昨日は朝からピーカン!良く晴れた。三軒茶屋の高層ビル最上階の会場で1967年卒業の高校クラス会が開催された。
会場は素晴らしく、幹事さんのセンスが素晴らしいことを証明していた。東京都心の高層ビル群を今までと違った視点(西側から)で観られるのは此処以外あまり考えられない場所だった。
団塊世代と言えばすでにほぼ全員が75歳前後。脳も躯体も相当に錆が回っているころだろう。F組52名(なんと1クラス52名だった!」の内、今回参加者は19名+10名メッセージ参加、名簿を見る限り確認できている者10名が既に鬼籍に入っていた。
要は39名があの世を含めて所在確認できていて13名が音信不通(=行方知れずを含む)という事に成る。団塊世代もとうとうこういう所まで来たという事だろうか?
これが有名私学であれば寄付金集めなどの物理的理由からも卒業生の組織もしっかりしており、ほぼ完ぺきに同窓の輪はしっかりとしているのだろうが、一般国公立の場合はそうはいかない。
自分が在籍した九州の国立大付属の小学校などは卒業アルバムが無い!アルバムだけ配られ写真は各々自分で貼れなどという乱暴で無責任なシステムだった。
その昨日の高校クラス会で、今や武蔵野美術大学名誉教授になっている級友が1965年10月の文化祭のプログラムを持ってきてくれた。表紙まわりは彼がデザインしたものだ。この表紙デザインは校内コンテストで選ばれたものだったらしい。
彼は一年先輩で卒業後東京藝大へ進んだ人を差し置いて採用された事に自信をもって美術・デザインの道へ進んだという。
58年後の今になって知った事だった。
で、その彼が持ってきた当時1965年の文化祭と言えば、バンドを結成してメインステージのトリで演奏した強烈な想い出が脳に深く刻まれている。
今日集まったクラスメートでそのバンドのメンバーは一人しかいない。杉田君と言って部活は器械体操部(=あの内村航平のやっている競技gymnastics)だった。※筆者バレーボール部。
彼はDave Clark Fiveの「Because」で間奏部分の当時キーボードの音を学校用の縦笛リコーダー(ソロ)で見事に演奏したメンバーだ。
そのプログラムにはちゃんと当時のステージの出演内容がすべて書いてあり、我々のバンド演奏も「コーラス」として書かれて最後の出演者として載ってる。