曼珠沙華、つまり 彼岸花は最近でこそ群生するエリアが観光地になり、写真撮影の良い被写体という事でもてはやされるようになって来たものの、昔はお彼岸の頃に突然真っ赤な花だけがいつの間にか咲くので、その赤い花から「血」を想像させたり咲き出しがあまりに突然で不気味だという事で忌み嫌う人が多かった。今でも高齢者にはそういう方が多いと聞く。
英語名は「赤い蜘蛛のような百合」を意味する「Red spider lily 」で、学名は猛毒の「リコリン」を意味する「Lycoris radiata」。この曼珠沙華の根には猛毒のリコリンが有りその昔は矢じりの先にこの毒を塗って獲物を倒したという。トリカブトと並んで猛毒野草の双璧らしい。
しかし、田んぼの畔にこれが沢山植わっている意味は別の所にあると、農業をやっている友人から聞いた。江戸時代以前からこの曼珠沙華は田の畔に植えていたという。理由は密生して生える性質をもつこの花の球根がとかく崩れやすい田の畔をしっかりとさせてくれるというのが1つ。もう一つは飢饉が襲った時に、この球根を乾燥させ擦って粉にし、真水にさらして毒を抜き団子を作って飢えをしのいだという。言わば昔の農民が考え出した一石二鳥の知恵だったそうだ。
この花を撮影するには有名な群生地に行けば済むが、光の関係、背景の問題、観光客の人々が写り込むなど、なかなか思うような撮影地は無いのが実情だろう。しかし最近はあちこちでこの群生地が増えているので情報を集めて小まめに探せば意外に身近に存在しているようだ。自然の花だけを綺麗に撮るか、八代の麦島勝さんのように必ずそこで生活している人々を入れ込んで撮影するかは撮影者の理念に基づくのだろう。
今回の画像は北九州小倉の貫地区と井手浦で撮影したものの一部。観光客は全く一人もいなかった。やはり足で稼いで撮影地を探す必要はあると思う。この2か所も門司で歯科医院を開業している小学校時代の級友藤井修一君のお蔭で発見した場所。
平尾台の西側に広がる井手浦は浄水場が有る西陽をいっぱいに浴びるエリアだ。
棚田の地区なので撮影にも最適な被写体だエリアだが殆ど知られていない。
遠くに筑豊の山々が見えてなかなかの景色。
昔は炭鉱のボタ山だったような円錐形の山々にも木々が生い茂り、今は昔自分が小学生だった頃の面影は全然ない。2時間に一本、日田英彦山線の電車が走るだけ。人口100万人を超える大都市からほんの少し離れるだけでこういう風景が在る。