2019年8月31日土曜日

団塊世代の世相分析・愚痴コラム、VOL.2  Baby boom generation's social analysis, grumble column, VOL.2

 1週間前、このブログで愚痴った韓国情勢が思わぬ方向へ進んでいる。先週筆者はこう述べた。
 「そもそも、昔から朝鮮という国の人間の考え方の根底には『恨=ハン=恨み』というものが根強くある。これは「自分が上手く行かない事、自分が不幸な事、自分が辛い事、自分が悲しい事などを全て他人のせいにする。」というように解釈できる。 
 しかも、その「恨」は一生続く。いつまでも言い続ける。だから何かに関して一旦和解したつもりでも「過去を水に流しての和解」ではない。また何かあればそれを持ちだす。ゴールポストを動かし続ける…と言われる理由はここにある。」

 これに同意を頂いたのかどうかは定かではないが、未だにこの日のアクセスがトップを続けている。

 そうしたら、2日前文在寅大統領の閣議の冒頭演説のニュースが流れた、「一度反省を言ったので反省は終わったとか、一度合意したからといって過去の問題が、すべて過ぎ去ったのだと終わらせることはできない」と述べ、一度の合意で歴史問題は解決しないとの考えを示した。


 まさにこれは、筆者が先週土曜日のこのブログで述べた「恨」の考え方そのままではないか。驚いてしまった。

 これでは、イスラム教圏アラブ諸国の常識と闘っていつも政治決着がつかない欧米のキリスト教圏の人々の「嘆き」と同じではないか。
 この「嘆き」とは、西欧諸国の人々がイスラム教圏の国や会社と「契約・約束・条約」をいくら書類を交わしても無かった事にされてしまう事を指している。

 西欧人から見れば約束を違えたり、守らなければ「話が違うではないか?嘘をつくな!」と怒って交渉するのだが、アラブ人達はこういうそうだ。「何?我々はウソなどついてない、約束をした後で新しい別の真実が生まれただけだ、その理由はアラーの神のみぞ知る事なのだ。」

 今回の日韓問題で、如何に国や地域で文化・常識の違いが大きいか思い知らされた。

 筆者が住んでいる東京は日本中、あるいは世界中から移住してきた人々と日夜接する為、人には色々な考え方がある事を実体験として思い知らされている。多くのトラブルの経験もある。
 同時に筆者は、30年間広告業界勤務で、業務上海外出張などで欧米からアジアに至るまで色々な国々に滞在した。国内においては勿論各県・地方を訪れた。未だに行っていない県は高知県だけだ。野鳥撮影含めて沖縄から北海道の果てまで旅をする現在は、更に知人友人も増え地域文化にも精通できるようになった。

 特にヤマセミの撮影でこの10年間に50回以上訪問した人吉市のある熊本県は、小中学校時代短かったが生活した八代市もあり、特に思い入れが強いのだ。ウッチャンが父親役でナレーションをしているNHK朝の連ドラ「なつぞら」は毎回欠かさず観ているし、全国育樹祭でご一緒した常田富士夫さんとも懇意にさせて頂いた。

 その熊本県在住のごく親しい友人から、15年以上前八代市の観光活性化を仕事としてお手伝いした頃、しみじみとぼやかれた言葉を今回思い出してしまった。思い返せば2007年の全国育樹祭の際にも実は常田さんから似たようなお話を伺っていたのだ。

 その彼が言うには「朝鮮に昔から近かった熊本県には朝鮮民族の『恨』の影響を受ける文化風俗が未だに残って居る」との事なのだ。筆者にはそれを聴いた当時、全く何の事だか判らなかった。彼の様に知識が無い自分は『恨』自体を知らなかっただけではなく、熊本県では他人を羨む、嫉む・・という風潮が他県より強いという事自体、自分的に実感が無かったのだ。

