江戸の下町、上野御徒町に明治25年から130年間続く老舗の佃煮屋「大和屋」さんがある。実は我が家では祖母(明治38年ー昭和46年)の時代から三代贔屓にしてきたお店だ。我が父は此処の鰻の佃煮が好物で、店で買って家に帰る途中につまみ食いを始め、帰宅する頃までにはすっかり食べてしまう程だったという、だから息子の筆者はその味を知らない。
一方息子の筆者は鰻には目がないが、佃煮では食べたことはなかった。鰻重、鰻丼の類は週一で食さないと禁断症状が出る、イラつく。もうずいぶん前から一種のビョーキだ。
筆者的には国内で鰻重・丼の味ベスト3を挙げれば、一に銀座一丁目のひょうたん屋。二番目に熊本県人吉市の上村鰻店と隣のしらいし鰻店(甲乙つけがたい)。第三に北九州小倉と黒崎の「田舎庵」
これ以外は、残念ながら価格はいくら高くても、皆少し落ちる。ここで上位3位までの四軒とも関西風の直焼きだ。蒸して焼くスタイルのかば焼きも決して食わないではないが・・・、話がそれ過ぎた。今日は佃煮屋の話だった。
その130年続いた御徒町の老舗佃煮屋「大和屋」さんが暖簾を降ろす事になった。
九州の八代に中学校時代の親友がいる。同じ八代二中1年生時のクラスメート(1学期は彼が級長、3学期は筆者が級長)。彼は熊本の進学校から神奈川大学を出て’70年代からさる大臣=政治家の秘書を務めた。12~3歳以降、東京での現役時代は筆者も横浜の大学に通ったにもかかわらず一度も逢った事がなかった。
2001年九州・鹿児島で皇太子殿下(現・天皇陛下)・小泉首相が出席された大きな催事をプロデュース支援した際、事前準備出張のある時荒天で鹿児島~福岡間の航空機が飛ばず鉄路JR鹿児島本線で移動した事があった。
途中、スタッフと別れて懐かしの八代駅で下車し、駅前の珈琲店ミックで電話帳を繰って探したのが40年ぶりに再会した彼だった。
その彼は東京での生活が長く、九州人にしては珍しく甘ったるい味が好みではなく、江戸風の醤油のキリっとした味が好みだった。で、この大和屋さんの佃煮の折箱を年に1~2度は贈って二十年。
大和屋さんにもすっかり覚えられ、毎回色々サービスしてもらって送り続けたのだが、もうそれも今回が最後に成ってしまった。大和屋さん終了後、どうしたら良いのか考えたが、しっかりと似たような味の推奨店舗を二店ほど大和屋さんから教わってきた。何とかなるだろう。
五月末で閉店というニュースを知ったのがホンの三日前。昨日、最後の二折(進物用)と自分用の佃煮をいくつかまとめ買いして、ご主人と女将さんにお別れしてきた。