5ab7f559bc5c45c88a99e2d19be7f10e732

 何で集団で辞めるのだ?と思ったら、やはりボーナスが出ないわ、給料は安いままだわ、サービス残業だらけでコロナウイルス対策下の重労働でもうこんな条件下では働けないという悲鳴らしい。これは病院経営側も可哀そうだ、コロナ患者を受けると病床を全稼働させられないため入院患者が激減で収入が半分以下だという。

 日本の為政者たちはこの状態をどう考えているのだ?ベッド数や受け入れ態勢の医療崩壊とは別の問題だろう?こっちのスタッフ離反による医療崩壊の方が現実的で速いのではないだろうか?

 もう先は無いかもしれないが安倍首相、西村大臣・小池都知事に言いたい!新宿の飲み屋や接客商売に補償など出す金があるなら、まず彼女たち病院従事者たちの給料を倍にしろ。ボーナスも倍支給しろ。それで医療体制を今のまま守ることの方が遥かに日本の為に、日本国民のために優先させるべき案件だと思う。

 今まで通りの医療関係者の働き無くして今後コロナと戦えるわけがなかろう?

 飲み屋なんかこんな環境だもの、つぶれても誰も困らない。それより余程大きな資本で動いていた世界中の大手アパレルや旅行代理店が破綻している。
 文化祭の出店のような雑踏の飲み屋や三密でなければ成り立たない接客商売、あるいは雨後の筍の様に出店過剰状態のラーメン屋などコロナ禍が終わるまで営業させるな!新規コロナ感染者を野放図に増やす酒飲みの飲み屋の営業が何で経済の再生のシンボルなのだ?

・・・・と、ここまでは世の中のニュースで一番気になっている事柄の愚痴。

7月11日(土)昨日の夕焼け

で、ここからは、今日の本題、筆者のドジ話。聞いてください、まさかとは思ったが、団塊爺はまたやってしまった!

 3~4日前からみぞおちの部分が徐々に腫れて膨張してきた。最初は「ヤバいな、脂肪が回ったかな?」程度の認識だった。最近毎朝5時に起きると野菜サラダを400g以上作っては自宅食の都度食べていたので、痩せ続けていたのにこれは妙だなとは思ったのが最初の異変察知。

 そのうち、みぞおちが鈍く重たく違和感を感じさせるようになり、その腫れが右側を下にして寝る際、圧迫で痛いと思えるようになったのだ。「何だろう?70を越えれば体中にガタが来るのは認識・覚悟はしているものの・・・。」と2日が過ぎた。

 それがピークに達した2日前の夜中、2時間に一度痛さで目が覚めた。どうも内部ではなく表面に近い部分の痛みだし、押すと痛いのは一部分だからこれはひょっとして屋根裏のロフトに在るベッドにもぐりこむ際、梯子段の最上部の梯子のでっぱりで無意識に胸を強く圧迫した影響と、5日ぶりに再開し始めた肘立て4分間による筋肉痛に違いない!と決めつけたのだ。

 原因が判れば対処法も先読みも出来るから不安がなくなるだろうと思ったのだ。

 しかし、痛みは消えない、多少倦怠感がある。食欲は普段ほどない。スイーツやお菓子など見る気もしない。そのうち熱が出て36度2分の平熱に対して、最大37度4分まで上がった。すぐに下がって36度8分までになったが何かがオカシイ。嗅覚や味覚に異常が無いのでコロナではない、咳も出ないし胸も苦しくない。

 ここに至ってふとある事が頭に浮かんだ。5年ほど前の「薬害」による肝臓異変だ。5年以上古い処方箋でもらった抗生物質を軽い気持ちで飲んで、数日後、全身に蕁麻疹が出てとてつもない倦怠感に襲われ、横浜の百貨店そごうのフロアの椅子で休まないといけないほどのあり様になってしまった事が有ったのだ。いつかこのブログで書いたかもしれない。

