紅葉、桜、富士山(山岳美)、夕陽、朝陽、棚田、海、並木、古民家などなど。このほか、祭、子供、鉄道、航空機、動物一般、猫、野鳥、なのだそうだ。
確かに里山写真家・今森光彦氏の棚田など筆者も物凄く魅かれるし、野鳥観察の途中で良い風合いの棚田に遭遇した際は「おっ!良いなぁ」とシャッターを押す事も多い。
なぜ,この棚田に日本人は惹かれるのだろう?少し考えてみたが未だにこれといった納得のいく答えが出てこない。多くの有名なプロ写真家が撮影しているから、自分も少しでも近づこうとして撮るのか?
しかし、有名なプロの写真家さんたちの棚田は、途方もない時間(下準備・ロケハン・撮影タイミング)とお金が掛かって撮れたものが殆どだ。どこかの写真同好会でわいわいサロンの様な形で行った撮影会で、短い滞在時間中に最新の最高機種でバチャバチャ連写しても、おいそれと撮れるような被写体ではない。
確かに水を張った棚田に月が写ったり夕陽が写ったりしている風景は魅力的だろうと思う。棚田の向こうに海が見えて傾斜や高低差の佇まいを感ずるのも良いだろう。一つ一つ形が違う棚田の折り重なった迫力や二つとないフォルムも確かに魅力だろう。人が魅かれる理由は決して一つではないのだろうと思う。
一度撮れたら二度と撮ろうとは思わないダイアモンド富士とはいささか趣を異にするらしい。
2007年長崎県の育樹祭の企画運営実施をお手伝いした際、ほぼ同時期に行われた長崎の棚田フェスティバルで、10日間ほど繁忙期に棚田農家の手伝いをした事があった。長崎県は平地が少ない。農耕地の殆どが棚田だ、航空機から視てみれば歴然だ。
棚田で農業を行うのは普通の平地での耕作とは全然レベルの違う苦労が伴う。まず、段々畑の上り下りで普通一般の人間は午前中で体が動かなくなるはずだ。棚田の農耕者に腰痛持ちはまずいない。皆さん物凄く腰が強い。最近は軽の四駆が在るから逆に腰痛持ちが増えたそうだが、元来徒歩での棚田の往来は超体育会系の物凄い訓練と同じだ。
もう一つは「水」に対するコントロール技術と保持の仕方だ。水はご存知の通り常に低い方へ流れて行く。この水のキープを失敗すると稲作は出来ない。 棚田の畔(あぜ)に曼珠沙華(彼岸花)を植えるのも畦・土手をその密集する球根で硬く仕上げ、多少の事では崩れないようにするための先人たちの知恵であったことは良く判る。
この棚田農業のお手伝いの際少し棚田の実態を知り、少しそれまでの棚田に対する見方と異なる方法での撮影をしてみた時期があった。単に綺麗だからとか、いい雰囲気だから・・・などという動機ではとてもシャッターを押す気にはならなかった。其処に農業の持つ「労働」や「人の存在」の無い棚田風景は筆者的にはあまり魅力を感じなくなっていた。
気が付いたら、この日の歩数計は3万歩を越えていた。
夕刻、仕事撤収の頃、農協関係者に都会の人間にしては良い動きだと褒められた。
お昼時間に成ると、あっという間に皆さん居なくなった。NHKラジオ第一放送の昼の憩いを此処で聴きたかった。
㐂寿を越えた息子と、もうすぐ紀寿(100歳)を迎える母の一休み。多少曲がったとしてもこの母の腰の強さは半端ではない。
藁焼きの匂いは子供の頃から好きな臭いのベスト3だ。
長崎の山間部に広がる棚田エリア。次回は田植えの頃行く事にしている。