 しかし、「自分が上手く行かない事、自分が不幸な事、自分が辛い事、自分が悲しい事などを全て他人のせいにする。しかもそれはいつまでも繰り返し続く、過去を水に流す風潮が無い・・。」を実体験として理解できる事をその後今日に至っていくつか知ったのだ。

 2016年の熊本地震直後、当時属していた野鳥関連の団体熊本県支部のEメールグループで、地震2年前から毎日このブログの告知をしていた際、グループの中に被災者が居て「人が被災して辛い思いをしているのに、楽しそうな投稿を繰り返しやがって、止めろ!」というクレームを全員宛公開投稿されてしまった。一人へのクレームを皆が読める公開でこれ聞えよがしに投稿するあたりにメールマナーの無さや無知さ、同時に東京からきて参加しているよそ者に対しての排他的意図が感じられた。

 それゆえ、まともには反論もせず相手にもせず、ただ詫びてその後はメール上での告知を止めた。
 止めたらヤメタで今度は筆者のブログを楽しみにしてくださっていた多くの方々から「何で止めちゃうの?」という投稿が個人宛、公開部分で「ヤメロ!」とクレームした人への諫め投稿なども出て、軽い騒動になってしまった。

大きな地震の際の死者・被災者に本来一定の割合で比例する関連死の数が、他の大きな震災に比べ何故か桁違いに多いのも熊本地震だけの特徴だ。
関連死と言うモノは全体の死者数が多ければ多いとは限らないようだ。何故だろう?

 Eメール登録メンバー全員が視る事の出来る共通部分への告知は「今日はこういう内容」というたった一行のURLだけなのだ。(※クリックすればその日の投稿サイトに飛べるようにしてある)

 他のメンバーの話だと「俺が被災しているのに他所から来て楽しそうにしやがって・・。」という恨みを込めてのクレームは、熊本県人にはありがちな事だから気になさらないようにと慰められもした。
 しかし、熊本市、八代市、人吉市、葦北郡いずれにおいても自分の周りには人情篤い良い人ばかりで、それまで、そんな変な意地悪な人が一人もいなかったので驚いた次第。

 確かに野鳥撮影者の中には変わった人が多いのは良く知っている。しかしそれは全国どこでも同じだ、特に熊本県内に意地悪な者が多いという証拠はどこにもない。(※これはあくまで表向きの話)

 しかしだ、人の投稿が気になるなら、URLをクリックして内容を観なければ良いだけの話なのだ。いわばTVでお笑い番組をやるという新聞のTV番組欄を見て気に入らなければTVのスイッチを入れなければ良いだけの話だ。きっと余程他人に対して嫉み深い人だったのだろう。

 これも原因の一つで、よそ者の筆者が地元の方同士の争いの原因になってはと思い、暫くしてその野鳥団体の熊本県支部は脱退したのだが、50名を超える方々から慰留メールや電話を頂いた。

 この経験は、一人のクレームだけ見て全体を決めつけてはいけない…という事だった。後で判ったことながら、そのクレーマーは県外からその団体支部に参加させてもらった筆者への、排他的グループの一人だったという事だけの話なのだが、『恨』の原点が此処に在ったのかと今に成って気が付いた次第

 もう一件、別の事で「そうか!」とガッテンした事もあった。これは熊本県のメディアが報ずる「水俣病事件」の事。1956年水俣市の新日本窒素肥料(現チッソ)が流したメチル水銀による歴史上非常に大きな公害事件なのだが、これに伴う裁判その他の新聞記事が地元の新聞に非常に多いのだ。


 これは熊本地震に関しても同様。これは当該県なので当たり前ではあるが、『恨』さながらにいつまでも沢山長く続くのだ。この事はもちろん自分でそう感じたのは最近の事で、その友人から愚痴こぼしの話の中で出て来て知った事だった。

 過去の忌まわしい事件を忘れてはいけない、今後への教訓として脳裏に刻まなければいけないのはもちろんだ。
 合わせて、被害者救済・補償を迅速にしなければいけないのは勿論だが、水俣事件の場合、熊本県内でいつまでも異様にその報道露出が多い。この異様さは地元の一般の人々には慣れてしまって解らないだろう、当該県だし他の地域との比較上の問題だから・・。