 で、朝のラッシュの中翌日従弟が副院長をやっている大手の総合病院へ行き、総合内科⇒内科・血液検査・CTスキャン⇒肝臓専門医と朝8時半から午後3時まで掛かって三人もの医者に診てもらったのだ。その結果判ったことはナント、普段の20倍とか10倍とかとんでもない肝臓の数値だった。「古い薬を飲んだ事による薬による薬害肝機能異常で対処しようがない、普通はぶっ倒れている数値なのに、電車に乗って来られるアンタは強い体質だが、外部からの異物に対する反応が非常に強いから注射も投薬もしない。自然治癒で治るだろう4日経ったらまたおいで・・。」だった。病院に8時間いて、治療も注射も何もされずに追い返されたのは生まれて初めてだった。
https://www.mhlw.go.jp/topics/2006/11/dl/tp1122-1i02.pdf 

 結局、苦労してたどり着いた恵比寿の病院で計った平常時の数十倍という肝臓の各数値が、4日経ったらほぼ全てに置いて正常値に戻っていた。改めて医者は偉い、凄い!とこの時思った。

 で、この時と症状がほとんど同じだという事を思い出したのだ。痛みを伴う記憶は忘れないらしい。しかしもっと早く思い出せよと言いたい・・自分自身に。

 で、今回その古い薬って記憶がないのだが・・・。抗生物質なんて前回時点で全部捨てたし、飲んだと言えばどこにでもあるような胃腸薬・消化薬だが・・・、でハタと想い出した。

 その処方箋と薬局の袋を取り出して日付をみたら九州の地方都市の薬局で、日付が平成28年11月とあった。平成28年っていつ?此処で団塊爺は記憶と計算を間違えていた。平成は30年までだと思っていたら31年(=令和元年)があったことを忘れていた。
処方で出される薬のイメージ。

 つまり令和2年の今から考えると、その薬は薬局の奥で自家製の出来たてを出してもらったとしても、既に2020年、令和2年の7月は4年目に入っていたのだ。
 要は、薬の消費期限は普通3年程度だろうと思っていたので、少しくらいは良いだろうのファジーさで勝手に「大丈夫」と思い込んでいたのだ。
http://www.shizuoka-pho.jp/kokoro/medicine-info/8_5c664b66dc637/index.html

色々なサイトに出ている処方薬の消費期限。
実際に処方された薬の画像はこれではない。

調剤薬局や病院の薬局でもらった薬には、使用期限が書いてありません。
薬の有効期限の一応の目安は、次のとおりです。
錠剤・カプセル・軟膏・坐薬:6ヶ月~1年位
粉薬・顆粒:6ヶ月~1年位
水薬:冷蔵庫で1週間~10日位
 https://www.kusurinomadoguchi.com/column/kigenn-5789/  より抜粋。            
これが今回の悲劇の根源だった。薬に対する自分の認識が大間違いだったのだ、つまりは自業自得!処方箋により出された薬を常備薬にしてはいけないのだ。

 スギ薬局やコクミンドラッグ、マツモトキヨシで売っている市販薬は、錠剤・タブレットなどをカバーから外しさえしなければ箱に描いてある消費期限日通り(それでも2~3年)なのだが、処方箋を描いてもらって指定薬局で出してもらう薬の消費期限は最大でも錠剤や粉薬で6か月~1年だという事だ。ネットで調べて腰が抜けてしまった。まさに筆者は毒薬を盛られたに等しいのだ、それも自分自身に!何たるアホ!

 他人の毒のある陰口、罵詈雑言、嫌味、蔑んだ言葉、脅し、の類には小さい時から何とも思わないし絶対屈しなかったが、最近本物の毒にだけは滅法弱くなった。筆者死ぬときは多分毒(薬の誤飲を含む)のせいだろうと今から覚悟をしている。

 1973~78年VAN勤務の時代、北の丸公園の科学技術館で行った「VANファミリーセール」で出された社員用昼食弁当が食中毒で大変なことになり、救急車が玄関に8台も連なった。その際にもその弁当を2個半食べた筆者は何ともなかった。当時28歳だった。

 葉山の海でカツオノエボシという毒クラゲが裸の体とウインドサーフィンのブーム(セイルを持つ横バー)などに4~5個がぶら下がって刺されまくった際にも、おしっこ(=アンモニア)を掛けて殆ど無事だった。一緒にウインドアーフィンをしていた友達は救急車で病院に送られた。若い時にはそういう毒には強かった記憶があるが70を超すとすぐに反応して逆に異変が起きるようになってしまった。これが歳を取るという事なのだろうか。