SDGs・・・という四文字がメディアに流れ、企業キャンペーン、最近企業宣伝に嫌というほど付随して出て来る。またSNS上でもSDGsに関して個人で運動・作業・イベントに参加したり、具体的ミーティングに参加する事で、いかにも時代の最先端を進む意識高い系の人間であるかのように発信をしている人達が沢山いる。もちろんそれを責める気は毛頭ない。
しかし、このSDGsって本来個人がどうのこうのするのではなく、利益追求の企業が、金儲けの為に地球環境を破壊してきたツケを是正すべきテーマだろうと思う。
17件あるテーマの殆んどは個人ではどうしようもない抽象的な目的だ。数値目標が全く無いので、決して「目標のあるゴール」ではない。単なる希望的スローガンの集合体だ。ゴールに達すれば世界がどうなるのか?それとゴールしたらどういう弊害が起こるかなどは明記されていない。
筆者は決して、個人レベルで良いと思って活動に参加している人達を非難したり、あげつらってチャチャを入れるつもりはない。
しかし、改めて詳しく訊きたい、SDGsって何なの?今更漠然とした継続的な開発目標スローガン?しかも提案しているのがあのいい加減な国連なのだ!
筆者は此の国連という組織自体が曲者だとかねてから疑問視している。小学校の時から国連とはアメリカのニューヨークに本部が在る、世界の平和のための国々の連合体だと教わった「良い所、正しい事をする場所」という教育的擦り込まれで・・・。
地球温暖化の危機感を唱え、二酸化炭素排量を減らし、化石燃料の撲滅を唱えたのも国連の一部だ。背景にヨーロッパ諸国の金儲けをヨロイの下に隠した環境ビジネス群の存在が判っているにもかかわらず。
しかし、筆者も大人になってよく考えてみれば、国連という組織は第二次世界大戦の戦勝国側の主要国が作り上げた世界コントロールの団体ではないのか?だからいつまで経っても敗戦国側のドイツや日本は巨額な協力金を払わされながらまま子扱いだ。これはこのまま未来永劫続くのか?
繰り返すが、我が国日本は国連の存在意義に賛同し、協力負担金を米国に続いて世界で二番目に多く支払って(払わされて)きた。しかし戦後半世紀以上長年に渡りそれだけの協力・努力をしてきているのに、今まで我が国は何か此の国連から印象深い恩恵を得ただろうか?
韓国発の言いがかり慰安婦問題にしろ、第二次世界大戦後条約締結で国際的にも既に終わった処理問題にしろ、日本の立場・主張に耳を傾けることなく、良く調べもせず逆に日本を非難する側にまわって来た。我が国の腰抜け外務省はこれらに全然対処も出来ず、国民のストレスは増すばかりだ。
日本の問題にかかわらず、つい先週までのイスラエルとパレスチナの争いに関しても全然役立たずで、子供を含め多数の犠牲者を出している。結局米国が主導する裏ルートの交渉成果で停戦合意が成立。本当にFOXテレビの人気ドラマ=マダム・セクレタリーが動いているのではないだろうかと思わんばかりの状況だ。
話がわき道にそれたが、このブログではこのまま国連の問題点をあげつらうのではなく、SDGsに関してのおかしな話を進めてみたい。
若い人々は知らないだろうが、団塊世代の我々が小学生中学生の時代、つまり昭和の時代の社会生活、一般生活を思い出してほしい。今よりはるかにSDGs的世の中だったのだ。
主婦たちは買い物に出かけるときには買い物かごを下げて出かけ、戻ってくるときにはそのかごが一杯で重たくなり、大根やネギの穂先が見えていたのを覚えているだろう?
一方でコカ・コーラでも三ツ矢サイダーでも酒屋さんで買った、あるいは配達してもらった瓶は返すのがアタリマエだった。コカ・コーラの黄色い木箱(角々を金属で補強した奴)は自分で大学時代、横浜の西久保商店街の酒屋で配達をして毎日運んでいたので良く判っている。リサイクルなど今よりはるかに頻繁に行われてきたのだ。地方の中学校で廃品回収が校内行事の一環で定期的にあったなど、今の人間は少しも知るまい。
http://yamasemiweb.blogspot.com/2014/09/blog-post_20.html ご参考。
https://ameblo.jp/hondacp77/entry-12506133441.html 参照
もちろんキリンビールも黄色いプラスティックの箱に入ったものを二段で肩に担いで横浜の高台を配達して回った。勿論空箱空瓶は回収した。個人的に言えば、この時の鍛錬がいま72歳になっても腰痛が一切無いという幸運に繋がっているのだろう?
八百屋に買い物に行っても買った物は新聞紙にくるんでくれた。魚屋の魚も油紙もしくは薄い経木に入れて、それを新聞紙にくるんでくれた。要は新聞紙でも紙袋でも溜め置いて、再利用して使い回したものなのだ。それが当たり前の時代だった。
1972年英国に短期語学留学し、地元の家(一般の労働者階級の家庭)にホームステイした際も、そこの奥方がスーパーの紙袋類を綺麗にシワを伸ばして大切そうに戸棚に仕舞っていたのを覚えている。新聞紙や紙袋は使い回しし、世界中で出来るモノはすべて再利用が当たり前の時代だったのだ。
勿論レジ袋などと言うものは存在せず、買い物かごに買った物を直接入れて、持ち帰ったのだ。それが常識の世の中だったのだ。今でいうSDGsなど当の昔から国連に提唱されずともやっていたのだ。
それが今の世の中はどうだ?
コーラやビールは消費者が頼みもしないのにメーカー都合で缶入りに成り、町中至る所の自販機で購入できるようになった。全て企業・メーカーの売り上げ増=金儲けの結果だろう?
未成年だってビールや缶酎ハイを24時間無資格で買える。こんなルーズな国、世界中で日本だけだろう?
あのジョージ・ルーカスの初期の映画・アメリカン・グラフィティで、卒業したての田舎の町の高校生が年齢を詐称してドラッグストアからビールを買うシーンなど、日本では有り得ない。
モノを買えばレジ袋に入れたり過剰包装でカサばかり大きくなったものを、地球環境に悪い物質(=プラスティックカバーのコンビニ弁当など)で包んで渡されるように成ったのだが、これって消費者の我々が頼んでそうなったのか?
違うだろう?売ってなんぼ・・の企業・売り手が陳列し安く売り易いから、他メーカーより売れるだろうと競争しながら、我々が頼みもしないのにそうしてきたのではないのか?
何でそれを我々消費者が、今に成ってレジ袋にまで金を払わねばならないのだ?しかも売り手の店の宣伝が入った袋を・・・。同時に紙製の袋まで便乗で有料にして買わせる。これって長い目で見れば詐欺だろう?メディアも何故それを暴いて情報拡散・問題提起しない?