TOKYO2020が終わってメディア・マスコミは総括、事後レポートの段階に入った。しかしその評価はまちまちで、世論調査、ネット投票それぞれ異なる評価に成っている。
この「評価」という日本語、本来は「価を評する~」であり、点数を付けたり、優・良・可などでクラス分けして褒めたり諫めたりするものだ。「価格」などと言う言葉にも通づる。
「良い評価、悪い評価」もしくは「評価が高い・良い、評価が低い・悪い」と使われてきたものだと認識しているが、最近はマスコミ・メディア、政界などで「良い評価=評価する・悪い評価=評価しない」と決めつけて使われるように成っているように思う。気になっている。
これは交通法規を教える際の「山側の崖=山側、谷川の崖=崖側」と似ている。本来崖とは山側にも谷側にも存在する、評価にも良い評価と悪い評価が在る。この辺り日本語が「イージーな決めつけ変化」で変わっていく事に昨今いささか不快感を感ずる筆者だ。
話を本筋に戻そう。
元々筆者は今回のオリンピック招致当初から大反対してきた。理由は三つ。
➀ 最近のオリンピックのIOCによるスポーツ興行ビジネス化が甚だしく、本来の主旨・目的から大きく外れている事。
② 1964年東京オリンピックの10月10日開始ではなく、選手関係者など運営上物理的気候的困難な真夏の7月後半開始であること。(※快適な季節という安倍首相の大ウソ➡アスリート・運営スタッフ・観客に相当なダメージが予想される)
③ 東日本大震災による福島原発事故の影響隠しであること。(※安倍首相の福島原発や日本国内は安全にコントロールされている・・・という大ウソ)
以上の三つだが、この時点で新型コロナウイルス蔓延によるパンデミック状態はまだ解らなかった。
しかし2020年初頭以降、その存在、コロナ禍の拡大不安があるのに何の有効対処もせず、開催実施へ突き進む菅内閣の姿勢、有無を言わさぬ上から目線のIOCバッハ・コーツ両名の強引さがさらに輪をかけて開催反対をこのブログでも唱えて来た。
そのTOKYO2020が終わり、あれだけ事前にコロナ感染拡大を憂えて、感染症専門家たちの証拠データを数々掲げて危機感一杯の報道を取って来た我が国のメディア。
同時に強引なIOCと腰抜けで情けない我が国の政府・東京都の為政者たちを叩く記事で満載だったのが、開催と同時に「選手応援、メダルラッシュ!」と手のひら返しの報道に終始したのはご存じの通りだ。
こういった節操無い根無し草、あるいは浮草の様なメディア報道をそのまま鵜呑みにし、開催前と開始後でコロッと考えを変えてしまう日本人の何と多い事か!?世論調査をその他を観れば一目瞭然。しかし心ある日本人も多く、菅首相の言う「オリンピックが始まれば国民はあっという間に変わるよ・・。」の様にはいかなかった、オリンピック終了時点で行った世論調査で菅内閣は過去最低の支持率に成り下がったのだ。
開催前には色々エビデンスは何処だ、データに基づかない抽象的な菅首相の言動は許せぬなどと正義の味方演じて攻撃的に論じていたくせに、終われば選手の笑顔で「やって良かった」などと全てを総括してしまう、何といい加減なジャーナリストたちなのだ?