昨日のこのブログで肥薩線の復旧はなかなか難しいと述べた。理由ははっきりとしている。鉄道事業は決して慈善事業ではなく営利事業なのだ。肥薩線が最初に通った明治の世と今は全然交通システムが違う。当の昔に沿線住民の命の綱などではなくなっているのだ。
九州新幹線でいくら利益を上げても、JR九州は残りの赤字路線のお陰で赤字ギリギリの経営だ。それも肥薩線がダントツでその新幹線売り上げなどの利潤を食ってしまい、更にそれが年を追ってどんどん膨らんでいる途中で起きたのが2020の球磨川流域の豪雨災害なのだ。
経営者の立場になって考えれば良く判ろう?走れば走る程赤字が増えていく・・・。その赤字路線が自然災害で再起不能のレベルで壊れてしまった。アナタが経営者だったら赤字路線の最たる肥薩線を建て直すだろうか?
その鉄道経営者の立場を考えず、普段ちっとも乗って利用しようともず、地元民が困るだの、学校へ通う子供たちの足が無いだの、観光資源が・・・だの。希望・要望だけメディアを頼みに声高に叫ぶ。
地元メディアも我々は住民の味方だ・・・とばかりこれを無責任に後押しする。肥薩線の運行状況、インフラビジネスとしての損益分岐点がどうなっているか・・代替え案も示さず、復旧の為に地元が何をなさねばならないかも論ぜず。言うは簡単、行うは難し・・・なのだ。
世界中で、随分前1970年代l頃から鉄道に替わって車が人類の移動手段に成ったのだ。アメリカを見れば判ろう?モータリゼーションの進化で、鉄道利用者が激減した結果、1日に一本も走らない、2日に一度と言う鉄道路線もあると聞く。球磨川流域、人吉界隈の車の普及率を考えれば良い。既にこの界隈は一家に一台ではなく、一人に一台、駐車場料金が東京よりはるかに安い事もあって随分昔から車文化に成っているのだ。
車文化が進み、昔からの伝統的旧市街・商店街がシャッター通りに成り、街道筋の駐車場完備の大型店がにぎわい、都市としての形体が崩れて行く・・。八代市も人吉市も同様だろう?
東京で一人に一台などと言えば「おまえは何を考えているんだ?」と言われてしまう。東京・大阪など大都市は公共交通機関の方が発達しており、車で都市内部を移動する者は時間と駐車場費用を浪費するばかりだ。
1990年頃、球磨川に似た峡谷(ゴージ)エリアとしてのコロンビア川(ワシントン州とオレゴン州の州境を流れる)沿いのAMTRACKに乗ってポートランドまで出たが、1日に1本しか列車は走っていなかった。確か走らない日もあったように記憶している。
国連提唱のSDGsなど日本でも全国で一生懸命推奨をしているが、車の便利さに負けて公共交通を利用せず、歩こうとせずガソリンで排気ガスを巻き散らし地球環境を壊しているのは一体誰なのだ?SDGsが呆れてしまう。
そうやって日々の生活に鉄道を利用せず、肥薩線を九州一クラスの赤字路線に仕立て上げた沿線・地元の方々は「災害で破壊され不通に成った肥薩線を元通りに復旧すべきだろう?」と胸を張って言えるのだろうか?
一方で・・。
筆者は八代市に住んでいた小学生の昔から大の鉄道好きだ。蒸気機関車が好きだ。SLブームのはるか前1960年から八代駅構内その他で鉄道の写真を撮った。
正直に言う。筆者が生きている間にこのままでは肥薩線は再開できないだろう。多分代替えバス路線辺りに落ち着くのではないだろうか?観光客を除いた1日の地元利用客数が数百名いるかいないかの路線はバスや乗り合いタクシーで充分だろう。
赤字鉄道時代に抜本的対策をしてこなかった国鉄~JRや地元自治体が、問題を先送りした結果、今こういう状態を引き起こしているのは間違いあるまい。
しかし、鉄道をただバスに替えるのではあまりに脳が無い。どうせ替えるのなら昭和の昔の懐かしのボンネットバスを走らせて話題にしたらどうなのだろう?それも満席になる訳もないので、後ろ半分にはサイクル、つまり自転車を積んで運ぶ機能も持たせたら如何だろう?それだけで充分観光資源に成るだろう。球磨川流域全体でレトロ感を演出するのだ。
こういう代替え案+観光資源推進といったアイディアは地元からはまず出まい。外の意見にもっと耳を傾けるべきではないだろうか?
これが既存メディアやネットで話題に成れば、八代駅でレンタル自転車を借りて人吉や湯之前など人吉盆地内を自転車で回って楽しめるではないか?映画のロケ地にもなれよう。
神奈川県の海老名では引退したバスを再利用して、地域の交流の場にする試みが始まった。このケースではバスは動かないが、動くバスをこのような形で再利用する方法もあろう?
地域でパソコンやインターネットを使えない高齢者などにネット販売でしか買えないモノをコミュ二ティーセンターなどで電話受けし代行発注する。この新しいバス路線を使って近郊(八代や肥薩線沿線)の物資注文を受け配達するなど、いくらでも利用価値があろう。
バス車内でスマホやラップトップPCでWifiが入る様に、すれば若者その他ビジネスマンも利用可能だ。
世の中交通・アクセスがスピードアップし、便利だから観光活性化が進むだろうというのは大間違い。不便だからこそわざわざ観光客が来るのだ。来る側の立場でモノを考えないのが一番悪い。
20年も前に体験した。1998年長野オリンピック開催に合わせて、長野から白馬村までオリンピック道路が完成した。結果どうなったか?長野から白馬方面は軽く日帰りできるようになり白馬エリアに泊まらなくなってしまった。長野市内や松本市内に泊って日帰りでスキーや山岳などリゾートを楽しめるように成って以来、宿泊客が激減した。大昔は細野民宿と言われ、それ以来栄枯盛衰を味わったエリア。今は火が消えたように静かだ。
「観光客は何故来るか?」「観光客は何を求めているのか?」
これは其処(=観光地)に住んでいる人たちには絶対に判らない永遠の謎だろう。外のよそ者から観なければ「そこの魅力」は判らないのだ。そのエリアの観光価値・魅力は地元が決めるのではなく「来るよそ者の眼」が決めるのだ。地元で「オラがエリアの自慢の魅力」をいくら開発・羅列しても、殆ど来るはずの観光客の期待からは全く外れているのが実情だ。これに気が付いたところは数多く「よそ者の意見・アドバイスを聴いて」観光事業に成功している。
その意味では人吉球磨エリアは観光的要素が沢山あるのに、今まで成功してきたとはとても思えない。外からのアドバイスや観光活性化の実績を持つ者の実績のある話を「良い話をありがとう!」と言うだけで、決して実践しようとして来なかったからだろうと思う。
こと観光事業に関しては、「地元の事は地元が一番よく知っている、分かっている」は間違いなのだという事に早く気付いてほしい。
さあ、明日からの1週間は肥薩線ミニ写真集の画像選びに入ろう。