 しかしそれをぼやいた友人は業務上観光関係の仕事をしている人間だった。観光活性化の仕事もしていた筆者には痛いほどそれが良く判った。新潟のイタイイタイ病や四日市の喘息公害、阪神淡路大震災などのメディア報道は其処まで長くネチネチとは続けない。特にコラムや社説では。事実の羅列や、地震で壊れた施設が復旧したり建て替えられたという前向きな情報は出て当然だろう。

 その友人曰く、いくら熊本の明るい・魅力情報を熊本県がメディアで県外・国外に発信しても、イメージが未だに「熊本県は水俣病」という負の遺産に引っ張られているというのだ。それは地元新聞のコラムや社説が「水俣病事件」を「あれから50年・・水俣病患者は今…」、など事あるごとに取り上げる事で全国に「熊本県には水俣病の影響・被害がまだたくさん残って居るのだ・・」と思われている事が明らかだという。実際そう思われてしまっている事実がここに在る。

 2003年に筆者が八代市の依頼で、八代市のイメージ調査を東京・名古屋・大阪・広島・北九州・福岡の6カ所で対面形式で行った。「八代市と聞いて何を最初に思い浮かべますか?」という設問だったが結果、トップは断トツで八代亜紀だった。これはある程度予想しては居たのだが、第2位になんと「公害」が出てきたのにはびっくりした。3位が「鶴」、鹿児島県出水市のツルを感違いしているのだ。この結果は残念ながらその友人の「悩み」の証明に成ってしまっている。
 熊本県の事であれば「水俣病=公害」のイメージが水俣市以外の八代市だろうが何処だろうが、未だに付いて回るという事なのだ。それ程メディア報道は水俣病と熊本県のイメージ定着に強い影響を与えているという事なのだろう。いわば風評被害の種を自らマイナス情報発信して撒いてしまっている典型なのだ。
地元熊日新聞と八代市が九州新幹線開通を記念して、観光活性化に関するタイアップ記事を20本連載した。筆者が執筆したので非常によく覚えている。まだくまモンも、クルーズ船も、特急かわせみやませみ号もなかった時代だ。

 県内の知識人や学識経験者(ほとんど実態はいい加減な場合が多いが)に、「水俣病を忘れず被害者に思いを寄せることはよか事、エラか」と褒められる事で担当者は満足だろう。しかし、その一方で全国の観光客からは「熊本県にはまだ水俣病の影響があるんだ」というマイナスの眼で見られていることにそろそろ気が付いても良い頃だと思う。

 今や新聞記事はネットで全国でリアルタイムで見られるし、ラジオは「らじこ」というアプリで日本中のFM放送・AM放送が聴ける。地元新聞に何を書こうが、遠くから来る観光客は知るまい・・・と思っているととんでもない事になる。現にこの筆者がそういう問題情報をブログで発信・拡散している。こんな野鳥の生態中心のブログでも1日あたり2~300アクセスは平均して頂いている。更に野鳥生態情報より、団塊世代の愚痴こぼし世相談義的内容の日の方がアクセスが多かったりする。ネット情報の伝達力は今やバカに出来なくなっていると思うが如何だろう?

 中国からのクルーズ船が八代港に来る刹那的なブームに甘んじて、根本的な熊本県全体の観光資源再開発、情報発信の整理をしないと10年後、贔屓の県がどうなっているかが気になる団塊世代の筆者だ。

 今日は週末なので観光活性化に知恵を絞っている我が親友の悩みと、それがこちらにもヒシヒシと伝わって来る『恨』文化の一つをご紹介してみた。

 たった今、これを打っている窓の外で初めて「クマゼミ」の鳴き声を聴いた!三鷹市にもとうとうクマゼミが現れたのだ!