調子に乗って・・・・と言うより、もともとの予定で準備していた続編をアップしようと思う。実は病院へ検査の為に入るという事で数日分ストックをしておいたのだ。この手の内容に成ると資料を整理したり、画像処理で大きさを揃えたりしなければならないので結構手間がかかる。
正直いつも1週間先に掲載するものをあらかじめ作成しておくので、不慮の病や怪我で動けなくなっても大丈夫なようにしてあるのだ。
美術展レポートと、人吉など遠隔地へPCを持ち込んでの現場レポートはこの限りではないのはご存知の通りだ。
さて、今回このブログを編集していて衝撃的な事実が判明した!今日出てくる2011年フランス・パリでの航空ショーを開催したパリ北部のル・ブ―ルジェ空港、そうあの「翼よあれがパリの灯だ!」で有名な大西洋横断リンドバーグのスピリッツ オブ セントルイス号が降り立った場所だ。
2011年のパリ航空ショーで初めて行ったと思っていたその場所に、なんと筆者自身1972年ロンドンのガトウィック空港からの便で降り立っていた事が判ったのだ。
1974年までパリのメイン空港だったル ブールジェ空港
それは何故判ったかというと、当時のパスポートの入国管理のスタンプからだった。今の今まで、筆者は降り立ったのはオルリー空港だとばかり信じ込んでいたのだ。1972年当時シャルル・ド・ゴール空港はまだ出来ていないのがその理由。しかしル・ブ―ルジェ空港はその1974年まで海外からの主力エアラインの出入りの空港だったのだ。
左上がLE BOURGET空港の入国管理スタンプだ。この後パリに2泊した後、Paris EST(=東駅)から列車でスイスのジュネーブへ移動した。
このパリ航空ショーは凄い所だった。ロンドン郊外のファーンボロー空港と同じで現在はビジネスジェット機中心の空港に成っている。最近の映画でビジネスジェットの離着陸が収録される場面は大概このどちらかだ。知っておくと面白い。
2011年パリ航空ショー、会場のル ブールジェ空港の現場で。この写真を撮った2011年に初めて来た場所だと思い込んで居た。が、今日!1972年にロンドン・ガトウィック空港からパリに入った際、実は此処に到着していたのだ!勝手に運命がセンチメンタルジャーニーを成立させていたのに、それを本人が認識していなかったという大ドジだった。
やはり、センチメンタルジャーニーとなると飛行場や鉄道の駅などが一番昔と今を比較しやすいだろう。もちろんランドマーク的な建造物もその一つだが、不変の背景を演出してくれる事こそ望郷の念を満足させてくれるのだろう。
あるいは、毎朝ホテルで出される朝食の印象も欠かせない要素だと思う。
1972年ロンドンのホテルの伝統的ブレックファースト。
2005年、セント・オーステルのドーバー海峡に面したホテルでの朝食。
40年も経つと人間の歩き方、ファッション、車、バスなども当然大きく変わっている。例えば1972年頃の英国の街中やパリのシャンゼリゼなどは煙草の吸殻で一杯だった。しかし今は大きく変わって綺麗なものだ。パリの地下鉄なども、昔は木製の籠のような古い車体だったのが最新式に変化している。
例えば英国Bournemouthの1972年(左)と2001年(右)を比較しても奥の建物や左の住宅の連なりが殆ど同じだったりする。
同じ道で撮影した朝学校へ急ぐこの少女もすでに還暦を越えているはずだ。
ロンドンのオックスフォード・ストリートに在るセルフリッジ百貨店なども以前は日本橋高島屋が真似した通りの重厚な百貨店だったが、今やアラブ人達のロンドン本部の様になってしまっている。世の中は常に変わるのだ。
こういった意味からすると、センチメンタルジャーニーだけではないかもしれないが、旅というものはその場所に対する思い入れが同じ様なパートナーと同行するのがより楽しいと思う。何も全行程一緒でなく、現地でいったん解散し個人行動しつつ、数か所で集合し情報交換なども楽しいはずだ。
パリのリヨン駅、1986年も2011年もアヌシー、ジュネーブ方面へ移動の際に使用した駅だ。
1986年のTGVは黄色主体の豚の顔のような車体だった。
2011年のそれは流線型の日本の新幹線に似ていた。
1986年、パリ・リヨン駅のカフェ・レストラン
24年後、2011年のまったく同じ場所、いずれも朝食を此処で摂った。
1972年パリ・ルーブル美術館横、ジャンヌダルク像の前で。当時大学3年生。当時も金色だったような気もするが下の画像ほどキンキラキンではなかった気もする。
2011年全く同じ場所で、柵がなくなっている。後ろは映画「ボーン・アイデンティティ」でロケに使用されたホテル・レジーナ。奮発して此処に泊まったら記念にホテルの名前入りのワイングラスをくれた。
この手のノスタルジック比較画像はいくらでもあるのだが、整理整頓が不得手な筆者にはなかなかしんどい企画なのだ。
筆者は親から受け継いだDNAの影響で、残された時間が少ないだけに、最後にBeatlesやマージービートで人生に大きな影響を与えてくれたリバプールへ行く事を最期のセンチメンタルジャーニーと考えている。さすがに此処だけはBeatlesに興味を示さない人と行ったのでは意味がない。あーだこーだ言いながら是非この有名な港町を徘徊したいと思っている。団塊世代であれば同志は星の数ほど居るだろう。